彼女は死なせてくれない

皆同娯楽

第1話

「山田さん、今日もわたしが帰ったあと死にたいなんて考えちゃダメですよ」


 カレーを装ってくれた皿を運びながら、真面目な顔で佐々木さんが言う。


「はいはい」


「なんですか、その投げやりな返事は!」


「はい!」


 ごまかすように僕はテーブルに置かれたカレーを小さくいただきますと言ってから、スプーンで口に運んだ。


「やっぱり美味しい」


「ありがとうございます」


 満足げに彼女は微笑む。

 もう何度目だったかな。七回? 八回?

 数えていないから覚えてはいないけど、会社の後輩の彼女が仕事後に家まで来てまで作ってくれる料理はいつも美味しい。


「こうやってまたおいしいと思ってもらえるものを作りに来ますから、」


 そしてまた真剣な顔になって、


「だから本当にもう死のうなんて考えないでください」


「……はいはい」


 どこか小っ恥ずかしくて顔を背けて言う。

 どうしてこんなお世話してくれるのか。

 そういえばもう三週間ぐらい前になるあの日も作ってくれたのはカレーだった。

 その日から今日までのことを思い出す。




 仕事が忙しかった。

 勤めている介護の職場は過酷で、上司から責められるのは日常茶飯事。

 ストレスで心がすり減っていっていた。


 母が病気で亡くなった。

 独り身で自分を育ててくれた最愛の母だった。

 すり減っていた心が崩れ落ちた。


 母の葬儀が落ち着いて一週間ぶりに職場に復帰した日、僕は大きなミスをしてしまった。

 そのことで中沢さんという上司に罵声と責め苦をひたすら浴びせられた。

 一週間も休んでやっと出たと思ったらこれか、ほんと使えねーな、マジいらねーなど罵詈雑言をこれでもかとばかりに。

 

 ああ、そうか。会社で僕はいらないのか。誰にも必要とされてないんだ。


 ……死にたい。


 そう思って、その日の仕事中衝動的に手帳の一ページを破って遺言を書いておいた。

 誰にでもなく、辛い、死にたいという想いを書き連ねた。


 仕事が終わって帰ると、元々薄かった気力が完全に切れてリビングの床に仰向けで倒れこんだ。


 さて、どうしようか。死ぬとしたらどうやって死のう。

 そんなことを仰向けになって天井を見ながら、本気で考える。

 あっ、とりあえずカバンに入った遺書を分かりやすいようにテーブルに置いておこうかな。

 ……いや、もうどうでも良いか。


 なにもかも面倒くさい。


『大丈夫、あんたならあんたを大切に想ってくれている人が周りにたくさんいるはずだから』


 ふと、母さんが亡くなる前にかけてくれた言葉を思い出した。

 母さんが亡くなったら僕はどうすれば良いんだよ、と弱気の言葉を発した僕に、母さんが言ってくれた。


 でもごめん、母さん。

 やっぱ僕は必要とされてないみたいだから、生きてる意味ないや。

 

 いつまで床に倒れこんでいたか分からない。

 でも長い時間だったと思う。

 しばらくそうしていたらチャイムが鳴った。


 誰だよ。


 面倒くさい。もう出なくて良いや。早く帰って欲しい。


 でもそんな僕の願いは相手に届くはずなくそれが短いスパンで何度も続く。

 ピンポンピンポンピンポンピンポン。

 うるさいな、なんなんだ。


「山田さん! 山田さん、いないんですか!?」


 ひどく慌てた声と口調で扉の前の人物は俺の名前を呼ぶ。

 この声とその呼び方……。佐々木さん? なんで? いや、合ってるのか?

