第7話

 その建造物は古い民家だった。しかし人が居るような気配はない。その点においては、真銀ましろの世界と同じであった。

 天華あまなは吸い寄せられるようにして近づき、彼女──无名むめいはその一歩後ろをついていく。その足取りは、ほんの少しばかりふらついていた。けれど天華あまながそれに気付いた様子はない。


「やっぱりここ、私の家だ」

「……そっか、よかっ、た─────」


 なんの前触れもなく、柔らかな笑みを浮かべたまま无名むめいが倒れる。天華あまなはその事に気付く事が出来なかった。ソレほどまでに呆気なく、静かに彼女は倒れたのだ。

 振り向き、彼女が倒れていた事に気付いた瞬間、天華あまなは駆け寄っていた。彼女を抱き起こし、その身体を揺するが目立った反応はない。焦燥感にのまれた天華あまなは彼女の名を呼び続け、その身を揺すり続けた。


「…………少し、疲れた……だけ。大丈夫」

「大丈夫には見えないわよ! それにその傷、いつから開いてたの?!」


 見れば、塞がっていた筈の傷口が開いていた。それでも彼女は大丈夫だと答え続けている。しかしそれは誰の目から見ても嘘だとわかるものだ。


「どうすればいい? どうしたら貴女は元気になるの、无名むめい


 天華あまなは今にも泣きそうだった。天華あまなの腕の中で、彼女は少し困った笑顔を見せ口をつぐんでしまう。それが意味するモノを、天華あまなは理解出来てしまった。

 所以は解らぬが、无名むめいの命は尽きかけており、彼女の命を繋ぎ止める術はないのだと。

 天華あまなは泣きそうになる自分を押し殺すように、彼女を強く抱き絞めた。


天華あまなお姉ちゃん」

「…………なに?」

「お姉ちゃんの、帰る場所。残ってて、よかったね」

「……っ、……うん。ありがとう」

「私ね。天華あまなお姉ちゃんに……謝らないと、いけない、事が……あるの」


 一つ言葉を紡ぐ度、彼女の声は小さくなっていく。それは天華あまなを苦しめるが、彼女が話すのを止めようとはしなかった。彼女が区切りをつける度──天華あまなは短い返事を返し、話を聞いていることを、声がちゃんと聞こえている事を伝えた。


「雪女の、血筋……お姉ちゃんが、こう……なった、原因をね。私、盗っちゃった」

「それは、どういう……こと……?」


 彼女には多くを語るだけの時間がない事を天華あまなも理解している。だから好きに話させてあげようと決めていたのに、ここで聞き返してしまった。


 それを後悔した時にはもう遅い。


 ──无名むめい蓮華れんか彌華みか華猗かい華篶かえんから欠片を取り出していた事を伝えた。

 また本来であれば、その欠片は一つずつ回収し、一つずつ仮称『天華』へと還すべきものであったらしい。

 しかし彼女は此処に来るまでソレを思い出せず、たった一人で溜め込んでしまった。なので此処へ帰って来た時点で、相当な無理をしていたらしい。けれど、彼女はそれで良いと考えていたと言うのだ。


「な、なら! 今からでも良いから、私にソレを────!」


 ──返して。そう伝えようとした天華あまなを、彼女は制止する。そして短く「ごめんね」と呟き微笑んだ。


「…………あのね、あまなおねえちゃん。れんかおねえちゃんも、みかおねえちゃんも、かいおねえちゃんも、かえんおねえちゃんも、みんな、だれかのために、がんばって、いたんだ」


 続く言葉にはもう、活力のようなものは殆ど感じ取れなくなっている。だから天華あまなは何も言わず、静かに頷いた。そうするしか、出来なくなっていた。


「だから、わたしも……だれかの、やくに……たちたいなぁ、って、おもったの」


 ゆっくりと、彼女の瞼が閉じていく。それに伴い呼吸も長く、深いものへと変わっていった。どうすることも出来ない終わりを前に、天華あまなは耐えるしかない。彼女の言葉を最後まで聞き届ける為に、涙を、声を必死で堪えていた。


「ながい、ふゆ──は、おしまい……またね、おねえ……ちゃ──ん──」


 それが、最期の言葉だった。


 事切れた瞬間に、天華あまなの頬を雫が伝う。一滴、また一滴と続くそれを拭った時────優しい春の風が、彼女の髪を優しく撫でた。

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天華 メイルストロム @siranui999

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