第38話 可愛い

「終わったぁ。いやー、助かったぜ真澄」



こんなものもう見たくもないとばかりに問題集を閉じた稜汰君は、伸びをしてから真澄君の頭を撫でた。



「やめてよ、セクハラで訴えるよ。……まぁ、これだけ教えたんだから少なくとも80点は余裕だよね?」



真澄君が冷たくその手を払い除けば、稜汰君が「うん、そうだな、半分はいけると思うぜ」と若干目を泳がせながら頷く。



「英語と現代文で90点くらい取るからさ、大目に見てくれよ」

「何それ意味分かんない。……あけびちゃんはどう?」

「わっ」



問題集は終わらせたものの、まだ教科書と真剣に見つめ合っていたところ、至近距離で覗き込まれて軽くのけぞってしまった。



そ、そうだ、座る場所が代わったから、真澄君がお隣だったんだ!!



ちなみに、稜汰君とお茶を持って部屋に戻ってきた時にはすでに私が座っていた場所で保君がふて寝していて、勝者は誰の目にも明らかだった。



真澄君は訝しげに眉をひそめたけど、溜め息を吐いて少しだけ離れた。



「教えてほしいとこ、ある?」

「あ、えーと、例題3なんだけど」



どれ?と今度は私の手元の教科書を覗き込んだ。



思いのほか近くて、何だかドキドキする。



彼がオレンジがかった髪を耳にかけると、ふわりとお花みたいな香りがした。



「ああ、これはね……」



長くて柔らかそうなまつ毛が頬に影を落とす。



か、顔が小さいっ。



近くから見ても遠くから見ても性別の壁を越えて絶世の美少女なんだから、自分がいかにちんちくりんかを思い知る。


吸い込まれそうな大きな茶色の瞳が、私を捉えた。



どこか、不機嫌そうに。

いや、どこかっていうか。



「……ねぇ、僕の話聞いてる?」



ご機嫌を損ねるのも無理ないね!!



「い、いいえ、ごめんなさい、もう1回お願いしてもいいかな、」

「僕の顔じゃなくて教科書見てよね」



力無く頭を下げれば呆れ顔を向けられて、さらに落ち込む。



そうだ。

質問しておいて聞いてないとか最低だよね。



「まぁまぁ、あけびが真澄に見惚れるのも無理ないだろ?その可愛さで男なんだもんな、本当残念だぜ」



湯呑みを傾けながら稜汰君が至極残念そうに口を挟む。


ちょっと笑っちゃってるけど、フォローしてくれたのはありがたいです。でもね、何か地雷っぽいよ!!



チラリと稜汰君を見上げた真澄君は、再び教科書に目を落とした。




「あけびちゃんの方が可愛いよ」



ぎゅっ。



「いってぇよこけし!」

「え、あ、ごめんなさい!」



寝転んで睡眠体制に入った保君に、飛び上がった拍子にぶつかってしまったため慌てて謝る。



「ああ、そりゃあ顔は僕の方が可愛いけどね」



私のノートにシャーペンを走らせながら淡々と言葉を紡ぐ真澄君。一瞬だけ目を見開いた稜汰君は、肯定も否定もせずに小さく笑った。



「……じゃあ、どういうところが?」



全て書き終えたのか顔を上げた真澄君は、興味深そうに尋ねた稜汰君を見据え、小首を傾げた。



「教えるわけないじゃん。馬鹿だね」



し。



知りたかった……!!



もちろん私自身、自分は真澄君の足下にも及ばないときちんと理解してるけども。


でも、そんなご本人からお褒めの言葉をいただけたんだから、お世辞だとしてももう少し詳細の方をお聞かせ願いたかったと思うのは間違いじゃない筈。



稜汰君が「参ったなぁ」と呟きながら薫君の湯呑みにお茶を注いだ。薫君がお礼の代わりに小さく頭を下げる。



……まぁ、教えてくれていたとしても私は途中でリタイアすると思うけど。



精神的ダメージで心臓が破裂しそうになる可能性もなきにしもあらずだし。



「はい、出来た」



俯いて内心唸っていた私にノートが押しつけられ、顔を上げる。



あ、これ、すごく分かりやすい!



ノートには【原子の数を合わせる】とか【化学式を覚える】などのアドバイスと例題の解き方が細かく記入されていた。



「ありがとう!真澄君」

「いいよ別に。稜汰にも書いてやったんだからさ」

「優しいね、ありがとう」



受け取ったノートを抱き締めるように持てば、じっと見つめられていることに気づく。



「あの、真澄君?」


「……やっぱり僕の方が可愛いかもね。どう考えても」



私は声にならない呻き声を上げた。



そんなわけで成功したのか失敗したのか限りなく微妙な、トータル2時間程の勉強会は恐らくは無事に終了したのだった。

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