孵る羽が伴う時

川崎燈

本文

 「羽にられてはならん、魅入ってもならん」

 晴天の空の下、一人の老婆が私に忠告する。それは、空気が熱を帯び始める3月の出来事だった。



 私は仕事の関係で、とある田舎の村へ足を運んでいた。仕事とは、この村に交通インフラを整備するための測量である。それなりに規模の大きい工事のため、測量も数日間に分けて実施される予定だった。

 私は他の測量士たちと共に、この村の民宿に3日前から寝泊まりしている。交通インフラが未整備の村ゆえ、一度帰宅するのも時間がかかる。宿泊はやむを得なかった。


 そんなある朝、私は村の外れの山中で測量をしていた。そして、自分の担当区域でふと『ソレ』を目にした。

 ……白く、白く美しい女性だった。真っ白な着物を纏い、髪は肩にかからぬほどの長さ。その髪も肌も、透き通るほどの白さだった。

 銀糸のような髪は、静かな風を受けるたびにさらりと流れ、星屑が舞うように輝く。まなざしは静かでありながら、どこか温かみを含み、目が合えば吸い込まれるような不思議な感覚を覚える。

 そして、何より目を引いたのは、彼女の背後に広がる大きな羽だった。

 その羽は、まるで月光に照らされたきぬのように淡く優しい光をまとっていた。純白に近いクリーム色の基調に、せんさいおりもののような滑らかさを持つ。縁には波打つ模様が刻まれ、柔らかな風にそよぐ布のようにたおやかに揺れる。細やかなりんぷんが光を受けてきらめき、見る角度によって微妙に輝きを変えた。中心から外側へと広がるかすかなはくいろの筋が、落ち着いた温もりを感じさせる。

 彼女の清らかでせいひつな美しさに、私は思わず見惚れてしまった。その透明感は、遠目からでも私の心を動かすには十分だったのだ。


 しばらく彼女を見つめていると、胸ポケットに引っ掛けていた無線機が鳴る。


『クドウさん、そっちの首尾はどうですか?』


 クドウ――それが私の名前だ。無線機に向かって「それなりに進んでいます」と返答し、一瞬目を落とす。そして再び顔を上げた時、彼女の姿は消えていた。

 もし無線が鳴らなければ、私はずっと彼女を見つめていたかもしれない。



 「――そんなことがあったんだよ」  

 「えー、見間違いじゃないんですか?」


 昼休憩の時間、支給された弁当を食べながら、私は後輩に山中で見た女性のことを話す。しかし、後輩は信じられないという表情を浮かべた。

 

 「こんな辺鄙なところに、そんな綺麗な女の人がいるとは思えませんよ。しかも、羽が生えてるなんて……」

 「本当にいたんだよ」


 後輩はため息をつく。


 「そんなオカルトみたいな話……第一、そんな綺麗な女性だったとしても、背中に大きな羽が生えてたら普通ビビりますよ。そんな目立つ見た目なら、他の人も見てるはずですし。疲れてるんじゃないですか?」


 彼の言うことはもっともだ。普通に考えれば、羽の生えた女性など存在するはずがない。だが、私は確かに彼女を見た。この目で、はっきりと。


 「あんた、見たのかい」


 突如、背後から声をかけられる。振り返ると、そこには背の低い老婆が立っていた。老婆は神妙な面持ちで言葉を続ける。


 「悪いことは言わん、早く忘れんさい」

 「どうしてですか?」

 「……羽に魅入られてはならん、魅入ってもならん。もし魅入ってしまったら、もう戻れんようになる」


 その言葉の意味するところは、私には分からなかった。


 「あの、どういう意味なんですか?」

 「分からんでいい。ただ、もう『ソレ』を見た場所には近づくな。これは忠告じゃ」


 老婆はそれだけを言い残し、その場を去った。



 私はその後も測量を続け、最終確認のため後輩と共に、あの女性を見た付近へと足を運んだ。


 「この辺りで見たんだったかな」  

 「はいはい、もうその話はいいですよ」


 後輩は呆れたように返事をする。

 そして、しばらく歩くうちに、私は再び『彼女』を目にする。前よりも、近い距離で。

 

 「ああ、うつくしい……」


 彼女は前と変わらぬ美しさだった。白銀のような髪、肌、着物……そして、羽。

 美しい、羽。

 うつくしい、うつくしい、うつくしい。

 隣で後輩が口を大きく開け、冷や汗を流している。その表情は恐怖に歪んでいたが、私にはその理由が分からなかった。こんなにも、うつくしいのに。


 私はゆっくりと彼女に近づいていく。もっと、その羽を近くで感じたい。その、うつくしい羽を……。



 ――その後のことは、よく覚えていない。

 気がつくと、私は民宿の布団の中にいた。仕事仲間によれば、後輩と共に山の中で倒れていたらしい。後輩は目を覚ましていたが、顔を青ざめたまま布団から出てこないという。

 上司の判断で、私は先に帰宅することになった。私もかえりたかった。


 帰路につく。と一緒に。



 彼女はそこにいる。


 私を包む、はくぎんの糸で。


 彼女は共にいる。


 私とる、このあわゆきかごで。


 ああ、あたたかい。ひとつになってゆく。感じる、彼女の羽を。




 彼女と共にかえるのだ。

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孵る羽が伴う時 川崎燈 @akarikawasaki

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