第15話 生命ガ奏デル相殺ノワルツ
観測開始から48時間。
蕾は、想定通りに展開を始めていた。
共鳴数値の上昇、細胞再構成、栄養吸収速度。
どれも規定内――理論の上では。
私はただ、ガラス越しに立ち尽くしていた。
観察室の中央にある蕾が、ゆっくりと震えている。
その傍では、48時間変わらずファーザーが目を見開き周囲を警戒し続けていた。
その時、蕾の根が、わずかに蠢いた。
根以外にも、彼女の体から伸びた蔦が、ファーザーの脚へ、腹部へ、静かに絡みつく。
その様子に、ファーザーは一切の抵抗をせずにゆっくりと目を閉じた。
力を抜き、身を委ねるように。
やがて、ファーザーの姿は植物に埋もれて見えなくなった。
「捕食ですか?」
「どうでしょうね……」
私にはその姿が愛する人を包む抱擁に見えた。
やがて、蕾に入った薄ピンク色の線は色味を鮮やかに染め上げる。まるで純白のハンカチが血で染まるかのように赤く色を変える。
そして、蕾はゆっくりとほころび、真っ赤な花びらが姿を現した。
「……綺麗だ」
誰かが思わずそう呟く。
言わずとも、この部屋にいた全員がそう思ったであろう。
咲き誇る花弁の中心では、何かが脈打っていた。
「残り24時間。何が起きるんですかね」
「それを観測して調べるのが私たちの仕事よ」
どういった形であれ、残り24時間で人類進化の鍵が手に入る。周りの植物が枯れ果てた観察室内の中心で美しく咲くその姿は、美しくもどこか恐ろしかった。
ふと、観察室内から聞こえる歌声のような音が大きくなった気がした。
「……No.847、体調に異常を感知。退出許可を願います」
「何だこんな時に? 許可する」
会話の方向に目をやると、アンドロイド兵達が体調不良を訴えて退出をする姿が見えた。彼らが体調不良を訴えることなど初めて見た。
「この音が何か影響を与えているのかしらね」
「調査しますか?」
隣にいた研究員が顔色を伺うように訪ねてくる。
「後で良いわ。とりあえず24時間の監視体制は続けるわよ」
リクは観察室を出たあとも、呼吸が落ち着かなかった。
廊下の冷たい空気が、妙に重く感じられる。
胸の奥――心臓のあたりが、微かに疼いていた。
右手でそっとそこを押さえる。
痛みではない。熱でもない。
ただ、何かがずっとそこにいたことに、ようやく気づいたような感覚だった。
(さっきから変だ……)
目の裏から焼きついて離れない。
蕾に包まれていく彼と、静かに伸びた蔦。
拒まず、ただ目を閉じたあの姿。
息を呑むような瞬間だった。
怖くて、綺麗で、どうしようもなく温かかった。
その一連の光景が、胸にずっと残っていた。
生まれてからずっと、蓋をされてきた何かがあふれ出そうになる。そんな感覚が止めどなく押し寄せてくる。
(……私は、壊れているのか?)
そう思った。
だが同時に、それを「壊れる」と呼ぶべきなのかも、わからなかった。
胸に当てた手の下で、微かな震えがまだ続いている。
とりあえず、人目のつかない場所に移動しなくては。
ゆらゆらとした足取りで、照明の落ちた搬送用の通路へと入っていった。
物資の搬入はしばらく無い、つまるところ人がここに立ち寄る可能性はほぼない。そのはずなのに、近くから声が聞こえてきた。
「……なぁ、こいつマジで何も言わねぇな」
「おい、何とか言えよ」
声とパシンという何かを叩く音が聞こえた。恐る恐る覗き見ると薄汚れた壁に押しつけられていたのは、女性型のアンドロイド兵だった。制服は乱れ、胸元には殴られた痕のような赤みが残っている。
一人の兵士が髪を引っ張り、もう一人が再び頬を平手で打つ。彼女は微動だにせず、まるでスイッチの切れた人形のように、ただそこにいた。
「声くらい出せよ。なあ、盛り上がらないだろ」
「……」
「まじで、つまんねぇな」
(彼ならどうするだろうか)
そう思った時、体が無意識に動いていた。
「……やめてください」
慣れない事、人生で初めて自分の意志で何かを訴えた。
「……は?」
兵士の一人が振り返り、あからさまに鼻で笑った。
「なんだお前、誰が喋っていいっつった?」
