第6話 青年アタリ 5

 翌朝、表から車のクラクションが鳴る音がして、アタリは住み込みのアパートの一室から出た。見ると公道のかたわらに昨夜見たのと同じような黒い車が停められており、彼はそれを見るなり階段を駆け下りて車の中に乗り込んだ。


「じゃあ今日は頼むぜ、大樹先輩」


 運転席にいた大樹は何も言わなかった。彼はルームミラーからアタリを一瞥いちべつしたかと思うと、すぐに目を伏せてしまった。アタリはルームミラーに反射した大樹の顔を見た。彼の右まぶたには紫色のあざができており、眉の上に絆創膏ばんそうこうが一枚張られてあった。


「お前舐めてんのか」しばらくして大樹が口を開いた。


「は? 何が?」


「お前はこれから組長に、俺らの親分に会うんだぞ。なのにパーカーとジーンズとか頭おかしいんじゃねぇのか」


「でも七星先輩からのメールでは服装自由って書いてたぜ」


「馬鹿か。こういう時の服装自由ってのは、普通スーツを着てくるんだよ。それが社会の常識だろうが」


「でもヤクザは反社会勢力じゃん」


屁理屈へりくつ言ってんじゃねぇ。お前就活したことないのか?」


「俺高校中退してずっとニートしてたからねぇよ」


「……じゃあせめて高校の制服とか、シャツとネクタイとか──」


「そんなもん退学したときに燃やしたわ。俺高校嫌いだったし」


 大樹は頭を抱えた。何で俺がこんな狂ってるやつの専属ドライバーをしなくちゃいけないんだ、彼は思った。


「そんなことより早く行こうぜ先輩」


 まあいいか、彼は思った。先輩呼びができているのがせめてもの妥協点と言ったところだな。


───


 車が発進して走ること数十分、二人はあるビル街の駐車場へと辿り着いた。


「先輩さぁ」アタリが口を開いた。「昨日もそうだけど、何で駐車場に車停めてんの? 柚組ってでかい組織だから、どっかの大企業みたいに会社と駐車場が連結してるんじゃないの? てか本部ってどこにあんの?」


「俺たち柚組は不動産も経営していてな、ここの駐車場も俺たちのものなんだ。普段は一般人にも貸し付けをしてるんだが、こうして俺たちが利用するのも珍しい事じゃない。それと本部はこのオフィス街にある。俺がいないときに緊急で招集がかかることもあるから、一人で行けるように覚えておけよ」


 それから二人は車を降りて徒歩で移動し、ある建物の前で立ち止まった。その建物は他のものと比べると小ぢんまりとしていたが、それでも巨大な建物であったことには変わりはなかった。


「こんなでかい建物が本部か? もっと小さくしないと警察にばれるだろ?」


「ここが柚組の本部だということは柚組の構成員と裏社会の人間しか知らない。それに仮に警察の捜索が入っても、すぐに別の場所に移動して姿を隠せばいいだけだから何も問題は無い。俺たちも馬鹿じゃないんでな」


 入り口には受け付けらしきものが設置されており、大樹はそこにいる人間と会釈えしゃくするとエレベーターに乗り込んだ。最上階である十四階のボタンを押すと、アタリが訊いた。


「組長って一番上にいんの?」


「ああ。十四階のフロアは全部組長のものになっている。それ以外の二から十三階は事務室なり何なりがあって、俺たちは普段そこで仕事をしているんだ」


「ヤクザの仕事って何してんの? 詐欺?」


「詐欺ももちろんやる。電話や手紙を使ったやつやネットを使ったやつもある。けどほとんどが不労所得の管理や会計、そして業者との取引だな」


「俺がエロサイト見てるときに出てくる怪しい広告もお前らがやってんの?」


「さっきから質問ばっかりうるせぇな。組長に会いに行くんだから少しぐらい緊張感を持てよ」


 二人が十四階に辿り着くと、そこには巨大な絵が飾ってあった。エレベーターのドアが開いてすぐ目の前に壁があり、絵はその上に掛けられてあった。絵には雲の上に乗っている大勢の裸の人間と、彼らの下にいる人外の生物が描かれており、その迫力にアタリは息を呑んだ。


