特殊サンタ
國枝志帆
第1話
「与多恵(あたえたえ)です。私の名前、韻を踏んでるんですよね。ラッパーの父がつけた名前です」
「お父さん、ラッパーなの?」
「嘘です。父は普通のサンタクロースです」
「普通のサンタクロース」
「ごめんなさい、これも嘘です。本当は特殊サンタをしてました」
サンタクロースなのは本当なのか。特殊サンタとはいったい何だろう。
「父は長くトクサンをしてました」
「待って、トクサンって略すの? 特殊サンタ? というか特殊サンタって何?」
「落ち着いてください、順に話します」
俺は落ち着いている。そして、同級生の与多恵も落ち着いている。
ここは図書館の裏のベンチだ。静かな雰囲気で、俺も与も落ち着き払っており、突拍子がないのは話の中身だけだ。
なぜサンタクロースの娘と話しているのか。
発端は昨日にさかのぼる。自宅の郵便受けに不審な招待状が届いていたからだ。
「星井悠人(ほしいゆうと)様
貴殿は特殊サンタクロース候補生として選出されました。」
はっきり言ってすごく怖い。こんな怪しい招待状を送ってくる団体に住所氏名を知られているのだ。どこから個人情報が洩れたのだろう。おかしなサイトなど見た覚えはない。
「ご返信は不要です。
詳細は貴殿の高校の図書委員である与多恵にお尋ねください。担当の与は放課後の図書館カウンターに常駐しています。」
図書館のカウンターに彼女はいた。与多恵は話したことがないクラスメイトだ。
「あっ、星井くん。本、借りる?」
「いや、借りない」
与は不思議そうな顔をした。
「……家に、変な招待状が届いたんだけど、そこに与の名前が」
言い終わる前にガタッと音を立て、与が立ち上がった。
「星井悠人さん。候補生の方ですね? お待ちしていました。ここじゃ何なので、外で話しましょう」
そして、俺たちは図書館裏のベンチに移った。
「改めまして、与多恵(あたえたえ)です。私の名前、韻を踏んでるんですよね。ラッパーの父がつけた名前です」
そこで例の自己紹介となったわけだ。
「話すのは初めてですね、星井さん。まずは招待状に従い、担当の私に話しかけてくださってありがとうございます。
誠心誠意、特殊サンタクロース試験のサポートをさせていただきます」
「ちょっ、ちょっと待って。さっきから何言ってんの? 俺は変な手紙送ってこないでって伝えにきただけなんだけど」
「……なるほど」
与は無表情のまま頷いた。
「困惑されているようですね。急なご連絡でしたから無理もありません」
「困惑はしてるよ。それにもう連絡してこないでくれる? 怖いから」
「わかりました。驚かせてしまったことはお詫びします。まずは私の立場を明かす必要がありますね」
与は胸に手を当て、毅然とした態度で言った。
「私は普通サンタをしています。サンタクロース側の人間です」
「サンタクロース側の人間」
「しかし、特殊サンタではありません。なぜなら、特殊サンタは特殊サンタにプレゼントをもらった子どもしかなれないからです。
そこで、星井くんには特殊サンタになってもらいます」
「俺が!?」
「ええ、今は特殊サンタ候補生です」
「拒否権は?」
「ありません。いえ、あるっちゃありますが、その場合はしっかりと私の目を見て断ってください。
あなたが特殊サンタのプレゼントを受け取った覚えがないと、私の目を見て言えるのなら、どうぞ拒否してください。私は受け入れます」
そんなこと言われても。
「なんで俺がサンタにならなきゃいけないわけ」
「特殊サンタの椅子が一つ空いたからですよ。私の父、亡くなったんです。だからトクサンの席が一つ空いてます。星井くんは父が亡くなる前に指名した候補生なんです」
すべてが初耳の出来事だ。
「与のお父さん……亡くなったの?」
「ええ。今年の五月に。担当として誠心誠意なんて言いましたが、本音を言えば、私は父の遺言を遂行したいだけです。候補生の指名は、父の最後の仕事でしたから」
俺は少し考えた。まったくわけがわからない。しかし、話くらいは聞いてもいい気がする。与の父親が亡くなったと聞き、俺の中の何かが変わった。
「……特殊サンタだっけ。何すればいいの」
