第8話 代表
車は雑居ビルの中の地下駐車場に止まった。
「小林さん、つきました。ここが私たちの本部です。アルファヒルズって呼んでます。とりあえず小林さんのお部屋にご案内いたしますので、ついてきてもらえますか」
地下から、エレベーターで上にのぼる。十五階建ての七階でエレベーターは止まった。エレベーターが開くと、そこはホテルの客室のようになっていた。
「こちらが小林さんのお部屋です。食事は好きな時に内線いただければ好きなものをお持ちいたします。」
中田は俺の荷物を備え付けのソファーの上におろしながら話した。部屋はこじゃれたシティホテルのようだ。
「夕食がまだお済みでないと思いますので、早速準備させていただこうと思います。大したもの用意できなくて恐縮ですが、ハンバーグでよろしいですか。」
「あ、何でもいいですよ。お気遣いありがとうございます。」
俺はそう答えると、すぐにテーブルの上に町の洋食屋で出るようなハンバーグセットが出てきた。丸テーブルに並べられる。
「食べ終わりましたら、このブザーを押してください。給仕の者が片づけます。今日はいろいろとあってお疲れだと思いますので、この部屋でお休みください。寝巻とアメニティはこのクローゼット、お風呂はあちらにございます。明日は午前九時にお迎えに参ります。」
そう言って、中田と中尾は会釈して出ていった。俺は食事をし、風呂に入ってベッドに横になった。ずっとカップラーメンしか食べていなかったので少々胃がもたれたが、ふかふかのベッドに寝ころんだらいつの間にか眠りについていた。
「小林さん、お迎えに上がりました。」
中田がドアをノックした。俺は、七時に起きて朝食を準備してもらい、食べ、身だしなみを整えて待っていた。持ってきたスーツを着用した。スーツを着るのも久しぶりだ。それに、今日は鬱病の薬を飲んでいない。俺はドアを開ける。
「おはようございます。朝早くて恐縮ですが、これから私たちの代表のところへご案内したいと思います。」
そう言って中田は俺を促した。エレベーターは三階に向かう。エレベーターホールを出ると、オフィスビルのように部屋が何個か並んでいた。ガラス扉をちょっと覗くと、普通のオフィスのように席が並べられており、皆スーツを着て働いているようだった。なんとなく、いわゆる宗教法人とはイメージが違う。仏像があって頭に電極を差して拝み続ける、みたいのではない。
その表情を見て取ったのか、中田が口を開いた。
「私たちは宗教法人ではありますが、あくまで非営利で公益のために働いていますから、基本的に普通の公益法人といっしょですよ。」
雑談を交わしながら、俺たちは一つの部屋に入っていった。ガラス扉を開くと、普通のオフィスのように座席が川の字に並べられ、十人ほどがパソコンに向かって仕事をしていた。そこから奥の個室に案内された。
「失礼いたします。代表、小林さんをお連れいたしました。」
ドアをノックし、声をかけながら中田はドアを開けた。部屋の中では、小柄な男がラジオ体操のようなことをしていた。両手を左右に回転させている。その男は、運動を止めずに声をかけた。
「小林さん、お越しいただきまして大変ありがとうございます。私、代表の加藤です。どうです?一緒にやりませんか?頭の中がスッキリして気持ちいいですよ。」
俺は面食らったが、遠慮しときますとは言えそうもない雰囲気だったので一緒にやることにした。上着を脱いだら、後ろに中田がハンガーをもって待機していたので、会釈をして中田に上着を渡した。見よう見まねで同じ動きをした。
「これ、スワイショウっていう太極拳の一つなんですが、単純な動きに見えてなかなか奥が深いですよ。なんというか、心が落ち着いてきて、雑念が消える。手先から嫌なものが出ていくのをイメージしてください。」
そう言うと、加藤は目を閉じて無言になった。中田は俺の上着をコートかけにかけたのち、ドアの横に直立不動で立っていた。
「あの、これ、いつまで続けられるんですか。」
そのまま五分ほど続けたが、俺はいたたまれなくなって声を出した。
「いつもは一時間はやりますが、今日は三十分にしときましょう。あと二十三分ですね。」
加藤は目を閉じたまま答えた。俺は閉口したが、黙ってスワイショウを続けた。しかし、最初のうちは半信半疑だったが、続けていくにつれ、なんだか頭がスッキリしてきた気がした。
「じゃあ、ここでマントラを唱えましょう。小さな声でいいんで呟いてください。『私は、日に日に、あらゆる面で、だんだん、良くなっていく。』スワイショウをしながら何回も呟いてください。」
加藤は目を閉じたまま優しく俺に語りかけた。マントラは昨日中田に言われ、心に突き刺さった言葉だ。
「私は、日に日に、あらゆる面で、だんだん、良くなっていく。」
手を回しながら何回も呟いた。なんだか今までの悩みが消え、心地よくなってきた。回りなんてどうでもいいし、過去なんて気にしない。俺は光さす方へ希望をもって生きていくんだ。
「お疲れさまでした。小林さん、急にすみませんでしたね。」
「いえいえ、頭がスッキリして、なんか元気が湧いてきましたよ。精神薬飲んでも得られなかった爽快感ですよ。」
「そうなんです。人の体って面白いもので、薬飲まなくたっていわゆる気のコントロールで何とかなるもんなんです。どうぞ、そちらにお座りください。中田君も座りな。」
「失礼します。」
俺は二人掛けソファーの左側に詰めて座った。対面の一人掛けソファーには向かって左に加藤が、右に今までドア横に立っていた中田が座った。
「改めまして、アルファ代表の加藤です。急なお申し出にも関わらず、お越しいただきまして本当にありがとうございました。」
加藤は深々と頭を下げた。加藤の顔を見てみたが、ずいぶんと若いことに気が付いた。まだ三十中盤だろうか。
