流浪の賢人とその弟子、水郷の町にて娘を助け妖魔を覆滅す

まさつき

前編 物乞いの少女

 今は昔のことである。


 唐国より渡り来た道登法師どうとうほうしと云う賢人がいた。


 若くして仙道を得、不老不死の仙人となった男である。遥か昔に倭国を訪れてよりは、裳付もつけ姿の僧侶という世を忍ぶ仮の姿をまとっていた。請われて〝十師じっし〟などという役職を得たこともある。マツリゴトは御免だと、どさくさに紛れて逃げ出したというが、仏法に道術、陰陽に閨房けいぼうとあらゆる術を身に宿す傑物の美男であった。


 道登には一人、童子の弟子がいた。名を制多せいたと云う。


 熊野の農村で暮らしていたが、流行はややまいで二親を含めた村人すべてが亡くなる中、ひとり生き残ったという不可思議な子供である。幼いながらも、武芸においては達人が舌を巻くほどの才を示すが、仙人の弟子でありながら術の覚えは遅々として進まない。類い稀な仙骨を備えるというのだが――なんとも変わった童子であった。


 さて、ここで語るはそんな師弟の数奇な旅路における、逸話の一つだ。



    §


 制多が八歳を数えた、冬の近い晩秋のことである。


 仙人の師弟は、水郷の町を訪れていた。みやこの南、今で云う八幡やわたの地、男山八幡宮おとこやまはちまんぐうの辺りである。参拝客と商いで栄える鳥居前町とりいまえまちの顔役、恵満けいまんに請われての訪問だ。


 普段であれば道行く人々の往来は、都の大路に引けを取らず賑やかなはずなのに。今はまばらに行き交う人々に、陰鬱な気配が重くまとわりついている。


 それでも初めて目にする広々とした町並みは、幼い制多を驚きと歓びに包んだ。故郷の村を出て一年余り――楽し気にする童子の姿に、師もまた目を細める。


 淀川よどがわ沿いに広がる八幡の地は、竹の林が美しい。遠い昔、数多の男たちを袖にして月の都へ昇り還ったかぐや姫の、生まれ育った地であるとも伝えられる。


 三つの河川が交わるあたり、八幡と山崎やまさきの境を成す流れに根ざす一帯は、豊かな恵みと富をもたらす水運の要衝であった。しかし同時に、長年にわたり水害と共にある憂い多き地でもある。


 道登が恵満に請われた理由もまた、八幡と山崎を結ぶ大橋が水害で流されたことによる。しかし、恵満が道登に求めたのは橋の普請ふしんではない。修繕に携わる人足にんそくの男たちが、次々と行方知れずとなる不可解な出来事に、頭を痛めていたからである。


 大橋の再建は、大がかりではあったが難しいものではない。晩秋の季節、年をまたがず終わるだろうとの見込みが――前触れもなく人足たちが一人また一人と消えてしまい、頓挫したのだ。


 もしや大橋に巣食う橋姫はしひめの祟りではとの噂が立ち、とうとう人足たちが恐れをなして仕事を投げ出す始末となった。


 仕切りを任されていた恵満は、かつて大橋の架設に関わった道登の逸話を思い出し、父祖が残した古い典籍を納めた小箱を紐解いた。


 すると中には伝え聞いた逸話の通り、白紙で小舟をかたどった折り紙が一つあるではないか。そばには一筆「手に負えぬ難事が橋に起きたとき、小舟を川に流しなさい」としたためられた書付も添えられていた。道登法師の筆によるものである。


 半信半疑、わらにもすがる思いで水に浮かべた紙の小舟は、なんと川の流れをさかのぼり、恵満の前から消え去った。果たして、旅先にて小舟を拾い上げた道登は、急ぎ八幡の恵満の元へと、流浪の足を向けたのである。


