第13話 イレーナの純情な感情 (その一)

 昼に向かって伸びてくる日差しが、瞼の裏を刺激する。城で使っていた寝具とは、全く違う匂いと触り心地に、一体ここが何処なのか、覚醒しきれない私の意識を翻弄させた。

 

 私を呼ぶアイオの声と、肩から伝わる軽い振動が、何度も私を現実に連れ出そうとする……。


 昨日は生まれて初めての夜更かしで、私の瞼は未だ上手く開けられずにいた。


 私の上体はぐっと引っ張られ、力の入らない体は前のめりになり、そのままアイオに体重を預けてしまった。

 お日様の匂いがふわっと鼻をかすめていく。これがアイオの匂いなんだ……。


 私は反射的にアイオを抱き寄せて、腕の中へと閉じ込めた。

 幼い頃、雷に怯えた私を、お母様があやしてくれてたように……。



 ……脳裏に焼き付いた、昨日の事を思い返す……。

 酔っ払いを相手にした時のアイオの眼がどうしても忘れられなかった。

 その眼は冷たくて、残酷で……。

 思い出す分だけ、私の心が切り刻まれていく感覚になる。


 一緒にいる時間なんて、無に等しいぐらいの間柄でも、アイオの本質がそれでない事ぐらいは分かってる。普段見ていたアイオからは、想像もできなかった姿に、私がただ、ついていけず勝手に傷ついただけなんだ。


 私って噂通りの『箱入り娘』で、人の側面しか知らずに生きてる。

 こうやって負のものから縁遠くいられたのも、皆んなが守ってきてくれたおかげ。

 だから私はここまで来れたけど……。アイオは……?


 

 今思えば、彼女が笑うところを私は見たことがない。

 優しく微笑んでくれることはあっても、それはなんだか義務的な気もする……。

 その理由を聞けば、必ずアイオは教えてくれるはずだけど……聞いてしまって、また勝手に傷ついて……後悔しない自信もない。


 私はお父様の時のように、自分が傷つくのが怖くて、何も聞けないただの臆病者なんだ。



 ……彼女の体に無駄のなさを感じる。こうやって抱き締めると、頼り甲斐のある筋肉だけがアイオの体を覆っているみたいだった。私を抱えたまま、屋根に跳び乗った事も納得がいく。


 あの時物怖じせず、状況を一変させたアイオがすごく頼もしくて、今までにない絶対的な安心感を覚えたけど……あの窓際で、彼女の言った言葉が、安心感を凌ぐ感情をもたらして、今でも私の心を掻き混ぜていた。


 普段素っ気ない口ぶりのアイオが、どうにかこうにか紡いだ言葉を、真っ直ぐに私へと向けてくれたことが、心から嬉しかった。でも、それだけじゃない……。


 ……私は、突然授かった自由の身が、いずれ、城という鳥籠の中へ戻らなければいけない事を、時折案じていた。

 気が緩めば、その思考に飲み込まれて、嫌な未来を考えてしまいそうだった。


 ……そんな時、私にとって今いちばん必要だった言葉を、アイオが真っ直ぐに私にくれるものだから、嬉しいなんてものを超えてしまってた。



「今を楽しんで」……たったその一言が、暗雲満ちた私の心を、一瞬にして雲一つない晴天へと変えてくれた……。


 悩んだって仕方ない。この先どうなるかなんて誰にも分からない。

 そんなあやふやな未来に心奪われて、嘆いている場合じゃないって、貴女は気づかせてくれた……。


 

 ……アイオの体温が伝わって、腕の中の存在が際立った。

 それに反応した私の鼓動が、どんどん早くなっていく気がする……。


 緊張と恥ずかしさと、底から溢れてくる『守ってあげたい』という気持ちが混ざり合って、心臓がどきどきしてしまう……。


 私がまだ寝ぼけていると勘違いしたアイオと、目が合った。

 困ったように私を見つめるアイオは、とても可愛らしい年相応の女の子だった。

 アイオの人生にこんな時間が増えますように。……なんて勝手に祈りながら、私は急かされるように身支度をしていった。



 街の活気は、私の想像していた何倍もの勢いがあって、目まぐるしく人や物が行き交っていた。

 中央広場までは広くて大きな道路が続いていて、その道沿いに、沢山の屋台が向かい合って並んでいる。

 その各屋台から、お客を呼び込む店主の大声が清々しく響いていて、まるで今日が祭典の日だと、勘違いしてしまうほどの賑わいを見せていた。

 

 食べ物を売っているお店が多いようだけど、なかには音楽を奏でて魅了する人や、大道芸を見せその場を沸かす人も居る。


 私にはどれも魅力的ではあったけど、大道芸人の装いに目が離せなかった。

 髪はまだらな模様で、子供向けに描かれたお面を被っている。


 どことなくアイオの姿と似ている気がして、つい見入ってしまった。


 大道芸も一段落したのか、道を塞いでしまいそうなほどの人集りが、あっという間に散り散りになっていって、私は人の波に紛れてしまいそうだった。



 …………だからって急に手なんか握られたら、誰だって驚く。……はず。

 女の子同士だし、大したことじゃないって分かっているのに、そう考えれば考えるほど、顔が熱を帯びていく——。


 私はその事を悟られないように平然を装ったけど、アイオは涼しげな顔をして歩いていた…………。




 どうして私だけが、こんな事になっているんだろう…………?




 ちょっと悔しい……かもしれない。

 



 



 



  

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