第24話 愛ト痛ミノ、ショータイム
遠くからでも、その街の存在はすぐに分かる。
草に埋もれた街道の上空、色褪せた看板にネオンサインの文字が浮かんでいる。
看板の奥、丘の向こうには、街の輪郭が見える。壊れたままの建物は一つもない。整然と並んだ建材、磨かれた外壁、夜を彩るイルミネーションのような小さな灯。
「迎えの光だぜお前ら」
グリクサーは静まり返った無線に、茶化すような声で言った。
部下たちの声は帰ってこない。
街の明かりの手前、緩やかな傾斜を下った先に、整備ドッグがある。カタパルトレールと格納リフトが並んでいる。
誘導の明かりが灯る。
酸素マスクを外すと、慣れた操作で誘導地点に機体を止める。
コクピットを開けるボタンを押す。
いつもなら帰投して自分で立ち上がれることなんてない、体は元気だ。けれど、胸の奥には消化しきれない澱のようなものが残っていた。
勢いよく飛び出すと、地面に着陸する。
関節がパキパキと音を立てた。
そして、街の明かりへ足を進める。部下たちが慌てて後ろから駆けてくる。
「……グリ、流石にやべーよこれ」
「ど、どうすんだ」
オロオロと情けない面をしている。
俺はため息をつくと、部下の肩に手を置く。
「どうもこうもねーよ。ちょっと行ってくるぜ」
「グリ、説明すればセスも」
街の方に向き直ると部下の方も見ずに呟いた。
「分かってるだろ」
俺は幹部たちの溜まり場――ラウンジへと足を向けた。
「……いつものバーで待っとけ。おごりは次な」
ネルファラのルールその1、『ブランドに傷をつけない』だ。
ラウンジのドアが開く、様々な煙の香りと生かした曲が今日も掛かっている。
照明が1つだけ点いたラウンジのソファーには3人の男が座っている。
「たっだいま~。お出迎えないとか、冷たくね?」
俺の言葉に、巨漢の大男、イエティーが唯一、声を返した。
「迎え、したことない、それはいつも」
「確かにそうだな!」
他の二人は返事すらしてくれない、こんな形をしているがイエティーだけがいい奴だ。
ソファーに寝そべった不健康そうな男が痙攣を始める。
こいつはレックス、どうやら今日はバッドな日のようだ。
「アッ!!!! アアああ!!! 迎えだ! 迎えが来た!!!!」
「レックス、その迎え、違う」
レックスは痙攣する体で懐からコインを取り出し、指で跳ね飛ばした。
そして、机の上でコインが跳ねると裏向きで転がった。
「アアああ!!! まだ!! まだッ!!! いあああああ!!!!」
奥に座った男、ネプチューンは分厚い本を片手にしていたが、うるささに堪えかねて叫んだ。
「イエティー! レックスを黙らせろ! 本もろくに読めやしねぇ!」
「ネプチューン、レックス、バッドな日、止めても無駄」
「いいぃぃい!! 光が、音が、全部消える――まだだ! まだだァアア!!」
随分とカオスな状態になってきたが、いつもこんな感じだ。
ネプが本を机に叩きつけると、ため息をつきながら呟く。
「やっちまったなグリ。まぁ、運も悪かったと思うぜ」
金色の髭を摩りながらネプは天井を見上げている。きっと色々考えているのだろう。
「見込みが甘かったぜ。おまけにセスの言いつけも破ったからな」
「言うこと、聞く、だから注意した」
イエティーが大きな手で、小さいハンカチを取り出す。そして、机の上に零れた酒を拭き始めた。
その時、ラウンジが開く音と共に声が聞こえた。
「シュー。イエティ、その馬鹿に注意は無駄だ死んでも治らん」
「完善、一緒に、いけば、大丈夫だった」
イエティーの言葉に、完善が青筋を立てると、イエティーの巨体を殴る。
