50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

第一章 エルフの森の試練

第1話 50代無職、エルフに転生す

 俺の人生は長いこと迷走していた。

 いわゆる就職氷河期世代に生まれ、世間は新卒にすら「即戦力」を求める時代。なんとか潜り込めた会社はブラック企業ばかりで、心身をすり減らす日々が続いた。転職を繰り返すうちに履歴書の職歴欄は汚れ、気づけば50代。最後に勤めた会社を辞めてからはどこにも雇われず、無職のまま時間だけが過ぎていった。


 そしてある日——俺はあっけなく死んだ。


 持病の高血圧が原因の脳卒中だった。風呂場で意識を失い、そのまま誰にも看取られることなく。


 次に目を覚ましたとき、そこは見知らぬ場所だった。


 天井は高く、白木と思しき柱が並んでいる。まるでファンタジー映画で見た神殿のような、静かで神聖な空気が漂う空間だった。

 そして——周囲には揃いのローブをまとった大勢のエルフたちが、俺を見つめながらひれ伏していた。


「……は?」


 何が起きているのか、まるで理解が追いつかない。

 俺を取り囲むエルフの一人、ひときわ壮麗な銀髪を持つ者が、感激に声を震わせた。


「賢者様……! ついに、お目覚めになられましたか……!」

「おお、神のご加護が……」

「長老様が我らの元へお戻りになられた……」


 口々に上がる驚きと感動の声。だが、俺にとっては異国の呪文のように意味をなさなかった。


(なんだこれは……夢か? それとも死後の世界ってやつか?)


 混乱しながら自分の手を見て、俺は息を呑んだ。

 白く滑らかで、指は細く、爪はまるで磨かれた貝殻のように整っている。

 ごつごつとして、日に焼けていた俺の手ではない。


(……俺の手じゃねえ)


 おそるおそる顔に触れると、耳が明らかに長いことに気づく。

 まさかとは思うが、これは——。


 俺が戸惑いながらもゆっくりと立ち上がると、エルフたちが一斉にさらに深く頭を下げた。


(なんで俺、こんなに崇められてるんだ?)


 そう思った瞬間、頭の奥に直接、声が響いた。


『ようこそ、我が身体へ。異世界の魂よ』


 落ち着いた、全てを悟りきったような声。聞き覚えはない。


「……誰だ?」


『私はこの身体の本来の持ち主であった高位エルフ。名をカイランという。お前は私が試みた秘術の失敗によって、この肉体へと招かれた者だ』


(なん……だと……?)


 状況を整理しよう。俺は死んで、このカイランと名乗るエルフの体に入ってしまったらしい。そして目の前のエルフたちは俺をその『高位エルフの賢者』として崇めている。


「……ちょっと待て」


 俺は賢者でも長老でもない。ただの冴えない50代の無職の男だ。

 しかし、俺の戸惑いなど気にも留めず、エルフたちは次々と歓声を上げる。


(まずい。これはとんでもないことになったぞ……)


 このままでは、ただの虚像として祭り上げられるだけだ。

 俺はごくりと喉を鳴らし、一歩前に出た。


「皆、少し待ってくれ。ここはどこだ? それに……俺は一体、何者なんだ?」


 シン、と広間に静寂が走る。

 エルフたちは顔を見合わせ、やがて一人の銀髪のエルフが進み出て、うやうやしく答えた。


「賢者様はこの聖域にて長き眠りについておられました。我らは賢者様の目覚めを待ち、その導きを仰ぐためにここに集ったのです」


 導き、と来たか。俺に分かるのは、せいぜいパソコンの配線くらいだ。

 俺が言葉に詰まっていると、エルフたちは次々に問いを投げかけてきた。


「賢者様、この地の未来をどう導かれるおつもりですか?」

「後継者問題についてはいかようにお考えで?」

「我らに、かつての秘術を再びお授けいただけますでしょうか?」


 次から次へと飛んでくる、俺には答えようのない質問の数々。

 頭が混乱し、ただ曖昧にうなずくことしかできない。

 だが、一つだけはっきりと分かったことがある。


(とりあえず……この状況をどうにかしないと、俺の異世界生活は即詰みだ)


 こうして、50代無職だった俺の第二の人生は、エルフの賢者という、あまりにも大きすぎる看板を背負うことから幕を開けたのだった。

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