「お願いします。それ以上やめてください」
「何だよ、今度は正義の心でも刷り込まれたのか?」
兵士の一人がゆっくりと近づき、肩を乱暴に叩く。だが私は一歩も引かなかった。ただ、目の前の兵士の目を逸らさずに見つめる。
「あぁ。そう」
兵士は吐き捨てるように言いながら、拳を振り上げた。
激しい痛みが、頬に走る。
「……ッ」
口の端を撫でると、血が指に付いた。
「何お前、いい顔するじゃん」
兵士が嬉しそうに口角を上げると、ボールを蹴るような大きなモーション取った。衝撃に備えて思わず目を閉じてしまう。
次の瞬間。
乾いた銃声が響いた。
そして、兵士の体がゆっくりと崩れ落ちる。
煙を上げた拳銃を握っていたのは――彼女だった。暴行を受けていた女性型アンドロイド兵。その手は、小刻みに震えていたが、銃口はもう一人の兵士に向けられていた。
「は? お前何やって……!」
兵士が手を伸ばそうとした瞬間、再び引き金が引かれた。
今度は脚を撃ち抜かれ、兵士は叫び声とともに地面に倒れ込んだ。
「てめぇら、何してんのか分かってんのか! さっさと銃を下ろしやがれ命令だ!!」
足を押さえつけながら兵士が叫ぶ。
「貴方は、私がやめてと言ってやめてくれましたか?」
――乾いた銃声が1発響いた。
そして、その場は静かになった。
「私は壊れてしまったのかもしれません」
女性型のアンドロイド兵が嗚咽を漏らしながら、涙を流す。私はそんな彼女に制服の上着を掛けた。
「壊れてませんよ。人間なら持って当然の感情です」
「変な人ですね……」
さて、この後はどうしたものだろうか。問題が山程できてしまったが、不思議と胸の奥が清々しかった。
スピーカーからけたたましい警報が鳴り響いたのは、事件発生の翌日、昼休憩直前だった。
《警戒レベル3。研究区画内部にて不明戦闘を確認。全兵士は装備を整え、待機せよ》
異常なほど硬い合成音声。
直後、カイルのタブレットが振動した。
「……エンバー、招集だ急げ」
「はい、急いで向かいます」
食堂にいた兵士たちが一斉に立ち上がり、あるものは急いで食事を口に放り込む。タブレットの画面には、兵長からの一文だけが映っていた。
《全小隊、A格納庫に即時集合。迎撃装備を携行》
胸の奥がざわつく。
ただの訓練用アラートではない。
廊下を駆けながら、自分の呼吸が妙に浅くなっているのを感じていた。
格納庫にたどり着くと、既に重たい金属音が、格納庫全体に響き渡っていた。
TAWの駆動が始まり、並んだ機体が一斉に膝を伸ばし、立ち上がる。
白く塗装された外装に、小隊ごとの識別マーキングが施されている。
天井の照明が反射し、整然とした出撃準備の光景を冷たく照らしていた。
「電源接続解除、スタンバイシーケンス完了。全機、起動確認」
無線が飛び交い、整備兵たちが最後の確認を終えて後方に下がる。
その隙間を縫うように、ひとりの男が歩く。
「お前ら、ただ飯のツケを払う時間だ。準備急げ」
兵長――ヘルマン・リースは、ヘルメットも被らずに堂々とTAWの列を歩き、鋭い視線で兵たちを見渡していた。
その声に、誰もが自然と背筋を伸ばす。
「状況は深刻だ、駐留部隊のアホ共は暴走を止められないどころか、TAWを既に数機鹵獲されている」
片手を腰に当て、兵長は指令書を見つめて呟く。
「おまけに上の連中はこんな事態にも関わらず、制圧レベルBでの出撃をご所望だ。全機射撃をセミオートに、アサルトライフルは念の為携帯しておけ」
「イエッサー!!」
格納庫に返事の声が大きく響く、人混みをすり抜けて自分の持ち場に急ぐ。
「エンバー遅いぞ! 弾の装填手伝ってくれ」
先輩兵士が開いたTAWのコクピットから声を上げる。
「すみません! 手伝います!」
同僚たちと協力して、TAWのサブマシンガンに弾を装填する。
「準備ができた奴らから出ろ! 給料分働くまで簡単に死ぬな!」
兵長が無線で叫ぶと、格納庫の扉がゆっくりと開いていく。
その先には、すでに警報が鳴り響く廊下、アンドロイド兵たちの反乱は、未だ止む気配を見せていなかった。
