商売の5 タイムスリッパー

 十年一昔とはよく言ったもので、二十年も経つと世界が変わってしまっている。

 極道の世界はまさにそれの最たるもの――平成に入り暴対法によって徹底的に締め付けられた極道達は、その組織体制を大きく変革しなくてはならなかった。

 シノギと呼ばれる経済活動も、今や大っぴらにはなにもできない。自ずと看板を下ろして地下へと潜らざるを得ない――。

 しかしそれは闇のシノギであれば、という話だ。

 要は表立ったビジネスかつ、組の看板を下ろして株式会社化していれば、大きな問題にはならないことがほとんどだ。

 渋谷に事務所を構える株式会社先導興行も、そうした進化を強いられた組織だった。表立ったビジネスで金を稼ぐ――日陰者だった彼らにとって、これほど難しいものはない。

「世も末だぞ、テメェ」

 目の前で口を開けるアタッシュケース――その額現金で五千万円が、先導興行社長・北条の目の前で閉じてその姿を消した。スマートなストライプ柄のスーツを着た、四十代の男だ。その頭には白髪が混じり始めており、どこか疲れを感じさせる。しかし極道特有の眼光だけは消せていなかった。

 かかとでケースを閉じたのは、赤いメッシュが前髪から一房垂れた女だ。黒いスーツに赤いネクタイ。同じく、裾がほつれた赤いコートがソファの下へ流れている。くちゃくちゃとガムを噛みながら、不遜な態度を崩しもせずに、女はブーツを地面に下ろした。

「何がだよ」

「極道が脅迫受けて金払うなんつうのがだよ。それが年端もいかねえガキにだ」

「あ? まだわかんねえのか? おたくは確かに五千万を払ったよ。だけどそいつは、あたしの口を塞ぐためだろ。脅迫? バカ言え。の間違いじゃねえか? それに、引きこもりを追い出すビジネスを逆手に取って親を脅迫するなんてそっちのほうが世も末だろうが」

 先導興行が始めたビジネスは、いわゆる『追い出し屋』だ。屈強な若衆を派遣して、ニートや引きこもりを家の外へ出し、オプション次第で市や県を越えたり、ツテを辿ってタコ部屋に売り飛ばしたりしている。

 彼らが先進的だったのは、それを脅迫のネタにしたことだ。ニートや引きこもりに対して正面からぶつからず、人の手を借りて強硬手段に出るような連中は、たいていが世間体を病的に気にしている。もちろん脅すような真似はせず、『ご近所への情報漏洩を防ぐ費用』を請求しているまでだ。

 北条にとってみれば当然の請求だった。それを脅迫だと騒いだ挙げ句、よりにもよって『三つ首』なんぞに――。

「あたしみたいな奴に巻き上げられるのは嫌だって? 顔に書いてある」

 リョウコはガムを風船状に膨らませる。風船は北条みたいに耐えきれなくなり、ぱちんと弾けた。それが合図になったみたいに、脳内の同居人が好き勝手に話し始めた。

『ねえねえ、五千万で何食べる? この後さぁ、ドーナツ屋さん行こうよ。新作の抹茶チョコシリーズ買い占めよ。あーし、去年食べそこねたんだあ。三個ずつ……いや五個ずつ買おう!』

『ミオ、後にしろ。リョウコ、妙にすんなり金を渡したと思わないか?』

 あたしもそう思うぜ。

 リョウコはアオイに脳内でそう返事して、再びガムをくちゃくちゃ噛んでから、器用に膨らませた。

 リョウコ、アオイ、ミオの三人は、理由あって一つの体に合体している。

 理由を話すと長くなるため省略するが、消費カロリーが単純に三倍になるため、とにかくなんでもやって金を稼ぎ、食わねばならない。だから、彼女らに渡世のルールなんて無用だ。信号機のない田舎の横断歩道くらいはあってないようなものだ。

「嫌に決まってるだろ。だが、三つ首に食いつかれたら金を払うほうが逆に安くつく――あんたに逆らって命を落とした連中が何人もいるって聞くしな。ウチとしても、あんたに黙ってもらってもう一遍金を稼ぐほうがいい」

