第一章 旅立ち


南方地方 西方 ひそく村


空気が凍てつき、外に手を出しておくのが躊躇う冬の季節。俺がこの村に来て十度目の冬が訪れようとしていた。

「ユーカリ。すまないが暖炉用の火を点けてはくれないか?」

「ああ」

「ありがとう。魔法が使えるお前がいて助かるよ」

「いや、この程度。今日も木材作業の仕事ですか?」

「おう。若い手は減りつつあるし、五十過ぎたからといって真冬に休んでいる暇はないぜ」

 魔王が中央地方を賭けた大戦争に敗北し、西方地方に拠点を置いてから千年の時が過ぎた五年前、長く続いた平和の均衡は破られ、魔王軍が南方地方に本格的に侵攻を開始した。その影響もあって、若い世代は王国の学校に通いに出る者、安全な東方地方に移住する者が増加し、村の若い人手は俺がこの村に来た十年前の十分の一ほどしかなかった。

「それじゃあ、手伝うよ」

「おう。それはありがたいが、お前、自分の仕事はいいのか?」

「今日は、ルコばあに頼まれている仕事も多くはないから平気だよ」

「そうか。助かるよ」

「ユーカリ! 悪いけどこっちも手伝ってはくれないか?」

「ああ! 今行くよ。じゃあ、また後で」

 俺は持ち前の明るさと面倒見の良さで村の人の信頼が厚かった。村に来て十年。俺はあの日以来、罪滅ぼしがしたいのか。村の困り事にはすぐに駆けつけ、解決してきた。解決する度に笑顔になる村の人の顔を見て俺は安心していた。この安堵は良い事をしたから得られる幸福感のようなものではなく、正に罪滅ぼしだ。

「また、剣の稽古かい?」

 早朝。いつものように剣の修行に出かけようとした時、ルコばあに呼び止められた。ルコばあは俺を救ったあの日以来、ずっと俺の面倒を見てくれている。今も俺はルコばあの家に住まわせてもらい、ルコばあが持ってくる仕事を手伝って生活をしている。

「うん」

「風邪引くから温かい格好をして行くんだよ」

「ああ、ありがとう」

 ルコばあはあの日、俺が見た出来事をすべて知っている。とても真剣な眼差しで俺の話を聞いてくれたのだ。だから、俺がなんで毎日、剣の修行をするのか、才能もないのに魔法の練習をするのか、その理由のすべてを知っている。だから、何も言わない。俺がどれだけ疲れていようと、それを取ってしまったら俺の生きる意味を失ってしまうから。

 村を出てすぐの所にある森でいつものように修行を始める。別に剣を教えてくれる先生、魔法を教えてくれる先生がいるわけではない。ただ昔、もう今はないあの村で、たった一つの古びた魔導書に書かれた魔法を遊び半分で見ていた子供の頃の記憶を頼りに独学で修行をしているだけだ。

「そういえば、あの魔導書。どうなったのかな」

 魔物。自我はないが、人を主食とする生物。野生の魔物は村の周りに多くいる。特に五年前の魔王軍の侵攻があってからは、その数は何倍にも増えた。当然、俺が今いるこの森にも魔物は生息しているのだ。

 猿のような見た目をした魔物はじっとこちらを見て、動こうとしない。むやみに襲ってこないのは魔物の中でも知性が高い証拠だ。じっとこちらを観察し、俺の油断と出方を探っている。剣を魔物に向け構える。魔物を殺す手段は一つ。生命エネルギーの根源である心臓を破壊する。これだけだ。

 俺が剣を構えたところで襲ってきた魔物の肉体を一振りで真っ二つに切り裂いた。裂かれた肉体からは大量の血が溢れ出て、そのまま魔物は灰となって消え去った。

 別に修行中に魔物と遭遇することは珍しいことではない。だから、いつものことだと思って俺はそのまま修行に戻ろうとした。それが、油断と捉えられたのだろう。木陰から急に先ほどの魔物よりも数倍の大きさをした魔物が襲いかかってくる。不意を突かれてしまった。軽く肩を裂かれてしまう。

 先ほどの魔物と同系統の容姿をしている。サイズが大きく、こちらに明らかな敵対心がある。その魔物の後ろから四匹の同系統の魔物が現れる。恐らく群れだ。仲間を殺された敵討ちといったところか。このサイズの大きい魔物をリーダーに四匹は俺を囲むように位置を取った。

