第36話 イレーナと彼女

 地面に手をつき、思いきり身体を捻ってマカロンの指圧から解放された——。

 私の足首に、マカロンの指の型が痣になって残っている。

 

「あんたもこれに着替えて——」

 

 マカロンから差し出されたのは、生成色の麻素材でできた一枚の大きな布だった。

 布の端と端を摘んで広げても、しっかりたるんでしまうほどの面積がある。

 

「着替えるって、これ……服なの?」


 マカロンが自分自身を指さしてこう言った。


「巻きつける、が正しいかしら。……ちょっと貸してみなさいっ」


 私の手から雑に布を奪い取り、ローブや制服の上着を脱がせていった。

 男姿のマカロンが、白昼堂々やって良い行動には思えないけれど……

 万が一、彼が拘束されてしまっても、それはそれでいい気味だということにする。


 マカロンは、肌着になった私の右肩辺りを訝しげに見つめた。


「あんた……、あれからその右手暴れたりしてないの……?」


「……ほんと、なんでも知ってるねー。まあ……うん、暴走はないかな。蠢いてる変な感覚は治らないけどねー」


「……………………」


 珍しく黙り込むマカロンは、手際よく私に布を巻きつけていった——。


 右肩に結び目ができて、紋様が隠されている。

 ……その代わり、左肩は丸出しになっていた。

 どうやったのかは分からないけれど、それなりの仕上がりになった。

 いかにも儀式で着るような……そんな感じだ。


「——で、私がイレーナに会える段取りを聞かせてもらえる……?」


 もし本当にそんな方法が存在するのなら。そんな皮肉を込めてマカロンに問う。


「……ふんっ。私を甘く見てもらっちゃ困るわよ?」


 不敵な笑みを浮かべ、門へと向かいながらマカロンの話を聞くことになったけれど

 その内容が散々すぎて、言葉にもならない……。


 私が纏ったこの布は、舞の衣装であって、私も演者の一人としてその舞台に立ち

 そこからイレーナと対面を果たす……ということになっていた。


 王族の観覧席から舞台までは、目が合えば分かるほどの距離らしい。

「舞台を挟んで、想いを伝え合うなんて……」って悶えながらマカロンが

 繰り返し言ってくるけれど……。

 

 ……こんな馬鹿げた話は、イセルト国の思惑だけで十分だった。

 国絡みの式典に、素人の私が出しゃばって良いはずがない。


 話を聞き終わる前に、私が引き返そうとすると……

 マカロンがすかさず片腕で私を抱きかかえ、門へと足を進めていった。


 歩くたび、項垂れた私の四肢があちらこちらに揺れる。


「往生際が悪いわよ〜? 愛しいイレーナちゃんに会いたくないわけ〜? ……私なら、自分なんて顧みず、どうにかしてでも会いにきてくれた人には、山ほどのケッスを贈るわ〜……まあ安心しなさいよ。あんたの役なんて隅っこで楽器鳴らすだけなんだから〜」


 ……山ほどの『ケッス』って何。

 苛つきが絶えないまま、私は問答無用で運ばれていった——。



 私達は厳戒態勢がとられた門を滞りなく抜け、控室に通されていた。


「あんたの髪は民衆受けしないから、これ被って——」


 手渡されたのは、大道芸人でも手を出さないであろう、ど派手な被り物だった。

 ……頭髪という概念を打ち消すほどの形状で、もはや……球体。

 その丸みに何色もの色が施されていて、民衆受けどころではない。


 こんなのを被ってる姿をイレーナに見られたら……。

 ふざけた考えのマカロンに、一瞬にして頭に血がのぼった——。


「……冗談よ〜?」

 

 にやりと楽しそうにマカロンが言った。

 ……そろそろ私の頭の血管がちぎれてしまいそうだ。


 新たに手渡されたのは、至って普通の亜麻色の長い髪だった。

 私はそれをぶん取り、雑に頭へとねじ込ませて

 準備された打楽器を手に取った。


 他の踊り子や楽器隊も、それぞれの準備を整え終えていた。

 それを確認したマカロンが、大きく両手を叩き合せ、一気に士気をあげる——。


「それじゃあみんな! 今日は普段見せない私達の美しさを、とことん魅せてやろうじゃないの〜っ!」


 楽器を鳴らしながら、踊りながら……それぞれの役割を体現しながら控室を出ていく……。

 周りとの熱量の違いに呆然としつつ、私も控室を後にした——。



 追悼式が行われているのは、城下町と城を繋ぐ大きな広場だった。

 その中央には、縦長の瓦礫が慰霊碑のように鎮座していた。

 恐らくあの瓦礫は、襲撃があったあの日に生まれたものだ……。


 それを囲んで、三国の王族が立っている。

 遠くの方で集まっている民衆とはもちろん一線が引かれていて

 ここからの距離でも、一挙一動よく見えた。


 イセルト国に関しては、王族ではなく、大臣が数名用意されていた。

 表向きに事の発端は、ファライスタ国となっていたため

 もちろんこの場に若き国王の姿はない……。


 けれどノゼアール国王の前に、凛として立っている若き姿が

 ノゼアール国側に見受けられる……。イレーナの兄にあたる人だ。

 この様子だと……知らぬ間に、ノゼアール国で代替わりがあったようだ。


 ……先王が身を引く事で、治る事もあったのだろう。

 襲撃の日に見た力強さは、今も変わらず先王に引けを取らない——。


 そして……

 私の視線は、抗えない渦に吸い込まれるようにしてその方向へと向けられた——。


 白銀の揺れる髪に、伏し目がちな独特の瞳……。

 深みある瑠璃色のドレスに身を包んで、天から一本の糸で引っ張られたような姿勢を保ち、重ねた両手は自身の腹にそっと置かれている……。


 

 ——……私は、瞬きすら惜しんで、この瞬間を眼に焼き付けた……。


 私の記憶の中に居たイレーナと、目に映る彼女を重ね合わせる……。


 すぐそこに居るはずの彼女は、なぜだかすごく遠い……。


 

 

 瞬きを忘れたせいなのか、それとも、他に何か理由があったのか……

 しだいに私の眼には涙が溜まって、視界が滲み、彼女の姿をぼやかした——……。

 

 

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