 町に着いた道登は制多を連れ、恵満の館へまっすぐには寄らず、町の北にある大橋のたもとへとおもむいた。先日来の大雨による増水は既に治まり、川の流れも清らかな色を取り戻している。だが、大きくえぐられた橋の中央には流れ着いた瓦礫もそのままで、人足一人の影もない。


 山崎へ訪れる者も、八幡を訪ねる者もない。間に合わせに渡し舟でも出ているかと思いきや、妖魔出現の噂を恐れてか小舟一艘浮かびはしなかった。


 制多が目にする生物いきものといえば、時おり羽ばたくかもの群ればかり。


 ところが独り、奇妙な者が居ったのだ。


 橋のたもとに物乞いをする娘がぽつりと、座っていたのである。


 年の頃は十六、七ほど。引き裂かれたように破れた単衣ひとえをまとい、体もあちこち傷だらけ。おまけに、たらふく水を飲んだみたいに、全身むくんだ有様である。


 そんな娘が、人の往来などないこの場所で、物乞いをしているのだ。


 ――それなのに。


 ひとしきり大橋の様子を伺い終えた道登は、きびすを返し恵満の館へと歩み出した。


 これもまた、制多には奇妙に見えた。


 娘の姿に道登は、一瞥をくれたのみだったのである。いつもであれば、声の一つもかけそうなものであるのだが――


 次第に遠ざかる道登の背で、制多は娘に駆け寄った。


 残していた旅の糧食である乾飯かれいいを、懐から取り出して娘の前に差し出す。


「喉が詰まるからさ、これもやるよ」と、水の入った竹筒も押しつける。


 娘は黙って制多の施しを受け取ると、居住まいを正して深々と頭を下げた。


 それだけすると制多は急ぎ振り返り、道登の元へと駆けた。


 そうしてまた、おかしなことが起きたのだ。


 娘の様子が気になり橋のたもとを振り返った制多の目の先で、物乞いの姿が消えていたのである。


 開けた場所だ。後ろ姿の一つも見えそうなものなのだが、無い。


「御師さん、なんだかおかしな姉ちゃんだったね」


 不思議に思って、制多は道登の袖を引く。


「お前、あの娘を前にして、なにも分からなかったのですか?」

「かわいそうだなあって思った……けど?」

「……なるほど」


 道登はそれ以上、一言も語らなかった。



    §


 釈然としないままの制多を連れて、道登は恵満の館を訪れた。簡素な構えの、武家造の屋敷である。


 出迎えた下人の男に道登が来訪を伝えると、ほどなくして館の奥から小太りの男が、転げるまりのようにして師弟の前に現れた。恵満である。


「ようこそ、よくぞよくぞおいで下さいました」


 未だ信じられぬといった顔つきのまま、自ら道登と制多を館の中へと案内する。


 既に夕刻、急ぎ食事を支度させ、道登師弟の長旅をねぎらう。食事のあとに恵満は、道登に大橋普請の仔細について、語り始めた。自分の苦境を吐き出して、ようやく落ち着きを取り戻した恵満だが、それでもなにやら早口にまくしたて、それを静かに道登が聞き、時になにがしかを尋ね――