「すごいだろ? 組長のお気に入りの絵なんだ。こいつはミケランジェロの描いた『最後の審判』ってやつで、一五四一年に完成されたものなんだぜ」


 大樹はさも知っていたかのように解説したが、実際には絵画の下に貼ってある説明文を読んでいただけだった。


 二人は絵画の横にある通路を通り、フロアの奥まで入っていった。何枚ものドアを通り過ぎると、彼らはいつしか巨大な木製のドアの前に辿り着いた。ドアの両側には生け花が設置されており、取っ手は黄金に塗装とそうされてあった。


「いいか」大樹は小声でアタリに言った。「組長から何か訊かれるまで、絶対に何も言うんじゃねぇぞ。お前は何を言い出すかわからないからな」


 それから彼はドアを三回叩き、一言「失礼します」と言って開けた。


「七星班の福恵大樹です。昨日連絡した通りの男を連れてきました」


 部屋の中は閑散かんさんとしていた。手前に応接用のソファとテーブルが設置されており、その奥に組長のものと思わしき書斎しょさいデスクが設けられていた。椅子は後ろの窓ガラス側を向いており、こちらからは姿が見えなかった。


 こいつが柚組の組長か、アタリは思った。今問題視されて、いい意味でも悪い意味でも知名度が高い暴力団の親玉。いったいどんなやつがここの組長をやっているんだ。彼がそう思っていると、突然椅子のほうから返事がした。その声を聞いて彼は自分の耳を疑った。


 なんと、その声は女性のものであった。


「おっすー」組長と思わしき女性は椅子を回し、その姿を彼らに見せた。


 女性は二十代ぐらいの若い見た目をしていた。服装は水色のしま模様をしたシャツと黒の長ズボンを履いており、所々金色に染められたその髪は首より上に留められていた。


「で、その人がアタリってやつ?」


「はい。連絡した通りこいつは超能力者で、七星さん並みに喧嘩に慣れています。こいつは──」


「女かよ」アタリは思わずそう呟いた。


 彼の発言で場が凍り、部屋の中は静寂に包まれた。それもつかの間、大樹は全身から汗が突出するのを感じ、そして恐る恐る女性のほうを見た。彼女は呆気に取られてアタリを凝視し、そのまま固まっていた。


「馬鹿野郎!」大樹はアタリの胸ぐらを掴んで怒鳴った。「七星さんどころか組長にまでタメ口とか頭おかしいんじゃねぇのか! 無礼が過ぎるぞ!」


 顔を赤らめて大げさに叱っている大樹を横目に、組長はアタリを見て大笑いしていた。


「君面白いね」彼女は言った。「君みたいな人間、今まで見たことないよ。パーカーで私に会いに来るし、思ったことをすぐ言っちゃうしさ」


「あ、どうも」


「私は特に気にしてないから放してあげなよ、大樹っち。それに、あれくらいの軽いノリで来てくれたほうが私もやりやすいしね」


 大樹はアタリを睨みつけたまま不承不承に手を下ろした。


「いいね、気に入ったよアタリ君。君とはいい仕事ができそうだよ」


「なぁ組長」アタリは言った。「早速だけど、俺はどこに行って何の仕事をすればいいの?」


「敬語!」大樹が怒鳴った。


「いいって、いいって。友だちみたいな感覚で話してくれて構わないよ。それと私の名前は柚藍ゆずあいっていうんだ。柚さんって呼んでもいいし、組長って呼んでもいいよ。何なら気軽にあだ名でもいいし。それで何の仕事をしてもらうかというと、単刀直入に言えば人殺しだね」


 彼女の言葉を聞いてアタリは怪訝けげんな表情を浮かべ、そして言った。


「人殺しだぁ?」


「君は今まで人を殺したことはある?」


「直接的にはねぇけど、間接的にならあるかも」


「あるんかい」柚は笑いながら言った。「普通の人なら無いのが当然なのに、やっぱり君は変わってるね」それから彼女は笑みを浮かべたまま続けた。「それじゃあ、直接殺すのはこれが初めてになるね」


