6話


「なるほどね。黒ちゃんらしい遺書だわ」初上は目に溜まった涙をぬぐいながら言った。「あなたは、何? 裏切られたってところかしら」

「そうですね。僕としてはもっと、悲壮感のある遺言を期待していたので」

「黒ちゃんを侮りすぎよ、残念でした」

「はい。あの人が最強のバーチャルストリーマーと呼ばれていた所以が分かりました」

「マネージャーなのに、気付いていなかったのね」

「マネージャーではありましたが、そうですね。仮初だったんです」

「黒ちゃんを悲劇のヒロインに仕立て上げて、当初の目的を達成することもできたのに、なぜしなかったの? その遺書を燃やしでもして、白日アリアはお前たちのせいで死んだんだ、と声高らかに喚き散らかせばよかったのに」

「なぜでしょうね。この遺書を持ちだしたときは、そのつもりでした。白日アリアとして生きた黒江里沙の悲劇的な最後を公開して、世間に問い掛けてやろうと思いました。でも結局は、黒江さんの最後の願いを反故にすることができませんでした」

「ふ、結局あなたは、アリアと甘姫のマネージャーだったってわけね」初上はため息をついた。「それで? 自分が悲劇のヒーローになろうとしてるのね?」

「恥ずかしながら。その通りです。僕はヒーローになれるでしょうか」

「無理ね。無意味よ」

「無意味かもしれませんが、もうこれ以外にしたいこともありません」

「私のマネジメントは?」

「僕でなくてもいいでしょう、加古井さんなら信頼できます」

「残念……思ってたよりも無責任なのね」初上は顎を上げた。「じゃあ、質問を変えるわ。私は自殺させなくていいの?」

「自殺、してくれますか?」

「絶対無理。私、生きるのがとっても楽しいの」

「ですよね。だったら諦めます」

「あら……責任感も根性もないってこと? どっちかだけでも頑張らない?」

「勇気ならあるので、それでいかがでしょうか」

 初上が声上げて笑った。数秒間の間、歌姫と呼ばれている女の無邪気な笑い声が、ビルの屋上に響いていた。

「世界一、ダサい勇気よね」笑い終えた初上が言った。

「一応、かっこつけているつもりですが」

「ちなみに聞きたいのだけど、初めから私たちを自殺させるつもりだったの?」

「まさか。自殺なんてさせるつもりはありませんでしたよ。ただ単に、人気になってもらうつもりでした。人気になればなるほど、誹謗中傷を受ける機会が増えます、あとは折を見て、悲哀に満ちた引退してもらう予定だっただけです」

「それで、世間が変わると?」

「少なくとも、問いかけることはできます」

「例えば、甘姫が今、アンチコメントによって精神を病み、引退したとしたら。誹謗中傷はなくなるかしら?」

「やってみる価値はあるでしょうね」

「ないわよ。どうせ変わらないわ」

「じゃあ、どうすればいいんです? 誹謗中傷は常にあるものだと思って、活動してもらうしかないというんですか? それはただの諦観です」

「私は現実的な話をしているの。誹謗中傷の無い世界なんて、夢物語でしかないわ。砂嵐の中でも生きていけるように、強くなるしかない」

「夢物語かどうか、試してみないと分からないでしょう」

「その他大勢の変化に期待するよりも、自分に期待する方が早いと言ってるのだけど」

「それは強者の意見です。弱者は、誰かが環境を変えてくれるまで虐げられ、犠牲になっていきます」鷹野が続ける。「友理は犠牲になりました。あれから何年も経っているのに、インターネットは何も変わっていません」

「人気商売をするなら、それを覚悟の上でやるべきだわ。たくさんの人に愛されたいと思うなら、たくさんの人に嫌われる覚悟をしなければならないの」

「違う!」鷹野が叫ぶ。「インターネットという、誰を傷つけるための言葉が溢れている不健全な世界を、受けいれていいわけがない。嫌いな人間になら、何を言ってもいいなんておかしいでしょう」

