溺れる魔人の器
もちづき銀丹
第1話 囚われの塔 (序章)
(……さすがに気が遠くなってきた……。)
ここに連れ込まれて、どれくらいの時間が経ったのだろう。
季節が変わったんだと感じるぐらいには、時が過ぎているようだった。
毎日続く拷問は、息ができないよう水に沈められ、意識が飛ぶぎりぎりのところで空気にあてさせられる。その繰り返しは、生死の間を行ったり来たりするようなものだ。……何度か、いよいよお迎えがきたのではないかと錯覚するぐらい、幻聴すら聞こえていた。
「言えば解放すると言っている! さっさと話せ……!!」
空気にあてられて、ぼんやりと意識が戻ってきた私に、こいつはそう言い放ち、手に持った棍棒を振りかざして、私を床へと叩きつけた。
……耳鳴りが止まない。脳震盪のせいか、視界が揺れていて吐き気がする——。
*
私を幽閉しているこいつらは、一族に伝わる『ニライカの魔法陣』とやらの在処が知りたいらしい。こいつらの言い振りからして、それを知っているのは、恐らく私だけだ。他に知る誰かがいたとすれば、何も言わない私は、もうすでにここにはいないだろう……。
私だってこんな日々を続けていたくはないし、話してさっさと解放されたい……。
だけどそれは叶わずにいた。理由は簡単で、こいつらが欲しい情報なんて、私は持っていないからだ。というより、きっとその魔法陣とやらにまつわる記憶だけがきれいになくなっている。
『ニライカ』というのは一族の名前で、私はその生き残りだと知らされた。
しつこくこいつらに聞かれるので、何度もふり絞って思い出そうと試みるけど、頭がどうかしているのか、その部分だけが思い出せないようになっていた。
何を聞かれても、一族のことすら記憶にない私は、結局なす術がない——。
それでも続く拷問に、いつまでも心身がついていけるわけもなくて、私は確実に、最後を迎えようとしている……。
憔悴しきって、瞬きもできず一点だけを見つめていた……、そんな時だった。
扉を開ける大きな音と同時に、耳が潰れてしまうぐらいに大きな声が部屋中に轟いた。
「有力な手がかりが見つかったとの連絡だ………っ!! そいつはもう要らん! 亡骸を残せば後々厄介だ! 海にでも捨てておけ!今すぐ処分しろ……っ!」
「ご命令通りに……!!」
まあなんとも身勝手なこいつらのやり取りに、怒りや恨みを通り越して、呆れ果てる気持さえ生まれた。幽閉されているこの場所がどんな所にあるかぐらいは、だいたい察しがついている。建物の造り自体もそうだけど、海風が入ってくるということや、兵隊どもが息を切らしてこの部屋に入ってくるところを見ると、ここは恐らく、岬の塔のような場所で、私が居るこの部屋は、いちばん高い場所にあるのだろう。
『海にでも捨てておけ』、というくらいだ……。
(……私は、まもなくここから落とされる——。)
*
手際の良いこいつらは、力の入らない私の身体を起こし、人ひとり立てるぐらいにくり抜かれた所に立たせ、頑丈な足枷に付け替え出した。
足元に目をやると、断崖絶壁と荒波が手招きしている……。
————私の身体は下へ下へと加速する。
生に対しての執着を失っていた私は、ゆっくりと眼を閉じる……。
ぎりぎりで繋がっていた糸が切れたように、一気に意識は飛んでいった。
「…………ないでっ……」頭の中で声がする……、またあの幻聴だ……。
今までになく大きな声がしたけれど、所詮は幻聴で、その声が何を言っているのかは気にも留めなかった。
……何がどうなってそうなったのか、幻聴を聴いた後、頭の中で衝撃が走った。その衝撃は身体中を巡って、頭のてっぺんから抜けていく。それと同時に、私は完全に意識を取り戻してしまった——。
こんな状況に私はなぜだか冷静で、どうせなら、意識のないまま楽に終わりたかったな、なんてことをぼんやり考えていた。
…………建物がかなり高いのだろうか。海までの距離が遠く感じられる。
意識を取り戻した私が何より気になったのは、目に映る情景が、おかしなぐらいゆっくりと見えていたことだ。結構な速さで落ちていたはずなのだけれど……。
手を伸ばして何かに掴まれば、簡単に助かるような気さえするし、身体がとてつもなく軽く感じる……。今なら何だってできるような、そんな気分だ。
変わらず、海へと落ち続けてはいて、どうにかできるなら何か手を打つべき時なのだろうけど……生死の選択より、自分の身に起きている現象への興味が、はるかに上回っていた。
*
————とりあえず、この重そうな足枷の鎖をちぎってみることにする。
予想通り鎖は簡単にちぎれてくれたので、そのまま鎖を手に持ち、足枷の鉄球を塔の壁へとぶち当てた。これもまた予想通りに大きな穴が開いて、着陸することができ、海への落下は逃れられた。
塔の中へとすぐに足を踏み入れることはなく、まずは中の様子を伺った。
壁に沿って造られた螺旋階段が、気が遠くなるほど上下に続いている……。
上から下と見回し、部屋のような場所は上層にしかないことを確認すると、私は下層に向かうため、螺旋階段へと足を下ろした。
「……ッ! 侵入者だっ——!!」
もうすでに囲まれてしまいそうだ。
本来なら塔の外壁をつたって降り、見つからないよう逃げることも可能だったのだろうけど……身体がほぼ無意識に動いてしまう。
螺旋階段に降り立った私は、もう片方の足枷をちぎり、鎖鎌のように足枷を持った。
(——この塔丸ごと壊す——)
————いったい、どこからそんな馬鹿げた思考が湧いてくるのか。
それができる、できないの前に、このまま逃げられるのであれば、それを行動に移すほうがまともに決まっている。私の頭はもうすでに、手遅れなほど壊れてしまっているのかもしれない……。
私の意に反して、湧き上がるその考えに従うように、身体が戦闘体制に入った。
こんなにも派手に登場してしまったのだから、こいつらに囲まれるまでにさほど時間が掛らないのは当たり前だった。
そもそも、身を隠して……なんて、考えもなかったのだけれど……。
騒ぎに駆けつけて私を囲んでいる兵隊の数は、ざっと見て……十数人といったところだろうか。侵入者とはいえ、さっきまで捕まっていたこの貧弱な私に、こんな多勢も不可解でならない。
やはり私の直感(?)は当たっていたのか、この塔には何かある……。
兵隊どもが、私に向かって魔弾銃を向けてきた。
とくに魔弾銃が珍しいというわけでもないけれど、私の知っているそれとは何かが違う。塔の独特な臭いがそう思わせるのかもしれないけれど、目の前の魔弾銃からは言い知れぬ不気味さを感じていた——。
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