「ていうか、何で俺に人殺しをしてもらいたいわけ? そんなの他のヤクザでもできるだろ」


「だって、君に殺してもらいたいのはただの人間なんかじゃなくて、君と同じように超能力を持っている人間だからね」


 アタリは片眉を上げた。


「興味があるみたいでよかった。それじゃあまず、何で君に頼んだのかを具体的に教えてあげるよ。まず、能力者って何か知ってる?」


「俺みたいに普通の人間ができないようなことができるやつのこと?」


「正解。ルーツは不明だけど、能力者っていうのは昔からずっと存在していたんだ。その能力が何であれ、この世には一般人が使えないような能力を持っている人間が一定数存在するの。君や七星君と、その愉快な仲間たち。あと私だね」


「お前……じゃなくて、組長もそうなのか?」


 大樹は何も言わずに話を聞いていた。


「そりゃ能力者を顎で使わせてもらっている立場だし、私も何か特別なことができないと、ねぇ? それは置いといて、ここで問題になるのが誰がどんな能力を持っていて、どう使っているのかがわからないってところなの。他人の怪我や病気を自分の体に移転させて人をいやす聖人もいれば、復讐だか何だかの理由で人の頭を吹き飛ばす悪人もいる。私たちが問題視しているのは後者なの。実は最近、能力を悪用して犯罪をしている人が増えてきて、今いる士師ししじゃ手に負えなくなってるんだよね。だから君の力を貸してほしいってわけ」


「士師?」


「専門用語だよ。柚組に所属している能力者のことを私がそう呼んでるの。まとめると、君には士師の一人となって能力を悪用する人間を殺してほしいんだ」


「なるほど」アタリは頷いた。「でも俺、その能力者がどこにいるかわからねぇよ。できればさっさと終わらせて給料を貰いたいんだけど、まったく情報が無いんじゃどうしようもねぇぞ。それどころか武器すらも無いし」


「心配ないよ。殺害対象に関しては七星君たちの班で既に共有化されてるから、それを頼りにするといい。それと、ヤクザと言ったら銃じゃん? だから君にはこれを貸してあげるよ」


 そう言って彼女はアルミケースを机の上に置き、中身をアタリに見せた。


 中には一挺いっちょうの拳銃と二つの弾倉が収められており、アタリはうやうやしく手を伸ばして銃を手に取った。銃は彼が想像していたよりも重かった。彼はしきりに銃をひっくり返し、その形を隅から隅まで観察した。


「これ、日本製のやつ?」


「日本製の銃なんか使わないよ。それは安物のフィリピン製のやつ」


「フィリピン? これ暴発しねぇか?」


「そんな危険なものじゃないよ。でも君ならきっと使いこなせると思うから、それで頑張ってね」それから彼女は思いついたように言った。「そうだ。これから行くんだったら大樹っちと一緒に殺しに行けば?」


「俺ですか⁉」先ほどまで口を閉ざしていた大樹が声を上げた。


「七星君から聞いた話だと、大樹っちは今アタリ君の専属ドライバーになってるみたいじゃん。だったら丁度良いでしょ? しかも二人とも仲悪いみたいだから、吊り橋効果的なあれで友情が芽生えたらウィンウィンじゃん」


「でも俺は……」


「わかってる。けどそのことならアタリ君が何とかしてくれるよ。だから二人ともお願いね」


「じゃあ先に飯行ってくるわ。早く行こうぜ、大樹先輩」アタリは言ってその場を後にし、続けて大樹も礼をして去った。


───


「こいつが俺たちの殺害対象だ」大樹は先ほどまで操作していたスマホを置くと、目の前のラーメンに手をつけ始めた。


 それと同時にアタリのスマホにとあるファイルが送られた。中には履歴書のような見開きのデータが数十個も内蔵されており、記述欄には記載されている人物の具体的な経歴や保有している能力の情報、そして犯行内容が記載されてあった。よく見るといくつかの写真にはバツ印が押されており、そのことについてアタリが訊くと大樹は答えた。


「お前がここに来る前からも七星班は活動を続けている。そいつらは俺たちの手によって殺された人間ってことだよ」


「なあ、さっきも疑問に思ったんだけど七星班って何?」


「俺たち柚組はそれぞれ大きな班に分かれているんだよ。その班ごとに別々の仕事が振り分けられていて、俺とお前が入っているのが七星班だ。文字通り七星さんをリーダーとした班のことで、俺たちの担当は能力を悪用する人間の調査と殺害だ。元々能力者なんて百万人に一人いるかいないかだから、能力者の数は少ない。今のところ士師が三十人程度、そして士師のサポートをする人間が四十人程度だ」