 そのうちに、大人同士の話に退屈した制多は、先に床にこうと席を立った。


 師弟に用意された部屋には、すでに寝床の支度が整えられていたのだが。制多はしかし、昼間の娘が気になり眠れない。


 仕方ねえや――と独り言ちると、庭に下りて身体を動かすことにした。


 といっても、やるのは立禅りつぜん


 雲ひとつない夜、月明かりに煌々こうこうと照らされながら、両腕を胸の前へ大玉を抱えるように挙げ、ひたすら立つこと一刻あまり。


 半眼に開く目の前が、ふいに陰った。冷たい晩秋の風が身を吹き抜ける。


 冬を感じた――しかし、制多は動じない。


 そこへ、昼間の娘がやって来た。青白く淡い光をまとった、物乞いの少女。


 さすがの制多も驚いて立禅を解き、後退あとじさるのだった。



    §


 月は陰り、星明りも見えぬ中――


 ただ娘の姿だけが、ぼんやりと灯りをともしていた。


 娘が静かに差し出した手の内には、制多が渡した竹筒が握られている。


「お邪魔でした?」


 竹筒を受け取りながら、制多は首を横に振る。


「姉ちゃん、ここがよくわかったね」

「大橋の様子を見に来ていたでしょう。橋の普請は、恵満さんのお役目だから……」


 昼間と変らぬ荒んだ娘の有様が、制多の目を竹筒に落とした。


「……返さなくても、よかったのに」


 短い沈黙の後に、娘が言葉を継いだ。


「違うの、私あなたにお礼が……お礼におもてなしを、したいの」


 はっとしたように顔を上げ、制多は柔和に微笑んだ。


「礼なんて、いらないよ」


 本心である。貧しい農村の育ちだ。飢えも乾きも、物心ものごころつくころからよく知る身であった。


 娘の腕がゆるりと伸びて、制多の袖を引く。


「お願い……ついてきて」


 歩み出す娘の足につられて、制多も一歩二歩と歩き出す。


 館からは、未だに道登と恵満の話し声が漏れ聞こえた。


 切実な目をして、娘は制多を振り返る。


 館と娘を交互にしながら――制多は結局、頷いた。


 しばらく歩くうちに、制多は娘が足を進める先が崩れた大橋であると知った。大橋のたもと辺りまでやってきて、制多はようやく娘に尋ねる。


「どこまで、行くんだい?」


「あっち――」と指さす先には、真っ暗な淀川の流れしか見当たらない。


 大橋の路面は途中で落ち消え、遠い先まで川の水面みなもが揺らめくのみ。


 それなのに――娘は制多の袖を引いたまま、崩れた大橋を渡りだすのである。


 一つ歩むごとに娘と制多の周りが白く陰った。霧が出始めたのだ。次第に霧は濃くなって、とうとう真っ白になり、娘のうしろ姿と我が身だけしか制多の目には映らなくなった。


 そして、はたと気づけば――


 破れ穴だらけだった娘の衣が、きらびやかな単衣に変っていたのである。


 見れば、むくんでいたはずの娘の肌は小米雪こごめゆきみたいに白くなめらかで、こわばっていた髪もさらりとしてつややかだ。


 物乞いの娘は、典雅てんがな貴婦人そのものとなっていた。


 娘に見とれる制多の足元では、崩れ落ちて途切れたはずの大橋の路面がいつまでも続いていた。耳にはかすかに、流れる水面のささめきが届いている。


 いつ終わるとも知れない白い闇の中、娘がふいに片頬を見せた。


「もう少しだから」


 制多の前から、草木が風に揺れるざわめきが聞こえてきた。水の匂いは背に遠くなり、草いきれが鼻腔を撫でる。


 次第に霧が晴れてきた。白い幕がしずしずと上がる。


 現れたのは幽玄な佇まいで娘と制多を迎える、森の姿であった。二人の道行きを呑みこむように森の奥へと、半丈幅ほどの小道が続いている。


 月明かりに青白く照らされる細道を、娘はほろほろと歩いてゆく。


 やがて制多が目にしたのは、静謐に包まれたみやびやかな館。田舎育ちの制多にはまるでわからぬことであったが、小なりとはいえ、寝殿造りの貴人の屋敷である。娘はどうやら、貴族の娘であるらしい。


