嫉妬せざる者には恋愛はしえず
第46話 居場所
「あら、おかえり。てっきり薫君と出かけたのかと思ってたのに、違ったんだねぇ」
玄関の扉を開けた瞬間、ただいまと言う余裕も無いまま開口一番お母さんにそう言われた。
まさかドアの前でずっと待ってたんだろうかとも思ったけど流石にそんなわけはなくて。どうやら洗濯物を取り込んだところらしく、カゴを抱えていた。
「た、ただいま。いや、あのね、」
「おばさん、これどこに置くんだ」
鍵をかけながら説明しようと口を開いた途端、リビングから薫君が顔を覗かせた。
ひっ。
話そうと思ったことは私の頭の中から全て綺麗さっぱり吹っ飛んだ。彼の手にはお母さん同様洗濯物が入ったカゴ。しかも、なんてこと。靴下やタオルの隙間から顔を覗かせているのは。
「おおお母さん!!薫君に手伝わせないで!ごめんね薫君!後は私が!」
パ、下着だ!!!!私の!!!!!
サンダルを脱ぎ捨てて薫君に駆け寄り、カゴを奪うように受け取る。というか奪った。
「だだだ大丈夫だからホントごめん!ほら、私の部屋に行っててください!」
無表情ながらも心無しかキョトンとしてる彼の背中を懸命に押して階段を上がるよう促す。部屋のドアが閉められたところをしっかり確認して息を吐いてから、お母さんに向き直った。
「薫君に迷惑かけないでって言ってるでしょ!そ、それに私の下着まで取り込ませないでよ!」
「だって手伝ってくれるって言うから。あけびの下着はお母さんが取り込んだよ。薫君には、重かったからちょっと持ってもらっただけ。てか、下着くらいでピーピー騒がないの」
「騒ぐよ!!」
呆れたように「生まれた時から一緒なのに、今さら何を照れてるの」と肩をすくめられ、脱力しながらもお母さんを睨みつける。
そういう問題じゃないよ!人間、恥じらいを失ったらおしまいだと思う!
「ま、とにかく、これ以上薫君を待たせないことね」
ひょいと私の手からカゴを取って顎先で階上を示したお母さん。何か文句の一つでもぶつけようと思ったけど上手い言葉が見つからず、結局私は階段をのろのろと上がった。
「あ、あの、薫君。お目汚しして、ごめんね」
部屋のドアを開けて最初に念を押すように謝罪すれば、床であぐらをかいてスマホを弄っていた彼は訝しげに顔を上げた。
「なんの話だ」
「あ、いや、別に、いいの。なんか、お手伝いしてくれたみたいで、ごめんね。ありがとう」
「別に」
誤魔化し笑いを浮かべながら部屋のドアを閉める。
「薫君、今日はどうしたの?」
「親戚からトウモロコシ送られてきたから持って来た。そしたら、おばさんが上がってけって」
「わ、ありがとう!あのトウモロコシ、毎年の楽しみなんだ!」
「それで?」
「え」と溢した私はなんとなく、薫君の前で正座する。彼はスマホを脇に置いて私を見た。
「1人で、どこ行ってたんだ」
「ひ、1人!?」
「……違うのか?」
少しだけ驚いたように目を瞬いた彼に、う、と言葉に詰まる。
思わず素っ頓狂な声を出しちゃったけど、今まで家族と薫君以外の人とは出かけたことが無い私。1人だと思われるのも当然だ。改めて考えると、私、相当寂しい。
「えーと、1人では、ないかな」
「友達できたのか」
できてないです!!
言葉を選びつつ答えていたけど、なかなかそのセリフはダメージが大きい!!
「あの、深見先輩と」
おずおず言った瞬間、薫君の眉がピクリと動いた気がした。
いや、でも、気のせいかもしれない。
表情変わってないし。
いつもみたいな無表情を貫く薫君は、本棚をじっと見つめる。まるで端からタイトルを噛みしめるように一つ一つ読んでるみたいに。
「……楽しかったか?」
ああ、やっぱり気のせいだったんだ。
少しばかりホッとしながら「うん。古い映画ばっかり4本も観てきたよ」と頷くと、薫君が本棚から私へと目を戻した。
「映画?」
「先輩も映画が好きみたい。4本は最高記録だよね。楽しかったけど、これは興味無い人からすれば地獄かも。いつも付き合わせて迷惑かけちゃって、ごめんね。薫君優しいからいつも我慢してたでしょ……?」
映画大好きな私でも今日は流石にちょっと疲れた。自分の好きなことだから相手も楽しい、っていう考えはやっぱり改めなければならない。
申し訳ないな、と続ければ、彼は再び本棚を見つめながらボソリと呟いた。
「地獄って、迷惑って、俺が1度でも言ったことがあるかよ」
え。
「勝手に決めるな。嫌なら付き合ったりしない」
「薫君?」
声に怒気が含まれてるわけでもないし、荒げられたわけでもない。でも薫君の絞り出すような言葉には、確かに何かが燻っていた。
「友達をつくるななんて言わねぇし、恋愛するなとももちろん言わねぇ。だが、」
思わず立ち上がろうと床についた手を素早く掴まれる。彼の目が、まっすぐ私を捉えた。
「それに気を取られて俺の居場所を無くすのだけは許せない」
浮かせた腰が、へなりと床に戻る。
鼓動が加速する。
その手は発熱してるみたいに熱くて。
彼の薄い唇が、開く。
「な」
……な?
「な、なーんちゃって」
……ん?
今、え、生まれてこのかた1度も薫君の口から飛び出したことのないようなセリフが、え、幻聴?
というか、すっごい棒読みだった。
目玉がこぼれ落ちそうな程目を見開く私から目を逸らした彼は、ちょっとだけ気まずげに茶色の髪をくしゃりと乱した。
「かっ、薫く、」
「あけび」
なんとか絞り出した言葉も遮られ、もう私には黙って話を聞く道しか残されていない。
チラリとこちらを一瞥した彼は、ほんの少し眉をひそめる。
「お前の洗濯物も片付けたんだから、ちょっとくらいからかったっていいだろ」
もちろん私は、その姿勢からすぐに土下座の体勢へと切り替えた。
もううううお母さん!!!!
酷いよホント!!!
そう。
謝罪の言葉を口から流しながら必死に額を床に擦り付け中の私には、薫君が安堵の溜め息を吐いていることなんて知る由もなく。
「帰る」
立ち上がった薫君に倣って慌てて重い(決して物理的にではない!!)腰を上げる。その際、ベッドに足をぶつけた。
くるぶしを押さえて悶絶する私に彼がかけてくれた「大丈夫か」という言葉に、何度も頷いてから顔を上げる。
「お、送るよ」
「向かいの家にか」
「で、すよね。えーと、その、玄関まで」
「お前の家で迷うかよ。保じゃあるまいし、」
ハッとしたように薫君が口を噤んだ。なぜか腹立たしげに口元を押さえて目を逸らす。
「ね、ねぇ、薫君」
ドアノブに手をかけた薫君は「なんだ」と振り返る。どこか億劫そうで、非常に申し訳ない気がしてきた。
「友達と海に行くなんて、初めてだもんね。楽しみだね」
にこりと笑ってみせると、彼は思案するかのように目を伏せた後、ほんの少しだけ唇の端を上げた。
「そうだな」
貴重すぎる久々のその笑顔にものの見事に硬直した私をよそに薫君が出て行って、ドアが静かに閉まる。
トントンという彼が階段を降りる軽快な音がだんだん小さくなって聞こえなくなったと同時に、私は背中からベッドに倒れ込んだ。
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