 謎の事態に疑問ばかり浮かぶが、どうにも体が動かない。


「山田さん! いるなら出てください! じゃないと警察呼びますよ!」


 警察! なんで⁉︎

 さすがにそこまで言われると焦って立ち上がる。そのまま急いで扉に向かって開けた。


「良かった、生きてる!」


「えっ、生きてる? ていうか、そんな慌ててどうしたの佐々木さん?」


 ほっと胸を撫で下ろす佐々木さん。

 僕はといえば全然状況が掴めず、さぞキョトンとした顔をしてしまっていることだろう。


「どうしたのじゃないですよ! 家着いたら電気真っ暗で、チャイム鳴らしても出てくれないですし。ひょっとしてもう? っと思って心臓止まりそうになりましたよ!」


「自殺?」


「早まっちゃダメです! バカなことは考えないでください!」


「えっ、どういうこと? 急になに?」


 なんで自殺という言葉が? バレてる?


「急になにって、それはこっちのセリフですよ! なんなんですか、これは!」

 

 バッと紙が顔の前に突き出された。僕の方に向いてる面には僕が書いた遺言が連ねられている。しっかり名前も入れていた。

 えっ、あれ、カバンに入れた筈なのになんで⁉︎


「帰ろうと廊下歩いてたら観葉植物の陰に落ちてて、拾ったらこんなこと書いてあるんだからビックリしましたよ」


 あっ、そういえば、カバンに入れようとした直前に急に中沢さんに呼ばれてポケットに入れて向かってったんだ。

 その際に落ちてしまったのか。


「それでわざわざ来てくれたんだ?」


「当たり前じゃないですか! 電話何度かけても出ないし、警察に電話しようかとも思ったんですけど、さすがに拾った紙だけで呼ぶっていうのもありなのか分からなかったので、直接来たんですよ!」


 佐々木さんの家もこの近所でお互いにお互いの家は認知しているのは知っていた。

 かつ会社からもそんなに離れてはいない。


「あー、ごめんね。変なもの落として。全然気にしなくていいよ」


「いやいや、気にしなくていいよ、じゃないですよ! こんなの見た後に、あっはい、分かりましたー、それじゃおつかれさまでーす、なんて帰れる訳ないじゃないですか!」


「…………えっとほら、半分冗談みたいなもんだからさ、それ」


「こんな分かりづらくて笑えない冗談初めてです」


 じとーっとねめつけるような視線を向けてくる。


「ほんとうに大丈夫だよ。ごめんね、仕事後で疲れてるのに」


「そんなの全然です! それよりもなにが大丈夫ですか。顔が死んだ魚のような顔になってますよ」


 死んだ魚のような目は聞いたことあるけど、顔全体か。

 どんだけやばいんだ。

 

「大丈夫、大丈夫。佐々木さんが帰ったあと死んだりしないから」


「……ほんとうですね?」


「ほんと、ほんと」


 申し訳ないし、とりあえず帰ってもらわないと。

 それに早く一人になりたい。


「えっとじゃあ、ちなみにご飯は食べました? ━━ってその姿見れば多分食べてないですよね?」


「……食べてないよ。でも大丈夫だから」


「うーん、このまま帰っても山田さん、今日どころか明日になってもなにも食べない気しかしないんですよね。……そうだ! もし良かったら、わたしが作りましょうか?」


「えっ?」


 少しすら予想出来ていなかった言葉に理解が追い付かない。

 作るって何を?

 ……もしかして話の流れから、 


「佐々木さんが僕にご飯を?」


「はい」


「いや、そんなのほんとに悪いよ。全然お腹空いてないし、空いたら適当に済ますから大丈夫だよ」


「いえ、こういう時は強引さも大事だと思うんです。申し訳ないけど無理矢理居座らせてもらいます」


「いや、ちょっと佐々木さん……」


「それに、山田さんにはとてもお世話になったから。勝手でもなんでも、今わたしが山田さんの力になりたいんです」


 彼女はより真剣に、真っ直ぐ僕の目を見て言ってくれた。

 だけど思わず僕は逸らしてしまった。


「別にそんなに世話なんてしてあげられてないよ。それに佐々木さんは後輩なんだから、フォローするのは当然のことだよ」


 二ヶ月ほど前に佐々木さんが部署異動してしまったけど、前は同じ部署で働いていた。


「そんなことないです。あなたは何度もわたしのミスをフォローしてくれて、かばってくれた。でも、そのせいで上司に責められることも多くて、それが大分負担になってしまっていたんですね。……ほんとうにすいませんでした」


