第十二話「『異形、現る』も手を下さず」

 翌日、俺は刹那に呼び出された。


「仕事だ」


 それだけの言葉を残し、彼はさっさと背を向けた。


 相変わらず無駄がない。まるで、俺が従うのが当然であるかのような態度だ。


 だが、それを否定するつもりはない。

 俺には自由なんてない。ここで"管理される"と決めたのは、他でもない俺自身だった。


 部屋を出ると、すでにアリス、迅、グレンが待っていた。


「新入り。今日はしっかり働いてもらうぞ」


 グレンがニヤリと笑う。


 その笑みには、"新しい玩具"を見るような好奇の色が滲んでいた。


 ――ああ、そうか。


 こいつらにとって俺は"研究対象"であり、"未知の力"を持つ存在。


 そして何より――"死なない"という異質さを持つ、異端者。


「……仕事?何をすりゃいいんだよ」


 俺が問いかけると、迅が静かに答えた。


「"異常発生地域"への調査だ」


 "異常発生地域"――?


「簡単に言えば、特異能力の暴走が疑われる区域だ」


 アリスが端末を操作しながら補足する。


「そこに出向いて、現場の状況を確認し、必要であれば対処する。それが私たちの仕事よ」


「対処って、まさか――」


 俺が言いかけると、グレンが笑った。


「そうだよ。"暴走した奴"は、俺たちで止めるしかねぇ。どんな手を使ってでもな」


 俺の胸がざわついた。


 "暴走した奴"――。


 それはつまり、あの"ハリネズミ男"のような存在を止めるってことだろうか。


 ……また……死か。


「お前にとっちゃいい練習になるだろうな、レイト」


 グレンがからかうように言う。


「練習……だと?」


「お前の"赤い目"がどれだけのもんか、試させてもらうってことさ」


 俺は言葉を飲み込む。


 俺は思った。こいつらは、俺を"武器"として使おうとしているのかもしれないと。


 ---


 現場に到着すると、周囲は異様な雰囲気に包まれていた。


 空気が重い。

 肌にまとわりつくような湿気と、遠くで聞こえる微かな呻き声。


 まるで、空間そのものが"何か"の影響を受けて歪んでいるかのようだった。


「ここか……」


 迅が低く呟く。


「反応は確かにあるわね。特異能力の暴走……間違いないわ」


 アリスが端末を確認しながら頷く。


「さっさとやるぞ。面倒なことにならないうちにな」


 グレンが前に進む。


 俺も後を追いながら、胸のざわめきが消えない。


 この空気、この異様な静けさ――。


 何かが起こる、そんな直感だけが確かにあった。


 ---


 建物の中に入った瞬間、鼻を突くような腐臭が漂った。


「……くせぇな」


 グレンが顔をしかめる。


「気をつけて。何かいるわ」


 アリスが端末を睨みながら、鋭い声を発する。


 その時だった。


「――来るぞ!」


 迅の声が響いた。


 次の瞬間、暗闇の奥から"それ"が現れた。


「……なんだ、これ」


 それは、人間の形をしていた。

 いや、かつて"人間だった"と言ったほうが正しいのかもしれない。


 皮膚は黒ずみ、目は虚ろ。

 骨格が異様にねじれ、まるで何かに無理やり作り変えられたかのような、歪な姿。


 "異形"。


 これが暴走した"特異能力者"の成れの果て――?


 俺の胸がざわつく。


(俺やこいつらも、いずれこうなる可能性がある……?)


