十九通目 雷乃収声
「晩夏!」
拝啓を注視していた晩夏に、三伏の刀が大きく振り下ろされる。咄嗟に強く弾かれた刀は折れ、がらんと音を立て、地面に打ち付けられた。三伏が膝をつく。額の汗を拭う暇もないほど、息が上がっている。滴る汗が、ぽたりぽたりと地面に染みを作っていく。
その光景に、晩夏は。花冷を地におろし、異能により身動きを封じたまま、ゆっくりと三伏に近づく。そうして、三伏の頬にそっと手を添える。三伏、泣くな。労るような、気遣うような、そんな声。その手を、三伏は勢いよく振り払う。
「今更っ⋯…!心配なんてするな!晩夏なんか、大嫌いだ!」
晩夏の動きが、止まる。キッ!と顔を上げ、晩夏を睨みつける三伏の目に涙は浮かんでいない。
今です。拝啓の呟き。瞬間。菊花が走り出す。あまりの衝撃に、晩夏の異能は解けていた。菊花は、晩夏の側にいた花冷を抱きかかえ、晩夏から距離をとる。
花冷を奪還された。晩夏は慌て振り返る。その隙に三伏が殴りかかった。三伏の拳は、はじめて晩夏の頬に強く命中した。頬を思い切り打たれた晩夏が体勢を崩す。三伏は痛みで目を細める晩夏の胸ぐらを掴み、更に殴りかかろうと腕を振るう。だがしかし。その拳が晩夏に届くことはなかった。
大雨時行。地を揺るがすような重力圏が、晩夏を中心に形成される。それは、この星に存在する森羅万象を掌握する。全てをなぎ倒す強大な力。重力に引っ張られ、抉れたコンテナ達が轟音を立て見るも無残に飛んでいく。
三伏も、菊花も、花冷も圧倒的なその力に屈服し、地に伏すしかない。菊花は花冷を庇うように覆うが、ミシミシと音を立てる全身の骨の痛みに強く歯軋りをする。だが、その重力圏を光り輝く雷だけが逆行した。
「雷乃発声。」
強力な重力圏で、晩夏以外にただ一人。拝啓は、地に膝をつくことなく立っている。ギフトである拝啓に
重力圏から解放されたとて、油断も安堵も許されてはいない。晩夏の狙いは花冷。花冷を手に入れるためならば、邪魔をする命を穿つことに何の躊躇もない。
すぐさま次の攻撃に移る。鉄砲のように構えられた晩夏の手。その先に生成される光をも飲み込む黒い球体。圧縮されたブラックホールのような重力の塊。花冷を気遣う菊花は、それが自分に向けられていることに気付くのにワンテンポ遅れた。
「おい!菊花!」
危ない!三伏が叫ぶ。放たれた死の弾丸は、菊花の胸にめがけ真っ直ぐ進んでいく。
「っ、」
菊花は、いやその場の全員が目の前の光景を理解できなかった。結論から言えば、晩夏から放たれた死の弾丸は、菊花の体を撃ち抜くことがなかった。代わりに、撃ち抜いたのは。眼前に広がる大きな背中。たなびく、
その行動に、全員が呆気に取られていただろう。
「あ⋯…。」
いち早く出来事を理解した花冷から小さく息が漏れる。ぐらつく、その背中を震える手で菊花は懸命に支える。脳が理解を拒んでいる。菊花の視界に映る。心臓があるはずのその胸には、ポッカリと穴が空いていた。
こんな時に
ぐらりと地面に向かい揺れる、拝啓の体。再び駆け寄ろうとする菊花。
「キミに背負わせてすみませんー。」
拝啓の、最期の言葉。
拝啓が地面に倒れ込む寸前。その陰が大きく盛り上がった。陰でできた巨大な獣の口。咄嗟に菊花が腕を伸ばす。間に合わない。届かない。永遠の別れは、突然に訪れる。その口は拝啓の全てを飲み込んだ。
「拝啓さん⋯…ッッ!!!」
弾けるように喉から飛び出した絶叫。眼前からは、もう獣の口は消え、拝啓の姿も消えていた。血の一滴すら残っていない。拝啓など、まるではじめから存在しなかったかのように。
菊花は、あの口を知っていた。
その日は、
ふと、リビングが静かになった。言い争いが終わったのだろうか?否、またすぐ騒がしくなった。だが、それは両親の怒号ではなく、悲鳴。そうしてすぐ続く、
轟音は鳴り止まない。両親を喰い、家を喰う化け物は、瓦礫の中で蹲る菊花を見つけた。見つけてしまった。ギョロギョロと蠢く無数の目玉が、
「雷乃発声。」
白髪の青年が立っていた。右目に眼帯をし、患者衣のような服をまとった青年。青年は、真っ黒く虚ろな目で、ギフトを見据えている。
「雷乃発声。」
青年が静かにあげた左手からまた雷が放たれる。雷に襲われたギフトは音を立てて横転し、家の壁を壊しながら転がっていく。だが、その息はまだあるらしい。瓦礫の中から鳴り響く好戦的な恨みのこもった唸り声が家中に反響する。その振動のせいか。崩れかけていた天井がついに支えを失い、
「キミ、大丈夫ですかー。」
間延びした、優しい声がする。先程の青年が、
「キミが無事でよかったですー。」
青年が自身の背に乗る瓦礫をいとも容易く押し返し、ゆっくりと
「おれは、QAT所属の拝啓といいます。ご両親のことは申し訳ありませんでした。」
しかし、ギフトはまだ生きている。呑気に会話ができるような余裕は、二人にはない。瓦礫の中から飛び掛かってくるギフトが二人を食い殺そうと巨大な口を開ける。
「
その言葉と共に青年は右目の眼帯を外す。その目には、アレが封印されている。
そうだ。この日の狼。その口こそが、今。拝啓の死体を飲み込んだ影。拝啓が、天地始粛と呼ぶ力。拝啓の右目に封印されたギフトの王。拝啓の死を待ち望み、拝啓の死によって再び自由を得た終焉の狼。
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