「いやいや、そんなのいいよ。全然謝ることじゃないから」


 佐々木さんは苦笑する。


「ありがとうございます。でも別に後輩だからわたしばっかりフォローしてもらうとかは違うと思いますし、嫌です。人という字は人と人とがうんちゃらかんちゃらです。仕事だとかそうじゃないとかそんなの関係ないです。どうかわたしに山田さんの手伝いをさせてください」


 いや、いらないよ。帰って。


 なんてそんなこと言えなかった。

 彼女の想いを無下に出来なかった。


「じゃあお願いするけど、ただし僕も一緒にやるよ」


「いえ、その、とても魅力的な提案ではあるんですけど、死んだ魚みたいな顔をしてる山田さんはゆっくり休んでいてください」


「えっ、なにほんとにそんなヤバい顔してんの?」


「半分冗談です」


「半分本気なんだ……」


 それまでと違ってイタズラめいて笑った彼女につられて。

 つい僕も少し頬が緩んだ。


「でもほんとうに休んでいてください。ということで、すいません、冷蔵庫開けますね。えっと、野菜はあるから……カレー作らせてもらいますね」


 同じ部署で仕事をしていた時も、彼女は一度決めると僕や上司に言われても曲げないことがあった。


「じゃあお願いします。ただし佐々木さんもまだ食べてないよね? 佐々木さんも食べていって」


「良いんですか! ありがとうございます!」


「それとごめん、お言葉に甘えて休ませてもらおうかな」


「はい!」


 佐々木さんは嬉しそうに返事をするとキッチンに向かっていった。


 それから僕はソファに座った。

 背中を完全にソファに預ける。

 自分の方に背を向けてキッチンで料理を作る佐々木さんの背中を見る。


 度々必要なものがどこにあるか聞かれそれに答えつつボーッと彼女の背中を見ていたら、瞼が重くなってきた。

 いつの間にか僕は眠りに落ちた。


   ☆★☆★☆★☆★

 

「出来ましたよー、山田さん起きてください!」


「んあっ?」

 

 彼女の声に目が覚める。

 寝起きでボーッとしている中、香ばしい匂いが僕の鼻腔をくすぐる。

 そのまま頭の中を進んで脳が刺激され、一気に覚醒した。


「さあ、山田さん、食べてください」


「ありがとう」


 テーブルに向かおうと立ち上がった時だった。

 僕のお腹がグーっと大きく鳴った。

 そこでようやく、さっきまで全くもって食欲がなかった自分が、今はもうお腹が空いていたんだということに気が付いた。

 そういえば、昼も一切食べてなかった。


「お腹空いてたんですね、良かったです」


 佐々木さんにクスっと笑いながら言われた。

 内心大分恥ずかしさに満たされてるけど、そうみたいだねと他人事のように平然な顔で言ってイスに座った。


「体は正直ですね。生きたい、生きてくれって言ってますよ」


「…………」


 僕は言葉を失った。

 心は変わらず重たいままなのに、より食欲が湧いた気がした。

 

「いただきます」


「どうぞ」


 優しい彼女の言葉が聞こえた時にはもう僕はスプーンを握っていて、そのまま口に運んだ。


 また運ぶ。


 そしてまた。


 手が止まらない。


「……美味しい」


「良かったです。一応おかわり分も確保してるので、する時言ってくださいね。どんどん食べちゃってください」


「……おかわり」


「はやっ!」


 と言いつつ、嬉しそうに立ち上がってカレーを装いに行ってくれた。

 戻ってきた佐々木さんは中々美味しく作れましたと自画自賛したり、それに僕がほんとだね、と乗っかったり、ポツリポツリと会話をしてから、そこからはお互い無言でただカレーを頬張った。

 食べ終わった後はさすがに二人で洗い物をしてから彼女は帰った。


 帰り際、わたしが帰ったあと死のうとしないでくださいよ! っと改めて強く念を押されたので、死なないよと返したが彼女にじーっと疑いの目を向けられた。

 でもほんとうに今日はありがとうと本心を伝えると、彼女は嬉しそうに帰っていった。

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