そして、自分の手首を抑えながら呟いた。
「シュー。俺は暇じゃない」
「その割には今月の利益悪いぜ、グリも働かせすぎだ」
「そうだ!! 迎えがくるまで、は、は、働かなきゃ!!!」
完善も来ていよいよ収集が付かなくなってきたラウンジの扉がまた開いた。
「おはよう!! 愛する兄弟たち! 勢ぞろいで俺は嬉しい!」
「シュー。セス、2分遅れている」
そう呟く完善のおでこにセスがキスをする。そして、完善が悲鳴を上げながら袖で拭きまわした。
セスの冷たい瞳が俺を見る。
「グリ、注意はしてやったはずだ」
「あぁ。セス、言い訳はしねぇよ」
セスの手が俺の肩に置かれる。
ネプが割り込むように口を開いた。
「まぁ、増援は運が悪い。それに誰も死んでねぇ」
「ネプチューンの言う通りだ。ただ、俺は短期で仕留めるべきとしっかり助言してやったはずだ」
トントンと肩を叩き、人差し指を立てて左右に振った。
「でも俺の短期って指示は確かに曖昧だ。このところグリに任せてばっかりだったしな」
わざとらしくセスが考え込むポーズを取る。
「だけどなグリ、お前がズラかるところを見られたとなると別だ」
セスが完善に目を向ける。
「シュー。ネルファラの幹部を撃退する奴が現れたと敵対勢力が盛り上がってる」
「……それに乗じて。いくつかの村がネルファラと敵対行動をとり始めた」
ラウンジが静かになる。
「ルール、破るのは、だめだ」
「リンチ!! ショーだ!! ショータイムだ!」
俺は口を開く。
「ルールだ、『ショー』でいいぜ」
「そう言ってくれるって信じてたぜグリ!」
セスが俺にハグする。そして、耳元で呟いた。
「最高の『ショー』にしてくれよ」
そして、セスがネプに言う。
「ネプチューン!『ショー』の準備だ会場を取れ!」
「あぁ。1時間後には用意できるだろうさ」
満足げにセスが、笑うとラウンジの入り口に歩いていく。
「素晴らしい。じゃあ今日は解散だ」
「『ショー』で会おう!」
その言葉に合わせてラウンジの扉が閉まった。
部屋の中を沈黙が漂う、それでも相変わらずイカした曲はなり続けていた。
「準備してくるぜ! また後でなお前ら!」
俺もすぐにラウンジの外へと向かう。
何、今日は体が元気だ。きっと『生き残れる』さ。
——その頃、ジーク達の新拠点にて。
「おうお帰りお前ら。ってどうした?」
カイが、拠点から顔を出す。
「リリィが怪我してる! 寝かせる場所を作ってくれ!」
トラックからリリィを揺らさないように下ろすと、拠点の中に運び込む。
そして、中に用意されたベッドへ寝かせた。
「爺さん! いつからだ? どっかぶつけたのか」
「戦闘が始まって直ぐに助けに行った。そこから目が覚めない」
心臓が高速で脈を打っている。
どうしよう、俺が目を離したばかりに。彼女を傷つけてしまった。
「ジークどうした? 落ち着け、いつもの気絶かもしれないだろ」
エリックがそんなことを呟いた。
「落ち着け? このまま起きなかったらどうすんだよ!」
感情の抑えが効かない、外傷はないどうしたらいい。
「……あのちょっと見せてください」
か細い声が聞こえた。
目線の先ではレイシーが小さく手を挙げていた。
「……ちょっと失礼しますね」
そういうと、レイシーはリリィの体に手を当て始める。
「おい、何して……」
「ジークいい加減にしろ! 落ち着け」
レイシーは自身の黒髪を耳に掛けながら、質問をしてくる。
「意識を失った原因に心当たりは? そこから教えてください」
「ネルファラのTAWでのミサイル攻撃だ。直接食らってはいないが、衝撃は受けていたかもしれない」
爺さんが答える。
