第1章 僕の最愛の人が起動するまで
第1話 僕が好きなのは
夕日で、白塗りの壁がほんのりと朱色に染まっていた。
少し離れた校舎から吹奏楽部が高らかに鳴らすトランペットの音が響いてくる。
静かだが、体育館の裏には光と音が満ちていて、爽やかな風が吹いていた。
「き、来てくださって、ありがとうございます。成木先輩」
「初めまして。僕を呼び出したのは、君で間違いない?」
「はい! 私、一年の中野加奈っていいます」
下駄箱に手紙が入っているのを見つけたのが、今朝のこと。
封を開けて、読んだ文面は「放課後に話があるから、体育館の裏まで来てほしい」といったものだった。
どうやら呼び出し主らしい彼女を、僕はじっと見つめる。
緊張からか上擦った声に、紅潮した頬。
せわしなく彷徨いながらも、こちらの表情をちらちらと窺うような視線。
これはもう、疑いようがない。
僕はこれから、愛を告白されるのだ。
いや、父の仇なので死んでくださいとか言われたら、それはそれで面白いんだけれども。
恨みを買う心当たりはたくさんある身だし。
「すみません。突然呼び出したりして。ご迷惑でしたよね?」
「そうだね。僕、この後、用事あるし」
「え……っ? あ……で、すよねぇ。はは……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。さ、時間もないし、さっそく要件をどうぞ」
「事務手続き……?」
最初は上目遣いだった彼女の表情が凍り付き、苦笑いに変わって、最後には露骨にしょんぼりとした様子になった。
可愛らしい子だな。
リスとかハムスターとか、小さめの齧歯類みたいで。
「その、えっと……」
俯き、指をもじもじと絡ませた後、深く一呼吸。
顔を上げた彼女は、凛とした表情で言い放った。
「成木頂点さん、あなたのことが好きです。私とお付き合いしてください!」
「なんで?」
「なんっ……で、と言われたら、まあ、色々あるんですけど」
「じゃあ、教えてほしい」
人を好きになる感情は爆発で、告白というのは自分の全てを賭けた大博打だ。
今日、この場に至るまでに彼女を駆り立てた何か。
それには強い興味が湧いた。
「その、成木先輩は……勉強もできるし、スポーツだって万能で、私はそういうのがないから、すごいなって憧れてて……」
「それだけだと、理由としてちょっと弱いかなあ」
「弱いですか!? けっこう褒めたつもり、なんですけど……」
「君が言葉にしたのはただの事実だろ。鳩が飛べるのを褒められて喜ぶと思う?」
確かに彼女の言う通り、僕のこの学校での成績はぶっちぎりの一位。
運動能力についても生半可な体育会系には負けないはずだ。
でも、それは誰でも気付くことのできる相対的な評価。
それがこの僕。
成木頂点という個人に好意を寄せる理由には、ならないと思うんだよな。
「ほかに、何かないの?」
「うう……わかりましたよ! 顔です! スタイルも! 背が高くて、イケメンで! めっちゃかっこいいと思います! ぶっちゃけ好みなんです!」
「それはありがとう。普通に嬉しいよ」
やけくそ気味に吐露した様子を見るに、それが彼女の僕の容姿に対する客観的な評価なんだろう。
こればっかりは努力で限界のある分野だし、年頃の娘に好ましく思われて、良い気持ちがしないわけがない。
「じゃあ、見た目がこれなら、僕がどういう人間なのかにはあんまり興味がないってことでいいんだね?」
「そんなことないです! 成木先輩は、素敵な人です!」
「根拠は?」
「覚えてないかもしれないけど、私、昔、先輩に助けてもらったことがあるんです」
お? とうとう出てきたぞ。
これがこの子の本心で、核心。
好きという感情の原動力ってわけだ。
「ちょうど、一年くらい前です。私、成績が伸び悩んでて……うちの高校を受験するかどうか迷ってました。図書館で勉強とかして、それでも数学とか、解けなくて、もう諦めちゃおうって、思った時でした。ある人が助けてくれたんです」
「それが、もしかして僕?」
「そうです。通りがかりのその人は、問題の解き方を私に教えてくれた後、言ってくれたんです」
「諦めて泣くくらいなら、失敗して泣け。とか?」
「そうです! 覚えててくれてたんですか!?」
「いや、いかにも僕が言いそうなことだと思ってね」
全然、記憶に残ってないから、脊髄反射で喋ったんだと思う。
「あれからずっと、先輩にもらった言葉が支えでした。受験勉強も辛かったけど、頑張れて、合格できて。この学校で憧れの人を見つけた時は、本当に夢かと思いました」
やめてくれ。
