【短編】小さな会社経営者の人生

ぐうのすけ

第1話 町工場の経営者

 朝5時に起きて顔を洗いタオルで顔を拭き鏡を見る。

 枯れたように痩せた自分の顔、52才にしては白髪の多い髪。

 死んだ親父に似てきた。


 やつれた自分の顔を見てたまに思う。

 親父もストレスを抱えてきたんだろう。

 親父から継いだ町工場で経営者をして20年以上が経った。

 親父の代は景気が良かった。


 だが不景気が何十年も続く日本は町工場を蝕むように侵食する。

 ウチは従業員が100人以上いる、町工場の中では大きい方だ。

 

 市況が良い時はまだ何とかなる。

 だが景気が悪い中で更に景気が悪くなると一気に経営が苦しくなる。

 市況が良い時に従業員に払う給料を貯めている為いつも余裕はない。

 来年の見通しさえ分からない。


 金属の精密加工工場で突出した武器や売りは何も無い。

 何とか潰れずにやってはいるがいつまで持つか分からない。


 ウチより規模の大きいライバル企業に会社を売り渡そうとしたこともある。

 そうすれば従業員を引き取ってもらえるし給料が少し上がる。

 悪い話ではなかった。

 だがほとんどの従業員が吸収合併に反対され結局とん挫した。


 親父が残してくれた昭和の家。

 その台所に座る。

 妻に負担をかけるのが嫌で朝はおにぎりをレンチンし卵とご飯をかけて食べている。

 家族である妻と娘を起こさないようにゆっくり動いて家を出る。

 そして車に乗り工場に向かった。


「空港高貴、集中!」


 俺は言い聞かせるように自分の顔を両手でパチンと叩き工場の事務室に入った。 

 誰よりも早く工場のカギを開けて誰よりも遅く帰る。

 何十年もその生活を続けてきた。

 

 本当は親父の会社を継ぎたくは無かった。

 だが親父に何度も説得されて親父のガンを知って会社を継ぐことを自分で決めた。

 今更言い訳は出来ない。




 昼まで仕事をして事務室から隣の工場に向かった。

 顔色の悪い社員はいないか?