(囲まれたか。集団で囲み、どれか一方に攻撃をすれば他の方向から攻撃をされる。正に数が多いことを優位に取った戦略だ。それに、先ほどの俺の攻撃を見て一対一を得意と見たのだろう)

 確かに。リーチが長くはない剣を使う俺にとって、一対多勢は不利だ。だがそれはただの剣士だったら。

「魔法は別に、得意なわけじゃないんだけどな。まあ、実践になる」

 覚えている魔導書に書かれた魔法は、俺の心臓を軸に様々な形になる。今の俺の魔力で扱えるのはこの魔法だけだ。左手から出される紫色に光る炎。俺はこれを右手で持つ剣の刃に移す。

『火流し』

 炎を纏った剣をその場で振るう。纏った炎はそのまますべての魔物へと襲いかかる。当然自我を持たない魔物に対処の術はない。そのまま炎に飲まれ、灰と消えた。しかし、リーダー格の魔物だけはかろうじて息があった。

(驚いた。このスキルを使って生き残った魔物は初めてだ)

 俺は躊躇うことなく、魔物の心臓を一突きで刺した。

 村に戻る頃には、日が昇り、朝らしい朝となっていた。村へ戻る途中で見える村の高台。そこから火が上がっている。火事だ。いや、嫌な予感がする。これはあの時と同じような。

 俺は急いで村へと戻ったが、そこに早朝に出た村の姿はなかった。魔物に食い荒らされた村人の死体。破損した家。まるで、あの時に帰ってきたかのような。

「ユーカリ……助けて」

 助けを求める村人の声は、あの時の妹の声と重なって聞こえた。そうだ。俺はもう、あの頃の俺とは違う。この足は逃げるためにあるわけじゃない。

現場へと着くと、そこには一匹の魔獣の姿。魔獣を見るのは人生で二度目だ。虎のような容姿に、身体は雷のような光を纏っている。

(俺でも分かる。こいつは、本物だ。これまで俺が倒してきたような魔物とは違う。確実に俺を認識して俺の実力を見ている)

 つまらなそうに魔獣は俺を見ると、その手を地面へと叩きつける。叩きつけた地面から雷撃が走り俺の足元へと届いた。それを察知して俺は慌てて宙に飛ぶ。微かに当たった靴は雷撃によって焦げ落ちてしまった。

(簡単に放った一撃でこの威力。俺に勝てるのか? 俺なんかに。そもそも一般の人間がそこらにいる魔物を倒せたとしても、魔獣を倒せた話なんて聞いたこともない。魔獣なんて平和ボケした人間からしたら人生で見たこともない生物だ)

 震える手はそのまま空気に伝わり、魔獣にも伝わる。魔獣は楽しんでいる。怯える俺を見て、その光景を楽しんでいるのだ。幾度も放たれる雷撃を俺は紙一重で避けることしかできない。こちらが攻撃をする隙はない。それほどに実力に差があった。

(落ち着け。相手が油断している時こそ、チャンスだ。幸い、相手の攻撃は目に見える速度だ。手を地面に叩くことで地面を伝って雷撃を飛ばしてくる。これが空気でも同じことができるのであれば既にやっているはずだ。それとも、遊んでいるのか。まだ雷撃を放つことができるのは地面だけと考えるのは早い)

 見るに、相手の魔力は数回の雷撃で減っている様子はない。攻撃をしなければいずれ身体に限界を迎えあの雷撃を受けてしまうのは目に見えていた。俺は覚悟を決め、剣を構える。策がないわけではない。ただ、相手の手札を知らずに自分の手札を見せるのは不利だ。特に相手が自分より格上の場合はなおさら。だが、相手の手札を見るにはこちらも手札を見せるしかない。俺は左手に紫色の炎を出し、剣の刃へと移す。それを見ても魔獣が動揺する姿は見えない。こちらの魔力など最初から知っているかのような目だ。

『火流し』

 魔獣に向けて剣を振るう。炎が魔獣を襲うが、魔獣は簡単に炎を避けた。俺は追い打ちをかけるように魔獣が避ける度に剣を振るった。魔獣の地面への着地の瞬間を狙うか、魔獣は炎を手で受け止める。手に纏う雷撃で炎は受け止められてしまう。

