第3話

 ──彼女はそれからも旅を続け、様々なモノに触れた。


 しかし、自身の過去に繋がるモノは何一つとして存在しなかった。図書館の書物にも、デジカメの記録にも。道中で見つけた如何なる記録媒体にも、彼女らの事は記録されていなかった。


 なら──


 この世界を真銀ましろに染めたのは、一体誰?

 彼女らをあの石棺に封じたのは誰?

 そして彼女らが退けようとしたアレは、誰?


 ──わからない。なに一つ、彼女には、わからない。


 彼女が知りたい事は、綺麗さっぱり失われていた。それこそ──誰かが意図的に消したのではないか、と疑いたくなる程に。

 世界が真銀ましろに包まれたのが何時なのかは、わかった。どこからそれが始まったのかもわかった。けれどその原因は何処にも記されていない。人類はそれを解き明かす事が出来ずに、この舞台から退場した。そんな短い事実だけが遺されている。

 石棺の事を記した者は多いが、それは彼女らのモノに付いてでは無かった。文字通りに、故人を収める為に誂えた石の棺。世界各国で見られたソレらには、高貴な身分の者達が眠っているという。決して彼女らのように、多量の霊符を貼られたり、なにかに漬けられたりした形跡はない。 

 ただ一つ。彼女らが遠ざけようとする者だけは、変わらなかった。雪原で出逢った彼女も、死後も変わらず岬にて祈る彼女も、朽ち欠けた図書館で眠る彼女も、廃村で自刃した彼女も。皆、同じ姿に憤りを抱いていた。

 しかし、それの名前を知るものは居なかった。皆、その姿だけは忘れられなかったらしい。石棺から目覚め、彼女と同じ様にして外へ出て────彼女達なりの生を全うし、死んでいった。


 旅の果て。そこで死んだ理由は不明瞭だ。しかし石棺から生まれ出でし彼女達は死の間際まで、名も知れぬ誰かを拒絶し遠ざけようとした。


 …………それは、ある種の呪いとも言えよう。


 事実、彼女らは死の間際まで苦しんでいた。居場所を見つけたにも関わらず、其処には留まれない。留まれない理由は様々であったが、彼女らの特性もその一因であった。特筆すべきは異様なまでの耐寒性と、冷気の操作能力。後者に関しては個体差が激しいらしく、廃村の個体は最も操作能力に長けていたらしい。

 またそれは感情による影響を受け易く、怒りや恨みといった負の感情に強く呼応するモノだった様子。

 それ故か、廃村の彼女はたった一人で関東地方全域に冬をもたらした。何が彼女をそこまで追い詰めたのかは、よくわからぬ。ただ一つ確かなことは、彼女がそれを意図的に起こした訳では無いと言うこと。

 ……廃村の彼女もまた、真銀ましろの世界を歩む彼女と同じ症状に悩まされていたのだ。

 その状態を簡潔に表すのならば『夢遊病』がぴったりなのだろう。ただ、廃村の彼女は──夢遊病で片付けるには些か無理がある程度に、症状が強く出ていた。

 もしかすると、真銀ましろの世界を歩む彼女も似たような事をしていたのかも知れない。仮に彼女以外の生命体が残存していたのであれば、確かめる事も出来たのだろうが────この世界では叶わない。そして元よりそんな事をする意義がなかった。


 兎にも角にも、この夢遊病らしい症状は彼女ら全員が抱える問題でもあった。自我を強く保つ間は、悪戯に冷気を操ることもない。人目に付かぬよう、その力を他人の為に使うことさえ出来ていた。

 しかし──石棺から目覚めて六百日を過ぎる頃には皆、夢遊病に悩まされた。日を追うごとに長くなる睡眠時間と『全てを凍らせてしまえ』という謎の想い。


 彼女の中にも、それらは芽生え始めていた。しかし──世界は既にその大半を真銀ましろに飲まれている。今更凍らせる必要も無いくらいには、凍てついていた。

 だというのに、彼女の中には強固な『凍結願望』が根付いている。


「…………願い。凍らせること……よく、わからない」


 彼女が雪原の中で立ち止まり、空を見上げると──重苦しい鉛色が空を染めていた。太陽光すら満足に通さない程の分厚い雲塊からは、粉雪が降り続く。

 立ち止まっている間にもソレは降り続き、少しずつ彼女から色を奪っていく。そのまま動かずにいれば、彼女も何時かの彼女らと同じ結末を迎えることだろう。

 仄暗さを宿す薄紫の頭髪も、開かれた仄暗い薄紫の瞳も──その全てが凍りつき真銀ましろの一部になる。


「……うん。会いに、行かなきゃ」


 足首まで雪が降り積もったあたりで、彼女は再び歩み始めた。一歩、二歩、三歩──歩を重ねる毎に、間隔は短くなっていく。積もったばかりの雪原を、軽やかな足取りで歩いていく。それはやがて早歩きになり、あっという間に駆け足になっていた。静寂の中、聞こえるのは衣服のはためきと、彼女の呼気だけ。

 なんの痕もない雪原を、彼女だけが駆け抜けていく。足跡一つ残さずに、彼女は雪の海原を滑るように駆けていくのだ。



 真銀ましろの世界を駆ける彼女が目指す先は一つ──


──自身の始りの地。石棺の洞窟だった。



 

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