メタル&プラスチックマイハニー99
ケスノイダー
序 僕と彼女のライフワーク
人通りの多い道から路地に入ると、街灯の数が急に減る。
心もとない光の円と円を飛び移るようにして、私は足早に歩いていた。
最悪だ。やっぱり気のせいじゃなかった。
ざり、ざり、と、聞こえてくるのは、自分の足音から少しずれて地面を踏んでいるらしい誰かの気配。
間違いない。
私は今、誰かに後をつけられている。
近頃ずっと、まとわりつくような視線を感じてはいたのだ。
ストーカー、という言葉も何度も頭をよぎった。
だけど、自意識過剰だろうと誤魔化し、不安を具体的な行動には移さなかった。
そんな自分の呑気さと、見通しの甘さを、今さらながら呪いたくなる。
「だめ……もう、無理。限界」
このまま歩いて家のドアまでたどり着けたとしよう。
もし、鍵を回してノブを握った瞬間、襲い掛かられたとしたら?
家の中に無事に入れたとして、その後、鳴るかもしれないチャイムに怯え続けることになるのだとしたら?
それがこれから何日も何日も、続くのだとしたら。
鳥肌が立つようなこの感覚は、まごうことなき恐怖というやつだろう。
振り返って叫ぶなら、今しかない。
もし、変な奴がいたら、すぐに警察に通報してやる。
「だれ!?」
自分でも思っていた以上に大きな声が出た。
そこに誰もいなかったとしても、構わなかった。
笑い話にして、同僚との雑談の種にでもしてやろうと思っていたのに。
そいつは、いた。
私が今立っている街灯の下から、ちょうど一本分離れた場所に立つ人影。
「お、ネェ、さん」
この声、男の人じゃない?
長い髪の毛で顔は隠れているし、着ているのは白いワンピース。
同性でもストーカーってあるんだろうか。もしくは何かの恨み?
とりあえず、心当たりはない。
「髪、キレぇ、ね」
ヨタヨタと覚束ない足取りで、女がこちらに歩み寄ってくる。
それだけでわかった。
こいつはヤバい相手だ。
動機なんてどうでもいい。
関わり合ってはいけない存在だと、本能が訴えかけてくる。
「肌、も、すテキ。白くテ、すべスベしてルの、ね」
「だから何!? こっち来ないで! それ以上近付いたら警察……っ」
威嚇のつもりでスマホを耳に当てようとした、その時。
「イイ、なあァ」
酔っ払いの千鳥足のような動きをしていた女が、目の前にいた。
そして、腕を掴まれて、気付く。
「ひっ!」
間近で見た女の顔は、およそ人間とはかけ離れたものだった。
パサついた長い黒髪の向こう側に見えたのは、ひび割れたマネキンに、無理矢理人の皮膚を張り付けたような出来損ないの顔。
瞼のない剥き出しの眼球と目が合って、私は息をすることさえできなくなった。
どうにか腕を振り払おうとしても、びくともしない。
関節が剥き出しになった五本の指に手首を締め上げられている。
「すてキな、おねえサン。ワたし、アなたみたいニ、なりたいの」
カタカタと上下に開閉するだけのマネキンの口が、かすれた言葉を紡ぐ。
子供の頃にテレビで見た人形劇、アレも怖かった。なんて。
脳が理解を拒み、勝手に現実逃避を始める。
「ダから、お姉さんヲ、わタシに着さセて?」
けたけたけた、と、マネキンは笑っていた。
私の手首を掴んでいるのとは逆の、マネキンの腕が振り上げられる。
その手に握られたハサミを見た瞬間、私は自分の運命を悟り、ぎゅっと目を閉じた。
殺される。そう確信したはずだったのに。
「させるかあああああああああっ!」
傍らを猛然と吹き抜けた風は、スニーカーの形をしていた。
長い長い脚が、マネキンの鼻筋に突きささっている。
驚き、見開いた私の目は、お手本のような跳び蹴りが炸裂した瞬間を捉えた。
「まさに間一髪。よく間に合わせた。流石は僕」
金切り声をあげながら吹き飛んで、手足の関節をぐしゃぐしゃにしながらアスファルトで跳ねたマネキンに向かって、その人は鼻を鳴らしてみせる。
男の子だ。
多分、高校生くらいだろう。
跳び蹴りの姿勢から膝を曲げて見事に着地し、スッと立ち上がった彼はまさに長身痩躯。私より一つ分高い位置にある顔は、鋭い目つきが印象的な細面。
くっきりとした二重の瞼や、真っ直ぐに通った鼻筋を見て、つい、かっこいいなと思ってしまった。
こんな状況なのに。
「……なんなの、あれ。あと、あなたも、何者?」
「細かい説明はしません。そんな悠長な場面でもないんで」
私の方を見ることなく、男の子が一歩前に踏み出した。
見れば、あのマネキン。ギシ、ギシと関節を軋ませながらもがき、また立ち上がろうとしてるじゃないか。
「まだ、動いてる」
「ですね。日本の年間行方不明者数は八万人以上。そのうちのいくらかは、ああいう奴らに襲われてるらしいんです。ただ……」
男の子は振り返らず、それでも私に向けてピースサインを送ってくる。
「安心してください。わけあって、僕達があなたを助けさせてもらいます」
仕草そのものは、正直どうかと思うくらいキザでダサいんだけど。
男の子の声には自信が満ち溢れていて、私は込み上げてきた安堵に泣きそうになってしまった。
「でも、あんなの相手したら、あなたも危ないんじゃないの?」
「平気です。僕、通信教育で格闘技をマスターしてますので」