「ああ、そうだ」


 静かな声が背後から響いた。


 刹那だった。


「お前が試されるのはこれだ。不死原黎斗――お前の"赤い目"でこいつを見てみろ」


 俺は刹那を睨む。


「……俺にどうしろってんだ?」


「簡単だ。この化け物を前にして、お前の力がどう働くのか見せてみろ」


 その言葉に、俺の拳が自然と握りしめられる。


 "赤い目"――。


 俺が望んでもいないこの力が、ここで試されるというのか。


「やれるのか?」


 グレンが挑発するように言う。


「……さあな」


 俺はゆっくりと前に出る。


 "死ねない俺"が、"死を許さない目"で何を見つけるのか――。


 それは、俺自身にも分からなかった。


 ---


 俺の目の前に立ちはだかる"異形"。


 息をするたびにギシギシと軋む異様な体躯。

 爛れた皮膚からは黒い液体が滴り落ち、腐臭が空間を満たす。


 まるで、"生きながら朽ち果てている"かのようだった。


 だが――俺は動かない。


 "死なない"という事実が、俺の足を縫い止めていた。


 いや、もしかしたら"死ねる"のかもしれない。


 こんな歪んだ存在なら、俺の"赤い目"すら凌駕して――俺を殺せるかもしれない。


 そんな儚い希望が、俺の中に生まれていた。


「レイト、お前、何やってんだ!」


 グレンの怒鳴り声が飛ぶ。


「さっさと攻撃しろ!じゃなきゃお前、殺されるぞ!」


 その言葉に、俺は答えない。


 まだ分かっていないのか。


 ――"死ねない"んだ。


 俺が望もうが望むまいが、俺は"死なない"。


 そして、俺が何もせずとも――"赤い目"が俺を守る。


 異形がこちらをじっと見つめ、ゆっくりと動き始めた。


 獲物を狙う肉食獣のように、一歩、また一歩と距離を詰める。


「来るぞ!」


 迅の声が鋭く響いた。


 次の瞬間、異形の動きが加速する。

 まるで全身のバネを弾くように、俺へ向かって一直線に突進してきた。


 その瞬間――


 俺の視界が"赤"に染まる。


 ---


 "死の視界"。


 それは、俺が"死を察知した時"、自動で発動する。


 その力を意識する間もなく、異形の身体が空中でねじれた。


「――ッ!?」


 鈍い音と共に、異形が床に叩きつけられる。


 全身が崩れるように歪み、黒い液体を吐き出しながら痙攣を繰り返す。


 そして――動かなくなった。


「……な、なんだ、これ……」


 グレンの声が震える。


「おい、レイト、今のは……お前、何をした?」


 俺は言葉に詰まる。


「……俺は、何もしてねぇ」


「何もしてないだと?」


 グレンが半ば怒りのような表情で詰め寄る。


「てめぇの力が勝手に働いたってのか?どういう仕組みだよ!」


「そういうことよ」


 静かな声で割り込んできたのは解析担当の少女、アリスだった。


「レイトの"赤い目"は、彼自身が制御するものじゃない。"死を察知した時"に発動する、自動的な防衛手段。それが、この力の正体よ」


 彼女の説明に、一同が沈黙する。


「つまり……あの異形は、レイトに攻撃を仕掛けた瞬間、自ら死を招いたってことか?」


 迅が確認するように言葉を紡ぐ。


 アリスは頷いた。


「そういうことね。相手が"殺意"を向けた瞬間、その行動が"死"を引き寄せた」


 グレンは目を見開いたまま、俺を睨む。


「……やべぇ力だな、お前の"赤い目"ってのは」


 俺は無言で立ち尽くしていた。


 確かに――俺は何もしていない。


 ただ目の前に立っていただけで、敵が勝手に死んだ。


 それが、この"赤い目"の力。


 だが――


「……こんな力、誰が喜ぶかよ」


 低く呟くと、全員の視線が俺に集まる。


「俺が望んでこんなもんを手に入れたわけじゃねぇ。こんなの、ただの"呪い"だろうが」


 吐き捨てるように言った俺に、誰も返事をしなかった。


 静寂の中、俺はただ床に転がる異形を見下ろしていた。


 ---


 その夜、俺は自室のベッドに腰を下ろし、無機質な天井を見つめていた。


 "赤い目"――。


 この呪いのような力が、今日もまた"俺を殺させなかった"。


 敵を殺した。

 手を下さずとも、俺に害を及ぼそうとする存在は、例外なく死を迎える。


 まるで――"死神"だな。


 俺は苦笑する。


 "死ねない"くせに、周りの奴らだけが"死んでいく"。


 こんな力を持っていて、俺は本当に"人間"だと言えるのか?


「……こんなもん、いらねぇよ」


 呟いた声が、無機質な部屋の空気に溶ける。


 誰にも聞かれない。

 誰も答えない。


 だが――


 もし、この呪いが"誰かの役に立つ"のなら。


 もし、この"赤い目"が、誰かの命を繋ぐための力になれるのなら。


 ……俺の"死ねない人生"にも、意味を見いだせるのかもしれない。


 そんな、"くだらない考え"が、頭をよぎる。


「バカか……」


 自嘲気味に呟いて、目を閉じる。


 "死ねる方法"を探すために、この組織に協力することを決めた。


 俺は、生きるためにここにいるわけじゃない。


 それでも――。


 "生きる理由"を、無意識に探している自分がいる。


 そう気づいた瞬間、胸の奥が、微かに軋んだ。

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