セカンド・ラブ
@kinchanmaru
セカンド・ラブ
尾張 清洲城 ここで織田家の行く末に関わる極めて重要な評定が行われようとしている。
初夏の西陽が差し込む板の間に織田家の重臣である四人が膝を突き合せた。
「これで織田四天王が揃ったがや」
「おい待て、左近が来ておらん」
「来たら五天王になってしまうではないか」
「ダメか?」
「語呂が悪いな、五天王なんて聞いた事がない」
「そういう問題かね?」
「織田五人衆だな」
「ええい、もう一日だけ待とう」
そう言って部屋を出たのは織田家 筆頭家老 柴田勝家である。
その背中を追うように「おやじ殿がそう言うならしゃあない」と羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興も部屋を後にした。
天正十年 六月 本能寺の変と呼ばれるクーデターによって織田家は当主 信忠と、先代当主の信長を失った。
羽柴秀吉がその仇を討つと次の当主である信忠の嫡男 三法師の後見人と、謀反人 明智光秀の旧領の分配について話し合うため、諸将は信長の天下取りの出発点であるこの城に集まった。
そうしてたった今、もう一人の宿老を待つ為に評定は一旦お開きとなり各々は明日再び集まる運びとなったのだ。
柴田勝家は贈物を持って三法師の後見人候補である信雄、信孝と信長の妹 於市に挨拶を済ませ部屋に戻った。
すっかり薄暗くなった部屋に明かりを灯そうと油皿の灯芯に火をつけ、ゆらゆらと揺れる炎をぼうっと見つめた。
勝家にとって此度の評定はまだ幼い三法師の後見人が信長の三男 信孝と決まればそれでよかった。
明智討伐に間に合わなかった勝家はその所領の分配には興味がない。
ただ気がかりだったのは羽柴秀吉である。
秀吉は信長の次男 信雄を後見にと考えているというのだ。
サルめ、神輿は軽い方が……などとは言うが、よもや織田家を乗っとる気ではあるまいな。
何か策を講じねば……
評定の前にはそんなことを考えていたはずだったが、今の勝家に策を考えている様子はない。
この時、勝家は十五年振りに対面した初恋の人が変わらず美しかったと言うだけで、年甲斐もなくぼんやりし気づけば口角が上がり、たった数分にも満たない対面を繰り返し思い出しては心をときめかせていた。
余韻に浸るのも悪くないと思いつつも、ここへ来た本来の目的を疎かにしてはいけないと両の頬をぴしゃりと叩いてみる。
しかし、どうにも集中出来ない。
「そうだ、こういう時は心の内を紙に書き出すのが良いと言うじゃないか」
そうしてその紙を北ノ庄城へと持ち帰り、そこで思い出をなぞり、存分にこのもどかしさに苦しめばいいと考えたのだ。
勝家は急いで筆をとり「明智の所領は要らぬ、儂がほしいのは…」などとブツブツと呟きやきながら筆を滑らせ、書き終えると豪快に笑った。
「ぶはははは!我ながらふざけた事を!」
豪快に笑った勢いで仰向けに寝転がり、これまた年甲斐もなく笑い転げた。
やはり書き出してみると少しばかり気持ちに余裕が出来たようだ。
「はあ、いかんいかん」
軽く腹の痛くなるほど笑い、一つ大きなため息をついて我に返ると、やはり恥ずかしくなった。
「まるで恋文のようになってしまったわい」
勝家は立ち上がり、墨を乾かそうと縁側に出た。
少し風にあてるだけのつもりが、思いがけず吹いた突風にその紙をさらわれた。
「まずい!」
勝家は風にのって庭の茂みの奥へと流れて行く紙を追いかけ裸足のまま縁側を飛びだした。
「待て!待たぬか!」
その頃、於市は自室にて諸将から献上された贈物の品定めをしていた。
「サルは砂金、権六は織物か」
そう言うといかにも秀吉の好みそうな金の刺繍が施された巾着袋を侍女に手渡した。