「まだ、私たちが何の団体か、不思議に思っているかと思います。特にこの、宗教法人である、というところだと思います。やっぱり、宗教ってイメージ悪いですよね。」
加藤はゆっくりと俺に語りかけた。
「でも、ご安心ください。私たちはいわゆるカルトとか、新興宗教といった類のものではありませんから。出家させて家族から隔離させて財産を身ぐるみ剥ぎ取るみたいなことはあり得ません。地下鉄で化学物質を撒く、なんてこともあり得ません。なんていうかその、この団体の前身が仏教のお寺なんです。僕はお寺で修行する中で、お釈迦様の言葉とか教えを勉強しました。そこで気づいたんです。人類が長い歴史の中で培ってきた英知、時代が変化しても変わらない生きるための知恵。仏教に限らず、世界は先人たちの真理の言葉で満ちているんです。それを集め、体系化し、みんなに広めたい。そして希望に満ちた人生をみんなに送ってほしい。そう思ったのが設立のきっかけです。宗教っていうよりも、ボーイスカウトに近いですね。」
俺は加藤の語り口調に好感をもった。中田や中尾に安心感を覚えたのと一緒だ。
「まあ、そんな宗教団体を母体に、細々と引きこもりやニートの自立支援と結婚相談サービスの事業を展開してます。人生に絶望している人こそ、私たちの元に来てもらいたい。まあ、あと公益一本だと何かと不都合もあるんで、株式会社も展開してます。」
加藤はそこで一呼吸置き、俺の目を見てゆっくりと話し出した。
「小林さん、なぜあなたにこの団体にお越しいただいたか、ですが、中田からもお話ししたように、あなたの才能が必要なんです。いや、この団体のためではありません。今の日本を救うために是非とも必要な才能なんです。」
「あなたは、四十五歳の人たちをたくさん殺した、と罪悪感にさいなまれていました。この慈悲深い心。これこそ、自分だけが良ければいい、という今の日本人が失った心なんだ。お釈迦様の言葉で、『慈悲喜捨』というものがあります。他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲) 他の有徳をよろこび(喜)不徳を捨てる(捨) 態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ、という意味ですが、あなたはこれができる。」
忘れかけていたが、たくさん人を殺したことを思い出し、俺は手が震えた。それを察したのか、加藤は優しく声をかけた。
「あれはあれでよかったんです。そのかわり、『良い人間になります。ありがとうございました。』って毎日呟いてください。スワイショウをやりながら呟くと、自ずと道がひらけますよ。」
俺はホッと安堵のため息が出た。お坊さんのありがたいご説法を聴いているようだ。
「小林さん、もしよければ当団体のためにお力添えいただけないでしょうか。引きこもりやニートの自律のために、小林さんの力が必要なんです。それに、ここならば小林さんの秘密も守れますよ。小林さんの秘密を理解して信じているのは私たちだけですが、半信半疑ながら内閣府や公安、他国の情報機関が原因を探っています。それだけ、あの日の夜は衝撃的過ぎた。既にあなたの住所と名前は割れている。既に私たちが隠蔽工作をしましたが、一歩外に出ると国家の手が迫ってきます。それよりも、ここで、その能力を活かして活動いただけると私たちもありがたいですし、あなたにとっても良いことだと思います。」
ここで中田が口をはさんだ。
「小林さん、外には中国やアメリカのスパイもいますし、捕まったら拉致されて拷問されるかもしれません。半信半疑だからこそ、えげつない拷問をしてくるかもしれない。」
拷問、と聞いて俺は身震いをした。学生の時に読んだ遠藤周作の「沈黙」を思い出した。もうこの団体に頼るしかなさそうだ。
「そこまで私の身をご心配くださり、本当にありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただいて、この団体のために働かせていただこうと思います。よろしくお願いいたします。」
そう言って俺は深く頭を下げた。
「そう言っていただき本当にありがとうございます。それでは、当面うちの引きこもりニート支援事業『生き方ネット』で支援活動をしてください。期待してますよ。」
「じゃあ早速、職場にご案内致します。小林さん、こちらにどうぞ。代表、失礼いたします。」
中田はそう言って立ち上がり、ドアを開け俺を促した。
その日の夜、代表室のソファーに座り、加藤と中田が話し合っていた。
「小林さん、俺たちに全幅の信頼を置いてますね。これはうまくいきそうだ。」
中田は加藤に話す。
「中田、本当にボタンはあるのか?もし精神病患者のたわごとだったら計画は頓挫するぞ。」
「大丈夫です。あいつが作ったエクセルシートを見ましたが、統計局の細胞から入手した死亡状況と概ね一致しています。また、佐藤の話とも一致してます。ボタンは我々には見えないですが、必ず存在します。あとは、早くボタンを押させて解析して有効範囲やタイムラグのデータを蓄積します。他国での死亡者も出てますんで、おそらく同心円上で半径何kmとかの範囲になるかと思います。」
「そうか。あの日、大体三十一回ボタンを押してるんだよな。つまり、四十五歳が三十一万人死んでいる。ちょっとやりすぎちゃったな。おかげで政府も動いている。中国とかアメリカとかは話し盛りすぎだったけどな。まぁいいや、早く罪悪感を消し去って率先してボタンを押すように仕向けてくれ。」
「わかりました。本人は十六連射したって言ってましたけど、実際には三十一回程度です。ここら辺の仕組みも動画解析して明らかにします。」
「頑張ってくれ、期待してるよ。」
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