「クリスマスイブにしてもらうことがあります。一人の少年にプレゼントを届けてほしいのです」
「何を届ければいいの?」
「知りません」
「は?」
「星井くんしか知りません。何を少年に届けるのか、それを考えて、実行することが試験です。特殊サンタ合格の条件は、少年が望むプレゼントを届けること。受け取って、喜んでもらえたら無事合格です」
「何かわからないものを?」
「ええ」
「おかしいよ」
「ええ。でも、それが特殊サンタの仕事ですから。まだ何かもわからないプレゼントを渡せる人が特殊サンタなんです。だからトクサンはサンタクロース試験の中で一番難しいんです」
与は続けた。
「これは星井くんが父に何をもらったかを認識する儀式でもあります。特殊サンタの候補生は与えることで何をもらったか知るんです」
その後、俺たちはまた場所を移した。
「プレゼントを届けてほしいのは、あの少年です」
与と夕暮れの公園に寄った。小学生くらいの少年が隅のベンチに座っていた。グローブとボールを傍らに置き、足をブラブラさせている。
「誰かを待ってるのかな」
「いえ、さきほどまで同級生たちと遊んでいたはずです。
彼の家は親の帰りが遅くて、いつも誰よりも遅くまで公園にいることが記録に記されています。名前は朝野広(あさのひろ)」
「そ、そのレポート、何? 個人情報すぎて怖いんだけど」
「彼の家にはサンタが来ません。親も彼も信じてないから、普通のサンタではプレゼントを届けられないんです。星井くんと同じですね。そこで特殊サンタの出番です」
与は大判の赤いファイルを開いている。ダッフルコートと同じ色だ。
「与、赤が好きなの?」
「ええ、サンタらしさを大切にしています!」
「サンタって本当に赤い服を着てるんだ」
「あっ、特殊サンタは違いますよ。目立ってしまいますからね。父はいつも黒いジャンパーを着ていました。世を忍ぶ仮の姿です」
「お父さんも赤い服着ることはあったの?」
「いいえ? 父はずっとトクサンですから、冬はずっと黒いジャンパーでした」
つまり、普通の黒い服のおじさんということか。俺が覚えてないのも無理はないかもしれない。
「私と母は普通サンタなので、赤い服を好んでます」
「待って、お母さんもサンタなの!?」
「ええ。言ってませんでした? 父と母は職場結婚です」
サンタが職場結婚することなんてあるのか。与の家庭環境が気になりすぎる。
赤いサンタの母親について詳しく聞こうとした瞬間、与は声を低めた。
「星井くん、見てください。朝野少年が帰ります!」
朝野くんはつまらなさそうな顔で公園をあとにした。時刻は十八時だ。
「サンタレポートの記録通り、この時間がタイムリミットですね。クリスマスイブ当日もそうでしょう。去年の記録が残っています。
つまり、星井くんは二十四日の十八時までに朝野少年にプレゼントを渡す必要があるということです」
その日の夜、ベッドの中で何度も寝返りを打った。
変な一日だった。招待状の文句を言うつもりで与を訪ねたのに、おかしな試験を受けることになってしまった。しかも鍵となりそうな記憶は何も思い出せない。
「俺は、誰に何をもらったんだ……?」
クリスマスイブは迫っている。まだプレゼントが浮かばない俺は、駅前のハンバーガーショップに与を誘った。
「与、来てくれてありがとう。相談したいことがあるんだ」
「なになに? 私が役に立てることなら、何でも言って」
与はふんわりした笑顔を浮かべた。
「むしろ与にしか聞けないよ。サンタ試験のプレゼントって」
「星井さん、困ります! その話をするのは図書館裏だけにしてください。機密事項ですので」
与はキリッとした顔で応えた。二重人格なのだろうか。
「わかった、じゃあ試験のことは聞かない」
「そうしてください」
「なんで敬語になるのかだけ聞いていい?」
「オンオフを分けたいタイプなんです」
与はしばらく黙ってシェイクを飲んでいた。おいしかったのか、幾分か眼差しを和らげ、ストローから口を離した。
「仕事の話するときにタメ口利くのは嫌なの。大事なことだから。でも、ここでは学生だから普通に話すね」
そう言ったきり、与は沈黙した。嘘だろ、仕事じゃなきゃ話せない人間か?
