アップルジュース
佐野柊斗
アップルジュース
「乾杯!」
おのおのが飲みたい飲み物をグラスに注ぎ、カチンとぶつけ合いました。
ある日の夜、学生の頃親しかった友人たちとご飯を食べていました。僕は高校を卒業して間もなく、家を飛び出し地元を離れていたので、彼らと会うのはとても久しぶりでした。
僕たちはテーブルを囲み、酒の入ったグラスを片手に昔話で盛り上がりました。
「あの時のお前の顔と言ったら、とても見ものだったよ。」
「いやいや、あれはお前があんなことすると思ってなかったんだよ。」
今になって、学生時代に起きた珍事件の真相や、あの時の裏話といった、当時は知りもしなかった話がいくつも出てきたので、互いに何度も驚き、笑い合いました。
昔の話がひと段落つき、友達が言いました。
「お前らはこれからどうするの。将来のこと何か考えてる?」
彼の言葉に、僕たちの意識は過去から未来へ転換され、おのおの自分のことを考え始めました。
友達の一人が言いました。
「無難に就職かな。奨学金借りたから返さないといけないし。それに、親孝行もしたいしなあ。」
彼の言葉に他の皆も賛同し、就職し親孝行をすることを前提に、話が転がり始めました。就職先についての話があれこれ飛び交いましたが、僕には関わりのない話でした。
というのも、僕には人生をかけて成し遂げたい夢があり、それは大学に行き就活をし、達成できるものではありませんでした。僕は彼らとは違い、大学に行かず、ただひたすら自分で選んだ道を、歩いている真っ最中でした。
どちらが良い悪いはないと思いますが、圧倒的多数派の彼らの方がどうしても正しいように見えてしまい、僕は口をつぐみ彼らの会話に耳を傾けていました。
そんな僕を見受けた友達の一人が、話を私に振りました。
「お前はどうすんの、将来。まだ今のまま続けるの?」
僕の存在は彼らからしたら相当希少のようで、そんな人間が何と答えるのか、その場にいた全員が僕の言葉を待っていました。
集まった視線を、服についたほこりを落とすように軽く払いのけ、僕は答えました。
「僕はまだ続けるよ。絶対売れるって信じてるから。」
僕の言葉を聞いた彼らは、少し困ったような表情を浮かべ互いに視線を交わしました。やっぱりお前はすごいよ、とも言われました。
僕は昔からこういう人間でした。さっきの言葉は、僕が以前彼らと最後に会ったときに言った言葉と何ら変わってはいませんでした。
僕が変われていないことは、果たして、良いことなのか、悪いことなのか。友人のうちの一人が僕に言いました。
「お前は間違いなく失敗する。断言する。お前は間違えなく売れないよ。」
彼が僕にこう言う理由は、わかります。
彼も実は、夢に向かって挑戦していた人間でした。しかし彼は、その道をすでに諦めてしまっていて、現在はその夢とは接点のない学校に通っています。
彼は昔から、自分に対しても、他人に対しても否定的な意見を持つ人間でした。おそらく、夢に向かってあがく姿を、自分自身で受け止めきれなかったのだと思います。周りの人間が歩んでいる道から逸れ、自分を信じて一人で歩くのはとてもつらいことだと、僕は知っています。
僕は彼に夢をあきらめた理由を直接聞いたわけではありません。でもきっと当たっているでしょう。彼はプライドが高く人を見下す癖があり、なぜ諦めたのかと聞いたならば、それを自分に対しての攻撃だと受け取り反撃してくるに違いありません。皆も彼に特に何も聞かなかった理由は、久しぶりに会ったところで諍いを起こしたくなかったからでしょう。
僕がそんな彼に言えることは一つだけでした。
「そっか。でも君にはこの後、僕のグラスに何が注がれるのか、わかるの?」
「はあ?」
「十分後、このグラスに何が注がれるのか、君に当てることができるのかと聞いているんだ。」
「そんなの知らねえよ。」
「なぜ十分後の未来に何が注がれるかもわからない人間に、僕の将来が予言できるんだい?僕にはわかるよ、アップルジュースだ。このグラスには、十分後、僕が欲しい飲み物が注がれることになるだろう。未来も同じだよ。本当に欲しいと願っている物が手に入るんだ。十分後、このグラスにアップルジュースが注がれるのと同じように。」
「はあ?アップルジュース?ガキみたいなこと言いやがって。」
「ガキっぽいだの大人っぽいだの、そんなのは全く関係ない。これは僕のグラスだ。僕が本当に欲しいものが注がれることになるんだ。」
「まあまあ、その辺にして。彼結構酔ってるから、気悪くしないでね。」
