7話


 萌がスタジオの片付けを済ませて事務所へと戻ると、鷹野が独り、そこにいた。

 彼は自分のデスクの前で立ち上がって、入り口のドアを見ていた。

「鷹野さん? 誰か来るんですか?」

 機敏に振り返った鷹野が萌を見て、首を横に振った。

「初上さんを見送っただけですよ」鷹野は椅子に座りながら応える。「萌さん、片付けありがとうございます」

「いえいえいえ! これが萌の仕事ですから!」萌は右の上腕二頭筋を見せびらかすポーズを取った。

「萌さんは、バーチャルストリーマーになりたいんですよね?」

「そうですっ! いつか萌は、アリアさんや甘姫さんを超えるバーチャルストリーマーになりたいんですっ!」

「いいですね、今からなっちゃいますか?」

「ええっ⁉ いやでも……そんな……え?」

「冗談です」

「なんで! 萌もやりたいです!」

「高校を卒業したら、と自分で言っていたではありませんか」

「そうですけどぉ……」

「焦らなくてもいいと思いますよ。萌さんなら絶対に売れます」

「う、売れる……」萌が生唾を飲んだ。

「失礼しました。絶対に人気になれますよ」

「本当ですかっ⁉ 絶対⁉」

「ええ、絶対に。だって、僕がマネージャーをやるんですから」

「おお〜」萌が拍手をする。「かっこいい!」

 鷹野は小さく頷いて、時計を見た。18時を回っていた。

「帰りましょうか。萌さん、明日は学校でしょう?」

「うんっ!」

「送りますよ」

「そんな、悪いですっ!」萌が鷹野に向けて両の手のひらを振った。

「はいはい、遠慮を覚えるにはまだ早いですよ」鷹野はノートパソコンを閉じた。「車、取ってきますから、帰りの支度ができたら外に出てきてください」

「はーい!」


 ***  


 鷹野は萌の家へと車を走らせていた。萌の送迎をするのはこれが初めてではない。道は覚えていた。煙草を吸いたかったが、萌の前では吸わないと決めていたので我慢する。

「鷹野さんは配信しないんですか?」萌はスマホをいじりながら聞いた。

「僕が配信? まさか、しませんよ」

「すればいいのになあ、っていつも思ってます」

「僕が配信で何をするんです」

「えーっと、歌とかゲームとか! いっぱいできることあるじゃないですか!」

「歌もゲームも、疎いので」

「マネージャーが配信するの、結構面白いと思うけどなあ……」

「批判されるでしょうね」

「えっ? なんでですか?」

「本来の仕事を疎かにしているように見えるのと、アリアや甘姫のマネージャーという立場に嫉妬心を向けてくる人が少なからず出てくるからです」

「はー、なるほど、確かにです」

「いいんですよ、僕は好きでマネージャーをやっていますから」

「ふんふん」萌は何度も頷く。「鷹野さんはなぜマネージャーをしようと思ったんですか?」

「ああ……うーん、なぜでしょうか」

「面接を始めます!」萌が腕組みをして、鷹野を指差した。

「面接ですか? 急ですね」

「バーチャルストリーマーのマネージャーを志望した理由を答えよ」いつもより低い声で萌が言った。

「面接というより、試験の問題文みたいですね」

「制限時間一分です!」

「そうですねえ……」鷹野は少し考える。「成り行き?」

「誰ですか⁉ なりゆきって」

「気付いたらなっていた、ということです。理由なんて、忘れてしまいました」

「嘘ですね!」

「いえ、本当ですよ」

 萌が口を尖らせる。

「じゃあじゃあ、次の質問です! 夢や目標はありますか!」

「夢や目標ですか」

「制限時間は1時間です!」

「長いですね」

「待ちますよ〜、萌、待ちますよ〜」

「萌さんにはあるのですか? 夢」

「はいだめです。答えになっていません!」

「萌さんの話が聞きたいなあ」鷹野は小さい子に話しかけるような口調で言った。

「萌は、鷹野さんの話が聞きたいなあ、です」

「と言われましてもね、夢か……」

「目標でもいいですよ!」

「1時間考えさせてください」

「だめですよ! 家に着いちゃうじゃないですか!」

「萌さんが待つと言ったのではないですか」

「じゃあ、待ちます……」

 結局、質問には答えなかった。いや、答えられなかった、という方が正しいだろう。萌は不満そうな顔をしていたが、思いついたら教えて下さい、とのことだった。なんと寛大な面接官だろう。

 萌の家に到着すると、玄関から萌の祖母が顔を出してきた。茶を出すから上がっていってくれ、と言われたが、今日は遠慮しておくことにした。萌は祖母との二人暮らしだった。両親は事情があって海外で暮らしている、といつの日か大和田に聞いたことがある。娘を置いて何をしに国外に出ているのか、甚だ疑問だったが、それ以上は聞かないことにしていた。

 両親がそばにいない萌が明るい性格でいられるのは、ひとえに祖母のおかげだろう。以前、萌を今日のように送った時に少し話した程度だが、パワフルな人だ、と思った。覇気がある、とでも言えばいいだろうか。

 萌を送り届けた後、鷹野もまっすぐ家に帰ることにした。途中、萌から問いかけられたことを思い出していた。

 自分はなぜ、マネージャーなどをやっているのだろう? 思い出せない、と言ったのはあながち嘘ではない。確か、最初はもっとこの職業に憧れを抱いていたような気がする。でも、今は違う。

 目標については、あると言えばある。目標よりも、目的の方がニュアンスとしては近いかもしれないが。

 でも、言えなかった。

 頭の中で言葉にしようとすると、途端に気分が悪くなる。

 せっかく面接官にも時間をもらったことだし、もう少し考えてみよう。最近は忙しさにかまけて、自分のことを疎かにしていた気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る