「あ、与?」
「何?」
「えっと……質問してもいい?」
「うん! 試験のこと以外なら」
「わかった。与のお父さんは昔から目指してたの? その……例の仕事を」
「ううん、たまたまだって」
たまたまサンタになることなんてあるのか。
「お父さんも特殊サンタ候補生だったの。優秀だったから一発で合格したって聞いてる。でも……私は父の仕事を知りません」
試験の話ではないが、仕事の話だ。与は敬語に戻っていた。
「私には毎年サンタが来てたから、特殊サンタの気持ちがわからないんです」
「……そうなんだ」
「星井くんはどうですか? サンタは来ないって聞いて育ったんですよね? それでもサンタは来てたって聞いてどう思いました? 嬉しかったですか?」
与は目をそらした。
「ごめんなさい。不躾な質問かもしれません。でも、私、知りたいんです。一サンタとして。特殊サンタの……いいえ、父からプレゼントをもらっていた特別な子の気持ちが知りたい。それだけなんです」
「俺は特別じゃないよ」
小さく言ったつもりなのに、言葉は驚くほどハッキリした響きを持っていた。
「特別じゃない。俺だから届けたわけじゃない。俺が一番近くにいる、サンタを信じてない子どもだったから、与のお父さんは届けただけだ。それだけだよ」
一息に言った。
「俺は正直、今でもサンタを信じてない。与のお父さんに……親以外の大人に本当に何かをもらったのか、記憶がない。
でも、なんとなく素通りできないんだ。なぜか大切な気がする。だから、今この場にいる。それだけだ。話せるほどのことは何もないんだ」
「……そうですか」
与は落胆したように目を伏せた。
「それでも、父がプレゼントを届けたのは、たしかに星井くんです。そう思います」
クリスマスイブの前日になってもプレゼントが決まらなかった。俺と与はふたたび図書館裏にいた。終業式を終え、今度こそサンタ試験の相談だ。
「あれー、たえたえじゃん。ベンチ使ってる?」
「了ちゃん! ごめん、使ってる。どこうか?」
「ううん、いいよ。先客だし。別のとこ探すわ」
図書館の壁から覗いているのは上級生だ。制服のスカーフの色でわかる。ショートヘアのすらりとした上級生は、ちらっと俺を見た。
「あ、こちらは私のクラスメイトの星井くん。図書委員の仕事について話し合いたくて、ここにいるの」
与は流れるように自然な口実を作った。
「星井くん、こちらは早瀬了さん。二年生で、私とは昔からの知り合い」
「はじめまして」
「こんにちは。図書委員の人なんだね。ゆっくり話して。お邪魔しましたー」
早瀬さんは風のように立ち去ろうとした。呼び止めたのは与だ。
「待って、了ちゃん! ちょっと困ってることがあるの。相談乗ってくれる?」
言っていいのか!?
