10.つまり俺は生きている。

 立ち尽くすリルちゃんを抱えて急いで破天から距離をとる。一飛びで稼げたのは五メートルほどだが、破天の射程を考えれば十分か。

「リルちゃん、なんで逃げてないの、助かったけど」

「わたし達の問題に巻き込んで、見捨てるのは……」

 そうじゃない。

「違うよ、リルちゃん」

 そんな大層なものじゃない。

「俺は、リルちゃんが生き延びれるようにこいつを足止めしてるんだ、俺の意思でね」

 それだけなら、きっと一緒に逃げていた。

「大丈夫、リルちゃん達が逃げ切ったら、俺も逃げるさ」

「いえ、それなら尚更わたしも戦います。力を合わせた方が切り抜けられる可能性が高くなります」

「だから、そうじゃない」

 少し強い声を出したせいで、抜けた左肩に鈍い痛みが走る。

 思わず痛みが顔に出そうになって、無理やり笑顔を作った。

「ホントにだいじょぶだからさ? リルちゃんは先に逃げてて」

 なるべく明るい調子で笑いかけた。

 つもりだったんだけど、何故か、リルちゃんは息を呑んで瞠目どうもくした。

 それから硬い面持ちで一歩引いて、躊躇ためらいがちに小さく頷くと踵を返す。

 その背中をいつまでも見ていたいところだけど、

「追わせないからな」

 破天を牽制する。

 が、破天はリルちゃんの背中を見るともなしに見ながら言った。

「そういう顔も出来るのだな」

「そういう顔? あぁ、さっきの爽やかスマイルか」

「ああいう獰猛な笑みを浮かべると、ますますマダオに似る」

「え……そんな顔だった?」

 ガチで意外で驚く。

 結構ちゃんとイイ笑顔にしたつもりだったんだが……あー、それでリルちゃんの様子がちょっとおかしかったのか。引かれてたんだな、アレ……。

「見たところ貴様、魔法使いに成って日が浅いか」

「あ? 二日目だけど?」

「ふん……二日か。モトム、『破天公』で我と共に世界を再製せぬか?」

「え? やだナンパ? 勿論イヤですwww」

 即答だろw

「ならば知れ、魔法使いの意味を」

「え、今それいるの?」

 ガチンコで殴りあってるとこだろ? いきなり勧誘してくるし。折角ノッてきたのにほんとなんなの?

「魔法使いであるならば知れ! 力を持つが故に力に翻弄される理不尽を!」

 取り敢えず殴り掛かる。

 重力魔法で逸らされた。

「異世界人には疎まれ、魔法使いにはランクという絶対的な壁がある。そんな八方塞がりの生に居場所無き者の遣る瀬無さ、憤り、貴様には理解わかるまい!」

 しかも話し続けるし。

 なんか語り始めたら目のハイライトが生き生きとし始めてウケるんだけどw

「いや、そりゃわかるわけない。何言ってんだ」

「そうだ。貴様は星1でありながら星5と渡り合い、日も浅く、死んだこともあるまいな」

「いや、三十分で村正に惨殺されました。今、二周目です」

「……既に村正とも接していたか。始ケン者しけんじゃたる奴もまた、魔法使いの理不尽の一角だ。何故、力がないというだけで蔑ろにされ、挙句に殺されなければならない! どれだけ強くなろうと努力を重ねてもその先にあるのはランクの壁!」

「おまえ星5じゃん」

「故に! 故にである! 『破天公』は理不尽に抗いきれぬ弱者が身を寄せ、いずれ世の暗雲を振り払うための誓いである! 志す魔法使いであれば思想も理念も問わぬ! 全てはこの異世界に理想郷を実現するため!」

「いや、チンピラの集まりじゃんwww」

「彼らは誰もが魔法使いという抑圧に縛られ、無下に命を搾取されてきた。当然の報復だ」

「いやー、無理だわw そもそもそれ雑魚の集まりじゃん? 汗臭そうだし意識高すぎるしちょっとイロイロキツいwww それに俺、今、『九生誓騎士団きゅうせいせいきしだん』のほうが興味あるし、『破天公』はないかなwww」

「……で、あるか」

 破天の雰囲気が変わった。

 熱っぽく妙に生き生きとしていた目の光が消え、さっきまでの無感情な黒一色に戻る。

 同時に、それまでずっとウネウネと無い風で元気にたなびいていたマフラーの両端が力を失って地面に落ちた。

 破天はそのマフラーを外すと、近くの灌木に投げかける。

 『ズシンッ』と灌木を潰して重量アピールしたりすることもなく、汚れたマフラーはふわりと灌木に掛かった。別に修行用にすげえ重いマフラーをつけていたとかではないらしい。

 ずっとマフラーで隠していた顔下半分は、まあ、普通だった。別段、不細工でもなければ特徴のあるわけでもない、普通の顔だ。

 その普通の口が言う。

「ならば、ここで貴様の命、一つ頂いていこう。冥途の土産だ。我が十全の力で以って汝が罪を清算しよう」

 え、本気モードってこと?