「こちらへ――」


 案内されるまま館へ上がる制多だが――貴人に変った娘の姿、不可思議な道行に玄妙な屋敷の佇まいと、戸惑うことしきりである。


 幼く未熟な弟子とはいえ、さすがにこれは妖魔か鬼神の仕業でないかと疑った。


 だがしかし――腹の虫が呻いてしまう。もてなしに出された料理の膳を前にして、制多の腹は素直だ。うっかり手も伸びかけて――こらえた。


「乾飯と水の礼にしちゃ、返し過ぎじゃあないのかい?」

「良いのです、遠慮なさらず。それに――」


 ならばと箸に制多の指がかかるのだが。


「あなたと、あなたのお師匠様を見込んで……お話があるのです」


 そう聞いて、端座する膝の上に制多は両手を揃えた。


「どうか、聞いて下さいまし」と、娘は語り始めるのである――



    §


 ――八幡の川向こう、大橋を超えた山崎の地に、双子の姉妹がいた。年の頃は十七、貴人の娘たちである。


 名を、姉は清子きよこ、妹を幸子さちこと言った。


 位階で言えば従五位下、高くはないが貴族の家である。


 しかし、母は流行り病で既に他界し、父は病弱で出仕もままならない。美しい娘姉妹の容姿だけが、残された取り柄と言えた一家であった。


 そんな双子の姉、清子のもとに通う男が現れた。


 どこで清子を見染めたものか――裕福で位の高い貴族の男である。


 出会ったころから清子も憎からず、男は毎晩のように忍んで通う。互いを愛おしく想いあうのにさほどのときはかからなかった。


 父親も喜んだ。


 男の歳はまだ清子より十ばかり上なだけ、才知に富み、出世も見込めそうだ――既に自分には力も立場もないところへ、財も身分もすべてを備えた者が現れた。


 しかし幸子は、面白くない。


「声も姿も同じであるのに、なぜ姉ばかりをかわいがるのか」と、清子をねたみ、男に横恋慕をしたのである。


 想いをこじらせた幸子は、とうとう事に及んでしまった。


 姉妹して八幡の寺社へ物見遊山に出かけた帰り、姉の清子を川に沈めたのである。


 そうして幸子は死んだ清子に成りすまし、清子として男に近づいた。


「幸子が川で死んでしまったの」と、男の前で泣いてもみせた――


 しかし、声や姿は同じでも、卑しい心根を隠し通すことは叶わない。


 結局、幸子の浅知恵の企みは、夫となるはずの男に露見した。嘆き怒った男に幸子もまた、川に沈められたのである。


 そうして男も望みを無くし、入水して果てた。


 父親は、悲しみの内に病をこじらせ亡くなって、とうとう誰も、いなくなり――



    §


「橋の普請を妨げて人足たちを殺めているのは、私の妹。幸子なの……」


 涙を見せて清子は告げた。


 姉妹と父、男が消えてしばらくのこと――怨みを抱えた幸子の魂は、妖魔に変じた。橋姫にではない。〝濡女ぬれおんな〟に変じたのだ。


 濡女は人頭蛇体、尻尾の先まで三町余りもあるという、大蛇の妖魔である。男に対する執着だけを心に残し、大橋の普請に従事する人足の男たちを襲い、喰らうようになったのだ。


 清子の魂は、どうにかこのことを知らせたいと、一念の未練を残した。橋のたもとで自分の姿に気づいてくれる者が現れるのを、ひたすらに待っていた。


 そこへようやく、道登と制多が現れたのである。


 いつの間にやら空となった膳を前に腹を擦る制多は、ぽんとひとつ腹を打った。


「御馳走になった恩には報いなくちゃあな。そういうことなら、御師さんは大得意だ。ちゃあんとおいらが、話をしとくよ」


 言葉は軽いが、制多は大真面目である。


 制多の心根を察したのか、清子は手をつき深々とこうべれる。


「どうぞよろしく、お頼み申します――」


 清子はそう告げると、見る間に姿は薄れて宵闇の中にかき消えてしまう。


 気づけば、制多の前に膳はない。夜風吹き抜けるあばら家の中、ただ独り座っていたのである。


 目に見える景色は、辺り一面うっそうとした草木が生い茂るばかり――


 かつて貴人の館であった廃屋をあとにして、制多は道登の元へと帰った。

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