僕と彼の会話を聞いていた、他の友達が仲裁に入りました。
ほかの友達たちも、僕の言っていることが、飲み込めていないようでした。
僕はそんな彼らには気にも留めず、グラスに残っていた水を、グイっと飲みこんで、アップルジュースを求め、冷蔵庫を漁りました。
しかし、アップルジュースが見当たりません。冷蔵庫の中は空っぽでペットボトル一つありませんでした。
アップルジュースはどこにあるんだと友達に聞くとこう返されました。
「アップルジュースはさっき切れちまったよ。もうない。」
彼との会話の後、他の友人が取り持ってくれたこともあって、あれ以上空気が悪くなることはありませんでした。
僕たちは、街灯の明かり以外に拠り所のない、真っ暗闇の住宅街を歩いていました。食べ物や飲み物が切れてきたので、近所のコンビニへ散歩もかねて、買い出しに出かけています。
住宅街は冬の深い闇の中に静まり返っていて、冷たい風が私の首を撫でます。男性数名の、この時間帯にしては大所帯の集団が、無言で住宅街を歩いていました。さっきまでいた部屋と比べてあまりにも寒すぎたので、皆しゃべる気力が出なかったのだと思います。
そんな中で、僕は道中にある自動販売機を見逃すまいとアンテナを張っていました。
さっき、アップルジュースが注がれることになるといったものの、まだ実現できていなかったからです。その会話はとっくに終わったことですが、私は自分で宣言したことが為せていないことに、引っ掛かりを覚えていました。それがたとえ、アップルジュースを飲むという、子供じみたくだらないことだとしても何とかして実現できないか、チャンスを探っていました。
隣を歩いていた彼は、すれ違う自販機にガンを飛ばす僕を見て、あきれ返ったことでしょう。きっと彼には僕がアップルジュースにこだわる理由がわからないと思います。
数個の自販機を通り過ぎ、コンビニに到着しました。通り過ぎた自販機のどれにも、アップルジュースは売られていませんでした。
自動ドアをくぐり僕は真っ先に飲料コーナーに向かいました。
壁一面の大きな冷蔵庫の前に立ち、絶対ここにはアップルジュースがあると確信しました。
僕はほおを緩め、ポケットに手をつっこみながら、冷蔵庫の中に並べられたペットボトルに視線をやりました。店内にはクラシック調のストリングスの効いたバラードが流れていて、暖房で暖められた空気を優しく包んでいました。店内放送の楽曲に合わせて自分も鼻歌を歌います。後ろで組みながら弾む足取りでアップルジュースを探しました。
早くして、オレンジジュースを見つけました。ここら一帯にアップルジュースもあるはずだと、踏んで一本一本じっくりと、商品ラベルを調べていきます。
すると、きっちり並べられたペットボトルの中に、ぽっかり空いた空間が現れました。最初は通り過ぎましたが、まさかとは思い商品棚に張られたラベルに目をやりました。そこには、
「アップルジュース 130円」のラベルがついているではありませんか!
僕は頭をハンマーで殴られたような感覚に陥りました。しかし、コンビニにアップルジュースがないはずがないと自分に言い聞かせ、冷蔵庫の端からもう一度調べ直しました。
コーヒーのコーナーに始まり、お茶、水、炭酸飲料を経てジュースコーナーに終わります。僕は一本残らず、アップルジュースが置いてないか調べました。コーヒーのコーナーから一本一本、次へ進むごとに絶望感が増していきます。そして、皮肉なことにアップルジュース以外の商品は何一つ売り切れておらず、完璧にそろえられています。
僕は現実を受け止めきることができず、何度も冷蔵庫の前を巡回しました。最後に至っては酒のコーナーまでくまなく調べましたが、アップルジュースはどこにもありませんでした。
私が最悪の事態に打ちひしがれていると、
「何してんだ、レジ行くぞ。」と、僕の絶望感を知る由もない彼に声をかけられました。
僕は正直に、
「アップルジュースなかった。今日は飲めないな。」と言いました。
「はあ。そう。なんでそんなこだわるんだよ。そんな好きだったっけ。」と彼。
どうやら、彼には僕がアップルジュースにこだわる理由がわからないようです。そして、彼はさっき僕の夢を否定したことも、すでに忘れているようでした。
次の日の朝、僕は目が覚めると共に靴を履き、アップルジュースを求めてスーパーマーケットへ向かっていました。ドアを開けると冷たい空気の流れとともに、優しく暖かい朝日が体中にしみわたりました。
