ガラス瓶の中で、君と ~私が君に依存させられる話~
モコモコcafe
第1話 プロローグ
ピタピタと水が滴る音が遠くで聞こえていた。
「首、絞めてくれるんでしょ、絞めないとあの写真ばらまくわよ?」
金髪の少女が発した色のない言葉が、広い浴室内で大きく響いて、霧のかかった頭が冴える。
膝をついていた足を後ろに引くと、浴槽にたまったお湯が波紋を広げていく。
やがて波紋は少女の元までたどり着き、そして消えていった。
ドクドクと鼓動する心臓が痛いほど早く高鳴り、私の口から止めていた空気を吐き出すように息が漏れた。
吐き出された息は熱っぽく、それを吐き出した肺は何かに押し付けられているかのように小さく震えている。
唇を舌でなめてから軽く噛んだ。
目の前には私と同じように生まれたままの姿をさらす金髪の美少女が居た。
元々魅力的だった彼女の金髪は水にぬれ、質感の違う輝きを放ちながらさらに魅力を増していた。
その髪を伝った水が前髪の毛先から落ちる。
落ちた水滴は鼻筋の通った鼻を伝うように流れて、魅惑的な色をしたピンク色の唇をかすめて落ちて、ピタっと音を立て波紋を作る。
私がそれをながめていると、日本人のものとは到底思えない水色の瞳が私を見つめていた。
「早くしてよ。この前はもっと躊躇がなかったくせに」
彼女はバスタブの壁に背を預けたまま、不満げな声ながらも蠱惑的な笑みを浮かべ、せかすように私の膝を軽くける。
きっと彼女は私の状態をわかった上でせかしてきている。
視界が明滅していた。
腕が震え、これから自分がやろうとしていることの異常を体が訴え続けている。けれど私の両手は何かにかられたように異常を聞き入れようとはしなかった。
私の両手は裸体の金髪美少女の首元へと伸ばされてゆく。
やがてゆっくりと近づいていた私の両手が彼女の喉をとらえると、首の形状を確認するように親指を這わせる。
私の動きで察したのか金髪の少女は私の手を取ると、気道の側面の位置に親指が来るように誘導する。
頸動脈の位置だ。彼女の拍動が指先で感じられる。
「私は今度も気道でもいいけど、あんたが犯罪者になるから」
猟奇的な言葉とは裏腹に、彼女は笑みを張り付けたままだった。
犯罪者という言葉が耳朶を叩き、脳みそから信号が行く前に手がおのずから力を入れる。
彼女の言葉を止めてやりたい、もしくは息の根を止めたいとでも思ったのだろうか。そんなことは今の私に判断がつかなかった。
力を入れた瞬間金髪の少女の口から『うぅっ』という本人が意識して出したものではないであろう声が漏れた。
けれど、彼女はきれいなピンク色をした唇を弧の形にして笑みを浮かべる。
気持ち悪い。
首を絞められて笑う人間がこの世にいることが、心底気持ちが悪かった。
私が首を絞めていると、やがて金髪の少女は足りなくなった酸素を求めるように過呼吸になり始める。
はーはーと苦しそうに酸素を求める彼女を見て、一瞬このまま絞め殺してしまえばという考えがよぎる。
このまま彼女を殺してしまえば自分が脅されることもない。
そうだ……そう。このままさらに両手に力を込めて彼女の苦しむ顔を見ているだけで私はこの少女から解放される……。
上手く息ができなくて、そのせいかもやのかかった頭で両手にさらに力をこめようとする。
少女が浴槽の壁を数センチずり落ちてパシャンと音を立てて水面を揺らす。
その音で我に返った私は、何を考えているんだと自分が怖くなって思わず両手を離そうとする。
しかしそれはかなわない。
手の力を緩めようとすると、その細腕にどうしてそんな力があるのか、爪が食い込んで痛むほどの力で腕をつかまれる。
少女の表情はさっきまでの蠱惑的な笑顔は崩れ始めていて、けれどどこか高揚感を抱いているような恍惚とした表情をしていた。
気持ち悪い。目を細めた私は再びそう心の中で呟いていた。
それからきっかり三十秒、少女に言われた秒数分首を絞め続けた私は首から手を放す。
離した瞬間から少女の肺は、酸素不足を補おうとむさぼるように大きく膨らんでは萎んでを繰り返していた。
「あ、んたの感情の匂いっ、はーっ、やっぱり甘美な香りがするっ」
少女は自分の呼吸を整えることなく上目遣いで私を見上げると、そんな言葉を口にする。
私に彼女の言う匂いとやらはよくわからない。出会った頃から、彼女に自分は人の感情が匂いでわかるなんて言われているけれど、ここ数日一緒に過ごしてみても何らわかりはしなかった。
彼女曰く、数多いる人間の中でも、私だけはどんな感情でもとても甘い匂いがするんだとか。これもやはりよくわからなかった。
ただわかったのは彼女が果てしなく自分とは違う人間で、異端であるというだけ。
「……ほかの人の感情の匂いは甘美じゃないってこと……?」
「え? まあ気分のいい物じゃないわね。……気持ち悪いって言っていいんじゃない?」
少女は難しい表情をしてからはにかんで曖昧に答える。
人の感情を匂いで感じてそれを気持ち悪いと評価を下す人間がこの世に何人いるだろうか。短い人生だけれど、私はこの少女以外にそんな人間を見たことがなかった。きっとこの先も出会うことなんてない。
「ねぇ、もっと近くで嗅がせてよ」
「……やめて」
「やめてとかじゃなくてこれ、命令だから。別に写真をばらまかれて破滅したいならそれでもいいけど?」
半ば無理やり結ばされたクソみたいな契約を思い出して私は奥歯を強くかんだ。
視線を逸らすと、それを肯定と受け取ったらしい金髪の少女は私の首元に顔を寄せる。
「やっぱりあんたの香り気持ちいいわね」
私のほほに片手を添えながら鼻をすんとならすと、彼女は目を細めて言う。
それを横目に私は小さく舌打ちをした。
あぁ、やっぱりこの人間は気持ちが悪い。
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