第28話 老爺と暖炉

ふかふかの絨毯に使い込まれた椅子と机の並ぶ、簡素で小さくも暖かな丸太小屋。

二人はありがたく淹れたての紅茶をすすっていた。

ぱちぱちと爆ぜる暖炉の前で、はしゃぎつかれたアレックスが気持ちよさそうに眠っている。

突然の登山に悲鳴を上げていたフォトナの筋肉に温かな香りが染み入るようだった。


「ほぉう……王都でそんなことが」


「ああ。正直、考えあぐねている。

 こいつを連れてきてしまったが、いまだに父上の思惑も完全には掴めていないし、俺自身も………」


「アレン様」


ハッとした顔でモーリスを見るアレンの顔から、心なしか血の気が引いた。


「少々たるんでは―――おられませんかのう」


すっくと立ちあがったモーリスが、フン!と力を籠めると、たくましい胸筋がはちきれる。

萎れたシャツのボタンがはじけ飛んだ。


なぜ、脱ぐ―――?


「じいや、さすがに俺達今山道を登ってきたばかりで」


「鍛錬ですぞ、アレン様ー!!!」



一刻もしないうちに、小屋の外では、猛烈な勢いで薪を割るアレンとフォトナの汗だくの姿があった。

それをモーリスが憤然と見据えている。


「連続、あと十本ですぞ!」

「無理だって…無理だって…うおおお!」

「なぜ!?なぜ私まで!?」

「じいや昔っからそういうとこあんだよ………」

「ふぉっふぉっふぉ、アレン様、腰が引けておりますぞ!!!

 薪は割るのではない……"奏でる"のですぞ!!!」


ッカーン!!

モーリスの振りかざした斧から、乾いた衝突音が伸びやかに空へと響き渡った。


「す、すごい…!

 なるほど……よし、私も……負けてはおられん!!フンッー!!ハッー!!!」

「おい、手伝わされてるだけだってば……」

「アレン様ーーッッ!!!腰ィーーーッ!!!」

突然の特訓はとっぷりと日が暮れるまで続いた。


そこからしっかりと夕飯まで手伝わされ、くたびれ切った二人は温かなシチューをすすった。

「ふぉっふぉ。トレーニングの後の一杯は絶品、ですな……」

「ああ。私の筋肉も喜んでいる……!」

「お前らどうなってんだよ……」


談笑する二人。話は学園生活に及んだ。

「んでさあ、こいつそんな啖呵切りやがって。初日にだぜ!?」

「っだからやらかしたとは思っているんだ…!」

「ふぉっふぉっふぉっ」


暖炉の炎が温かく三人と一匹を照らしている。

こんなに穏やかな夜はいつぶりだろうか。


「それで……ときに、アレン様」

モーリスがアレンに問いかけた。

「迷いは、晴れましたかな」

「そうだな……」

「ふぉふぉっ、やはり思い悩んだ時は筋肉を酷使するに限りますのう」

「いや、さすがに晴れ切ってはいないが……?

 だがまぁ、今の俺ができる、目の前のことを解決していくしかない。それだけだな」


うむうむと二人が頷く。


「……じいや。古城の書斎はまだ入れるか」

「もちろん。本もそのままございます」

「そうだな……」


アレンがフォトナに言った。


「我々グリニスト家が所有している本の中でも、さらに古いものが城にある。

 お前の魔力についても何かわかるかもしれない」

「アレン……」


少しの沈黙の後、アレンが意を決した表情で告げた。

「俺が父上―――ヴァツラフ王より遣わされた理由は、俺の魔力復活がグリニストの鍵となるかもしれないからだ」

「お前の―――魔力、?」

「ああ」


「俺は今、魔力がない」


暖炉の火が爆ぜる音と、アレックスの寝息が部屋に響いた。


「グリニストの王家に代々伝わる、魔力授伝の儀。


 それに、10になる年、俺は落ちた。それからずっと、俺は”落ちこぼれ"だ」


「……おいたわしいことでございました」

モーリスの表情を見ると、よく知っているようだ。

「それからというもの、ヴァツラフ様からもレオン様からもいたく目の敵にされましてのう。

 御覧になられたように鍛錬を積む日々。しかしついぞアレン様にお優しくされる日はございませんでした」

「ああ、そして母上も―――なんでもない。

 とにかく、そういうわけだ。隠していて、悪かった」


アレンの培われた筋肉の裏にそんな悲劇があったなんて。

気付く由もなかったが、それでも、何か私ができることはなかっただろうか。どうしてもそう考えてしまう。


「どうして―――」


「こんなの、秘中の秘だ。

 本来、王族の莫大な魔力を前提とした現在の五大国連合体制なのは知っているだろ。

 国防に関わるんだよ。王子が無力なんてのは。

 うちの王族でも知っている人間は限られるさ……幼い時分から俺を見てくれているじいやは別としてな」


アレンは胸のネックレスを取り出した。

緋色と金色に縁どられたペンダントには、小さな緋色の宝石がはめ込まれている。


「火王族に伝わるこいつが、本来の魔力を増強してくれている。

 おかげで、一般人には通常の王族らしく魔力を持つと見せかけられていたわけだ。

 まあ、でもしない限りは隠していけるものだ」


あっ―――。フォトナは思い出した。

剣術の時、とっさにアレンが放った魔力。胸元の光。

あれはこのペンダントが発したものだったのか。

「……いや。単に、話せなかっただけかもしれんな。

 ここまでお前を巻き込んでいるんだ。本来、とっくに話すべきことだった」


王族でありながら、それも王位継承権を持つ王子でありながら、魔力を持てなかった半生。

ヴァツラフ王の、レオン王子の、アレンに向けられた冷たい目線。

項垂れ、黙って耐えるアレン。

互いを優しく思いやる老爺と青年は、どれだけの辛苦を舐めさせられてきたのだろう。

屈強な筋肉からは微塵も老いを見せないモーリスだが、やはり、どこか目を細めてアレンを見つめている。


「……ありがとう。話してくれて」

「なに、辛気臭い顔をするな。とっくに受け入れた事実だ。

 さあ、とっとと寝るぞ。明日は一日中、本を漁ると決めている」

「ええ、ええ。まだ薪もございますぞ」

「もう一年分は割っただろう!?」


三人の笑い声と、一匹の寝息が響く温かな小屋。

険しい山の上で不思議に優しい空間で、静かに夜が更けていった。


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