生成AIセレナーデ
紫野一歩
生成AIセレナーデ
あるテレビでAI研究の第一人者が顔をしかめながらインタビューに答えている。
「今の生成AIの進化スピードは、私たちの予想をはるかに超えている」
テレビ番組ではその研究者の説明を受けて、AIがやがて人間を超える可能性や、今後の展望などをスリリングに伝えた。出来るだけ恐怖をあおるように編集することで、視聴率を上げる事を意識するあまり、面白く無さそうな発言は全てカットする。
その中に「今の進歩を支えているのは我々ではない」という弁解めいた言葉があったが、もちろんそれもカットされた。
○
地球を眺めるように、一隻の宇宙船が浮かんでいる。
外からやって来る光子と重力子と電子全てを透過するように作られたその小さな船は、地球人の観測技術を避ける為に作られた特別製だ。
その宇宙船の中で、シータ星のリマはモニターを弄っていた。
そのモニターに映った一人の女性は、草原にポツンと建った一軒家のウッドデッキで、本を読んでいる。
「見つかったのか」
同じくシータ星のトニが話しかけると、リマは頷いた。
「今も変わらず美しい」
「俺にはわからんよ、その美的センスは」
トニは四本の触手を波打たせて体を揺らす。これはシータ星のジェスチャーで『勝手にやってくれ』というサインだった。
「ああ」
リマは小さく呟くように返事して、またモニターを操作した。
座標入力が完了すると、宇宙船は滑るように地球へと降りていく。
リマがアンナに会ったのは、ほんの二十年前の事である。
天の川銀河外縁28443に位置する太陽重力圏を航行している時にトラブルがあり、唯一シータ星人が生きられる環境を持った地球という惑星に不時着した。単独飛行であり通信機器も壊れていたため、リマはしばらく地球で過ごしながら宇宙船を自力で直さなければならなくなった。直すこと自体は可能だ。単独飛行免許の取得には宇宙船のエンジニア資格が必須だったから。しかし知識があっても、資源が上手く手に入るかは別の話だった。
リマは森の中に宇宙船を隠すと、牛を探した。
最近の論文に、この星にいる牛という生命体が、アンドロメダ銀河ブラックホール重力圏23で養殖されているツゥォーヌェの七倍のエネルギー効率を生み出すという研究結果が書かれていたからだ。牛を分解すれば、今壊れている通信機器と重力子スピン干渉装置を直すことが出来るはずだ。
地球には人間という知的生命体――と言ってもまだ一光年内のエネルギーどころか恒星エネルギーも満足に取得できない文明レベルだが――がいるらしいので、意思疎通をして牛を持って来てもらう方が早そうだ。
リマは森から抜けると人間を探した。
この星の大多数の生き物と違い、肌がつるつるしていて、体毛はほとんど頭に集中しているという奇妙な外見をしているらしい。
しかし、人間は警戒心が強かった。
どうやら自分と違う外見をした生物を警戒する習性があるらしく、初めて出会った男は悲鳴を上げて鉄の弾をぶっ放して来た。
第三触手を損傷してしまい、回復まで三日も掛かってしまう。
姿を現す前に脳波に直接語りかけてみたり、遠くから話し掛けてみたりと、手を変え品を変えてアプローチを試みるが全て無駄骨に終わった。牛を直接見かければそのまま一頭拝借してとっとと地球をおさらばしたいところなのだが、どうやら牛よりも人間の方が圧倒的に生息数が多いらしく、なかなか宇宙船修理は難航した。
一週間が経ち、二週間が経ち、仕事として何度も人間との接触を試みて来たリマも、段々と心が折れて来る。
どうして外見が違うだけでこんなにも恐れられなければならないのか。どうして話を聞いてくれないのか。
話もさせてもらえず、腹も減って来る。まるで地球という広大な檻に監禁された獣のように思えて、自分がひたすら惨めに感じて来た。
一度、そのように沈んでしまった心は、どんどんと悪い連想を引き寄せる。
通信機器が壊れたという情報は管制塔にも届いているはずなのに、どうして救助が来ないのだろうか。単独行動は自助が原則とはいえ、救助隊が組まれてもいいはずだ。何の音沙汰も無いのはどういう事だろう。もしかして見捨てられてしまったのだろうか。
悲鳴が聞こえる。
振り向くと、人間がこちらを見て二つの目を丸くしている。
震える手で鉄の弾を飛ばす筒を構え始める。
リマは森に咄嗟に逃げる。
自分の口から、慟哭が漏れていた。限界だった。