(駄目だ。これでは魔獣に攻撃を与えることができない)

 俺が扱える剣のスキルはこの魔法を扱った『火流し』だけだ。魔法だけで攻撃をするには魔力の扱いが不安定過ぎる。

 魔獣はもう俺に打つ手がないと見てか、両手で地面を叩きつけた。先ほどまでとは比べものにならない速さで雷撃は地面を走り、俺の身体へと到達した。身体の表面から焦げるような痛みが走る。

(ああ、このままでは死んでしまう)

 無力だと思った。結局、十年と自己満足でやってきた修行は何の実も結ばなかった。ただ野生の魔物を倒せるようになっただけ。それでは田舎の村の番人と同じではないか。

 だが、このまま死ぬのも悪くはない。

(もともと、一度は死んだ命だ。今こうして、生きているのが奇跡なのだから)

 諦める時は簡単だ。そう。この瞼を閉じてしまえば俺は死ねる。やっと、皆の所に帰れるんだ。

「ユーカリ!」

 ルコばあの声。強く、人の心に届く声。

「……ルコばあ」

「いいのかい。諦めて」

 ボロボロの身体でルコばあは俺を見る。きっと、自分のことなど気にもせずに人助けをしていたのだろう。お節介なルコばあならきっとそうする。俺の知るルコばあならきっとそうする。

(いいも何も俺には力がない。この魔獣を倒せるほどの力がない。無理だ。俺には、家族や友人を捨てて自分のためだけに生きた俺には無理なんだよ)

「もう、自分のためだけじゃないだろう? その命、皆のために使うんだろう!」

 一人の老婆が発するそのお節介な声は、本当にお節介だと思うけれど、不思議と俺の心を動かした。

(もう一度。もう一度でいい。俺にあいつと戦う勇気をくれ。もう一度、俺に力を)

 俺の身体を紫の炎が包み込み、雷撃を俺の身体から突き放してくれた。焦げついた身体にはもう剣を持つ力はない。それでも、俺は剣を持ち、想像した。

 あの魔獣を俺がこの剣で倒す姿を。

 不思議と動くはずのない身体が今までよりも軽く感じ、まるで自分が空気にでもなったかのように素早く動けた。簡単に魔獣の雷撃を避けて見せる。これには魔獣も驚きを隠せない。死を直感して分かったことがある。魔法とは想像の世界だ。ならば、魔法が剣ではなく、俺の身体に力を出せたなら。あの魔獣が放つ雷撃のように身体に雷のような力を纏えたのなら。

 速くなる鼓動を俺は静めることなく、俺は想像をした。不思議だ。自分の魔力がどのような流れを通して形となっているかも分からなかったのに、今は何となく分かる。不得意だと思っていた魔法がこんなにも頼もしいなんて。

「グルルルルル」

 魔獣の顔にこれまでのような余裕はない。そのはずだ。普通の人間なら死んでいるはずの攻撃を受けているのに生きているどころか、さっきよりも強い魔力で身体に自身と同じように雷撃を纏っているのだから。

「お前の攻撃は見えている。そして、放たれる雷撃はどうやら地面を通さなければ放つことはできない。終わりだ」

 魔獣の本気の一撃を目視することもできなかった俺が、こんなにも簡単に避けることができるのは身体に纏う雷撃の魔力のおかげだ。全身に溢れ出るこの魔力が、身体の筋肉の縛りを解放し、空気のような軽さにしているのだ。

(身体から溢れ出る魔力を剣に込めるんだ。身体の雷撃は消さず、剣に力を込める。そのくらいならできるはずだ。想像しろ! あいつの身体を切り裂く自分の姿を!)