「賢明なこった。ま、せいぜい儲けてろ」

 北条の子分達は、リョウコに鋭い殺意交じりの視線を送るのみだった。彼女がここに入ってくるまでに、殴る蹴るで良いようにあしらわれているからだ。

「お前ら、もう逆らってくんなよ。今時忠義心なんか持ったって、一円にもなんねえぞ」



「社長、いいんですかアレで」

 扉が、閉まった途端、副社長の大島がこわごわそう話しかけるのへ、北条はアルミの灰皿を投げ飛ばして叫んだ。金属音と共にむなしく跳ね回る。

「良いわけねえだろ、ボケ! テメェらが不甲斐ねえから、クソニート共の親からアヤつけられんだよ! ヤクザ丸出しで脅したんじゃねえだろな!?」

「たぶんアヤつけてんのは三つ首の野郎ですよ!」

「うるせえ! クソッ! ……いい! もう今日のことは忘れろ! だれかゲロったら殺すからな。大島、テメェ社長室に来い!」

 社員達が憐れみの混じった視線を大島に送る。世が世なら若頭として北条の跡目を継いだであろう大島も、今やサラリーマンのような扱いだ。極道としての下地がある分、口答えもできないのだから、ほとんどサンドバックのようなものだ。

 しかし、今日に限っては違った。

「扉閉めたか」

「はい。それにしても三つ首のガキ、いやに手口に詳しかったですね……顧客側がゲロったとも思えませんし、一体どうやって……」

 大島はソファに腰掛けながら、目の前に座る北条におずおずと聞いた。北条はただ白旗を上げただけではなかった。五千万をはじめから取り戻すつもりでいるのだ。

「終わったことはどうでもいいだろ。とにかく今は五千万だ。三つ首のガキ、絶対始末してやる。金を取り戻しゃあ、今日のことはチャラよ」

「社長、簡単におっしゃいますが……三つ首は本物の化け物ですよ。並の殺し屋じゃ引き受けてもくれんでしょう。それに俺たちの仕業だと知れたら、今度は五千万で済むかどうか……」

 それについては、北条自身も身を持って証明させられている。だからこそ、わかることもある――。

「おれの『姉貴』なら大丈夫さ。しくじりはねえ」



 遠くからでもわかるほど、がっちりとした女であった。青いジャンバーを羽織っていて、その中のシャツから浮いている筋肉の形だけでは、女性であるかどうか言われなければ分からないだろう。背丈は百八十といったところか。

 特筆すべきは、その顔だった。

 左目に眼帯をつけていて、その下から傷痕が覗いている。耳はずたずたに裂けていて、その傷が鼻を横断して、傷のない場所を探すほうが難しい。残った右目が黒く大きく――意思の感じられない、獣のような雰囲気を漂わせていた。

 有栖アリスは北条の父親、その妾の子として産まれ、女にしては身体ばかり大きく、暴力性の塊のような人生を送ってきた。そんな彼女にとって、極道の世界は実に分かりやすかった。親と仰ぐ人間を神の如く崇め、彼らの敵を自ら打ち払う。時には殺人すらも厭わない。それで、北条おとうとは涙を流して喜んでくれる。よくやってくれた。これでメンツが立つ――その意図するところなどわかろうはずもなかったが、有栖にとっては十分だった。そうして、何度も刑務所を行き来した。

 最近、十年越しに刑務所から出てきたばかりだ。

 北条はすっかり年を食っていたが、それでも頼まれることは同じだった。それが嬉しかった。

 先導興行の近く、ジャンバーの下にドスを一本呑んで、その時を待っていた。五千万。アタッシュケースに入っているのがそれだろうと、片目でそれを確認し――持っている人間を見て彼女は驚愕した。

 初めて北条を見たのと同じくらいの年代の女だ。昔は楽しかった。複雑な間柄の弟であったが、きょうだいとしても、極道としても良い関係で過ごしてきた。今はあの頃とは、極道の世界はまるで違ってしまっている。弟の関係もまた、今までどおりだろうか――。