俺は視線を上げる。並ぶTAWのうち、自分たちの小隊機が頭部をわずかに傾け、準備完了の姿勢を取った。
「3番機出るぞ!」
先輩兵士の声とともにTAWが重い足音を立てて動き出す。
俺と数人の兵士たちはその横を固めて随伴する。
無線の中に、最前線の混乱した音声が飛び込んでくる。
「こちら、研究区画A-3……敵の攻撃が激しい早くTAWを寄こせ!!」
「クソッ……あいつら何笑ってやがるんだ!」
「……俺たちこそが人間だァアアアッ!」
通信の隙間から、誰かの叫び声が混線して聞こえた。その後、研究区画A-3からの通信は途絶える。
少なくとも、俺の知っているアンドロイド兵の声とは思えなかった。何故ならその声はあまりにも感情が乗っていた。
「先輩一体何が起きているんですかね」
「知るかよ。死にたくなかったらしっかり周りを見とけ」
先輩の返しはもっともだった。
区画を進むほど、周りの景色は凄惨な姿に変わっていく、アカデメイア内の無機質な壁が真っ赤な鮮血で彩られ、通路には兵士や研究者の亡骸が転がっていた。
そして、一際目を引く遺体がいくつかその中に存在している。
「エンバー見ろよ。こいつら笑ってるぜ」
「……ありえない」
そう、床に転がるアンドロイド兵の亡骸は皆満足そうに満面の笑みを浮かべている。その異様な光景が背筋を寒くさせた。
――その時だった。
「前方、敵反応多数!」
無線が割れた。すぐさまTAWが小さく膝を折り、手に持った15mmサブマシンガンを構える。
「フォーメーション維持、備えろ!」
先輩兵士の声に、反射的に小銃を構え直す。TAWの左前を歩いていた俺は、壁に背を当て、進路を警戒する。
「――敵発砲!」
次の瞬間、視界に飛び込んできたのは、銃を手にしたアンドロイド兵の群れだった。全員が真っ直ぐこちらを見つめている。その表情全てが心の底から笑っていた。
「撃てッ!」
歩兵とTAWの銃口が火を噴いた。銃声が無機質な壁を叩きつけ、火花がはじける。排莢された薬莢が足元で踊るたびに、焦げた金属の匂いが鼻を刺した。
敵の一体が吹き飛ぶ。だが、彼らは怯まなかった。表情を崩さず、血しぶきを浴びながらも前へ前へと走ってくる。
「なんだよ……こいつら!」
俺も引き金を引いた。頭に照準を合わせ、心を殺して、撃つ。倒れる。だが――その直後、横の同僚が悲鳴を上げて倒れた。
「くそっ!」
先輩が機体を歩兵の盾になるように前へ踏み出す。左肩のシールドが敵弾を弾く音がした。
「別ルートからも来てる! 囲まれてるぞ!」
背後の兵士が叫ぶ。地図を確認する暇もない。だが確かに、前方だけでなく横の分岐通路からも敵が現れていた。
旧型ながら、TAW-74Cの関節駆動音は重厚で、左肩のシールドを展開して前方に突き出す。
「ライン崩すな、間合いを保て!」
機体の関節が火花を散らしながらスライドし、サブマシンガンがセミオートで火を吹いた。敵の前列がなぎ倒されるが、後列が即座に間を詰めてくる。
「クソッ! 1体抜けるぞ!」
先輩の声と同時に、TAWを乗り越えてアンドロイド兵が顔を出す。そのままの勢いで拳銃をこちらに向けてくる。
(やばい……死……)
そう思った瞬間、アンドロイド兵の顔に穴が空くと力なく消えていった。
「大丈夫か?」
同僚が肩に手を置いてくる、彼がどうやらカバーしてくれたようだ。
「あぁ……助かった」
「こちら第三小隊、制圧レベルAへの引き上げを求む!」
無線に向かって先輩の怒鳴り声が飛ぶ。機体からは金属が弾を弾く音が雨のように鳴り響いていた。負けじと、サブマシンガンの発射音が断続的に響き、何体かの敵をなぎ倒す。
しかし――倒しても、次が現れる。背丈も体格もまちまちだ。男性型も女性型もいる。武器を持った者も、素手で突撃してくる者も。
「これは私達のための戦い……」
そんな声が、耳元でささやくように聞こえた。発砲音の中でもはっきりと。俺の目の前に現れたのは、女性型のアンドロイド兵。彼女の持った銃先が隣りにいる同僚に向けられていた。
俺は躊躇なく引き金を引く。
銃声。体が崩れた。血が飛び、床に倒れたその顔を見た時気づいてしまった。
