「この世への片想い」体重20キロ台の安心とあきらめ


ある程度の身長がある場合、体重20キロ台(30キロ以下)の痩せというのは、特別な状態。

ふと、そこまで行く人の「死への衝動」について思った。

そこまで痩せることが、まだ傷ついていなかったはずの子供時代へ戻ろうとする試みだというのは、よく行われる仮説だが、実際にもう一度子供になれるわけではなく、そこまで痩せても、自分と自分を取り巻く世界が変わらなければ、より深い絶望がやってくる。

摂食障害になって苦しみ、30キロ以下という致死域まで行っても、現実とのズレが解消されないなら、自分からこの世との関係を断ち切り、消えるしかないのでは・・・

と、そんなふうに考えて、死にたくなる人もいる。


もちろん、30キロ以下で生き続けること自体、心身ともに大きなストレスを生じるから、ただただもう疲れきってしまう、というのもあるんだろうけど。

痩せ姫本で紹介したYさんは、30キロ以下にまで痩せても変わらない、現実とのズレに気づき、それを「この世への片想い」と表現した。

どんなに現実を好きになろうとしても、この世は自分に寄り添ってくれない、と。

病気が、痩せることが、そのために行う拒食や嘔吐が、何らかの救いになってるうちはよいのだけど、それすら救いにはならない、と感じてしまった人はどうすればよいのか。


そんなことを、改めて考えたりしていたら――。

こんな言葉に出会った。


「拒食症の人が、何らかの究極目的の手段としてではなく、端的に、そして心から痩せたいと思っているなら、それは願望の歪みであって認知の歪みではないから、認知療法の埒外である」


認知療法とは、誤解や思い込みによって心身を病んでる人に、その誤解や思い込みを矯正することで、改善を図るやり方かなと思うけど、誤解や思い込みを超えて、それが願望であるなら、そのやり方は通用しない、ということになる。

拒食症でいえば、痩せることが何かを得るための「手段」のひとつ、という状況を超えて、生きるうえでの唯一の「願望」である場合、ということだ。

たしかに、摂食障害の痩せ姫が百人いるとして、そのうち何人かは、極端に痩せることが、手段ではなく願望だという気がする。

手段のひとつだという人には、別の手段を示せばよいけど、唯一の願望だという人に、他の願望を抱かせるのは難しい。

ほとんどの夢は、否定されるべきではないと思うので。

たとえば、この言葉には「願望の歪み」とあるけど、歪みと呼んでよいのは「人を殺めたい」という願望くらいでは、とも感じるし、それでも実行に移さなければ問題ないともいえる。

とはいえ「手段」なのか「願望」なのかを見極めるのは、容易ではないのだろうけど。


なんにせよ、20キロ台に憧れる人や、20キロ台を死守しようとしている人は一定数いる。

そのなかに、20キロ台にこだわるのは「普通じゃない感覚」だと書いている人もいて、そこで思い出したのが「HUNTER〜その女たち、賞金稼ぎ〜」というドラマ。

その何回目かに、子供と遊ぶことが好きな大学生が、警官に尋問され、

「大学生なら大学生と遊ぶのが普通じゃないのか」

みたいなことを言われて、その警官に襲いかかり、誤って殺してしまう話があった。

暴力の是非はともかく「普通」を強要することは、それくらいの反発を受けてもおかしくない、とも思う。

だからこそ、普通じゃなくてもいいじゃないか、というのが、僕の物書き、ひいては人間としてのの恒久的命題でもあるわけだけど。


普通になりたい人も、なりたくない人も、どちらなのかわからないという人も……

「普通じゃない感覚」で別に構わないはず、と考えることで、少しでも楽になったりできるといいな。


ちなみに、20キロ台になることが願望であっても手段であっても、それが実現されている状態は「安心」につながったりもする。

たくさんの人がそう表現するのを見聞きしてきた。

たとえば、こんな表現だ。


「心身ともに大きな負担がかかるって、頭では分かってたけど、実際30キロ以下の時って、自分では気分は楽だったんですよね。。その時はとにかく太りたくない!っていう気持ちが強かったから平気だったんだろうな。身体の不調を無視できるほど、その状態が心地よかったんだと思います。でも、実際はすぐ息切れしたり動機がしたり、体が冷え切ってたり皮膚が乾燥したり手足が攣ったり、、、と、ものすごく負担を強いてました。実はまだあの頃の自分が少し恋しい気がするけど、でもやっぱり、健康がいちばんだな、と思えるようになりました」


かなり前に親しくさせてもらった人だけど、このコメントを読んだとき、この世との片想いが終わって、両想いになれたってことかな、とも感じた。

もちろん、恋と同じで、どういう人がどんなきっかけやタイミングで「この世との両想い」になれるかということはわからない。

ただ、両想いになれる人もいるということも事実だ。

たとえ、体重が30キロ以上でも、痩せ姫たちはみな、病むことによる安心やあきらめがせめぎ合うなかで、この世との両想いを夢見て葛藤しているのかもしれない。


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