私を捨てた貴方へ

狐守玲隠

第1話

髪は一日洗わなければ、きしむのは当然で、それと同じく恋は一日放っておけば、取り返しのつかないものになる。

そう気づいたのは、もう遅いと言われる頃。

雪の中、ふるえる私は去りゆく貴方の背中をずっとずっと見つめていた。


あの人が去ったあの日から、もうどれだけの年月がすぎたのだろうか。いつの間にか、木々が生い茂っていた。小鳥たちのさえずりが私を慰める音楽に聞こえる。

きっと、いや、絶対に、もう二度とあの人が私の元へやって来ることはないだろう。

そうは分かっていても私はここで待つしかないのだ。あの人がやって来ると信じて。


でも、こう長い時間、あの人の迎えを待ち続けていると考えてしまう。

と。

私は、あの人に捨てられる前日、仕事が忙しいのを言い訳にして一日放っておいた。

いくつも送ってくるメッセージに、何度もかけてくる電話、それらに時間を割く暇がその日はどうしても無かったのだ。

少し愛が重く、束縛もなかなか強いあの人だが、さすがに一日くらいなら大丈夫だろうと思ってしまった。それがいけなかったのだ。

仕事明けに、謝罪メッセージを送ったが、もはや意味がなかったらしい。

あの人は、私に散々怒鳴り散らした後、5年も付き合っていた私を呆気なく捨てた。


私も、簡単に捨てられたわけではない。

散々反抗した。謝罪もした。許しを乞いもした。

でも、ダメだった。

やっぱり、ああいう場面では、力の弱い私が敵うはずもなかったのだ。

もう少し、鍛えておくべきだったとはじめて思った瞬間だったのを今でも覚えている。


ああ、いつまで経ってもあの人は来ない。

ふるえる私をゴミのように捨てたあの人をずっと待ち続けないといけないのはなぜだろう。

私があの人を一日放っておいた罰だろうか。

それとも、あの人にいつか罰を与えるためだろうか。

後者であって欲しいと願ってしまうのは、私の心がもうふるえることがないからだ。

そう、もうふるえることはない。

あの人に対しても、ほかの人に対しても。


だから、もう、誰でもいいから早く私を迎えに来て欲しい。迎えに来て、辛かったねと私を慰めて欲しい。可哀想だと私のために泣いて欲しい。


そう願い続けた私の思いが届いたのか、久しぶりに人気ひとけを感じた。

ワンッ。ワンッ。

小型犬だろうか。弱々しい鳴き声をあげながら、私の上で跳ねている。

「ぱおちゃん!!急にどうしたの?」

ワンッワンッワンッ。

「なに?ここを掘れって?」

ワンッ。ワンッ。


「よいしょ」という声と共に視界が明るくなっていく。どんどんどんどん明るくなっていく。


「よいしょ」


「よいしょ」


「よいしょ」


あの日からずっと、茶色い世界に半分以上埋まりっぱなしだったからか、抜け出せた時の感動は大きかった。

やっと、やっと抜け出せた。

やっと、やっと見つけてくれた。


その瞬間、少しだけ私の骨がふるえた。

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