昨晩、解散した後真っ先に家に帰り眠りにつきました。他の友達のほとんどは家に帰らずに泊まったらしいのですが、明日朝一番に何としてもアップルジュースが飲みたかったので、帰宅を選択しました。それに加えて、終盤の話題のほとんどが就活についての話で、話に交われなかったのも帰宅した理由の一つです。
確実に販売されているであろうスーパーマーケットにすぐ向かえるように、簡単な準備をしてベッドにもぐりこみました。
早歩きでスーパーマーケットまで向かいます。
最後の角を曲がり、スーパーマーケットまで一直線というところで、とても大きな木が空を背景に佇んでいました。深緑の葉を鎧のようにまとい、雲一つない青空の前で、緩やかな風に揺られています。
そして、深緑の隙間にいくつかの赤い斑点が見えました。
リンゴです。
この大きな木は、おそらくリンゴの木なのでしょう。
木の前に立ちはだかる塀から、その体を大きく突き出していました。塀も高さがありましたが、そのことを忘れ、軽く飛び越えられるのではないかと思わせるほどでした。
私は歩く速度を緩め、リンゴの木とゆっくりすれ違いました。
すれ違った後も、頭を振り向けながら歩き続けました。
すると、前方に何かの気配を感じました。私はとっさに視線を前方へ戻し、ぶつかるギリギリのところで止まりました。
前にはおじいさんが立っていました。おじいさんは箒とちり取りを持っていて、おそらく家の前の道の掃除をしようとしていたのでしょう。
「ごめんなさい。よそ見をしながら歩いていて。」
僕はぶつかりそうになったことを謝りました。
「いいや、こちらこそごめんね。私もあまり確認しないで出たものだから。」
おじいさんの声を聴いて、きっとこの人がリンゴの木を育てた人なのだろうと、確信していました。おじいさんの目の周りにはたくさんのシワが刻まれていて、ゆっくりと窪みが深くなっていきます。
私は思いきって聞いてみました。
「あのリンゴの木はおじいさん育てたのですか?」
「ああ、そうだよ。私が子供の頃、自分で植えた木なんだ。」
「とても大きくて立派な木ですよね。きっと長い年月をかけて大きくなったんだろうなと思っていたんですよ。」
「ほほ、そうだね。私がまだ学校にも行ってないときに植えた木だからね。最初は他の木、他の植物と比べて、とても背が低くて小さかったんだよ。だけど時間が経つにつれて、他の木に追いつき、追い越し、やがて一番大きくなってしまってね。私の人生の登場人物の中でも早くから登場して、今でもまだ私と一緒に生きてくれる、大切な家族だよ。」
「あの木に成っている赤い果実はリンゴですか?」
「そうだよ。あれはリンゴの木だよ。どうだい。食べてみるかい?」
「いいんですか?」
「もちろん。久しぶりに彼の話ができてとてもうれしいのだよ。遠慮なく持っていってね。」
僕はおじいさんから、リンゴを受け取りました。
「ありがとうございます、おじいさん。家に帰って食べさせていただきます。ごちそうさまです。」
感謝の言葉を伝え、おじいさんがぽつりとつぶやきました。
「はい、めしあがれ。細かくすりつぶしてアップルジュースにしてみてもおいしいから試してみてね。自分の好きなようにお食べ。」
僕はおじいさんからリンゴを受け取り、別れた後スーパーマーケットに行くことはありませんでした。なぜならもう、目標達成の目前まで来ているからです。
リンゴを片手に家に帰り、手を洗い、キッチンに向かいました。
食器棚の端の方に置かれたミキサーを取り出し、電源を入れました。
中におじいさんから受け取ったリンゴ入れ、スイッチオン。
じゃこじゃこと削られていき、見事アップルジュースの出来上がり。僕は完成したアップルジュースをグラスに注ぎました。
アップルジュースで満たされたグラスを握り、どんな小さな願いでも、自分が本当に欲しいと願ったものは、手に入れることができるのだと実感しました。
ごくごく、と音を立てながらのどが潤っていきます。
僕はようやくアップルジュースを飲むことができました。一つの願いが、たった今、叶ったのです。
僕は優しく目を閉じ、深く深呼吸をして、今日やるべきこと、やりたいことを、自分に問いました。心の中で答えをつぶやき、ゆっくりと目を開けます。
空になったグラスを、泡立てたスポンジで洗い、乾燥ラックに立てました。
次に僕が手に取ったグラスには、一体何が注がれることになるのでしょうか。
僕はそれが楽しみです。
アップルジュース 佐野柊斗 @ShutoSano
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