その答えを聞いたレイシーはいくつかの器具をリリィに当てると、一息を着いて答えた。
「……たぶん、外傷性ショックに近い状態ですね。衝撃によるものか、それとも何かもっと深いものかは……分かりませんが」
「でも、体はきちんと反応してます。脳波も正常、呼吸も安定してる。だから……精神的な衝撃が強すぎて、無意識に防御反応としてシャットダウンした可能性が高いです」
精神的な衝撃……恐らく“ハト”との交信が関係している。以前から、確かに意識を失うことが多かった。
「少し時間をください。たぶん、大丈夫です。ゆっくり目を覚まします」
レイシーの言葉を聞いて、ようやく脳がクリアになる。
「すまん。取り乱した」
「らしくないぜ。それにしてもレイシーって医者か何かか?」
カイがレイシーの使っていた器具を興味深く見つめる。
その様子に、彼女は照れくさそうに答えた。
「いえ、でも村ではそんな感じでした」
「すごいじゃん! 戦闘はからっきしだけど!」
レナの一言にレイシーが「ひどい!」と呟く。そして、辺りに笑いが起きた。
「病人の邪魔だ。場所を変えよう」
爺さんの一言に皆が移動を始める。
しかし、エリックだけが俺の方を見ていた。
「なんだよ。さっきは悪かったって……」
「ネルファラって昨日のやつか?」
エリックが訪ねてくる。
「あぁ。昨日のグリクサ―ってやつだ、かなり強かった」
「厄介なのに目を付けられたみたいだな」
そんなやりとりをしていたところ、無線に連絡が入る。
『ジーク。Jだ、こっちにTAWが2機それにトラックが一台向かってくる』
タイムリー過ぎる連絡に、エリックと顔を見合わせる。
「J、変なシンボルみたいなのは見えるか? 羽虫と羽みたいな」
『いや、見えない。どうする?』
ネルファラではないのか?
「まずは、対話といくか。エリック行くぞ」
「おう」
俺は来客の準備に向かった。
しばらくすると、拠点の前に例の来客が現れた。
「よう、名乗ってくれ。迷子か?」
エリックのでかい声が、スピーカーも通さずに響く。
「どう見える? 日が落ちてる、良かったら中で話をさせてくれないか?」
トラックから降りた男が、両手を上げながらそう言った。
フードを深くかぶっていて顔は見えない。ただ、そのがっしりとした体形から、男だと感じた。
表れた来客をしっかりと眺める。TAWの修繕痕に、機体が若干カスタマイズされている。間違いなく同業者だ。
『ジーク。他に監視しているやつも見えない、そいつらだけだ』
一先ず安心した。
そして、来客と会話をする。
「要件次第だ。そもそもアンタら何者だ?」
「昼間ネルファラとやりあってただろ? 俺らはネルファラの敵ってわけさ」
なるほど、読めてきた。
「そういうことか、別に俺らから仕掛けたわけじゃない。何ならこれ以上の面倒はお断りだ」
「まぁネルファラの情報を聞くだけでもどうだ? やつらの幹部を追い返してくれた礼にタダで教えるぜ」
傍にいる皆に視線を送る。
皆が無言で頷いた。
「……ヴィオラ、外から見える部屋で話す。警戒は緩めるな」
『了解』
拠点の正面ゲートを開く。
「話そう、俺はジーク」
先ほどから話している、男がフードを外す。
顔を出した男はスキンヘッドで、蛇のようなタトゥーが入っていた。
交渉によこすならもっといい人間がいるだろう。
「ありがとうジーク。俺はヘンドリック!」
俺たちは来客を迎え入れた。
室内に通されたヘンドリックは、椅子にどっかりと腰を下ろし、机に出された水を一口含む。
「……まず、あんたらに謝らなきゃならない。今、あのグリクサーってやつを追い払ったことで、しばらくこの辺りは“観察対象”になる」