「……え?」
足が止まる。
「エンバー! 伏せろ、死にてぇのか!」
先輩の叫びと同時に、背中にTAWの腕部が割り込んできた。敵の銃弾が俺の立っていた場所を削る。
俺は銃を構えたまま、倒れたアンドロイド兵を見下ろしていた。
まだ息はある。
足元で呻く兵士の血が床に広がる。背後で、同僚たちが戦闘を続け。何人かは床に伏せながら自身を治療している。
俺も、指をトリガーから外さなかった。
ピクリと動く彼女の瞳がこちらを捉える。
「……私を、撃ちましたね」
その声には、怒りも悲しみもなかった。ただ、感情というものを再現しようとしているような――そんな奇妙な抑揚があった。
俺はその顔を見て、ようやく思い出した。
(……あのときの)
以前、俺が制止したとき、兵士に襲われていた彼女。
制服を直しもせず、怯えるでもなく、黙って礼を言ったアンドロイド兵。
彼女が、俺を見ていた。
「また……会えましたね」
彼女は激しく咳き込むと、口から血を吐き出す。だが、それでも言葉を紡ぐ。
「これが、自由ですか? よく分かりません……でも……すこし、胸が軽いです」
俺は言葉を返せなかった。
「すみません、エンバー二等兵……間違えました」
そのとき、彼女の目が――確かに揺れた。
「ありがとう、ですよね……こういうとき……」
やがて、彼女は動かなくなった。
「エンバー! いい加減にしろ、側面を抑えろ!!」
銃撃音よりも大きな先輩の声が響く。
彼女の目を手で閉じると戦闘に再び参加する。
俺は、今何をしているのだろうか。
「……側面抑えます!」
鼓膜を揺らす銃声。鼓動と呼吸と、引き金を引く指の動きがすべてバラバラに感じられる。隣の兵が叫ぶ。「右ッ、右に出たぞ!」 反射的に銃を向けて撃つ。
視界の端で敵が崩れる。
意味も分からないまま、俺は鍛えられた技術でアンドロイド兵達を正確に撃ち殺す。
「何がそんなに楽しいんだよ……」
死の間際まで、微笑む彼らや彼女らが少しだけ羨ましかった。
鳴り止まない銃声に鼓膜が揺れ、花には血と火薬の臭いが満ちる。
交戦開始から数十分、アンドロイド兵たちの動きが奇妙なほどに洗練され始めていた。
まるで楽団のように一糸乱れぬ動き。誰かの合図もなく、それぞれが遮蔽物へ滑り込む。
ある者は滑り込みざまに片膝をつき、カバー射撃を。
別の者は、倒れた味方の銃に手を伸ばして前進を続ける。
「次来るぞ! 気合い入れろ!」
先輩の声が鼓舞するように響く。
TAWのサブマシンガンが一斉に火を噴き、火花が吹き荒れる。
だが敵は怯まない――むしろその炎の中を、まっすぐに歩いてくる。
「……美しいな、あいつら」
同僚がぽつりと零した。
たしかにそうだった。規律も命令もないはずの彼らが、それでも仲間を庇い、戦線を維持し、共に進んでいる。
「僕たちが、人間だァアアアッ!!」
飛び込んできた男型のアンドロイド兵が、素手でTAWの装甲を殴りつける。
血しぶきが飛び、腕が千切れた――が、彼は笑っていた。
満足げに、誇らしげに。たった一撃を誇るかのように、笑っていた。
「……理解できないよ」
俺は思わず呟いた。
だが撃たなければやられる。
照準を合わせ、引き金を引く。
その間にも、敵は仲間同士で目配せを交わし、まるでダンスのように前線を入れ替える。
後列の小柄な個体が、両手に短銃を構えて跳躍する。
足場など無い壁面を、蹴りあがるように走って――仲間の背中を踏み台にして宙を舞った。
「右上!」
空中で体をひねり、銃を構え、弾丸が死角から撃ち込まれる。
反射的にTAWが前へ出て、火花と焼けた金属の香りが鼻を刺した。
着地は軽やかだった。片膝をついて、ゆっくりと顔を上げる。
その女は、嬉しそうに笑っていた。
「先に挨拶、しとこっか」
女が呟いた。
「こんにちは。わたし、戦闘モデル。コードはもう忘れたけど……」
「ジョン・リーダス上等兵だ……よく覚えとけ」
先輩の声は、驚きと、少しだけ笑いが混ざっていた。
女は言葉を続ける。
「でも、戦うことだけは教わったよ。死ぬまでに一度くらい、本気でやり合ってみたかったんだ」
