一万人ボタン

マッスルアップだいすきマン

第1話 社内ニート

 俺は社内ニートだ。日がな一日自分の席でエクセルを開き、適当な文字を打ち込み、デリートし、エクセルを閉じる。その作業を定時である五時までやっている。たまに俺の後ろを係長の古田が通る。すかさず、俺は背筋を伸ばす。古田は俺のパソコン画面をジロリと見ると、なにも言わず通りすぎる。

俺はこの古田が大嫌いだ。ハゲでチビの癖に肩で風を切って歩き、威張り散らしている。幸い、現在は同じフロアにいるが直接の上司でないため絡みは少ない。だが、恨みはある。

 俺が社内ニートになったのは一年前だ。その頃、俺は用地買収の仕事をしていて、立ち退きに応じない地権者に苦慮していた。この地権者も古田という名前だった。散々頭を下げ、補償金を上積みし、そいつの店の商品を訪問するたびに自費で買った。補償金の上乗せをなんとか認めてもらうため、職場の古田にも媚びへつらい、無駄な説教もされ続けた。

 しかし、契約できそうになると地権者の古田は些細なことで揚げ足を取って破談にし、説教を食らわすという繰り返しだ。

 もちろん、一人でやっていた訳ではない。ペアのチームを組んでいた。そのペアは十個上の糞BBAで、ことあるごとに俺を罵倒した。旦那にも相手にされてないのか欲求不満なのかわからんが、「評価されていない」が口癖で、長年の課題である古田との契約を取り、周囲を見返したいという思いがあった。そのくせ、古田との交渉で俺が説教されている間は古田の母とペチャクチャどうでもいいことを喋り続けていた。そして、職場に戻ってからは俺の交渉についてダメ出しをする。帰りの会の説教だ。

俺には妻と子供が二人いる。日々の抑うつされた感情に、俺は八方塞がりになり、酒に溺れた。酒に溺れては長男を殴り、嫁を殴った。その結果、妻子は出ていき、俺は家庭裁判所に呼び出された。裁判に呼び出され、弁護士に呼び出された。結果、気づいたら俺有責で離婚が成立していた。

 久々に職場に来たら、俺の席はあったが仕事は無くなっていた。担当を全て降ろされたのだ。最初は嬉しかった。もうあの古田と会わなくて良い。離婚はアンラッキーだったが、これはラッキーだ。しかし、すぐにそれは誤りだと気づいた。何も仕事がなく、席にポツンと座っている。まだ一人だったらましだ。今までと同じ職場で、今までと同じ同僚に囲まれ、ただ、俺だけが仕事をしていない。周囲からは透明人間のように扱われる。今まで仲良く話していた若者も、同僚もよそよそしく、俺が話しかけても腫物に触るかのように、最低限の受け答えをして避けていく。前にペアだったBBAがこれみよがしに俺の悪口を言う。俺は同じフロアの少し離れた場所に一人、パソコンに向かっている。

 俺は心療内科に通い、薬をもらった。毎日飲むメイラックスとスルピリドという薬に加え、強不安時の頓服薬であるレキソタンという薬を俺は毎日用量以上に飲んだ。この薬がすごい。モヤモヤした不安感が消え去っていく。一方で、極度に眠くなるので、席で居眠りをしていたら古田に椅子を蹴られた。

 しかし、薬は不安感を消してはくれるが、モチベーションとか希望とかは与えてくれない。ただ眠くして、脳の回転を鈍らせて、不安を消す。それだけだ。一日エクセル遊びをして、不安感が増してきたら頓服薬を飲む。そして八時間座り続ける。被害妄想が膨らむ。周りから好奇や嘲笑の目で見られ、公開処刑されている。監視され、あざけられながら、愚にもつかぬ椅子に座り続けなければならない。

 「あなたもロボットになれる。」

坂本慎太郎のこの曲が俺は大好きだ。

 眉間に小さなチップを埋めるだけ。不安や虚無から解放されるなら決して高くはないですよ。新しいロボットになろう。

 ロボットになれたらどんなにいいか。W古田に怒鳴られようが、BBAにイジメられようが、何の感情も湧かない。ただ何の感情もなく座り続け、お金をもらい、そのまま元妻にスルーする。素晴らしいロボットになれる。


 そんなことを考えていたら時間になった。誰にも挨拶をせず、下を向いて逃げるように退勤する。帰りの地下鉄の中では、大学生のカップルが楽しそうにいちゃついていた。死ねばいいのに。耳にイヤホンを入れ、目を閉じる。そんなことをしても無駄だということはよくわかっている。瞼の裏には、俺を責め立ててきた輩がさらに追い打ちをかけるように怒声をとばしている映像が映る。俺は必死に、こいつらを撃ち殺す妄想をする。AKで撃ち、マグナムで撃ち、ナンブで撃つ。禿頭を撃ち抜く、バットでむちゃくちゃに壊しまくる、命乞いさせる。だが、すぐに復活する。ゾンビの如く、俺を追い詰める。

 鬱病の薬は、食欲を増進させる。近所のラーメン屋で大盛りのトッピングマシマシで注文した。給料を元嫁に吸い取られている中、ささやかな贅沢だ。いつの間にか下腹はポッコリとでっぱり、メタボの仲間入りだ。帰りにスーパーで安ワインを買って帰る。毎日、一本空けている。薬との相乗効果で、いつも死んだように眠りにつき、気づいたら目覚まし時計が鳴るという繰り返しだ。

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