 一瞬の出来事だった。魔獣が放つ雷撃よりも速く俺は魔獣へと迫り、奴の身体を真っ二つに切り裂いた。

「勝った……」

 遠くからルコばあと村の皆の声が聞こえてくる。どうやら本当に俺は魔獣を倒せたらしい。良かった。意識がなくなるのが分かる。このまま死ねるのなら本望だ。



 魔獣の一件以来、俺はすっかり村の英雄となってしまった。今までも厚かった村の人々からの信頼が絶対的に揺るがないものへとなっていた。

 初めて魔獣を倒したあの日から三年が経過し、二十歳となった俺は、この春、村を旅立つ。

「本当に行くのか?」

 この筋肉質が良い、面倒見の良さそうな兄ちゃんは、俺がこの村に来てから長く世話になっている人だ。

「うん。俺にはやるべきことがある」

「魔王を倒し、魔王が与えた呪いを解く……か」

「ああ。そのためにも」

 俺は一枚の封筒を見せるように出す。

「ゆうおう国。南方地方最大の国からの招待状か」

 ルコばあの古くの知り合いに、ゆうおう国の有名な医師がいるらしい。そこに行けば回復系の魔法やスキルのヒントを得られると考えた。

 この先、魔王と戦うには、それまでの過程で必ず、魔人や魔獣と戦うことになる。そしたらあの魔獣との戦闘よりもより厳しいものが試練として立ち塞がるだろう。なら回復系の魔法やスキルは必需品だ。それに、回復系の魔法やスキルには病を治すものもあるという。これから村を出て、何年かかるか分からない旅の中で、使えるものがあるかもしれない。

「魔法を習いたいんなら、王国の魔法学校に行けば良かったんじゃないか?」

「確かに。王国の魔法学校なら、最先端な魔法が学べるし、周りに優秀な奴がたくさんいる。魔王と戦うための王国直属の軍にも入れるかもしれない」

「なら」

「でも、俺には、王国の魔法学校に通うほどの才能もないし、金もない」

 王国の魔法学校は、魔法のエリート集団だ。もちろん、入学試験は最難関であるし、入学してからも膨大な金がいる。つまり、育ちの良いエリート坊ちゃん、嬢ちゃんか、実績のある者しか入れないのだ。

「そうか。まあ、世の中がお前をどう評価するかは俺には分からない。けど、俺たちにとってのヒーローはお前だよ。ユーカリ。それだけはこの先、忘れるな。今の俺たちがこうしてこの村で平和に暮らしているのは、お前があの時、俺たちとこの村を救ってくれたからだ」

「ありがとう」

 家に戻り、荷物をまとめる。ルコばあの姿はない。もともと、普段から家にいることの方が少ない人であったから、不思議には思わなかった。

「一応、この薬草も持って行くか」

「そんなに荷物があったんじゃ、動きづらいだろう」

 背後から急に声をかけられたので、思わず後ずさりしてしまうが、声の主はルコばあであった。

「ルコばあ。驚かすなよ」

「はっはっは。この老いぼれに背後を取られているようではまだまだお前は未熟者じゃ」

 少しの間、沈黙が流れる。この村に来て十三年間。俺はこの人にずっと支えられて生きてきた。今の俺がここにいるのはこの人のおかげだ。

「ルコばあ」

「辛気臭い話はなしだよ。それに、お別れの挨拶ってわけでもないだろう?」

 突き放すようなものの言い回しなのに、言葉の根が優しく感じられるのはルコばあらしいと思った。

「……そうだな」

「ユーカリ」

「ん?」

「千年前、魔王と中央地方賭けて戦った初代勇者は、お前と違って才能に溢れ、口数が少なく、背中で語るようなカリスマ性溢れる者であったらしい」

 ルコばあの瞳が優しく、潤うように輝いている。俺がこの村に来たばかりの時と同じ目だ。

「それに比べて、お前はよく喋るし、才能はないし、とても頼れるような背中をしてはいないが」

「ほっとけ」

「それでも……毎日、雨の時も雪の時も倒れるような暑さの時も、欠かさず修行をして、自分のことだけじゃなく、私のことや村の人のことを考えて手伝うその姿は、それに近いものを感じたよ」

 心に染みる。ルコばあが放った言葉が、これまでの自分を否定することしかできなかった俺に、これまでの自分を肯定してもいいよと言っているかのように。俺は自然と涙を流していた。

「ルコばあ。ありがとう」

 俺は涙を拭い、手を差し出す。

「なんだい? 辛気臭い」

「握手だ」

「握手?」

「知らないのか? 人と人が信頼を交わし合う時にする儀式のようなものだ」

「やれやれ」

 ルコばあは面倒くさそうに差し出した俺の手を握った。老いぼれた弱々しいはずのその手は、厚く、俺の頼りない背中を押してくれた。



南方地方 南方 ももいろの迷い


 南方地方最大の国、ゆうおう国は南方地方の中でも最も南に属する国だ。そこに行くまでの過程では、避けることができない迷いの森、通称「ももいろの迷い」と呼ばれる最大の森がある。