「ふーん」アタリはラーメンを食べ終えるとコップを口に運びながら言った。「ちなみに先輩は何の能力持ってんの?」


「俺は持ってない」アタリは動作を止めて大樹のほうをじっと見つめ、そして大樹は気まずそうに言った。「俺は士師としてじゃなく、サポートとして七星班で仕事をしている」


「能力持ってないやつがよく能力者に関わる班に入ろうと思ったな」


「俺は七星さんに恩があるんだ。昔やんちゃしてた頃、柚組以外のヤクザと取っ組み合いの喧嘩になって、そいつのことを刺しちゃってな。それで命狙われてたときに七星さんが俺のことを知って、かくまってくれたんだ。しかも何の見返りも求めず、それどころかそいつが柚組と敵対していたヤクザだったからってのもあって、俺のしたことを褒めてくれたんだ。俺は思ったね、この人の力になりたいって。それで俺は柚組に入って、七星さんや柚さんと相談しながら何とか七星班に入ったってわけだ」


「怖くねぇの? 能力者を相手にするのって」


「俺の役目は捜査と援護射撃だから、能力者とタイマンになったことは一度もない。けど怖いかと言われると、そりゃ怖ぇよ。俺たち一般人には理解できないような摩訶まか不思議な力を使ってんだから、俺には能力者が悪魔のように見える。けど俺は、何が何でも七星さんの役に立ってみせると心に決めたからな」


 こいつマジの七星信者じゃねぇか、アタリは思った。


「ごちそうさん」大樹は財布を取り出して言った。「とりあえず割り勘にするか。俺がちょっと多めに出してやるから、お前は──」


「あぁ、一旦待って先輩。俺ちょっと用事思い出したから行ってくるわ」


 するとアタリは突然立ち上がり、大樹の呼び止めにも応じず店の外へ出てしまった。突然アタリが出て行ったことで大樹は呆気に取られていた。これから仕事をするっていうのに用事なんか無いはずだ。だったらあいつはどこへ行ったんだ。大樹はしばらくの間腰を下ろしたままでいたが、間もなくあることに気づくと店内に響くほどの声を上げた。


 ひょっとしてあの野郎、一円も払いたくないからって俺を残して逃げたんじゃねぇのか。大樹が思って外を見てみると、そこには笑いながらタバコを吸っているアタリの姿があった。あのクソガキが。大樹は心の中で言い、二人分の支払いを済ませるとすぐさまアタリを追って外に飛び出した。


「いやぁ美味しかったですねぇ、先輩」アタリは依然として笑みを浮かべながら煙を吐き出していた。


 大樹は頭に血が上って手を出したが、アタリは能力を使用したのかそれを軽々と回避した。彼は根元まで吸ったタバコを投げ飛ばすと、わざとらしく拳を構えてその場で足踏みを始めた。


「何すか? やるんすか?」


「殺すぞてめぇ。何先輩を置いて金払わせてるんだよ。あんま調子乗んなよ、マジで殺すからな」


「いいよ殺しても。でも俺の価値わかってるだろ? もし俺が死んだってわかったら組長はどういう反応するだろうな?」


 大樹は口を閉ざし、目の前のアタリという人間への怒りと憎悪、そして嫌悪感で顔を歪ませた。


「そうカリカリすんなって先輩。その代わり今日の仕事では活躍してみせるからよ。そん時は俺が飯を奢ってやるから、期待して待っててくれよ」


 それからアタリは車のほうへと歩きだした。そうだ、こいつの言う通りだ、大樹は思った。俺はこいつをただのガキとしか見ていないが、もしかしたら七星さんや柚さん以上に強いかもしれない。それにあの憎い性格も、仕事をすることで何とか穏やかになるだろう。


 大樹はアタリの後に続いて歩き始め、アタリは突然振り返って言った。


「そういや、殺さなきゃいけないやつって誰から始めてもいいの?」


 大樹はしばらく考え、それから言った。


「誰でもいい。だが、ちょっと俺のわがままに付き合ってくれ」

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