 彼女はドスをぎゅう、と握りしめ、過ぎ去った時間のことを考えていた。彼女の頭脳ではとても言語化はできなかったが、その時間経過が自らの居場所そのものを奪ってしまったのではないか、と漠然とした不安を覚えていた。

 だが同時に、無駄なことだという直感もあった。

 自分にそれ以外何ができるというのだ。殺し以外の何ができるというのだ。



尾行つけられてるな』

 ビルとビルの間、その角を曲がった直後、アオイがふと脳内で指摘した。

『ええっ、誰に?』

『そんなもの私が知るか。あんなデカい体して下手くそな尾行じゃ、リョウコじゃなくても気づく』

 余計なお世話だこの野郎。リョウコはそうアオイに返しつつ、胸を二度叩いた。スパークが一瞬迸り、赤いリボンがメタルフレームのメガネに変わり、一回り体格が縮んでアオイが姿を現した。

 アタッシュケースを置いて、アオイはそばに置いてあったゴミ箱に足をかけ、壁を蹴り、そのまま一筋の青い筋になって、ちょうど曲がり角でこちらの様子を伺っていた追跡者の背中に着地した。

「動くと腹に穴が空くぞ」

 背中に右手刀があてがわれていることに、その追跡者は気づいたようだった。はったりではない。アオイの右手首は高速回転し、壁や床はともかく人間の肉くらいはブチ抜ける。

「……あの中に五千万が入ってるんだな」

「なぜそんなことまで知ってる。先導興行の回し者か?」

 青いジャンバーの中からドスがずるりと引き出され、振り向きざまに刃が振り払われた。アオイは一瞬でスウェイし刃を回避すると、スーツの下に仕込んだ柄を手にとってずるりと引きずり出した。スパークと共に柄は伸び、途中から柔軟な蔓のように形状が変化する。鞭だ。

「その顔の傷増やしてやる!」

 振るわれる度に、鞭の先が音速を超え、空気が爆ぜ鋭い音が鳴った。ジャンバーが、ジーンズが爆ぜる。追跡者に根性がなければ発狂しているところだろう。しかし、驚くべきことに追跡者は冷静にドスを払い、鞭を切り飛ばして見せた。驚異的な身体能力だ。

『アオイ、こいつやべーぞ。デキる! 五千万は手に入ったんだ。無理すんな!』

 鞭を手放し、アオイはコートの下からスマホを抜いて、前に突き出していた。

『アオちゃん、あーし変わろうか?』

 ミオが心配そうな声を出したが、アオイは冷静なままスマホを向けたまま動こうとしない。

「北条のことは一通り調べてある。なるほどな。我々に五千万をあっさり渡したのは、取り返す自信があったからか。そしてあんたは北条に頼まれて……」

「お前を殺して、五千万を取り戻す。弟の金だ、そいつは」

「『弟』ね……どう恩義を感じてるのか知らないが、今時映画でも見ないようなドス一本での殺しなんてスマートじゃない。あんたいくつだ。四十か、五十か? 次出てこれるのはいつだ? それでいいのか?」

 記憶の中の北条は、有栖にとって無垢な存在だった。いつだって穢れのない、大切な弟だった。しかし彼が殺しを望むなら、それに応えなくてはならない。

『しかし社長。血の繋がったお姉さんでしょう? 三つ首にぶつけるなんて――』

『確かに血が繋がってるよ。だからなんだ? 極道は、親兄弟だろうが使えるなら使うんだよ。それに俺は別にあいつに何をしてこいとも言ってない。教唆になっても困るからな』

『じゃ、じゃあ五千万が戻ってこなかったらどうするつもりなんです!?』

『その時はその時だよ。有栖が死んだらそれはそれで業界の噂になる。三つ首にケジメ取ろうとしたが一歩及ばずでした、で少なくともナメられやしない。あーでも死んでくれたほうが都合がいいな。だいたいあんな女をなんで俺が養わなくちゃならないんだよ。ま、どっちにしろ高い勉強代だと思うさ』