 もともと、森といった緑の自然が多い南方地方の象徴とも言える誰もが知る森である。広さはもちろんのこと、複雑な道、特殊な魔物の多さからも入った者の半分以上が魔物の餌となっている。抜けるのに何十年もかかる者、どんなに手慣れな騎士や魔法使いでも一ヶ月はかかると言われることからも「迷い」なんて名前の由来がついている。

 その「ももいろの迷い」を無事超えれば、すぐにゆうおう国に着くことができる。

「でかいな……」

 森を目の前にして、そのでかさに俺は度肝を抜かれていた。村を出て早、二ヶ月。途中で見つけた村で食糧や必需品の補充をする目的のはずが、村の人の手伝いや何やらを任されてしまい二ヶ月も過ぎてしまった。

 だがまあ、そのおかげでこうして無事、この森の入り口に着くことができた。

「兄ちゃん、この森、入るつもりかい?」

 大きな木並みを前に呆然と立っていると、六十過ぎくらいの男性に声をかけられる。身なりから見て、この辺の村に住む木材師かなにかだろう。

「はい」

「だったら、悪いことは言わん。やめておきな」

「どうしてですか?」

「兄ちゃんもこの森のことは知らないわけじゃないだろう? 入った者の半分は死ぬ。そんな地獄のような森だ。俺の息子もこの森に入って息を絶えた」

「息子さんが?」

「冒険者だった。初代勇者のように魔王と戦って世界の平和を守ると言っていた。自慢の息子だった」

「そうだったんですね……」

「兄ちゃんも冒険者か?」

「まあ、そんなところです」

「じゃあ、なおさらやめておくんだな。息子のようにはなってほしくない。それに、パーティーでもなく一人に行くなど無謀にもほどがある」

 この爺さんの言う通りだ。俺がこの森に入っても生きて帰って来れる保証はどこにもない。ましてや役職が明確に分かれたパーティーでもなく、俺は一人だ。なおさら生き残れる可能性は低い。

「ご忠告ありがとうございます。でも、俺にはどうしてもやり遂げなければならない夢があるんです」

「同じ目だ」

「え?」

「息子と同じ、夢見る若い目だ」

 爺さんはそれ以上、俺を止めることはなく、そのまま自分の仕事へと行ってしまった。

 固唾を飲み、俺はその森へと足を入れた。

 振り返ってもう入り口は見えないくらいまで歩くと、一気に魔物の気配が強くなった。

 まずは、今日の休み所を探さねば。食糧はあるが、この森を抜けるのにどれだけの日数がかかるかは分からない。現地調達も視野に入れて、食べられる植物、動物の確保もしなければ。

 俺は一種の魔物が拠点にしている場所を、魔物を倒して占領し、そこをしばらくの拠点とした。食糧を確保できたら、森を進み、また別の拠点を探す。あえて、魔物が拠点にしている場所を襲うのは、魔物は人間と近い生活をしているからが大きな理由だ。魔獣の主食は人間だが、毎食人間を捕らえられるとは限らない。そこで奴らは仕方がなく、人間と同じように野生動物を捕食したり、植物を食べたりする。

また、集団の魔物を排除することで近場の魔物に襲われるリスクを回避するのも理由の一つだ。

 森に入って、二週間が経過した。森にいる魔物は今まで戦ってきた魔物よりも遥かに強く、苦戦を避けられない戦いもあった。

 だが、一つ一つの戦いが、俺を疲弊させるどころか強くし、洗練させた。戦う度に自分が強くなっているのを身体で感じていた。それが嬉しかった。

 森に入って、一ヶ月。長く、人を見ていないなと感じ始めた頃、一人の人間に出くわした。

 透き通る白い肌に、手と足、首が明確に分かれた完璧な体型、誰もがその顔を見たら目を離せないだろうと思うほどの美しい顔立ち、どこかの国の妃なのではないかと思った。

「おい、貴様一人か?」

 見た目からの印象を決して裏切りはしない美声に、俺はどこか違和感を覚えた。

「男……?」

「はあ。男で悪いか?」

「信じられん」

「よく言われる。それで、一人か?」

「あ、ああ」

「一人でこの森に入って、これだけの期間、生き延びているとは」

「分かるのか?」

「まあ、見た目の汚さと魔力の状態からな。いや待て、見た目が汚いのはもともとかもしれぬな。すまない。悪いことを言った」

 いちいち、鼻につくことを言う奴だと思った。背も意外とあるな。俺よりも高い。それに、女性よりも綺麗な長髪だ。

「って、魔力から? お前、俺の魔力が分かるのか?」

 これまでの人生、自分の同じ歳の奴どころか、真面に魔力を扱える人間に出会ってこなかった俺にとって自分の魔力に初対面で触れられたことが意外で仕方がなかった。

「分かるも何も、まあ、見ればな」

「あんた、何者だ?」

 格好からして、かなりの上級民に見えるが、持ち物は弓の一つだけ。この「ももいろの迷い」にこの手ぶらさは気がかりだ。

「私はジャスミン。この先のゆうおう国で医師の見習いをやっている。以後、お見知りおきを」

 先ほどの無愛想な態度とは裏腹に、礼儀正しく挨拶をするジャスミン。その一つ一つの動作が美しく、未だに男だということが信じられない。

「ゆうおう国の医師? それってもしかしてジニアさんの?」

「師匠を知っているのか?」

「まあ、ちょっと知り合いの紹介で」

 俺はここに至るまでの簡単な経緯をジャスミンに説明した。

「なるほど、ルコウソウ様の紹介の客人が、貴様か」

「そういうことだ」

「それにしても、よく一人でこの森に入ったな。馬鹿と言うべきか、勇敢と言うべきか」

「仕方がないだろう。それに、そう言うお前も一人で来ているじゃないか」

「私はいいんだ。強いから」

「本当か? そんな女より女みたいな見た目して」

「見た目で人を判断する奴は、次にそいつを見た時には命を落としているぞ」

「うっ……」

「まあいい。どうせ、師匠の所に行くなら私が案内してやろう。ここで野垂れ死なれても罰が悪い」

「それは助かるが、そもそも、どうしてこの森に?」

 二人並ぶようにして、歩きながら話す。

「この森でしか取れない薬草がある。この夏の時期、流行る病があってな。その薬草が効くんだ」

「そういうことか。それにしても荷物が少ないな」

「日帰りのつもりだからな」

「日帰り?」

「ああ」

「おいおい、冗談にしてはセンスがないぜ。ジャスミン」

「もう呼び捨てか……まあ、良い。冗談ではないぞ」

「日帰りでこの森を抜けられるのか?」

「貴様みたいに森の端から端へ移動するともなれば不可能だが、端から少しの距離であれば可能だ」

「少しの距離って、まだ、半分くらいじゃ」

「なんだ? 自分が今どれくらい進んだかも認知できていないのか。ここはもうゆうおう国に近い森の出口付近だ」

 その言葉を聞いて俺は、どこか安堵していた。終わりが見えない道をひたすら一人で歩くのは骨が折れる。

 少しの気の緩みだった。今まで決して緩めることのなかった戦闘への備えを一瞬緩めた瞬間、その隙をこの魔獣は見逃さなかった。

(しまった……)

 気づいた時にはもう遅い、腕を骨に達するまでの皮膚を抉り取られてしまった。

(幸い、骨は折れていない。泣きたいくらいに痛いが、剣は握れる。それよりもジャスミンは?)

 ジャスミンは魔獣と距離を取り、持っていた弓をのんびりと構える。

「お前、そんな悠長に構えていたら」

 舐められたと思ったのか、ネズミのような見た目をした魔獣は標的を俺からジャスミンに変え、一気に迫る。

(速い!)