そんな真っ直ぐな瞳でこっちを見ないで。
ダイエットで食事を抜くくらいなら、運動しろ。
その程度のニュアンスだった言葉を、座右の銘みたいに扱われると、流石の僕でも罪悪感が湧く。
「この告白だって、そうなんです。気持ちを伝えられずに、後悔して泣くくらいなら、私、振られて泣きます! 覚悟はできてます! でも……」
目に涙まで浮かべた彼女は、震える声で言った。
「私のこと、もっと知ろうと思ってもらえたら、やっぱり嬉しいです」
なるほど。
これが殺し文句というわけだ。
これだけ一途な想いをぶつけられて、平然としていられる男はいないだろう。
僕だって例外じゃない。
だから、最初から、嫌だったんだ。
「ごめんね、野中さん」
「……私、中野……」
「君の気持ちには答えられない。理由はシンプルだ」
僕の返事が残酷なものだったからだろう。
野中さんの心が、激しく揺れ動いているのが表情から読み取れた。
だが、曖昧な言葉で濁してはいけない。
本気には、本気で返す。
これは礼儀であり、彼女の尊い勇気への称賛でもある。
「僕の好きな人は、君じゃないから。それが全てだ」
きっぱりと告げた言葉は、野中さんに深く突き刺さったようだった。
見開かれた目が一度伏せられ、何か言いかけた唇が震えながら、きつく結ばれる。
制服の胸元を握る指が皺をつくり、長い長い沈黙があって。
「先輩、好きな人がいらっしゃったんですね」
大きく息を吐いて、そう言った彼女は泣きながら、しかし笑ってもいた。
「うん。ずっと、好きな人がいる。なかなか叶わない恋でね」
「……意外です。どんな人なんでしょう。先輩が射止められない人って」
「ふむ。紹介するよ」
「紹介? いや、いいですって! そんな……」
「そう言わずに。聞いてくれ。これが僕の最愛の人の声だ」
そして、僕は懐から携帯端末型のコンピュータを取り出した。
今のやりとり、実に興味深かった。
思春期の女子の、赤裸々な本音のデータは貴重も貴重。
全部、彼女に学習させられたことを、本当に嬉しく思う。
「カナンちゃん。聞いてた? 僕、告白されちゃったよ」
『言われなくてもわかるわよ。そのくらい。よかったわね、可愛い子にモテて』
「そんなわけないだろ。僕が愛してるのは、君だけさ」
『はっ、どうだか』
「手厳しいなあ、君は」
僕は手の中の端末に、苦笑いを向ける。
しかし、このつれない反応。
なかなかの高評価だ。
「あの……先輩? それ、スマホですか? もしかして彼女さんと、通話?」
「違うよ。彼女じゃない。今はまだ、だけど」
「じゃあ、誰なんです? その声」
野中さんの疑問はごもっとも。説明しないとわかるはずもない。
僕の最愛の人。
この手の中にいるのは。
「AIだよ。僕はこの子を、愛してる」
ひゅっ、と。
息を呑む音が聞こえた。
紅潮していた野中さんの顔面が蒼白になり、感情が消え失せ、能面のようになっている。
まあ、そうだよな。
理解してくれとは思わない。
自分が常識の枠組みから外れてしまっていることなんて、とうの昔に自覚済みだ。
「冗談ですよね?」
「いや、本気だ。失礼なこと言わないでくれ」
「あの……あれ? 私、負けたの? 機械に?」
「おいおい、恋愛は競うようなもんじゃないだろ」
「うう……ぐすっ」
ぽろぽろと、野中さんの目から大粒の涙がこぼれだした。
でもなぜだろう。
その涙の味は、さっきまでのものと違う気がして仕方ない。
「なんじゃそりゃあああああ! バカにすんなあああああああ!」
体育館裏に響く絶叫。
野中さんは制服の袖で涙を拭いて、脱兎のごとく駆け出した。
「ほんっとーに、もうしわけなーい! のなかさーん! ごめんなー!」
「私の名前は中野だ! 先輩のばああああああああっかああああああ!」
あらら、やってしまった。
僕、昔っから、人の名前を覚えるの苦手なんだよな。
どんどんと遠ざかっていく中野さんの背を見送りながら思う。
実に素敵な子だった。
彼女なら僕じゃなくても、いつかきっと誰かの心を射止める日がくるんだろう。
僕以外の世界はそうやって、回っていけばいい。
命短し、恋せよ乙女、といったところかな。
「しかし、泣かせるつもりはなかったんだけどなあ。何が駄目だったと思う、カナンちゃん?」
『そんなの私に訊くんじゃないわよ。自分で考えれば?』
お! 今の受け答えもナイスじゃないか。
ちゃんと学習させて、カナンちゃんらしさに磨きをかけていかなきゃな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます