かき氷ダイエットのすすめ
山いい奈
前編
あやかしが見えるというのは、きっとそういう体質なのだと思う。
あやかしはそこかしこにいる。とは言え、そう頻繁に遭遇することは無い。けれど「なんでそんなとこにおんねん」みたいな、例えばコピー機のカバーを開けたら、平べったい黒いものが滑り出て来たりする。
不意打ちなので、さすがにびくりとする。周りから見たら挙動不審だろう。だが思った以上に、人は他人のことに無関心である。もし見られていたとしても、さして気にはされない。
笠原かずは、ひらりひらりと遠くへと去っていく小さなあやかしを見送り、小さくため息を吐く。そして上司に命じられた会議用の資料をコピーすべく、原本である雑誌のページをふせんに従って開いた。
かずのお仕事は、とある地元企業の営業事務である。おかげで残業はほとんど無い。それでも終業後はくたくたになる。実務どうこうより、気遣いで疲弊するのだ。
いつでもにこにこ、営業の皆さまに愛想よく。なんて、時代錯誤だなんてことも思うのだが、お仕事が潤滑に回る様にするのもかずたちのお仕事。お茶入れなんて文化はさすがに廃れたが、頼まれごとをするたびに「はい、分かりました」とにっこり笑顔を浮かべることは必須である。
なので、お仕事を終えてからの晩ごはんを、自炊する元気は残っていない。そもそもかずはお料理がそう得意では無い。だから今日も、お家最寄り駅前のスーパーでお弁当などを買ってきた。
エコバッグをがさごそさせながら、ショルダーバッグの中から部屋の鍵を取り出す。かずはひとり暮らしで、駅から徒歩5分ほどの1DKのマンションを借りていた。
今は7月。会社内はエアコンが効いているので気にならないが、外に出ると高い湿度のせいで、じわりと汗が滲み、服が肌に張り付こうとする。今もまさにそうで、早くお家に入ってエアコンを付けたい、その欲が最優先だった。
まだ新しめのマンションのオートロックドアを開け、エレベータで4階へ。廊下を早足で進んで、たどり着いた部屋を解錠し、ドアを開けた。
すると、おかしなことに、室内からひやりとした空気が流れ出てきた。あれ? もしかしたらエアコン切り忘れてもた? 勿体無い。かずは慌ててドアの鍵を閉めた。
部屋に入ったら、まずは短い廊下。お手洗いと洗面所、お風呂がある。そこの電気を点ける。ダイニングへのドアは開けっ放しにしているので、その勢いのまま入り、そこの電気も点けた。そして。
「ひっ」
かずは怯えた声を上げた。こぢんまりとしたダイニングにあるふたり掛けのダイニングテーブルに、白い着物の女性が座っていたからだ。
その女性はじっとかずを見る。かずもまじまじと見つめ返した。驚きはしたものの、それも数秒のこと。かずは口を開いた。
「あやかしやん。何でうちにおんの?」
「あら、あまり驚かないのね」
「まぁ、不本意やけど見慣れとるし。何してんの」
かずは手にしていたエコバッグをキッチンとダイニングを繋ぐカウンタに置き、ベッドなどが置いてある部屋に行って、お財布などを入れているショルダーバッグを降ろす。そして冷えかけている身体を守るために、ハンガーラックに掛けていたカーディガンを羽織った。エアコンのリモコンを見ると電源は入っておらず、かずはほっとする。
「ま、それだったら話が早くて助かるわ。何か買ってきたわね?」
女性あやかしの目線がエコバッグに向く。長い銀色の髪がさらりと揺れた。
「うん、晩ごはん」
「見ても良いかしら」
「ええで。食べる? でもふたりで足りるかなぁ」
「そうじゃ無いわよ」
女性あやかしは立ち上がるとエコバッグをダイニングテーブルに引き寄せる。中身を出して、うんざりと言う様に顔をしかめた。
「あなた、これ、ひとりで食べるつもり?」
「うん、そうやけど。あ、おにぎりは明日の朝のやで」
かずが買ってきたのは、朝ごはん用のおにぎりがふたつ。そして今から食べる晩ごはんには、大盛りオムライスとカップうどんだった。
とにかくお腹がいっぱいになる様に。いつもそれを考えて買い込むのだ。美味しそうと思うものを、食べたい分だけ。だが懐も決して豊かでは無いので、カップ麺にも頼る。
「嘆かわしいわね」
女性あやかしは呆れた風にため息を吐いた。
「体重計はあるかしら」
「あるけど」
「最近乗ったのは?」
「いつやったかな。もう何ヶ月も乗ってへん気がする」
「姿見はあるかしら」
「姿見って、縦に長い鏡やんな。そんなんあらへん」
「じゃあ、まずは体重計ね。乗りなさい」
「え、何で?」
「早く」
女性あやかしが立ち上がり、かずの腕を引っ張る。かずは仕方が無く、体重計がある洗面所に向かう。