「これは庭にでも撒いておけ」
侍女が砂金を庭に撒くとやわらかい風に乗ってキラキラと美しく舞った。
「ほほほ、愉快じゃ」
それから朱色地に白や紅梅色の花があしらわれた織物を手にとり侍女に渡した。
「品はあるが少々幼い、それは初か江に」
「お二人とも喜ばれますよ、於市様がお若いころ気に入っていた物によう似ております」
「そうか、つまり権六の中でわらわはあの頃のままということか」
そう言って於市はふっと笑った。
さぞがっかりしたであろうな、美しいと持て囃されたわらわとて歳はとる。
「はあ、」
於市は庭に目を移してため息をついた。
この天正十年という年は、三月に武田氏が滅びると六月には本能寺の変とその仇討ちまで慌ただしく、この城の庭は手入れが行き届いていなかった。
せめて自室から見える庭だけはと手入れはしているものの、連日の雨と温かい気候でみるみる生い茂った雑草が、趣のある小さな池も、それを眺めるための腰掛石も、以前はよく見えた向かいの部屋をもすっかり隠していた。
諸将が集まったと言うのに、皆この荒れ果てた庭を見て何を思っただろうか。
やはり兄がおらねば織田家は……
悲観的になる於市であったが、そんな考えを押流すように突然吹いた風が雑草を揺らし、その合間に何かを見つけた。
「あれは…」
「於市様、いかがされました」
「見よ、あれは姫百合ではないか?」
於市が指さした先には、一輪ひっそりと咲く姫百合の姿があった。
それまでつまらなく見えていた景色が途端に色付き同じ目で見ていたとは思えぬほど彩やかに映った。
「まあ、なんて可愛らしい 手折ってまいりましょう、ハサミを持ってまいります」
侍女は嬉しそうな於市を見てハサミを探しに足早に部屋を飛び出した。
於市は文台に向かい懐かしい歌を書いた。
"夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ"
「そう、わらわはこの歌が好きであった…」
かつて、わらわはよく考えていた。
ぼうぼうと茂る草むらを力強くかき分け、そこに隠れているわらわを見つけてくれるあの人。
好きだなどとはとても言えず、どんなにもどかしかったことか……
於市は歌を手に立ち上がり、茂みの中の姫百合をよく見ようと首を伸ばした。
その時ガサガサと茂みが動いた。
なにか大きな虫でも居るのかと身構えたが、現れたのは先程織物を持って挨拶に来た柴田勝家である。
「権六!?」
「於市様!?」
見れば勝家は裸足でなんとも驚いた顔をしている。
「なんじゃ、裸足でこんなところに」
「無礼をお許しください!まさか於市様の部屋の前に出るとは……」
そうして勝家は於市の手元に紙があるのを見て目を丸くした。
「そ、その紙をご覧になりましたか?」
「ご覧に?お前は突然現れて何を言っているの」
「於市様、それを儂にいただけませんか」
於市が頬を赤くして咄嗟に持っている紙を背後に隠すと、それを見た勝家は暗黙のうちに理解した。
そうか、於市様はこのふざけた紙を誰が書いたか分かっておられなかったのに儂が自爆したのか……
そうなれば後は開き直るだけだった。
先程までしどろもどろしていた勝家が覚悟を決めたとばかりに表情を引き締めた。
「ならばお渡しいただかなくとも結構」
「はあ?」
「結構ですが、間違っても他の者には、特にサルには秀吉だけには見せてはなりませんぞ!」
「わらわがどれだけあの男を嫌っているかお前も知っているでしょう!」
「ですが、いやでも、やはり恥ずかしいな」
そう言って顔をそむけた先に先程の姫百合を見つけ、於市に交渉を持ちかけた。
「では、この花とその紙を交換という事ならどうでしょう」
そう言って姫百合を丁寧に手折ると縁側へと近づき片膝をついた。