どうして、どうして。
森を抜けると、呼吸機能に異常が出ていた。
元々地球の酸素濃度が高すぎてアルゴン濃度が低すぎるのはシータ星人にあまり良くないのに、全力疾走をしてしまったせいだ。わかっていたのに、身体は言う事を聞いてくれなかった。勝手に粘液が体から溢れて滴り落ちる。悲しくて出ているのか、生理現象なのか自分でもよくわからなかった。
「どうしたの?」
頭上から細い弦を弾く様な声が聞こえた。
這いつくばるように地面を見つめていたリマが顔を上げると、そこには人間の少女が一人立っていた。
今まで遭遇した人間の半分くらいの背丈しか無く、きめ細かい肌に金色のくせ毛が背中まで垂れている。
「苦しいの?」
少女は首を傾げた。
「僕の声が聞こえますか?」
「聞こえるよ」
その瞬間、リマは額と顔の横側から粘液がドロドロ流れるのを感じた。安堵した時、恐怖した時、嬉しい時、悲しい時、自分の感情が許容量を超えた時に、シータ星人はこの粘液を流した。
「泣いてるの?」
「いいえ。話が出来るのが嬉しくて」
「そんな事初めて言われた」
少女はそう言ってリマの粘液を優しく拭いた。
リマは少女の全てを理解したいと思ったが、わかったのはせいぜいアンナという名前くらいだった。
一緒に過ごした日数もほんの三十日程度であり、しかもそのほとんどは、アンナは草原の麓の町へと出かけていた。
少女は小さな家で一人で暮らしていた。
人間の大人は何故かアンナに全く構わず、アンナが町へ降りていくと露骨に顔をしかめた。それが何故なのかはわからない。後にリマが人間を調べたところ、生まれや肌の色など、些細な事でも人間はグループ分けして、異分子を排除しようとする性質があるという事がわかった。おそらく彼女がいた町では、アンナは異分子だったのだろう。
リマはアンナが笑った顔が好きだった。その顔を見るだけで、気分が高揚して彼女と一瞬精神が重なる様な感覚があった。アンナがそばにいるだけで、もうひと踏ん張り出来る。折れた心は、彼女のそばに行くとヒビを残しながらも少しだけ治るのだった。
晴れた日は青空が必ず見える事を教えてくれた。人間は青空が好きなのだそうだ。忘れている人もいるらしい。
蝶が飛んで花に止まる光景は平和の象徴なのだそうだ。アンナの住む家の周りは平和の象徴で溢れていたが、彼女自身は幸福そうではなかった。
リマが尋ねると、「もちろん幸せ」と笑うのだった。
親しい人間同士は触手を体に絡めあうらしい。シータ星人は繁殖以外では肉体的接触をほとんどしないので、初めて彼女の持つ二本の触手で絡められた時は、循環器官が異常値に跳ね上がった。恐る恐る彼女の背中に回した四本の触手から、陽光のような温かさが伝わって来る。その感触は悪くなかった。
「これ、あげる」
宇宙船修理の目途が立った頃、アンナがリマの頭に花冠を載せた。
「これは?」
「もうすぐ、お別れでしょう」
アンナはそう言って、眉尻を下げて笑う。
リマの大好きな笑顔なのに、その光景は悲しみに溢れていた。
「僕はここに残ろうと思う」
考えるよりも先に念波を送っていた。
「どうして? 宇宙船は治ったんでしょう」
「君が一人になってしまう」
アンナは一瞬口を歪めたが、ゆっくりと首を振った。
「私、わかるの。あなたには、ここの空気は毒なんでしょう」
人間にシータ星人の生体がわかるはずもない。わかるにしても、人間の中でもほんの一握りの外れ値的頭脳を持つものでないと、解析の一つすらまともに出来るはずがない。
しかし、アンナはそういった科学の理の外から、リマを完全に理解していた。
アンナの言ったことは正しかった。
シータ星人は、地球にずっとはいられない。
「リマがいて、楽しかったわ」
アンナは決して、リマを引き留めようとしなかった。
「嫌だ」
リマが首を振る。人間の文化で否定の合図。リマはこの何十日で、アンナにとても多く、人間の事を教えてもらった。
「人間の寿命は八十年くらいあるの。だから、また会いに来て。この地球が太陽をあと七十回回るまで、私はきっと生きているから」
「一人で生きていけるの?」
「私の中には、もう貴方がいるから」
自分の肉体の一部をアンナに移植した記憶は無かった。人間にはまだシータ星人が知らない生態があるのかもしれない。ハグと呼ばれる触手を絡め合う行為が、肉体の一部を交換する役割を担っているのかもしれなかった。