 スマホのスピーカーから出ていたのは、間違いなく北条の声だった。有栖はどうしたものか分からなくなって、いつのまにかドスを納めていた。

「……私は、いらない人間だったわけだな」

「あのバカ共、社長室なら何喋っても大丈夫だと思っているのさ。実際は残念ながら筒抜けなわけだが」

 目の前が真っ暗になったような気がした。

 これまでの全てが否定されて、足元がすべて崩れ去ったような気分だった。

『なんか可哀想だね』

 ミオがぽつりと脳内で呟く。リョウコは思うところがあるのか、唸ったまま無言を貫いている。そんな中でも一番悪質なことを考えるのが、アオイの役割だった。

「……あんた、利用されたままでいいのか? そうやってても、あんたの時間は巻き戻らない。私なら、金で解決するが」

「金で……?」

「お膳立ては私がやろう。利を取れよ。サラリーマンだって退職金は貰えるんだぜ」



 五時間後。

 非通知番号からかかってきた電話に出た北条は、有栖からの連絡であったことにまず驚き――その内容にさらに驚いた。

 三つ首は死んだ。

 だが、始末をつけたところを警察に目撃されたかもしれない。迷惑はかけられないので半分金を貰いたい。もう半分は直接返したいので、取りに来て欲しい。一人で来られないなら、このまま金を持って逃亡する。

 大島に命令して、事務所に保管していたマカロフを引っ張り出して、有栖が指定してきた八王子の郊外、言ってみれば山奥へとたどり着いた時には、既に夜中になっていた。

 有栖はおそらくはレンタカーであろう車のライトを浴びて、暗闇の中立ち尽くしていた。北条は失望と怒り交じりに乗ってきたベンツの扉を勢いよく閉めた。大島もだ。

「金は!」

「車の中です。三つ首は、あなたがくるまでに埋めておきました。……約束は守りました。あなたに迷惑は掛けたくない。これが最後のご奉公です。私は――」

 銃声。

 シャツを九ミリ弾が簡単に貫いて、有栖の内蔵を貫いた。一瞬、何が起こったのか分からなかった。大島だけでなく、北条まで銃口をこちらに向けていて――信じがたいことにその銃口から硝煙が立ち上っていた。

「ご奉公っつうのはな……期待も裏切らない、余計なことはしねえことを言うんだよ、姉さん。なにが半分よこせだ。ムショボケがよ!」

 何か言う前に、北条は有栖の眉間に銃を押し付けて、迷いなく引き金を引いた。彼女は絶望を感じる暇も無く、この世を去った。

 そしてそれは、大島も同じだった。

 先程の銃声の何倍も大きな音が、有栖の乗ってきた車のフロントガラスを貫いて、その勢いのまま大島の頭を吹き飛ばしたのだ。

 スパークと共に、がらがら崩れていくフロントガラス――そしてその奥、運転席に座ってハンドルに足をかけていたのは、誰あろうリョウコその人であった。

「よお、奇遇だな社長。まったく泣かせるぜ。有栖って女、あんたの姉ちゃんだって? しかも渡世の上じゃ子分と来てる。今時の極道っつうのは、子分を撃ち殺してもお咎めなしなのかね?」

「三つ首――テメェ生きていやがったのか! 有栖、嘘を――!」

 リョウコはスマホの画面を見せつけながら、先程の殺人現場を再生して、にやにやと車を降りた。

「そういうなよ。有栖はあんたに忠義を見せたさ。立派な極道もんだぜ。だから、五千万の半分と言わず、もう五千万くらい香典にくれてやれよ。もちろん活用するのはあたしだがな」

 北条は青ざめる。もう五千万なんて右から左にすぐ捻出なんてできない。こいつ、まだこちらをしゃぶり尽くす気だ。

「あんたが言ったんだぜ。素直に金を払ってりゃ安くついたってな。それとも、そのマカロフであたしと勝負するか? 今度は代わりに命を払う羽目になるかもな――」

 姉はもういない。大島も。

 頭上にまたたく東京とは思えない星空がまるで落ちてきそうな気がして、北条はいつのまにか自分が膝をついていたことに気づいた。



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