「観察対象……?」
「ネルファラにとって、自身のブランドは命だ。だからこそブランドを傷つけた奴らをネルファラは許さない」
エリックが鼻を鳴らす。
「随分と偉そうな連中だな」
「ああ。だけど――それを支える“ルール”がある。連中はただのカルトじゃない。“美しさ”と“最高”を追い求める思想集団だ」
眉をひそめる。
「最高……?」
「ああ。『終わった世界で、生きがいを持って最高を目指す』ってやつだ。芸術でも、料理でも、殺しでもな。生きてる理由があるやつしか住めない街だ」
レナが小声で呟く。
「じゃあ、あのグリクサーも?」
「そう。あいつは“速度”に命を懸けてる。戦闘の中で生きる快感を極めようとしてるわけだ。連中の中じゃ、比較的“分かりやすい”方さ」
ヘンドリックの視線が鋭くなる。
「セスって男がリーダーだ。ネルファラはセスで回っていると言っていい」
一人で回る組織、そんなものロクなもんじゃない。
「どうしてそこまで詳しい?」
「グリーンエリア近辺に住んでて知らないやつはいないさ」
静かな一言が空気を変えた。
「……俺たちは、もともとこの辺りに住んでた。水も資源も、それなりに豊かでさ。村同士で助け合って、生きていけた」
ヘンドリックは、ゆっくりと指を組みながら言葉を続けた。
「だが、あいつらは違った。ある日突然やってきて、こう言ったんだ――ここを勝者の楽園にする。最初は薬物中毒者の戯言だと思ったよ」
話が見えてきた。
「それって、つまり……」
「奪われたんだよ。土地も、暮らしも、人もな。『芸術のため』『理想の街を作るため』だとさ」
エリックが煙草の煙を吐きながら答えた。
「気に入らねぇな……」
「今、グリーンエリアに住んでるのは、あいつらが選んだ“勝者”だけだ。自分の価値を証明できる奴だけが“居場所”を与えられる。住みたい? だったら何かで『最高』になれ。そういう仕組みだ」
ヘンドリックは笑ったが、その目に笑みはなかった。
「だから俺たちは立ち上がった。取り返すんだ、この土地を。誰かが“最高”じゃなくても、普通に生きていける場所をさ」
しばしの沈黙のあと、問う。
「スカウトってのも、その延長か?」
「ああ。定期的に来る。若い奴、腕の立つ奴、綺麗な顔の奴――何かしら“輝き”を持ってる奴は特にだ。口八丁で仲間を連れていく。断れば……村ごと消されることもある」
空気が重くなる。
「……それで、あんたはこうして接触してきた。情報と引き換えに、協力を求めるつもりだな?」
「察しがいいな。俺たちは数じゃ勝てねえ。だが、力のある連中となら、希望が見える。あんたらはそれだけのことをやった――あのグリクサーを退かせたんだ」
俺はヘンドリックの眼をまっすぐに見据えた。
「俺たちは今、仲間の命を繋ぐだけで精一杯だ。だが……ネルファラに狙われるなら、いずれ戦うことになる。情報をくれ。それから――共闘の条件を話し合おう」
男は、口元にわずかに笑みを浮かべた。
「上等だ。ジーク、あんたらとならやれそうだ」
信用した訳ではない、だがネルファラと戦うには仲間がいる。
それに……。
「あぁ。勝者気取りのそいつらは気に入らない」
しばらくの雑談の後、気になっていたことを尋ねる。
「……その幹部ってのは、何人くらいいるんだ?」
水を飲み干したヘンドリックが、コップの縁を指でなぞる。
「幹部と呼ばれるのは、セスを除いて四人。どいつもクセが強いが、共通してるのは“狂ってるほどに筋が通ってる”ってことだな」
そう言って、ヘンドリックは目を細め、順に話し出す。