「そんなレベルの話!?」
思わず突っ込んだ私の言葉など意にも介さず、男の子がファイティングポーズを取った直後。
「なンだ、おマエええええエェェえ!」
起き上がったマネキンが、黒板を爪で引っ搔いたように甲高い声で吠えた。
なんて耳障りなんだろう。この世のものとは思えない響きに、鳥肌が立つ。
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。なんだ、お前」
「ジャま! ワタしの、じゃマアアアァアアアアアア!」
「……会話にならないな。期待もしてないけどさ」
「いや、ちょっと! あれ! ヤバそうじゃない!?」
男の子は呑気に肩をすくめていたが、その間にマネキンの姿形が大きく変化を始めていた。
どういう理屈なのかわからないが、マネキンの細い背中から質量をまるで無視して、腕と足が生えてくる。
一本や二本じゃない。五、六……十を超えたあたりで数えるのは諦めたが、とにかくたくさん。
胴体だけが長く伸び、マネキンはいつの間にか、見上げるほど巨大なムカデのような姿になっていた。
「あんなの、なんとかなるの?」
「いや、無理そう。僕には荷が重い」
「ええっ! に、逃げなきゃ!」
「いや、大丈夫。なんとかなりますから」
半笑いになった男の子は胸を反らし、大きく息を吸って。
「叶南ちゃああああああああああああん! たすけてえええええええええ!」
尋常ではない声量だった。さっきまでの自信が嘘みたいな情けない叫びだ。
ああ、私、やっぱりここで死ぬのかも。
そう思ったんだけど。
薄暗い路地に、閃光が走った。
青白い光の線が地面を滑り、ムカデマネキンの身体を駆け上る。
「は?」
気付いた時には、化け物の手足の左半分がまとめて焼き切られていた。
今度は一体、なんなんだ。
『ほーら、言わんこっちゃない。何が僕一人でも大丈夫、だっての』
呆然とする私の前に降りてきたのは、背中から眩い光の羽のようなものを噴出させている、人型の『何か』だった。
白い色。
緑に光る眼。
あれは、天使? いや、違う。
「女の子の……ロボット?」
二本足で立つあのシルエット。
間違いない。SF映画なんかで見たことがある。
「そう言わないで。僕はいつだって、君の前でかっこつけたくなっちゃうんだから」
『んなバカなこと言ってると、いつかほんとに死んじゃうわよ?』
「心配してくれるの? 僕、愛が溢れ出しそう」
『……キッモ』
今しがた舞い降りてきたロボットの女の子と、じゃれ合うように言葉を交わす男の子。
ほんとに意味がわからない。
これ、酔った時に見る夢より支離滅裂だ。
「あぁ、アアアアぁあああア!」
停止しかけていた思考が、聞こえてきたマネキンの絶叫で再起動した。
あいつ、あんなになってもまだ、こっちに向かってこようとしてる。
『ほら、アレの動きは止めたげるから。トドメ、刺してきなさい』
「任せといて」
言うなり、女の子のロボットが片足を引いて、両手を文字通り合体させた。
その形はまさに白くて巨大な銃口。
砲身の奥から、甲高い音とともに光が溢れ始める。
「あ、お姉さんは目を閉じてた方がいいですよ」
そう言い残して、男の子が猛然と駆け出す。
「……わっ」
ロボットの女の子が打ち出した光の柱がマネキンの胸を貫き、円い穴を空けた。
事実が受け入れられないとばかりに痙攣する、その顔面に。
「とっとと、無に還れえ!」
気合一閃。
男の子の振りかぶった拳がめり込む様を、私は最後まで唖然と見ているしかなかった。
★
「私、助かったのよね?」
巨大なムカデのようになったマネキンが、がらがらと音を立てて崩れ出している。
その様にさっきまでのような不気味さはなく、ただのガラクタが散らばっているようにしか見えなかった。
「違います。正確には、僕らが助けた。ですよね?」
『こら。恩着せがましいこと言うんじゃないわよ」
私の呟きに自信満々に答える男の子と、それを嗜めるロボットの女の子。
その様が、なぜだか今は、可笑しくてたまらなかった。
「ううん。ほんとよ。ありがとう」
この子たちが来なければ、私は今頃どうなっていたか。
想像するだけでも、ぞっとする。
「礼にはおよびません。その代わりといってはなんですけど」
へたりこんだ私に向かって、男の子は一枚の紙を差し出し、言う。
「僕らのこと、応援してください」
なんだろう。これ。
名刺みたいだけど。
「じゃあ、また、今回みたいに困ったことがあったら読んでくださいね」
腕を組んで笑う男の子の後ろで、女の子のロボットが彼の脇の下に手を回していた。
「僕と彼女が、飛んできます」
そして、響いたのは轟音。
文字通り、男の子は女の子のロボットに抱えられて飛び立っていってしまった。
「……メタル&プラスチックマイハニー99?」
名刺に書かれたSNSと動画サイトのアカウント名らしき、その名前。
自分と似たような目に遭った人が、最近彼らに助けられているらしい。
そんな事実を私が知ったのは、家に帰って、夕飯をすませ、お風呂に入った後のことだった。
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