妄想アイドル輝ゆり子のその後の話。

逢坂 純(おうさかあつし)

妄想アイドルだった少年は今……。

僕は小学生の時、テレビのアイドルに夢中でした。

そしてテレビはトレンディドラマが全盛だった頃、僕はテレビドラマや映画に携わる仕事がしたかったように思います。

そのお陰で、僕が行った関西地方の大学では、授業にもまるで出ずに自主製作映画を撮る部活に入っていました。

大学を卒業の年、同じ部活だった親友は僕に打ち明けてくれました。

「俺、将来俳優になりたいんだ」と。

その時、僕は言い出せなかったのです。

自分も俳優になりたいんだということを。

咄嗟に僕は「だったら僕は脚本家になる」と言っていました。

それから僕はシナリオセンターに通い、三十代後半までシナリオコンクールなどに応募していました。

親友は、何年か俳優の養成学校に通ったり、劇団で俳優をやったりして、数年後には父親の稼業を継いで、今は結婚もして子供もいて幸せそうです。

僕はと言えば、シナリオのコンクールには送らなくなったものの、Amazonkindleで未だに小説を書いています。

思えばあの時僕が「自分も俳優になりたいんだ」と言っていたら、人生が少しは変わっていたのかも知れません。

その時の僕の気の小ささが、今の僕の作家活動の原点だったのかも知れません。

僕は今、統合失調症という精神障がいを抱えています。

テレビや映画などは、決して一人では作れないものです。

僕が小説家に転向したのも、自己完結できる孤独ではありますが、一人でできる仕事だったからかも知れません。

僕の姉は僕に「統合失調症になったのは、仕方がないことなのだから自分の病気を何でも利用しなきゃ損だよ」と言ってくれました。

そこからの僕のテーマは「統合失調症」に変わりました。

僕は今、amazonkindleで小説家・作家活動をしています。

何でも途中で投げ出しがちだった僕が、大学を出てから今まで物書きを続けられたのには、自分でもびっくりです。

今では僕は統合失調症を抱える作家として、Amazonkindleから統合失調症の当事者本や小説を出版しています。

あの時の親友の言葉のお陰で、今の自分があるようにさえします。

僕の進んできた道は決して間違いではなかったのだという思いでいっぱいです。

そしてここまで作家として続けてこれたのも、幼少期からのテレビっ子だった僕が、中学生だったころのラジオドラマを毎晩聴いていた自分がいたから、今の自分があるのだという思いでいっぱいです。

人はどんな人生を歩んでも、なるようになるとある知人が言っておられました。

確かに今の僕は、偶然と偶然が重なってきた人生だったのだと思っています。

運命に感謝!

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