「私に標的を移したか。そのままその小僧を喰い殺していれば良かったものを。この判断が貴様の命取りだ」

 ジャスミンは構えた弓に魔力で作り出した矢を射る。

『シンポーニア』

 目に映らぬ速さで、射抜かれた矢は宙を優雅に舞い、魔獣の心臓に刺さった。一撃だった。俺だったら倒せるかも分からない魔獣をたったの一撃で倒してしまった。

 ジャスミンの弓を構えてから矢を射抜くまで、まるで舞台の名シーンでも見ているかのように余裕があって、見惚れるほどの姿であった。

「命拾いをしたな。小僧」

「そ、そんなこと、って、いった……」

 傷口が開き、血が溢れ出す。骨が見えかけている状態だ。

「どれ。見せてみろ」

「これくらい、平気だ」

「私は医者だ。見習いとはいえ、実力はある」

 自分で自分の実力を理解し、はっきりと自分の実力を口にして言えるジャスミンが俺とは違う人間なのだということを理解させてくる。

 俺は抵抗するのをやめて黙って怪我した腕を差し出した。

「傷口から、細菌が入り、感染症を起こすリスクがある。少し痛いが、このくらいなら私でもこの場で治せる」

「治すって、薬草とかそういうのお前がさっき取ってきたものしかないぞ?」

「薬草は使わない」

「じゃあどうやって」

「魔法だ」

 そう言うとジャスミンは、ゆっくりと目を閉じ、俺の傷口に魔力を込め始めた。

『アナクーフィシ』

 傷口に込められた魔力は、ゆっくりと俺の剥がれた肉を結びつけ、時間をかけて骨を覆い、傷口を塞ぐ。まるで、夢でも見ているかのような光景だった。

「治った……」

「完治したわけではない。数日は安静にしていろ」

「す、すげー」

 これには素直に称賛をせざる負えなかった。それが意外だったのか、ジャスミンはきょとんとした表情を一瞬見せた。

「基礎中の基礎の医療魔法だ」

「それでもすげーよ。どうやったら、そんなすげー、医療魔法を取得できるんだ?」

「そういう話は、私にではなく、師匠に聞けよ」

「あ、それもそうか。お前を育てた師匠だ。きっと凄い人なんだろう? 有名な医師だって聞いてるし」

「ああ。とても私が生涯をかけても、師匠には追いつくことができないだろう」



南方地方 南方 ゆうおう国


 さすが南方地方最大の国と言われるだけあって、国の入り口には大きな門があり、兵がみっちりと警備をしていた。

 ジャスミンの顔が知られていることもあってか、普通であれば何重もの審査を通って入れるセキュリティを簡単に突破してしまった。

(本当、こいつ何者だ)

「着いたぞ」

 ジャスミンの容姿からしてとんでもない家柄の生まれで、とんでもない家に住んでいると思っていた。仮にそうでなくても、国の名のある医師の家だ。それはそれは見たことのないような豪邸だろうと勝手に想像していた。

 それもあってか、今目の辺りにしている家が俺とルコばあが住んでいた家と同じくらい貧相なことに驚きを隠せなかった。

「何を突っ立っている? 入るぞ」

「あ、ああ。お邪魔するよ」

「帰ったぞ」

 家の中は、数えきれないほどの薬草や植物でいっぱいな上に、魔導書のような厚い本で埋もれていた。その足の踏み場も少ない家に、一人、これまた高貴そうな老翁が薬草を溶いていた。

「おや、ジャスミン。お帰り。いつもより遅かったね」

「ちょっと足手まといがいたもので」

「誰が足でまといじゃ」

「おお、友達かい?」

「友達じゃない。ルコウソウ様の招待客だ」

「あー。そういえばそんな手紙もあったね」

 ジャスミンは慣れた手つきで、お茶を用意し、机の上に並べた。

「座れ。と言っても座れる場所などここくらいしかないが」

「ありがとう」

 俺はお言葉に甘えて、ジャスミンが用意した茶と茶菓子を頂いた。

(くそ。美味い。こいつ、家事までもできるとなるといよいよ欠点がないな。この汚い部屋くらいか?)

「部屋が汚いのは、私のせいではなく、師匠が片づけてもすぐに散らかすからだ」

「ジニアさん!」

「うーん?」

 ジニアさんは俺が来ても特に変わった様子もなく、薬草を溶いては、首を傾げ、それをひたすら繰り返していた。

「俺、ユーカリって言います」

「うん。聞いているよ」

「あ、じゃあ、単刀直入に言います。俺、医療系の魔法やスキルを学びたいんです」

「何のために?」

「魔王を倒すためです」

 別に正直にすべてを話す必要はなかったかもしれない。ルコばあがどこまでの話をジニアさんにしたかは分からない。だが、医師にとって、医療魔法、スキル、医療に関する知識は人生そのものだ。それを教わるとなれば、自分の思いを、誠意を持って伝えなければならないと思った。