 マフラーとって本気モードとかガキかw

 でもこいつの本気とか洒落になんねえのが困りものだよなぁ。

 しかも恐らく、次の打ち合いでどっちかが死ぬだろう。

 お互い左腕が使えないし、俺は関係ないけど魔力残量もあるし、向こうが命懸けで打ち込んでくるなら俺も相応の覚悟をしなきゃいけない……んだけど、殺すのかぁ……。

 正直、ここまで破天と殴りあってて、何度か殺す気で拳を振った。全部されたけど、振るたびに脳裏が冷やりとした。

 したけど……振るたびに、その冷たさは薄れていった。

 今は、多分、できる。

 何より向こうがこっちを殺そうとしてるんだ。

 動けないくらいに叩きのめそうにも中途半端な力じゃ通用しないし、殺すつもりの一撃で対抗するしかない。

 で、破天が俺を殺しきれなければ、あいつが死ぬ。自業自得だな。

 うん、やれるな、俺。

 破天がおもむろに右手を上げ、掌を俺に向けた。

 俺も、なんとなくそれっぽい構えをとった。

 そうして、お互い動きを止める。

 なんか達人の隙の探り合いみたいになってるが、その実ただその瞬間の覚悟を決めてるだけのような気がする。少なくとも俺はそうだ。

 よし、こうしていても仕方ない。

 俺はいよいよ死線を踏み越えた。

 全力で踏み込むと、周囲の景色が一瞬ぶれ、瞬きする合間に破天の懐に入り込んでいた。背後から爆発音のような俺の踏み込みの音が聞こえる。

 だが同時に、身体の異常な歪みも感じる。破天の重力球の影響下に入ったのだ。

 身体のあちこちが引っ張られたり圧されたり捻じられたり歪められたりする。それも今までにない強さで。

 それを腹に力を込めて耐える。痛みには意識を向けない。破天の顔を睨みつけ、右腕に力を籠める。

 ただただ、一撃のイメージに集中する。

 踏み込んだ左足に力が溜まるのを感じる。その力を腰から右腕に移していくようなイメージで――打つべし!

 当然、破天は俺の渾身の右ストレートを受け流しに掛かる。

 その間も俺への荷重は増していく。

 右腕が重力に絡めとられ、力の軸が外側へと流されていく。流れる力を腰の捻りと重心の移動で強引に軌道修正し、破天へと押し込む。

 だが重力で減衰した力では破天の武術による受け流しを押し切れない。

 俺の拳は破天の側頭部を通過した。

 リルちゃん達は、もう逃げたかな。

 踏み込んでいた左膝からゴキリと不吉な音がして、俺は立っていることもできずその場に崩れ落ちた。

 破天の右手が俺の首を掴む。さすがに直接気道を重力で潰されては俺の魔法も対抗できないらしい。

 まったく呼吸ができない。

 だけど、まだ、身体は動く。

 残った力の全てを、右ストレートには乗せずに温存していた全身全霊を、残った右足に込めて。

 俺はボレーシュートの要領で右足を振り抜いた。

 音もなく俺の右足が弧を描き、不意を突かれ防御の間に合わなかった破天が吹き飛んだ。

 俺の身体は無理な体制で無茶な力を揮った反動で滅茶苦茶に地面を転がった後、仰向けに動きを止めた。

 もはや痛いとか苦しいとかもわからない。身体の感覚がない。散々身体の中から痛めつけられて、骨もバッキバキだったっぽいしなー。

 あー、こりゃ、死ぬんだな、また。

 俺の蹴りの一撃で吹き飛んだ梢の天蓋が、茜色の光を落としてきた。

 そこに滑り込むように影が落ちてくる。

 遠くから綺麗な悲鳴が聞こえてくる。

 リルちゃんが俺のことを呼んでいるような気がしたけど、気のせいかな。

 しかしまあ、初めて本気でこの力を使ったけど、やっぱすげえなぁ。

 本気で力を揮うって、気分いいんだなぁ。

 楽しかったなぁ……あ、でもこれじゃクエスト失敗か?

 リルちゃんには、悪いことしたかなぁ……。

 そのうち、ちゃんと謝らなきゃなぁ……

 光も影も音も痛みもすべてがさざ波のように遠退とおのいていく。

 そしてさざ波はまた戻るものでもある。

「ごっへぇっ!?」

「ふぎゃあっ!?」

 汚い悲鳴と可愛らしい悲鳴が重なり、反響する。

 その汚い悲鳴が自分のものだと気付くのに、数瞬かかった。気付くと同時に左側頭部および左耳がジンジンと痛み、痛みに対する危機感が無意識に魔法を展開させた。スマホは何故か左手に持っていたからワンスワイプだ。魔法球が光り、身体に力が宿るのを感じる。

 だが、今更魔法を展開しても痛みが消えるわけではない。

「いてぇ……」

「ひ、ひう、あうぅ……」

 俺の右手側からさっきの可愛い悲鳴と同じ声で引き攣った呻き声が聞こえてくる。

 とりあえず状況を整理しよう。

 まず、痛い。

 つまり俺は生きている。

 多分、正しくは生き返った。

 ということはここはきっとあの森ではない。

 背中の硬く冷たい感触も森の腐葉土とは違う。

 黴臭く湿った匂いは似ているが、全然違う質感の匂いだ。今の匂いはただひたすら――くっさぁぁっ!?

 いきなり三週間洗ってない股間の臭いがしてきたぞなんだこれっ!?

 思わず目を開けて、後悔する。

 顔の側面を掠めて嫌なにおいの液体が滴る。

 仰向けに見上げた俺の頭上には、いきり立った御立派様が浮いていた。


< 第一章・了 >

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