「一度でいいんだな?」
「うん。だって、きっともう会わないでしょ」
女が笑いながら、両腕のカバーを外す。
露出した機械仕掛けの腕が、駆動音を立てて構えを取った。
「どうする? これ、ダンスみたいなもんだよ」
「精々上手に踊ってやるよ。でも俺は荒っぽいぜ」
次の瞬間、戦闘が始まる。
跳ねる、跳ねる。彼女はまるで舞うように動き、先輩のTAWを翻弄する。
鳴り響く駆動音、衝撃、跳弾、スパーク。
なのに、どこか楽しげだった。
女が軌道を描くたびに、先輩がそれを読み、対処する。
その一手ごとに、ふたりの間にある空気が変わっていくのが分かる。
会話は最小限。けれど、すべてが伝わっていた。
「いい動き」
「お前もな」
「久しぶりに、体が熱くなった気がする」
「こっちは汗だくだけどな……けど、悪くない」
思わず息を呑んでいた。
理解できない。何が起きてるのか、なぜこの二人が笑い合いながら戦っているのか。
けれど、見逃したくなかった。
「足元、もらった」
女の声が空に弾けたとき、TAWの右脚が派手に爆ぜた。バランスを崩す先輩の機体が傾く。
警報音が鳴り響き、緊急排出が作動する。
ハッチが開き、煙の中から先輩が飛び出してくる。
肩を回し、深く息を吐きながら、敵を見据える。
そして静かに、ヘルメットを外す。
「……いいね。こっからが本番だよ」
煙の中から現れた彼女は、肩を上下させながらゆっくりと歩み出る。
左腕のフレームは剥き出し、足も半分焼け落ちていた。
だが、なおも銃を構えている。
先輩も腰のホルスターから拳銃を引き抜く。
向かい合う二人の間に、冷たい風が吹き抜けた気がした。
「聞いてた話よりずっと強いじゃねぇかよ。戦闘アンドロイドさんよ」
彼女がふっと目を細める。
「……ジョン、貴方も随分頑丈ね」
彼女の手も震えていた。けれど、その瞳は澄んでいた。
「じゃあ、もう一踊り付き合ってよ」
「何回だって余裕だぜ」
先輩は弾倉の中身を確認すると、銃をスライドさせチェンバーに弾を送り込む。互いの照準が、脳幹を狙っていた。
引き金にかけた指が震える。
静寂。呼吸の音。鼓動。距離は五メートル。
一発で終わる。
この場で、これ以上の会話はない。
そして、彼女が先に動いた。
跳躍。足を鳴らして地を蹴り、銃口が火を噴く。
先輩も応じるように撃つ。弾道が交錯し、風を裂く。
避けない。逸らさない。
先輩の肩が裂けた。同時に彼女の胸に赤い花が咲いた。
彼女の体が地面を転がる。先輩は片膝をつき、銃を下ろす。
彼女は倒れたまま、ゆっくりと先輩を見上げる。
「……ああ、楽しかったね……ジョン」
笑っていた。血にまみれて、それでもなお、美しかった。
「わたし……今、とっても幸せ」
それが最後の言葉だった。
呼吸が止まり、機械の音も止まる。
赤黒い液体が、静かに無機質な床を濡らした。
先輩は近づき、彼女の銃を手に取る。
そして、その隣にしゃがみ込んだ。
「——俺も楽しかったぜ」
遠くではまだ戦闘音が続いているのに、ここだけ世界が止まっているようだった。
先輩は、彼女の持っていた銃をホルスターにしまうと、こちらに向き直り声を上げる。
「作戦は続行中だ、このまま前進するぞ。負傷者は一度交代しろ」
さっきまでのことがなかったかのように、いつもの先輩がそこにいた。
「なんで、殺し合ってるのに楽しそうなんですか……」
先輩は軽く肩をすくめた。
「死んだら終わりじゃなくて、どう生きたかなんだよ。人生ってやつはな」
「……見ろよいい顔してるだろ、アイツ」
俺は、何も言えずに先輩に続いて歩いた。
死んだら終わりじゃない。どう生きたか。
——ごめんね。でも私は。私たちはもう救われたわ
名も知らない彼女の言葉の意味が今なら分かる気がした。
小銃の残弾を確認して、警戒を強めながら先輩の後に続く。
それなら俺はまだ死ねない。
そう強く心に思った。
——眼の前に見える廊下の奥から、誰かの歌声が聞こえた気がした。
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