 何か問題が起きていればなんでも言って貰えるように笑顔で声をかける。

 これも日課だ。


 扉を開けるようとすると俺の悪口を言う声が聞こえた。

 社員の金切だ。

 悪口を言う声に思わず耳を傾けて扉を開けずに固まった。


「たく、社長の野郎、俺達を奴隷のように使いやがって。もっと給料上げろよな」

「ああ、そうだな。でもあいつ古い家に住んでるだろ? 金がないんじゃね? ここボロいし」

「は! あいつゴルフやってるんだろ? 無いわけがない」


「んー、どうだろうな」

「それに今忙しいだろ? なんで働いてんのに給料が増えないんだ? 残業分しかもらえてねえだろ。基本給をふやせよ! 転職だ、すぐに転職」


「他に良い所はあるのか?」

「すぐ見つかる」

「前も聞いたぞ、探すなら本気でやった方が良い」


「疲れてんだよ」

「そうか」


 金切が話題を逸らすように言った。


「それに社長のやつ、朝から晩まで居て、たまに見張りに来るんだぜ? うぜえわほんとによ」

「そろそろ仕事だ。終わらなくなるぞ」


 親父には何度も言われていた。


『社員は必ず悪口を言う、慣れろ』


 俺は8割の儲けを社員に支払ってきた。

 だがその給料アップを潰すかのように年々税金と社会保険料が高くなり社員は給料のアップを実感できないだろう。


 業績は苦しいが土日は完全に休みにした。

 作業時間も前より少なくし、定時の時間を早くした。


 言いたい事はあるが言っても悪口は止まらない。

 定期的に会社の状況を説明してはいる。

 だがそういう問題ではなく、とにかく俺の悪口を言いたいんだろう。


 本当は最新型の設備を揃えたい。

 だがそれをやってしまえば社員の給料を上げられない。

 金切、嫌ならライバルに会社を吸収してもらう時に反対しないで欲しかった。

 俺もその方が良かった。


 俺はワザとらしく大きな音を出して扉を開けた。

 3人の社員が驚いて持ち場に戻る。


「やあ、元気でやっているか?」

「はい! 元気です」

「え、ええ、体は丈夫です」

「良かった」


 最後によく口にする『いつもありがとう』の言葉は言わなかった。

 皮肉と取られかねない。


 俺はバカなふりをして、

 気づかないフリをして、

 笑顔で立ち去った。


 仕事で変な事をされたら何度も注意している。

 人に何かを言うのは好きではないが言うしかない。

 だが今は言っても何も意味がない。


 俺はいつもより遅くまで仕事をして帰った。

 明日は土曜日で休みだ。



 ◇



 家族3人で食事を摂って眠る。

 妻とは別の部屋で寝ている。

 俺の早起きにつき合わせるのが悪かった。

 だが少しだけ人が恋しい。



 俺は、夢を見ていた。


 銀行員がお金の催促をしてきたのだ。

 担保にしていた株では足りずに追加の証拠金を出す事になった。

 会社の従業員が俺を責める。

 金切が俺の胸倉を掴んだ。


「てめえ、給料払えよ」

「ま、待ってくれ、もう少し待ってくれ」

「ふざけんな!」


 ダラダラと汗を掻いて起きた。


「はあ、はあ、はあ、まだ、朝の4時」


 目覚まし時計を止めて洗面台に立つ。

 のどがカラカラと乾く。

 水を飲んだ。

 それでも落ち着かない。


 鏡に映る俺の姿がいつもより酷くみすぼらしく見えた。

 汗を洗い流すように冷水で顔を洗い、タオルで顔を拭く。


「……夢、夢だ、大丈夫だ」

「お父さん、どうしたの?」


 大学生の娘が声をかけてくる。


「今日は早いな」

「うん、目が覚めちゃって、どうしたの?」

「ははは、まだ若いと分からないかもしれないが歳を取ると早起きになるんだよ」


 笑顔で返す。

 娘は真っすぐ育ってくれた。

 東京の大学に行きたいと言ったが妥協して近くの大学に通ってくれた。

 

 そこまでお金に余裕はない。

 会社にお金を残さず給料として受け取れば税金が高くなる。

 それに社員の給料を払うストックは必要だ。


「いや、今日はゴルフだ。それもあって早く起きたのかもしれない」

「お父さん子供みたい」

「は、はは、もう趣味が月に1回のゴルフしかないからな。はははは」


 俺は笑ってごまかした。

 娘が笑顔を見せる。

 会社の弱みを見せて、家族を不安にさせたくはない。

 従業員にも不安を見せてはいけない。


 優しい家族がいて、


 それでも、


 俺は孤独だ。



 暗い部屋で一人朝ご飯を食べる。


 日が昇るとリビングで娘と妻が笑い合いながら話をする。


 俺はリビングに背を向けて壁を見るようにゴルフクラブを磨く。


 家族に今の顔を見せたくない。

 見せるわけにはいかない。


 だが部屋に籠るのも不自然だ。

 俺はこうやって拭く必要のないゴルフクラブを無意味に磨く。


 

「お父さん、本当にゴルフが楽しみなのね」

「ふふふ、まだお友達が来るまで時間があるのに」

「楽しみで楽しみで仕方がない。は、はははは」


 本当は早く家を出たい。

 2人の友人にはもし問題が無ければ早く来てもらうよう連絡してある。

 だが2人に予定があるかもしれない。


「あ、お父さん、来たよ」

「本当だ、行ってくる」

「体には気をつけてね」

「ああ」


 運転席に乗る大井が大きめの声で言った。


「後ろに乗ってくれ」

 

 大井はがっちりとした体型でいかつく見えるが面倒見がいい。


「ああ」


 車の後席にゴルフクラブを突っ込んでそのまま乗り込む。


「はい、いつものコーヒー」

「ありがとう」


 助手席に乗る細田がいつも飲むコーヒーを渡してくれた。

 細田は気が利く。

 たれ目で観音様のような雰囲気がある。

 だが本当に駄目だと思った社員はバッサリと切るクールさも持っている。

 

 2人は俺の境遇を知っており車を交代で出して節約し、工夫をして安くゴルフを楽しんでいる。

 ゴルフに行くのは目的の半分だ。

 もう半分は経営の話をして情報交換をしている。


 車が発進すると最初は何気ない話をする。

 少し無言の時間が出来た。

 運転をする大井がバックミラーで俺を見る。

 そして言った。


「空港、大丈夫か?」

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