「綺麗事ね。皮肉なことに綺麗なものって、得てして役に立たないことが多いの、どうしてかしら」

「綺麗事でも、言い続けることに意味があります。何度でも、訴えるべきです」

「もう一度言うわ、無意味よ」初上が鷹野に一歩近づいた。「あなたもよくご存じの通り、人ひとりが悲劇的な自殺をしたところで、世間は何も変わらないわ」

「では何人死ねば、変わると思いますか?」

「何人死のうが変わらないわ。私たちが、強くなるしかないの」

「黒江さんは強い人でした」

「そうね、誰よりも強かに生きていたと思うわ」

「でも死んだ。これは、顔のない悪魔たちに負けたと言えませんか?」

「負けた?」初上はわずかに顎を上げる。「黒ちゃんは勝ったのよ。いえ、勝負すらもしていない。あなたのいう顔の悪魔たちと黒ちゃんは、同じ土俵にも立ってもいないの。黒ちゃんは黒ちゃんの価値観の元、自殺することを選択し、アリアを残した」初上はスマホを取り出して、アリアの配信を再生する。

『うわ! なにこのボス、固すぎない⁉』

 ゲームをプレイしているアリアの無邪気な声が聞こえてくる。

「そんな不完全な合成音声を残しても、誹謗中傷は無くならない」

「いい加減、あなたの勝手な思想を押し付けるのはやめなさい」初上は深いため息をついた。「黒ちゃんとってはね、誹謗中傷なんて取るに足らないものだったのよ」

「では、なぜ自殺したのですか」

「遺書に書いてあるでしょう。アリアのためよ」

「いいえ。黒江さんは結局、アリアであることを諦めたんです。誹謗中傷に耐え続けた結果、精神が弱っていった。その状態のまま、アリアを演じるのが辛くなって、死を選んだ。これが黒江さんの結末です。インターネットにごみのように転がっている鋭い言葉たちは、黒江さんのように強かな人間でさえ、切り刻み殺してしまうんです」

「もういい、黙って。あなたの妄想を聞かされるのはうんざり。黒ちゃんは、この遺書に書いてある通り、アリアでいることが大好きだった。だから、自分を排除したの。それ以上でもそれ以下でもないわ。勝手に黒ちゃんのことを被害者にして、彼女が残したアリアを汚さないで」初上が続ける。「彼女は誰にも負けない、最強のバーチャルストリーマーなんだから」

「僕には理解できません。正しいと思えない」

「黒ちゃんの選択は正しいのかと問われたら、私だって、首を縦には振れないわ」初上は拳を強く握った。「でも、尊重はしたいの」

「黒江さんの自殺を肯定したいだけでしょう」鷹野が続ける。「初上さん、それはあなたのエゴですよ。黒江さんを失った悲しみをただ、ごまかしたいだけだ」

「全然違うわ、私は黒ちゃんの意思を言葉通りに読み取っているだけ。遺書を読み返してみなさい」

「言葉の裏に隠された苦悩があったのではないですか? でなければ自殺なんてしないでしょう」

「驚くべきことに、黒ちゃんはしたわ」初上は肩をすくめて言った。「もう本人がいないのだから、勝手な妄想ひけらかして、彼女を悲劇のヒロインにしたてあげるようなことがあれば、それこそ気持ちの悪いエゴでしかない」

「……わかりました」鷹野が片手で頭を抱えて、何かを諦めたように首を振った。「僕だって、黒江さんの決断を踏みにじりたいわけじゃありませんから。この話はここで終わりにしましょう」

