第48話 初恋からの卒業

「稜汰君!」

「わざわざ来てくれなくても良かったのに」



角を曲がって私の部屋が見える道に出れば、気まずげに部屋から私へ目を移した稜汰君。



「でも、その、近くで話したくて、あっ!や、ほら、近所迷惑になるし!!」



目眩がする。必死に取り繕う私に、彼は呆れたような、どこか嬉しそう?な表情で「息なんか切らしちゃって」と呟いた。それからすぐに唇をきりりと引き結び、真面目な顔になる。



「それで、その、どうなんだ?」

「えっ!?なんの話だっけ!ああ、ごめん!頭の中ぐちゃぐちゃで!うん!深見先輩とだよね!付き合ってるわけないよ!」



ここまで一息。


そんな恐れ多いこと、天地が引っくり返ったってありえない。あ、いや、引っくり返るくらいなら可能性はあるかも。いやいや、ない。あんな素敵な人が私と付き合うなんてありえない。



「え、付き合ってないの?」



目を瞑って判決を待つ人のように眉根を寄せていた稜汰君は、私の答えを耳にすると拍子抜けしたようにパチパチ瞬きを繰り返す。



「うん」



ありません、と首を横に振れば、がくりとしゃがみ込む彼。頭を腕で覆って。



「えっ、ちょっ、稜汰君!?大丈夫!?」



ま、まさか立ちくらみ!?こういう時はどう対処したらいいんだっけ!誰か人は……!



素早く辺りを見回すも、人影は全くない。どこかのお家からテレビの音や魚を焼く匂いが微かに感じられる。



あっ、というか私の家が隣だった!

すぐにお父さん達に、



「なぁんだ……」



え?



彼に背を向け、自宅への全力疾走の準備をしていた私はゆっくりと振り返る。チラリと上目遣いで私を見上げている稜汰君は、ふにゃりと顔を綻ばせた。




「良かった」




……ねぇ、あの、そ、それって、



「とか全然思ってないけどな!うん!あー、屈伸終わり!頑張った!」



え、待、


素早く立ち上がった彼は顔を真っ赤に染めていた。左耳の赤いピアスを弄りながら1人納得したように何度も頷く。



え、ええええ。


屈伸って1回しか、え、いや、それはいいとしても、さっきの態度はちょっとズルい気がするよ!!!



「と、いうわけなんだ!Grazie!うん!じゃあ俺は帰ろうかな!」



今度は私が立ちくらみを起こしそう。


その赤い頬は、何が原因なのかな。



ははは、と綺麗な顔でわざとらしい笑い声を漏らす稜汰君。



……でもさっきの質問って、今日私と先輩が一緒にいたから聞いたんだよね?



だとしたら、稜汰君の中でも男女が2人で出かけることは付き合っていることとイコールで繋がっちゃうのかな。


じ、じゃあ、やっぱり、2人は、稜汰君と花結さんは。



「あけび!情けない顔して、どうした?」

「な、情けないっ?」

「あ、ああ、Scusami、ほら、ちょっと泣きそうだからさ」



動揺っぷりが目に見えて分かる稜汰君は、それに負けないくらい肩を跳ね上げた私の頭を軽く撫でる。



泣きそう?私が?どうして?2人が付き合ってたって私には関係無いのに。私には、たもつ君が、たもつ君が……。



「ねぇ、稜汰君」

「うん?」

「男女が2人で出かけるって、付き合ってるってことだと思う?」

「いや、全然」



即答されて、私は思わず目を剥く。



じゃあ、どうしてあんなこと聞いたの?


私の頭に渦巻く疑問を知ってか知らずか、彼はまつ毛を瞬いてから私に向き直り、笑った。



「でも、ちょっと心配になったんだ。それだけだよ」



それって、どういう。



私が考え始めるより先に、稜汰君が「なぁ」と続けた。私は現実に引き戻されて彼の言葉の続きを待つ。



「あけびの初恋は、まだ終わってないんだよな?」



迷うような素振りを見せつつも私にまっすぐ視線を向ける彼は、綺麗だ。とても。



というか、エスパーなの!!?稜汰君って他人の考えが読めるの!!?それとも私が読まれやすい顔してるとか!?



ポカンと口を開ければ、「当たってるみたいだな」と自己解決したようで。情報処理能力がイマイチ正確に機能してくれない私へ、稜汰君が1歩歩み寄る。



ち、ちちち近い。



とてもじゃないけど、この距離感で彼の顔を見る勇気は無くて、伸びて塀に映る2人分の影に目線を定めた。



「じゃあさ」



優しく右手をとられ、ちっぽけな心臓がどきりと脈打つのと同時に私は稜汰君を見上げる。



そのまま、な、なんということでしょう、え、彼は私の手のひらに唇を落とした。




「そろそろ卒業しようか」




柔らかい感触と小さな軽い音の後、同じように優しく私の手を解放した彼は、どこか悪戯っぽく片目を瞑った。



「principessa」



ヒマワリ色の髪をふわりと風で揺らして微笑む稜汰君と、記憶の中のたもつ君の笑顔がほんの一瞬だけ、なぜか重なった気がした。




しかしまぁ、私が彼曰く妖怪のような悲鳴を上げなかったことと、卒倒しなかったことをひとまずは褒めてほしいかもしれない。




そして、この心臓に悪い出来事は、まだまだ序の口だった。


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