「まず、ネプチューン。こいつはセスの右腕だ。表向きの交渉や、戦闘員の管理はコイツがしてる。見た目に合わず……基本は知的なタイプだな。ずっと分厚い本を読んでて、俺が見たときも戦場で読書してたよ」
エリックが鼻を鳴らす。
「戦場で読書ってか? 洒落てんな」
ヘンドリックは笑わず、首を振る。
「洒落じゃ済まない。“集中すること”があいつの美学だ。つまり、読書の最中に邪魔したら殺される。冗談抜きでな」
次の名前が挙がったとき、ヘンドリックは一瞬だけ言葉を選んだ。
「……レックス。あいつは、まあ……完全に壊れてる。薬で感情のブレーキが壊れてて、連中の中でも、一番予測ができない。そして、爆弾のプロフェッショナルだ。噂では村を丸々1つ消し飛ばしたこともあるらしい」
ジークは少し考え込むように眉を寄せる。
「そいつも、“何か”に取り憑かれてるのか?」
「ああ、運命ってやつにな。何をするにもコイントスだ。殺すか見逃すか、自分が生きるか死ぬかさえ……全部あのコインで決める。戦場でもな」
空気が少し重たくなる。だが、ヘンドリックは構わず続けた。
「三人目はイエティー。化け物みたいな外見だが、頭が悪い訳じゃない。あいつが従える戦車部隊の長距離射撃は信じられないくらい正確だ」
カイが興味深そうに呟いた。
「観測手として優秀ってことか」
そして、最後の一人が語られる。
「完善。こいつが一番、冷たいかもしれない」
ヘンドリックの声が少しだけ低くなる。
「妙な意匠のガスマスクを着けてやがる。“効率”が全てって思想を持ってる。ネルファラのブレインって言ったところだ」
レナが苦々しい顔で呟いた。
「……全員、どこかぶっ壊れてるじゃん」
「ああ。けど、“目的”があるやつはこの世界では強い。しかも、あの街で生き残るには、それがないと無理なんだよ」
ヘンドリックは笑ったが、その目に笑みはなかった。
「連中は、“狂気”の中に“整然とした美しさ”を持ってる。だから質が悪い。セスがそれを許して、支えて、まとめてる。ネルファラは――そういう組織だ」
ジークは深く息を吐いた。
こっちは、泥の中をもがいてやっと生きてるのに。あいつらは、そんな地獄の上で踊っている。
「……最低だな」
「だが、現実に奴らは強い。だから、情報も仲間も必要なんだよ、ジーク」
そして、部屋に重苦しい静けさが流れる。
やがて、ヘンドリックが時計を見て、ぽつりと呟いた。
「……そろそろ、始まる時間だな」
俺は顔を上げる。
「始まる?」
ヘンドリックは目を伏せながら答えた。
「“ショー”さ。言っただろ? 奴らはブランドに傷をつけることを許さない」
「……たとえそれが幹部でもな」
——同時刻、ショーの会場
ネオンの灯りに照らされた広場には、円形の観客席が組まれていた。
金属の柵で囲われた中央には、コンクリートと鉄板がむき出しの簡易な舞台。
その周囲を、酒を片手に笑い合う群衆が取り囲んでいた。
滅多に起きない一大イベント。
“それ”を見に、ネルファラの住人たちは集まっていた。
「さぁさぁ、今夜のお時間です!」
高い声がスピーカー越しに響いた。
仮面をつけたアナウンサーが舞台の上で両手を広げ、光を浴びながら宣言する。
「今夜の主役はもちろんこの男! ネルファラの顔役にして、狂気の加速装置! 我らがスピードキング、《グリクサー》!」
ライトが切り替わる。
舞台の一角、檻のように区切られた金網の奥に、上裸の男が立っていた。
そして、歓声に答えるように両手を突き上げる。
「よぉ、待たせたな!!」
その声に、観客の一部がどっと沸いた。
笑い声、歓声、罵声、嘲笑。
まるで英雄を称えるように、まるで死刑囚をからかうように。