「姫百合の花言葉は"高貴、誇り、無垢"と三拍子揃って於市様にぴったりですなぁ」
「お前、その顔で花言葉を?」
「ええ、まあ、少しばかり」
勝家は少々照れくさそうに答えた。
「お前は見かけによらず香なども好きであったな」
「いやあ、香を焚くのは於市様にお会いする時だけですよ」
「そうであったか」
「かつて於市様の住まう城にはたくさんの花が咲いておりました 那古野城でも牧山城でも、ここ清洲城でも於市様はいつもそれをうれしそうに眺めておいでだった」
「よう覚えておるのう」
「ええ、儂は花を眺める於市様を眺めるのが大好きでしたから」
恥ずかしげもなく満面の笑みで答える勝家に聞いている於市の方が恥ずかしくなってしまった。
勝家にとってあの恋文ともとれる紙を見られた以上、今更なにも恥ずかしがることなどないのだ。
「於市様は花畑に隠れるのがお好きで、そんな於市様を探すのが儂の役目でした」
「そうであったな」
「ですから、花柄の織物を送ったのです
於市様にはいつも花に囲まれていて欲しい」
「そうか、それで此度も雑草をかきわけ、わらわを探しに来たと申すか」
「いや、これは、その…」
開き直っていた勝家が再びしどろもどろになるのを見て於市は小さく笑った。
「ふっ、うれしく思うぞ」
「え?」
まさか「うれしい」などと予想もしなかった返答に勝家は戸惑った。
「於市様、からかわないでくださいよ」
「権六、なぜお前は妻を持たぬ」
「やはり妻に貰うからには大切にしたいと思い高望みをするうちに今に至ってしまいました
さあ、お受け取りください」
そう言って両手に姫百合を横たわせ差し出した。
「於市様以上に大切に想えるお方に未だ出会えぬのです 於市様がいるだけで、儂にはこの雑草だらけの庭もキラキラと輝いて見えるのです」
勝家の素直な言葉に言いよどんだが、やがていつものように高らかに笑った。
「ほほほ、それは砂金じゃ」
「砂金?」
そして不思議そうにしている勝家の手から姫百合を受けとると、その手に紙を持たせた。
「これを、お前に差し上げます」
「於市様!ありがとうございます!」
そうして手に入れた紙に目を落としてようやく探していた紙ではないことに気がついた。
「ん?夏の野の…?」
「まあ、お前を想って書いたようなものですから」
「え?」
「権六、結婚しましょうか」
「え?」
手に入れた紙が探していたものではないことに困惑している所へ於市からの思いがけないプロポーズが重なり呆気にとられた。
顔の大半は扇子に隠れてその表情は伺えないものの、どうやらからかっているわけではないとわかると勝家はたちまち笑顔になった。
「はい!よろこんで!後で気が変わったなどと言うのはやめてくださいよ」
「権六、言っておきますがこれはお前が思っているような結婚ではありませんよ」
「分かっております、織田家存続のための致し方なしの政略結婚でございますね!儂はそれでもうれしいのです!」
於市は扇子の向こうで口元を尖らせ小さく呟いた。
「やはり分かっておらぬではないか」
勝家にすっかり忘れられたあの紙を見つけたのは「サルだけには見せてはなりませぬぞ」などと言われていた羽柴秀吉である。
「なんじゃあ、この紙は? はっ、於市様を嫁に?誰がこんなふざけたことを書いたんだて」
ん?こりゃ、おやじ殿の字じゃにゃあか?
どえりゃーもん拾っちまったがや。
しかし、これでおやじ殿が後見人の件折れてくれるってんなら……
翌日、羽柴秀吉の仲介によって二人の縁談はまとめられた。
二人は越前 北ノ庄城で三人の娘たちと美しい花々に囲まれ幸せに暮らした。
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