洗面所の隅に置いてある体重計のスイッチを押すと、無事に電源が入った。しばらく触っていなかったが、電池切れはしていない様だ。
「私が乗るん?」
「ええ」
面倒臭い、そう思いながらも体重計に足を乗せる。すると。
69キログラムという数値を叩き出してしまった。
「……嘘やろ」
かずは愕然とする。いつの間にこんなに重たくなってしまったのか。
職場では外出なども無いので、私服通勤が許されている。かずはもともとゆったりとしたお洋服を好み、ボトムもゴムウエストのものが多いから、少しきつくなったかな? ぐらいに思っていた。
かずの身長は161センチなので、低い方では無い。記憶していた体重は確か49キロぐらいで、ナイスバディでは無いまでも太ってはいなかった。
どうして、こんなことに。
「やっぱり、気付いていなかったのね」
「分からんかった」
鏡は毎日見るが、顔があまり変わらなかったからか、全然気が付かなかったのだ。
「ダイエット、する気はあるかしら?」
「ある!」
一も二もなく答えていた。このままではいけない。決してストイックなわけでは無いが、それぐらいは分かる。このまま太り続けようものなら、さすがにお洋服も入らなくなっていくだろうし、健康にも良く無いだろう。
「では、わたくしが指導をするわ。と言っても、そんな難しいものでは無いから」
「分かった。ところで、あんたは何のあやかしなん?」
この室内の冷えで、予想はできているのだが。
「私は、雪女よ」
ああ、やっぱりね。
ダイエット方法は、主に食事管理だった。食事量を減らし、さらに内容を変えろと言われた。確かにそのときに食べたいものを食べていたから、先日の様な大盛りオムライスとカップうどんなんて炭水化物過多の内容になることが多かった。
初日、要は雪女が来た日だが、オムライスは食べることを許された。だがカップうどんは「日持ちがするだろうからまた今度」と取り上げられ、代わりに出されたのがかき氷だった。
専門店やカフェなどで食べられる様な映えるものでは無く、夏祭りとかで良く見る様な、赤や黄色のシロップを掛けただけのもの。だが、それがやたらと美味しかったのだ。氷が驚くほどにふわっふわで、口に入れるとさらりと心地良く溶けていった。
「当たり前よ、雪女のわたくしが作るかき氷なんだから、美味しいに決まっているじゃ無い」
雪女は得意げにそんなことを言った。置き換えであり、それが食後のスイーツにもなった。
だが、やはり大元はお水。夜が深まればお腹が空いてくる。何か食べたい、そう思っても、もちろん雪女は許してくれない。
「我慢して寝なさい。それが美への道よ」
そう言われ、勝てる気がしないかずは、いつもより早い時間にベッドに入ったりした。
ごはんの内容は、スーパーの豊富なラインナップのおかげで大いに助かった。ダイエットを始めたからと言って、使えるお金が増えるわけでは無い。だがある程度の量は欲しい。そこで目を付けたのが、カットサラダだった。袋を開ければそのままサラダとして食べられるカット野菜だ。
千切りきゃべつをメインとしたものなら140円ほどで買える。結構かさがあるので、オイル入りのドレッシングを掛けると食べ応えがあった。たまには調理用のカット野菜を買って、レンジで加熱してホットサラダにしたりした。
それにお肉やお魚のお惣菜を付ける。そして、かき氷。そうがっつりなおしながきでは無いからか、最初は物足りなさを感じたが、日が経つにつれ慣れてきたのだろう、こんなもんやな、と思う様になっていった。
そうして3ヶ月が経ったころ。
体重は56キロまで落ちていた。
「凄い……! 元通りとは言わんけど、かなり落ちたんちゃう?」
体重計に乗ったかずは、ついはしゃいでしまう。
「ええ。まだスリムとまでは言えないけれどね」
「ありがとう! 雪女!」
「あなたががんばったのよ」
雪女がいるので夏だったのにお家の中では長袖で、それでも身体を冷やさない様にとお白湯も飲んだ。晩酌は焼酎やウィスキーなら許してくれたので、それらもお湯割りで飲んだ。
ちなみに雪女からは日本酒の冷酒をおねだりされたので、味とお値段のバランスが良いものを選んだ。感謝の気持ちも込めた。
「これからも食生活には気を付けなさい。オムライスとかお好み焼きとかもたまには良いけれど、お野菜とたんぱく質もちゃんと摂るのよ」
「うん」
凄く身体が軽く感じる。かずが朗らかな笑顔を浮かべると、雪女はしとやかに美しく微笑んだ。
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