「ええ、そうしましょう」初上はそう言って、鷹野に一歩近づいた。「それで、心変わりはできたかしら?」

「いいえ、そろそろお別れです。最後にお話しできてよかった」

「最後なんて言わせないわ」

「もう言ってしまいましたよ」

「あら、そういうユーモアを言える余裕はあるのね」初上が笑いながら言った。「じゃあ、あともう一人、お話してもらおうかしら」

「もう一人?」

「ええ」初上が振り返った。「近藤君、私の話は終わったわ」

 屋上の入り口のドアから、近藤が歩き出てきた。彼は鷹野を真っすぐに見つめていた。

 鷹野は、現れた男の顔を、記憶から探し出そうとするように目を細めている。

 初上はおもむろに鷹野の背後へと移動した。錆び切った手すりから上半身を乗り出すと、下の様子が見えた。1階の窓に張られていたであろうガラスが割れて、散乱していた。

「5年ぶりぐらいか?」近藤が声を出した。

「……まさか、恵君ですか?」

「ああ、近藤恵だ。覚えててくれたのか」

 鷹野はバツの悪そうな表情になって、顔をそむけた。

「僕と今更、何を話そうというんです」

「どうせ死ぬんだろ。全てを話そう」

「友理についてなら、全て明るみに出ています」

「俺が何も知らないとでも思っているのか?」

「では、何が知りたいのですか? 僕が知っていることなら全て話しましょう」

「ゆうちゃんを見殺しにした理由を教えろ」

「見殺し……」鷹野が俯いた「そうですね、そういわれても仕方がありません。僕も後悔していることです。どうして、友理の苦しみに気づいてあげられなかったのか、そればかりを考えて生きてきました」

「ゆうちゃんの病気のことは知ってたんだな?」

「病気?」

「とぼけても無駄だ」

「友理は自殺です。病気ではありませんでした」鷹野が言った。

「何……?」近藤の口が小さく開いたままになる。

 鷹野は呆ける近藤を見て、何か考えている様子を見せてから。早口で言った。

「病気というのは、どういうことですか? まさか、友理は自殺ではない、と?」

「本当に、知らないのか?」

「教えてください」鷹野は数歩、近藤に歩み寄った。

「どういうことだ。あんたはゆうちゃんのマネージャーだったんだろう?」

「病気とはどういうことか、教えてください」早口で言う鷹野。

「その様子だと、本当に知らないみたいだな……」近藤が舌打ちをした。「いいか、ゆうちゃんは自殺じゃない」

「え?」驚きの声を漏らしたのは初上だった。

「拡張型心筋症」近藤が短く言った。「自殺っていうのはフェイクで、実際は病死だった」

「あの時、全国的にニュースになったはずですが……」鷹野が言った。

「お前たちのいた事務所がフェイクを流したんだろう。なぜ、あんたが知らないんだ」

「僕は、友理の死を知らされたあと、あの事務所には戻ってません」

 近藤がため息をついて、諦めたように首を振った。

「ゆうちゃんは病気を隠していた、一番そばにあんたにも知らせなかったってことは、誰にも言ってなかったんだろうな」

「信じられません」

「事実だ。すぐにアイドル活動を辞めていれば、治療ができたかもしれない、少なくとももう少し長生きはできただろう。でも、ゆうちゃんは、アイドル活動を優先した」

「嘘だ。そんなの僕は聞いてない」

「あんたに言ったら、止められると思ったんだろうな」

「当たり前でしょう!」鷹野が大声を出した。

「ちょっと待って、フェイクニュースを流したのなぜなの?」初上が口を出す。

「わからない。事務所的には、病気のアイドルを働かせて死なせてしまった。という管理責任を問われるのを嫌ったんだろうと思う。『自殺』とした理由はよくわからん。ただ、YURIの死因として最もらしいのを選んだだけかもしれない。あれだけの誹謗中傷を受けていたアイドルが死ぬ理由として、一番説得力があるだろうからな」

「だとしても……よくここまで隠し通せたものね」

「ゆうちゃんの所属していた事務所は芸能界のトップといっても過言ではないほどの大きさだ、自分たちの体裁を保つためなら、なんだってするだろう。金だっていくらでもかけられる。身内である俺たちすらも、騙されていたぐらいだ」