その歓声の中、セスが現れる。
舞台へゆっくりと歩み寄り、マイクを取った。
黒いコートに、冷たい微笑。
「皆の者、ご注目。今日の主役は我らがグリクサ―!」
グリクサ―にスポットライトが当たる。
あまりの眩しさに、少しだけ目を細めた。
「そして、ショーを支える執行人はみんな大好きネプチューンだ!!」
再びどよめく観衆。
横から現れたネプチューンが軽く観客に手を振る。
「さぁ! 皆今日は楽しんでくれ!」
舞台の上に備え付けられた拘束台に手を乗せる。それを丁寧にセスが一つ一つ閉じていく。
「……魅せてくれよグリ」
「……あたりめーだ」
耳元で呟くセスにそう答えた。
拘束された両手が、釣りあげられる。
目の前に立つネプが、手にはボコボコとしたナックルダスターを付けた。
そして、観衆に手を掲げてアピールする。
「ぶっ殺せネプチューン!!」
観客の熱気がいよいよ高まってきた。
ネプが俺に向き直ると、語り掛ける。
「グリ。一発目だどっちがいい? 利き腕か? 逆の手か?」
俺は口角を挙げながら呟いた。
「利き腕に決まってんだろ? しらけさせんなよ!」
「OK! 死ぬなよグリ!」
ネプの剛腕が腹にフルスイングでぶち込まれる。
激しい鈍痛、そして体がサンドバッグのように浮き上がった。
内臓が潰れるかと思った。
だが、歓声が途切れる前に、グリクサーは笑っていた。
「……ったく、鈍ってんじゃねぇか、ネプ!」
血を吐きながらも、叫ぶように笑う。
「今夜は……最高だぜッ!」
観客席が揺れる。拳を振り上げ、酒を撒き、狂ったように叫ぶ者もいた。
誰もが“本物の痛み”に飢えている。それがこの街の美学だった。
セスが満足げに頷き、次の道具を掲げた。
鞭、ナイフ、スタンロッド、鉄パイプ。
どれも“見せるため”に作られた、舞台装置の一部。
「次は、こっちだ」
ネプチューンが手に取ったのは電磁式のスタンロッド。
グリクサーの胸板に突き立てると、閃光と共に身体が仰け反った。
「ぐぅうううあああああっ!!」
痙攣する四肢。
それでも、彼の顔から笑みが消えない。
血が滲み、汗と混じりながらも、叫ぶように言い放つ。
「もっとだ……殺す気で来いよ!!」
——1時間後
観客の熱気は収まり始めていた。
彼らの興味は行われる行為の先に向いていた。
セスが終わりの合図を告げる。
ネプチューンは汗を拭うと、グリクサ―を拘束から解いた。
「さぁ! 常人では耐えられない1時間の最高のショーにまずは盛大な拍手を!」
アナウンサーが観客にお辞儀をする。
「そして最速の男は、立ち上がれるのか!!」
緊張した眼差しが舞台を眺める。
床に倒れる男の様子は悲惨なものだった。
身体中、打撲と裂傷。顔は腫れ、全身が赤く染まっている。
生きている方がおかしい。
誰もがそう思ったその時。
——ピクッ
ボロボロの体の指先が動いた。
「……ヘ……ッヘ」
体がゆっくりと起き上がる。
そして、両手を掲げた。
「し、信じられない! 立ち上がったああ!」
観衆から、拍手と歓声が上がる。
その声は空気を揺らすほど響き渡っていた。
セスが、グリクサ―のジャケットを持ってくると彼の背に掛けた。
「責任は果たした! グリクサ―が幹部に復帰だ!!!」
鳴りやまない歓声がさらに膨れ上がる。
その様子をふらつく真っ赤な視界で見下ろしながら、グリクサ―は呟いた。
「あたりめーだ。俺はまだ最速じゃねぇ……」
鳴りやまない歓声を背に、ネプチューンの肩を借りてグリクサーは舞台を後にした。
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