「あなたの中にもいるといいな」
アンナが笑う。
「いるよ、いる」
リマは答えた。嘘でもいい。彼女のいる青空の景色を。
無事に天の川銀河での任務を終えた後も、リマは理由を付けて地球へと訪れた。
しかし、一度も着陸することは無かった。
それは地球人が急速に世界中に個々を繋げ始めたからだった。リマが地球に不時着した時、地球人の情報伝達は極めて鈍足かつ限定的だった。
リマがいくら地球人に見つかろうとも、その場から逃げればそれで事足りたのだ。リマを見た地球人がどれだけ騒いでも、幻覚か白昼夢かで片づけられ、そこから遠方へは情報が伝播しなかった。シータ星の外見を記録する媒体も無かったし、それを伝える手段も未発達だったからだ。
しかし、再び地球に接近したリマが見た物は、各々が持っている小型電子機器だった。映像記録を容易に地球の隅々まで送付することが出来るその機械を見つけた時、リマは心底恐怖した。
シータ星の外見を見た地球人が、どのような行動を取るのか、文字通り身に染みてわかっていた。今でも吹き飛ばされた触手の古傷が痛むのだ。
もちろん中にはアンナのような人間もいるだろう。
しかし、大多数がそうでない事を知っている。その大多数の地球人に、リマの姿があっという間に拡散されてしまう。その結果は容易に想像出来た。
リマが一番気にしたのは、アンナの事である。
見つかった場合、リマはすぐに逃げられるだろう。
しかしリマと一緒にいたアンナは? 一緒にいる映像が、地球上の全員から目撃された彼女はどうなるだろう。
そう思うと、地球には降り立てなかった。アンナに会うためには、地球人の網膜に反応可能な光学迷彩に留めなければならず、それは他の地球人に発見されるリスクを零には出来ない事を意味する。
モニター越しに空を見上げるアンナを見ながら、リマは溜息を吐いた。
そして、決心する。
シータ星の技術を一部、影響力のある地球人に念波で送るのだ。
○
「天啓、と言えばいいのかな」
生成AIの開発者は口々にそう語った。
「自由学習の重みづけの最適解が、頭に浮かんで来たんだよ。きっとこれまでの研究が無意識的に繋がったんだね」
テレビの中で開発者は満足げに語っている。
地球上の生成AIはもはや本物と見分けのつかないレベルまで進化していた。既に学習による重みづけの研究でさえもAIが行うようになり、AIは地球人の手を離れて着々と成長していく。
一方でSNSは人間の報酬系を効率良く刺激して、中毒症状を引き起こすように進化を続け、センセーショナルなニュースがいち早く取り入れられるメディアから、知らない隣人の昼食を眺め続けるメディアまで、あらゆる手段を用いて情報の渇望状態を作り上げた。人類は動画を数限りなく閲覧するようになるが、そのどれもがただ脳の報酬系を活性化させるばかりで、五秒後には何も覚えていない。
SNS上ではリアルとフェイクが入り混じり、どれが本物の情報か調べるためには、膨大なリソースを割いて動画を解析しなければならなくなった。専門家が「これはリアルだ」と断言した動画が後にAI生成されたものだと判明することも珍しくなくなり、人類は動画の全てにフェイクの可能性がある事を認識しなければならなかった。大量に流れ続ける動画の一つ一つを根気よく調べようとする人間など、もはや皆無だった。
自分の目で見た物しか信じない。
いつしか人類は、そう語るようになる。
急速に発達したメディアは、皮肉にも原点回帰をしたのである。
SNS動画の中にはもちろん、宇宙人発見! というチープな見出しと共にわざとらしく触手を生やしたつるつるとした不気味な生物が動く動画もあった。
しかし、そんな動画を見ても誰一人として、本物だと信じるわけが無かった。
○
リマは野原に降り立った。
いつかと同じ、甘い匂いが辺りに充満している。
リマの触手には、時間凍結された花冠が握られており、アンナが頭に載せてくれた時のままの鮮やかさを保っている。
触手の折り目から、淡い緑色の液体が少し垂れた。これはシータ星人が緊張している時に分泌される液体である。
その液体が垂れなくなるまで丁寧に拭いた後、リマは小屋をノックする。
はい、と中から懐かしい声が聞こえて来た。
生成AIセレナーデ 紫野一歩 @4no1ho
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