「本当に、自殺ではないのですか……?」

「そうだ。自殺じゃない。当時の死亡診断書のコピーもある。医療機関にまで口止めがされていたから、手に入れるのには苦労したがな」

「作り話だ」鷹野が強い口調で言った。「僕を、騙そうとしているんでしょう?」

「全て、本当のことだ。白日アリアの流出写真に写っていた鷹野蒼司を見つけてから、俺はずっとお前のことを調べていた。探偵も雇ったし、脅しまがいのことだってした。その過程で出てきたのが、ゆうちゃんの死の真相だったんだ」近藤は鷹野を睨む。「俺は、お前がゆうちゃんの病気のことを知りながら、活動を続けさせたんだと思っていた。だから、ゆうちゃんが死んですぐに姿をくらまして、逃げたんだと思っていた」

「違う……僕は、友理は、インターネットに殺されたんだと、そう思って……」鷹野の声は震えていた。

「なるほどな……もういい」近藤が座り込んで、足を投げ出した。「なんだよ……ゆうちゃんの仇を取りに来たつもりだったんだがな……俺の憎しみをぶつける先も、なかったってことかよ」

「YURIは、死ぬまでアイドルを続けるために、誰にも持病を明かさずにいたってこと?」初上が聞いた。

「結果だけを見ればそういうことになる」近藤は座り込んだまま答えた。「発作……心室頻拍による突然死だったらしいからな。まだまだ生きるつもりで、病気のことを明かすタイミングを計っていた途中だったのかもしれない」

「何も気付けなかった……」鷹野が呟いた。「亡くなる前日も、普通にレッスンを受けていたんだ。異常はなかったように見えました」

「分かってる。誰も気づけなかったんだ。そこを責めるつもりはない」近藤はそういって瞼を閉じた。

「僕が憎むべきは相手は、誹謗中傷ではなく、自分だったということですか……?」鷹野は虚空に向かって問いかけていた。

「あんたは悪くない。自分を責めなくてもいいだろう」近藤が続ける。「俺も勘違いしていた。あんたと同じように、ゆうちゃんはインターネットのクソ共に殺されたんだと思っていたんだ。でも違う、ゆうちゃんはただ、アイドルでありたかっただけなんだ。命を削ってでも、ファンの人たちに笑顔を歌声を届けたかっただけだ」近藤が続ける。

「友理は……誹謗中傷なんかに負けてなかったんですね……」

 鷹野がその言葉を吐き出すと、彼の身体が崩れ落ち、嗚咽が彼の胸から溢れ出した。

 涙が頬を伝う。

 感情のダムが決壊したかのように、彼の肩が震え始めた。

 悔恨と安堵、そして悲しみが一体となった涙が、彼の心の深部から引きずり出されていた。

「たくさんの人に愛されたいと思うなら、たくさんの人に嫌われる覚悟をしなければならないの」初上は鷹野に声をかけた。「あなたが思っているよりも、YURIも黒ちゃんも、ずっとずっと強く生きていたということよ。だから私たちも、強く、生きていきましょう」

 サイレンが遠くの方から聞こえて来て、近くで止まった。

 初上は手すりから身を乗り出して、下を見る。

 警察が何人か集まっていて、エアクッションが複数個、展開されていた。

 初上が警官に向かって、GOODのサインを送ると、警官の一人が、両手で丸を作って答えてくれた。

「鷹野さんっ!」背後から加古井の声がした。

「鷹野君っ!」大和田の声も。「良かった! 間に合ったか!」

 二人はどたばたと音を立てて鷹野に駆け寄っていき。うずくまっている鷹野にしがみついた。

「馬鹿なことを考えないでくださいよぉ!」加古井が涙声で言った。

「大丈夫だから、一緒に乗り越えていこう」大和田が鷹野の背中をさする。

 鷹野は何も言わず、泣き続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る