白銀の龍と黄金の獅子

umi

第一章 巳國

第1話 白寿

 東の巳國みのくに大地震おおなえがあった。


 その報せがもたらされたとき、白寿はくじゅはいつものように書見をしているところだった。


 巳國みのくに大地震おおなえ


 白寿は弾かれたように文机から顔を上げる。


  広げていたのは『四方よも災異記さいいき』。風雲國かざめのくにを囲む四つのくににまつわる伝承が記されているものだ。巳國みのくには東の森のくに


 そこで地震なえということは──白寿は再び書をめくり知識を辿る。


 そばに控えていた下女が、詳しいことを聞いてまいります、と部屋を出た。同時に風が吹き込んできて、長い黒髪をなびかせる。髪を耳にかけ、白寿は文字を追いつづける。


 白寿にとっては、書だけが外の世界を知る手段だ。外出も、遊ぶこともほとんど許されたことがない。しかし、だからこそ積み重なった知識がいま、警鐘を鳴らしている。


「ああ、恐ろしい、恐ろしい」


 下女の声に白寿は顔を上げる。


「なんと?」

「地が割れ、人が呑み込まれてしまったとか」

「地が割れる?」


 身震いしている下女に『四方よも災異記さいいき』を指す。


「それは四災しさいの兆しではないか? 見てくれ。“地の割れたるところから魔の現るるときをはじめとして、華國かのくにに四の厄災が――”」

「おやめください、白寿さま」


 ほとんど悲鳴のような声色になった下女が、小袖で顔を隠す。


獅龍しりゅう様の罰が下ります。風雲かざめの御息女ともあろうお方が、どうかおやめなさって」


 白寿は閉口する。神がおわすというのなら、魔も厄災もあると思うのだが。こう言うといつも、誰もが眉をひそめる。罰当たりな、と。白寿としては当然あり得ることを言っているだけのつもりが、反感を買うことが多いのだ。


「この間は、たしか……そう。赤く光る鳥がいるとか仰って。恐ろしくはないのですか?」

「恐ろしいが、そう言っている場合では」


 記載は災いの到来を告げている。ならば何かせねば。そう思ったのだ。


 風雲かざめ家。皆がこの家を名家という。自分はその長女だ。誰かが困っているなら助ける。歴代の記録にも、風雲かざめが他の國を救ってきたという記述はたくさんある。いてもたってもいられなかった。


「白寿」


 その声に、熱を帯びていたからだが急速に冷やされる。


 美しい長髪の偉丈夫が現れていた。下女がすぐさま拝礼する。


 兄の白亜はくあだ。整いすぎているほどに整った顔には、相変わらず感情を読み取れない。能面のような静けさで白寿を見下ろしていた。


「何を騒いでいる」

「お、大地震おおなえと聞きましたので……畏れながら、よもや四災の前触れではないかと……」


 厄災、魔物、人の生死。兄はそういった文言で表情を変えるような男ではなかった。その冷静さはいつものことだが、白寿には時折、人ではない何かのように思えて恐ろしくもある。


 白寿が言ったことに兄はやはり顔色も変えなかったが、その視線は一瞬、白寿の卓上に重ねられた書物に向けられた。


「知識だけで騒ぐものではない。立て」

「兄様」


 呼んだときには、すでに兄は背を向けていた。慌ててその後を追って渡りに出る。白寿と同じ長い黒髪が揺れている。しかし、似ているのはそこだけだ。


「父上がお呼びだ」

父様とうさまが?」

「四災祓除ばつじょのため、巳國みのくにに出向く」


 はっとして、白寿は顔を上げる。


 風雲家の次期当主は、風と雲の神――獅龍しりゅう様より大役を仰せつかる。およそ百年ごとに華國を荒らす四つの厄災を鎮めるという役目。 “風雲のつわもの”と成り、厄をはらうという役目を。


 やはり、予感は当たっていた。


 風雲家の現当主白嵐はくらんその長子、風雲かざめの白亜。ついに当代にて、兄がその役目を負うときが来たのだ。


 白寿は咄嗟とっさに声を上げていた。


「兄様。私も参ります、巳國に」


 振り返った兄の瞳がこちらを射抜いてくる。この瞳で何度も言われてきた。女子おなごのおまえに役目はないと。


「──ついて参れ」


 しかし今を逃せば、できることもできなくなる。白寿はうつむきそうになるのをぐっと堪え、兄の後に続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る