黄色のスイセン
かぬりす
黄色のスイセン
窓から射す夕日が眩しい。
昼には帰ると言って昼前に家を出た貴方はまだ帰ってこない。
いつもなら気にも留めないが、今はなぜか耳障りな音だと思った。
外に出て探しに行こうと思ったが、私には方向感覚がないから迷って帰ってこれなくなるかもしれない。
そうなったら最後、私を待っているのは餓死か事故死だ。この都会の真ん中で食べ物が落ちてるわけないし。
奏は今日の昼前に家を出て行った貴方…
奏真は奏より遥かに背が高い。だから奏真はよく奏の頭を撫でてくれていた。
はぁ、と奏はため息を吐き、壁に飾られた絵を見た。食卓の上で猫が寝転がっている絵だ。
今は待つしかないのだ。
この狭いアパートの一室で。
貴方の帰りを。
◇ ◇ ◇ ◇
奏真と奏は「solail(ソレイユ)」というアパートの201号室で暮らしていた。あまり裕福でないのはアパートの広さや家具の少なさからも見てとれた。
奏真は画家を目指していた。そのため暇な日はずっと絵を描いていた。
「いつか絵だけで食っていくんだ」というのが奏真の口癖だった。
でも現実はそう甘くない。
奏真の絵は全くといっていいほど売れなかった。
そのため奏真はバイトを幾つか掛け持つことを余儀なくされていた。
それでも奏真はバイトか
バイトで疲れているはずなのに。
でも奏真は「奏が食べてるところ見てると癒されるなぁ」とよく言っていた。
朝から晩までバイトに行って家に帰ると奏のご飯を作る。そして寝るまで絵を描く。これが奏真の日常だった。
たまに疲れ切っている時があり、その時は絵を描かずに寝ていた。
そういう時は奏が寝ている奏真の懐に入り込み一緒に夜を明かすのだ。
奏真は今日はバイトがなく、家でゆっくりと絵を描けると喜んでいた。
昼前になると奏真は昼食を買ってくると言ってアパートから出た。
それっきり奏真は帰って来ていない。
◇ ◇ ◇ ◇
そんなことを考えているうちに窓から覗いているのが夕日から三日月に変わっているのに気がついた。
奏はソファから降りて家の中をぐるぐると歩き始めた。
動いていないと不安で胸が押しつぶされそうだったから。
窓辺に飾られた白いスイセンが夕陽に照らされて黄色く見えた。
月も高くなった頃、奏は眠りについた。
朝起きたら貴方が当たり前のように居る事を信じて。
いつも通りの日常が明日以降も永遠に流れる事を願って。
翌朝、窓から射す朝日が眩しくて奏は瞼を開けた。
周囲を見回すが奏真の姿は無かった。
相変わらず人のいない室内に時計の音だけが響いている。鬱陶しいくらい規則正しく。
奏は起き上がった時、猛烈な空腹感に襲われた。喉も渇いている。
でも奏真が帰ってこない以上、奏は食事ができない。仮にできたとしても不安で食べれる気はしないが。
奏はソファに飛び乗り横になった。その時、ドンドンという音が外から聞こえた。だんだんと近づいてくる。この音は何回も聞いたことがある。アパートの外階段を登ってくる音だ。
やっと奏真が帰ってきた、と奏は思いソファから飛び降り、玄関に向かって駆けていった。
ようやく帰ってきた。これほど奏真が帰ってくるのを待ち焦がれた事は今までに無かっただろう。
奏真がドアを開けたらご飯を作ってもらおう。それを奏真と一緒に食べるのだ。
そして奏真が絵を描いているのをを眺めるのだ。
足音がドアの前で止まった。間も無くカチャリ、と鍵を開ける音が聞こえる筈だ。
だが、聞こえて来たのはカランと言った乾いた金属音だった。
この音が郵便受けの中に新聞が投函された音だと気づくのに数秒かかった。
つまりあの足音は奏真ではなく郵便配達員のものだったのだ。
それに気づいた時、奏は猛烈な虚脱感に襲われた。
外で小鳥が楽しそうに囀っているのが聞こえる。奏はその小鳥達に憎しみを抱いた。
私の状況を知らないくせに楽しそうにしやがって。
だが、そんな憎しみを抱いても何にもならないとすぐに気づいた。
奏はのろのろとソファに近寄り、飛び乗った。
チクタクと規則的な音が不安感を加速させる。
いつになったら帰ってくるのだろう。
そう思い、奏は再び瞼を落とした。
気がつくと奏は奏真の腕の中にいた。いつの間にか奏真が帰って来ていたらしい。
やっと帰って来たんだ。奏はその充足感に満たされると同時に、自分にとって奏真はかけがえの無い重要な存在だという事を再認識した。
それが夢だと分かったのは瞼を開けてから数秒経ってのことだった。
朝焼けが部屋を染めている。どうやら丸一日眠ってしまったらしい。
部屋を見回しても奏真は居なかった。
奏は虚脱感に襲われはしたが、それ程強烈なものではなかった。
夢の中とはいえ、奏真に会えた喜びが奏を支えているのは間違いなかった。
私はこのまま奏真を待ち続ける。
ずっと。
たとえこの身が朽ち果てても……。
◇ ◇ ◇ ◇
滝原奏真が交通事故にあって死んだ、と「solail」の管理人室に警察から電話がかかって来たのは奏真が「solail」を出てから4日後のことだった。
「solail」管理人の
秋山は動物が好きだ。
「solail」をペット可能な物件にしたのもそれが理由だった。
秋山は机から住人の名簿を取り出した。
201号室 居住者:滝原奏真 (1人+猫1匹)
と記されている。
そういえば猫飼ってたんだったな、と秋山は思った。
秋山は管理人室を出て201号室に向かいながら滝原の爽やかな笑顔のことを思い出していた。
滝原は愛想よく礼儀正しい青年だった。
あんなにいい人が死んでしまうとはまったく残酷な世の中だ。
そう思いながら秋山はマスターキーを使い201号室のドアを開けた。
ドアを開けると真っ先に秋山の目に飛び込んできたのは玄関で倒れている猫だった。
秋山は猫に触れた。
酷く冷たい。どうやら死んでしまているようだ。
恐らく餓死か肝リピドーシスによるものだろう。
秋山はため息を吐きこの死体をどうするかを考え始めた。
黄色のスイセン かぬりす @canulis
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