「小学校高学年の男の子にあげるクリスマスプレゼントについて悩んでるの。了ちゃん、そのくらいの年のいとこいたよね? 何あげるといいと思う?」
「は? そりゃ、その子が欲しがってるゲームとかがいいんじゃない?」
「それが、ものは受け取ってもらえないの」
「え? なにその縛り」
怪訝な顔をされた。そりゃそうだ。しかし、与は動じない。
「そもそも、親戚の子じゃなくて、プレゼント渡したいけど、ものとして残っちゃいけないの。何がいいと思う?」
「……なんかわかんないけど、複雑な事情抱えてんだね。ものがだめなら体験じゃない?」
早瀬さんは深掘りせずに受け止めてくれた。
「体験?」
「うん。その子が持ってるゲームで遊んであげるとか」
その言葉で俺の頭を掠めるものがあった。
「そっちのがいいかもよ? クリスマスにもらっても嬉しくないものあげるより、その子が本当に好きなもので遊ぶ相手になる方が喜ばれるんじゃないかな」
「了ちゃんもそんな体験ある?」
「あたしは兄ちゃんがゲーム強くて、新しいゲーム買ってもらった日より、練習して初めて兄ちゃんに勝てた日の方が嬉しかったね。
サボり魔のあたしがあんなストイックに練習したの、兄ちゃんとやるゲームだけだよ」
「了ちゃんはサボりすぎ!」
「ありがとうございます、早瀬さん!」
俺は言った。少年が持っていたグローブとボールを思い出したからだ。
早瀬さんを見送り、俺は鞄を肩にかけた。やることは決まった。あとは少年を待つだけだ。
「与、朝野くんは明日も公園にいるんだよね」
「ええ。何か思いついたんですね、星井さん」
「おかげさまで。早瀬さん、いい人だね」
「ええ! 了ちゃんは私の信頼するお姉さんですから!」
「え? お姉さんなの?」
「いえ、血のつながりはありません。近所のお姉さんで、小中高ずっと一緒なんです。了ちゃんが分団長のとき、私が副分団長で」
「同じ分団だったんだ」
「懐かしいです。了ちゃん、分団長なのにいつも寝坊するから、副分団長の私が二年間、分団を率いてました」
昔からサボり魔のようだ。
「でもね、了ちゃんは私と違って自然体というか、『こうじゃなきゃいけない』って気負いすぎることがないんです。だから今日みたいにいいアドバイスをくれるんですよね」
それはとてもいいところだと思った。
「与みたいに責任感強い人も大事だよ。だから担当者もできてるんだろうし」
「適材適所ですね!」
与は嬉しそうに笑った。
クリスマスイブ当日。朝野少年は今日もつまらなさそうな顔で公園にいた。俺は勇気を出して話しかけた。
「こんにちは。こないだもここにいたよね。よかったら、キャッチボールしない?」
「だ、誰ですか、お兄さん」
警戒された。当然だ。
「急に話しかけてごめん。俺は星井悠人。近所の高校に通ってて、今、一年生。えっと、朝野くんは何年生だっけ?」
「なんで俺の名前知ってるんですか!?」
「あっ! ごめん、間違えた!」
我ながら怪しすぎる。与から中途半端に情報を聞いているのが裏目に出た。俺が言葉を発するたび、朝野くんがじりじりと後ずさる。
だめだ、初手を完全に間違えた。もう取り返しがつかない。俺は会話の糸口を探し、朝野くんの服や持ち物を見た。
「その球団が好きなの?」
「えっ?」
「帽子。いや、地元の球団じゃないから。好きな選手がいるとか?」
「七瀬選手」
「あぁ、七瀬。いいピッチャーだよね」
「お兄さん、わかりますか!?」
朝野くんは警戒を解いた。ちょろすぎる。話しかけたのが不審者じゃなくて俺でよかった。もっとも特殊サンタ候補生だって相当な不審者かもしれないが。
「七瀬の良さがわかるってことは、お兄さんも投げれる人?」
その理屈はおかしい。野球が好きな人間ならもちろん、野球のルールがわからない人間だって日本球界を背負うエースがすごいことくらいわかる。
しかし、なんだかんだ警戒を解くことに成功した。奇跡の巻き返しだ。
俺は朝野くんからボールを受け取り、振りかぶって投げた。ボールはあさっての方向に飛んでいった。朝野くんの目に失望の色が浮かんだ。
