幽霊戦記アイアンレディ 白銀のサバイバー

秋月

序章 亡霊の生まれた日

第1話 命の火

 西暦、2363年。人類が地球を捨てて黒い海へも広がってから、およそ300年の時が経った。

 人口の規模は激増し、惑星採掘技術によって資源問題が緩和されてなお――人類は、争いを続けていた。




 バゴゥム! バゴゥム! 砲口から放たれた爆音と銃弾が空を切る。

 跳躍を開始した直後だった鉄製の四足蜘蛛はその胴体を貫かれ、力を失って落下し、機体の装甲に弾かれて重い音を立てる。 


 無機質な一本道を塞ぐようにして立つは、正しく鋼の巨人と呼ぶべき姿をしていた。

 全長5メートルと少し。人としてみるにはあまりにも太い手足。攻撃を防ぐため、装甲で膨らんだ肩。ギラリと光るカメラ・アイは剣呑な光を宿し、奥から奥から湧いてくる鉄蜘蛛を睥睨していた。

 重防御型の装甲機アーマード・フレームは左右それぞれの腕に携えた重火砲を間断なく撃ち放ち、鉄蜘蛛を一機、また一機と仕留めていく。


 アースメイド・ジェノスパイダー――俗にヨツアシなどと呼ばれるそれは、"旧地球"が産んだ負の遺産の一つだ。近づく者あらばその質量にて轢き潰す、低コストの虐殺を具現化したような機械の化け物である。

 しかもいまや、その制御を得る者も、得る手段も存在しない。それゆえに、これは全人類に敵対する「敵性存在エネミー」であった。


 ヨツアシは敵性存在に分類される中で、最も等級の低い種類のものだ。あちこちで生産されるから、どこにでもいて、強靭な脚部から来る速度以外の武装はなく、ナノ構造セラミック装甲は安価で脆い。

 同数の装甲機がいれば苦も無く駆除できる程度の獲物だ。


 だが、いかんせん数が多い。企業謹製の装備に身を固めたとて、こちらの装甲機は一機、対して鉄蜘蛛は五十を超え、いまだ増え続けている。数の差は覆しようがない。いくら通路探査でバラけているとはいえ、一機では限界がある。

 一歩、また一歩と後退りするたびに、重い鉄の足音と「作戦領域離脱」の警告音が鳴り響いていた。


「くそ……こちらデルタ11! 作戦本部応答せよ! ブリーフィングより敵の警備が硬いぞ!」

『ベータ地点、退却済み。アルファ地点、敵装甲の突破困難により遅延中』

「他のデルタ部隊はどうした!? 陽動はどうなっている!?」

『デルタ11を除き通信途絶中』

「使えんクソどもめ……ああくそ! この鬱陶しい離脱アラートを消せ! 作戦は失敗だ!」


 まとわりつく鉄蜘蛛を撃ち落としながら、また一歩、二歩。弾幕を越えてへばりついた鉄蜘蛛も、あえなく腕をふるって払い落とされ、ボールのように蹴飛ばされて、群れの数匹を巻き添えにしながら戦列の奥へ消えていった。

 鳴り止まないアラートと、己を待つ死の匂い。女兵士はくそ、くそと何度も悪態をつきながら抗う。


 視界を巡らせようと首を振る度に、括られた長い茶髪が、馬の尾の様に揺れる。明け方の空のように蒼い目は、いまだ眼前を睨みつけていた。

 背負った弾薬パックももはや底をついた。じきに弾が無くなると、女は即座に重機関砲を投げ捨てて、胴体後部に備え付けられていた大型ナイフを手に取った。


「弾切れだ、撤退する!」

『撤退は許可できません』

「だ、ま、れ! 文句は、生きて帰ったら聞く!」


 ほとんど悲鳴じみたセリフを吐き捨て、ヤケクソのような力を込めて上部のパネルから赤色のボタンを素早く3つ押す。

 瞬間、重し同然となっていた弾薬バックパックもろともまる全身の重装甲が火薬の炸裂とともに弾け飛び――巨人は自由になった。


 着ぶくれめいた手足は枝のように細くなり、脚部からは装甲に隠れていた内臓スラスタが青い火を吹く。剣呑な眼光だけが変わらなかった。

 緊急用の加速手段で、投棄パージした装甲代の始末書は免れないが、命には代えられない。

 逆手に握った大型ナイフを、飛びかかってきた一体に叩きつける。深く敵の身体を貫いたナイフはもはや回収不可能だが、女は気にする様子もなく呟いた。


「土産だぞ? せいぜい親兄弟と分け合うことだ――」


 女の装甲機が小さな跳躍と同時、後方へ向かって全力の推進を開始すると同時に。


 投棄した装甲から、火花が上がり――爆ぜる。それはちょうど、それを乗り越えようとしていた蜘蛛たちを軽々と粉微塵にし、通路いっぱいにまばゆい閃光をもたらしていった。

 少量の特殊炸薬が、パージによる電気信号を受けたことで、急速に反応し始めたのだ。

 ただし、女はそれを見届けることなく、通路を滑るようにして道を逆戻りしていった。


 どうせもう弾はないのだ。予備の近接武器はあと一本残っていたし、いざとなれば拳でも戦えるのが装甲機なのだが、単独行で白兵戦は御免被るというものだった。


「ああクソ、始末書何枚級だ? 減給で済めばいいのだが」


 愚痴をこぼしながらも、女は内心安堵していた。


 そもそも、今回の仕事は急に決まったのだ。その割には、段取りも妙に良かった。"元"地球での勤務ともなれば、事前の準備や根回し、審査も必要になるというのにだ。

 だから嫌な予感はあった。しかし、ここまで大きな被害が出れば、本部も作戦を考え直してくれるだろう。損害を出し続けるほど、実行部隊も本社も愚かではない。


 そしてようやく、現在のエリア侵入時に閉めたシャッターへ到達して、スラスターと足底部の滑走用ローラーを停止した。ここを抜ければ、即席キャンプまでの安全な通路に出るはずで――。


「な……に?」

「任務、ご苦労」


 だから、シャッターを開けた先に待っていた五機の装甲機には、反応しきれなかった。もう死んだはずのデルタ部隊が、全員そこで普通に生きていて。まして、自分に銃口を向けていることなど、想像もしなかったのだ。


「騙して悪いが仕事でな。ここで死んでもらうぞ」




 ぴたり、と額に降り落ちた水滴が、わずかに意識を揺り起こす。銃弾でぐしゃぐしゃにひねり潰されたコクピットの中で、細い呼吸を漏らしながら、サリアは自分がまだ生きていることを知った。

 全身を貫く激痛が、遠い。自分の呻く声さえもかすんでいる。

 ただ、遠くでざあざあいう音が聞こえていた。雨だろうか。旧地球は天候が壊れきっていて、局所的に雨が降っては止んでを繰り返しているという。記憶が勝手に想起されていく。


 これは助からんな、とぼんやりした頭が妙に明瞭な考えを浮かべた。あるいは、操縦席に備え付けた緊急治療薬さえ無事ならと思ったが、潰れた鉄塊に挟まれて腕が動かない。


 助けが来ることもあり得ない。仲間と思っていたものが、いましがた裏切ったところなのだから。ここはもはや孤立無援の敵地だった。


「――殺しに殺して、ここまで来たのにな……」


 結局は一人だ。


 幸せになりたかったのだ。温かい家に住んで、家庭を持って、たまにはおいしいご飯を食べて。それさえも遠い願いだったのだろうか。


「死にたく……ないな……」


 死神が瞼に指をかけていくのが分かる。天井の亀裂から入り込んだ雨粒が、たった数的で、みるみるうちに体温を奪っていった。

 命の火が、いま風に揺れている。


「まだ、死にたく……」


「見つけた! ――大丈夫ですか! 今治療に……!」


 声が聞こえた気がして、閉じかけた目がわずかに開く。涙と血で滲んだ視界に、もやもやとした白いものが見えた。

 夢だろうか。あるいはアレシス社員がトドメを刺しに来たのだろうか。かすれた声で誰何を問おうとした彼女の顔を、白い影がのぞき込む。


 そして真っ赤な目と、視線が交わった。天然物のルビーめいた、紅い紅い目だった。


「メ――キットを……! 早く!」

『警告:簡――ットの致――を検知』

「致死量!? い、いいか――く、出来るだけたくさん……!」


 とぎれとぎれに聞こえるのは、サリアの意識がおぼろげだからだ。無事な方の腕を持ち上げられる、かすかな違和感。あてがわれた何かからは、虫が這うような異物感が流れ込んでくるが、もはや抵抗できるだけの血液量もない。

 ゆっくり、ゆっくりとまぶたが閉じる。握られた手から伝わってくる命の熱が、やけに熱い。


「だめ、ああだめ! 目を閉じ――で! 眠っちゃ――」


 夢でなければ天使か。あるいは死神か? どちらでもいい。安寧を保証してくれるのなら。

 冗談めかして笑い、そしてサリアは意識を手放した。


「目を開けて! 生きてください! あなたは――」


 力を失っていく体にすがりつくのは、真白い少女。肩に刻まれた数字は、作られた命の証。だが、サリアの肩を握る力、生きてと願う声は、決して偽りなどではなかった。


「――この星を出る、唯一の希望なんです!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る