「お兄さん、下手だね」
敬語からタメ口になった。打ち解けたのではない。敬語を話す価値がないと思われたのだろう。
「待って、久しぶりだから。ごめん、もう一回だけ。いや、次は俺が捕るよ!」
無様なほどの泣きの一回だ。朝野くんは渋い顔でグローブを渡してくれた。
「じゃあ、ゆっくり投げるね」
なめられたものだ。
「お兄さん、捕るのは上手いね」
「ありがとう。捕る方が好きなんだ」
キャッチボールは体育の授業でしかやったことがない。そんな初心者の俺がこんなに気持ちよく捕れるのは朝野くんが上手いからだ。俺が動かずに捕れるボールばかり投げてくれる。
「朝野くん、野球やってる?」
「うん。ピッチャー」
「さすがだね」
「お兄さん、なんで俺の名前知ってるの?」
忘れてなかったか。しかし、俺は用意していた答えを返した。
「鞄に『ASANO』ってマスコットついてるから」
七瀬のいる球団の帽子を見たとき、一緒に確認した。朝野くんの鞄にはグローブの形のマスコットがぶら下がっている。チームメイトとお揃いにしてそうなデザインだ。
「あぁ、なんだ。急に呼ばれてびっくりした。俺の名前調べて、待ち伏せしてた不審者かと」
「そ、そんなわけないよ!」
「おい! お兄さん、どこ投げてんの? ほんと下手!」
動揺のあまり、またとんでもない方向に遠投してしまった。朝野くんは声を荒げたが、その顔は笑っていた。
会話すると俺のコントロールがますます悪くなると思ったのか、そこからはボールだけを投げ合った。
人気のない静かな公園にキャッチボールの音だけが響く。心地いいリズムだった。時刻は十八時になった。
「もう帰らなきゃ」
「うん、気をつけて」
「あの! ここに来たら、またお兄さんとキャッチボールできますか?」
俺は息を飲んだ。朝野くんは息を詰めて、俺を見上げている。思わず頬が緩んだ。彼にグローブを返した。
「もちろん。またやろう」
「よっしゃ! 今日は楽しかった。またね!」
朝野くんは会ったときとは別人のような笑顔で帰っていった。
「星井さん、プレゼントは渡せたようですね」
公園の隅のベンチに与がいた。いつのまに。
「私は星井さんの担当ですから見届ける責任があります。
初仕事、お疲れさまです。これは試験でもあるので、合否はのちほど本部から郵送します。
そして、これは私からの差し入れです」
与はビニール袋を差し出した。中に入っているのはコンビニのフライドチキンだ。
「えっ、ありがとう。もらっていいの?」
「はい、星井さんはちゃんと試験を受け終えましたから。あ、一個は私のです。二個食べないでくださいよ。袋ごと、こっちにください」
ベンチに並んで与とフライドチキンを食べた。ちょっとクリスマスっぽい。
「朝野くんへのプレゼントの件だけどさ、渡せたんじゃないよ。俺がもらったんだ」
「キャッチボール教えてもらえました?」
「うん。楽しかった。おかげで、与のお父さんにもらったものも思い出したよ」
「星井さんがもらったのもキャッチボールの時間ですか?」
「いや、俺はチェスだった」
そうだった、クリスマスの季節に出会った不思議なおじさんがいたっけ。どうして忘れていたのだろう、公園の藤棚の下のベンチで、何度もチェスを指したのに。
ふと気になった。
「与のお父さんってなんて名前?」
「与龍三郎(あたえりゅうざぶろう)です」
「渋い名前だ」
「辰年です。そういえば星井くん、父のことなんて呼んでたんですか? まさか本名の与じゃないですよね?」
「違うよ」
「じゃあ、おじさんとか?」
「いや。トクさん」
「は?」
「『人からはトクさんって呼ばれてる』って言われたからトクさんって呼んでたんだよ。徳田さんとか徳井さんかなって思うじゃん」
「あははははっ!」
冬の夜空を突き抜ける声で与は笑った。名前じゃなかったのか。まさか部署名とは。
「トクさん、チェスやったことないのに俺に話しかけて、わざわざ覚えて相手してくれたんだよ。楽しかったな」
「ま、待ってください……ふふっ、その、トクさん呼びやめてもらえます? お腹痛い」
与は前かがみになって、ぷるぷる震えている。笑い過ぎだ。
「チェスなら私も指せますよ。父が教えてくれました。星井くんは師匠の師匠ですね」
与、チェス指せるのか。
胸にぽうっと灯りがともった気がした。この嬉しさには覚えがある。トクさんだ。トクさんが初めて話しかけてくれた時と重なった。
「俺、ボードゲーム部なんだよね」
「知ってます。記録に書いてありました」
与は赤いサンタレポートを誇らしげに示した。このファイルの中に俺のどんな個人情報が書かれているのか、怖すぎて考えたくない。
「もう知ってるんだ……まぁ、ボードゲーム部に入ったのはチェスができるからなんだよ。
小学四年生のとき、周りにチェス指せる友達がいなくて、一人で詰めチェスの本を読んで、公園で指してた」
「チェスは独学ですか?」
「いや。父親が教えてくれたんだ。両親が離婚してからは指してないな」
与は何も言わずに頷いた。
「家でチェスやってるとなんとなく居心地悪くて。母さんはやめろなんて言ったことないんだけど、なんとなく。
だから、本と持ち運び用のチェスセットを持って、近所の公園のベンチで指してた。そこで話しかけてきたのがトクさんだった」
俺は空を見上げた。トクさんはゲームに熱中すると、スマホのライトで盤を照らしてくれた。
「暗くなったからやめようか」と言わなかったのはきっと、俺がひとりぼっちの家に帰りたくないのを知っていたんだ。
「なんでいなくなっちゃったのか、さっきキャッチボールしてたら思い出したよ。同じクラスのやつが通りかかったんだ。
そいつは友達とキャッチボールするために公園に来たんだけど、友達にドタキャンされて、俺とトクさんのゲームを見てるうちに『やりたい!』って言ったんだよね。
で、トクさんがそいつと代わってくれた。
そしたら、そいつがチェスにハマっちゃって、学校でも一瞬流行ったんだよ。俺には一気にチェス仲間ができた。
ほとんどのクラスメイトは一過性のブームでやめたけど、ボードゲーム部にはその時できたチェス仲間もいるんだ。
でも、気づいたときには、公園でトクさんに会うことはなくなってた」
「理想的な仕事ぶりです」
与はなぜか感嘆したように溜息をついた。
「サンタはいつまでも子どもにプレゼントを届けられません。届けたクリスマスプレゼントが種となって、子どもたち自身の手で未来を切り拓いていかなくては。
父はその瞬間を見届けたんですね。きっととても嬉しかったと思います」
「与。俺、トクさんのこと忘れてたんだよ? あんなにお世話になったのに。いいの?」
「いいんですよ。サンタは子ども時代の主役になってはいけません。すべての子どもはサンタの記憶を忘れるほど幸せでなくちゃいけないんです。星井くんは満点です」
赤いサンタレポートを持つ与の手が震えていた。伏せた顔はどんな表情をしているのか見えない。でも、明るい声だった。
「父はやっぱり優秀な特殊サンタだったんですね。初めて聞きました。ありがとう、星井くん」
そう言って顔を上げた与は、直視するのが眩しいくらい綺麗に微笑んでいた。少し目が潤んでいる気がした。
その笑顔を見て、胸を突かれた。
トクさんはもういない。与がトクさんに会えるとしたら、俺の記憶のトクさんだけだ。
気づいたら、こんな言葉を口走っていた。
「与、時間ある? 飲み物買って、もう少し話そうよ。好きなの選んで」
俺はベンチのそばの自販機を指差した。与はなぜか眉を寄せた。
「仕事は夜からなので、まだ時間はありますけど……ご馳走になるわけにはいきません。クリスマスプレゼントを渡すのはサンタの特権です」
「いいんだよ。これはトクさんの娘さんとプレゼント交換するだけだから」
あたたかいココアを二本買った。トクさんの思い出話をする絶好の機会だ。
特殊サンタ 國枝志帆 @santa1093
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