「は?」

 反応したのは意外にもジニアさんではなく、隣で興味がなさそうに茶を飲んでいたジャスミンであった。

「貴様、今魔王を倒すと言ったか?」

「言ったけど?」

 俺の表情を見て、ジャスミンは馬鹿にしたように大笑いをした。そんな姿までもが美しく、可愛らしいと思ってしまうほどの美貌なので余計に腹立たしかった。

「やめておけ」

「なんで?」

「なんでって、王国直属の騎士や魔法使いでも敵う相手ではないぞ? 人類最強と言われた初代勇者でも、そのパーティーにいた大魔法使いのエルフでも戦いには勝っても魔王を殺すことはできなかった。そんな魔王を貴様が倒す? こんな笑い話があるか?」

「笑いたければ笑ってもらって構わない。俺は本気だ」

「話にならんな。師匠、こいつはとんだ馬鹿です。今すぐにでも追い返しましょう。時間の無駄です」

 ジニアさんはすぐには口を開かなかった。

「腕、怪我したのかい?」

「あ、はい」

「治したのはジャスミンだね」

「そうですけど」

「ジャスミンの魔法を見て、どう感じた?」

「どうって、凄いと思いました。みるみるうちに傷が治っていくんですから」

「自分にもできると思った?」

「それは、まだ分かりません」

「魔法は扱えるのかい?」

「少しだけなら」

「見せてくれる?」

「いいですけど、俺の魔法はちょっと戦闘向けというか、家の中で放つには……」

「ああ、そうだね。外に出よう」

 言われるがままに、俺たち三人は家から少し離れた所に来た。辺りは何もない。この辺は国の中でも田舎に属する場所であるらしく、街からはかなり離れているため、家と家との距離もかなりある。

「じゃあ、やります」

 俺は剣を抜き、自身の魔力を感じ取る。

 片手に紫色の炎を出し、剣へと移す。ジャスミンとジニアさんにはあらかじめ距離を取ってもらっている。そこなら射程範囲外だ。

『火流し』

 振りかざした剣から、紫の炎が舞う。

「おー、これはなかなかの範囲攻撃だ」

 馬鹿にしているのか、褒めているのか、ぱちぱちとわざとらしく手を叩いているジャスミン。

 それに腹が立ったのかは分からないが、俺はもう一つだけ扱える魔法を見せることにした。

『雷体』

 身体に雷のような雷撃を纏うこの姿は、あの魔獣との戦いで得た俺の扱えるもう一つの魔法だ。

「これは、本当に驚いたねー。ねえ? ジャスミン」

「……はい」

(魔法とは確かにさっきのような炎であれば、炎だけで攻撃をする方が、魔力操作が難しく難易度が高い。だから、拠り所となるユーカリの場合であれば剣のようなものに魔力を移し、攻撃をするのが、魔法が苦手な者が扱う魔法の使い方だ。だが、自身の身体に自身の魔力を放出し、それを保っているこの『雷体』は、やや難易度が高い。王国の魔法学校の入学試験でも出るくらいのものだ。ここまでは魔法の根源というより、あくまで魔法を扱うスキルの話だ。ユーカリの魔法は魔法と言うよりかは魔法を応用したスキルに近い。それよりも、私が驚いたのは)

「驚いたのは、そこじゃないよね。ジャスミン」

「私が最初に彼と会った時、彼の魔力は魔法が扱えない者の魔力量程度、つまり、一般人程度のものでした」

「うん。でも、今彼はこうして、自身の魔力量を超える、魔法を扱い自身のスキルとしている。それが何を意味するか分かるかい?」

「この魔法は、自身の魔力を根源とする一般的な魔法の在り方ではなく、他の魔力を吸い取り自身の魔力とする魔法。魔王や初代勇者が扱った魔法と同様のものです」



 ジニアさんに魔法を見せてから数日が経過した。俺はジニアさんに医療の魔法は教えることはできないと断言されてしまった。

「やっぱり駄目ですか」

「ああ、勘違いしないでね。私が教えてあげられるのは、医療の魔法ではなく、知識だけだ。魔法とは想像の世界。具体的にこうしろと言われるよりも与えられた知識から自分の想像で魔法を作ってみると良い」

「魔法を作る?」

「そう。魔法は、同じ魔法でも人によってその仕組みは異なる。だからこんなにも世界には読みきることができないほどの魔導書が溢れているんだよ」

 魔導書記された文字や絵は、それぞれ読める者と読めない者がいる。ある魔導書が読めても別の魔導書は読むことができないなんてこともあると言う。魔導書を読めるということは、その魔導書に書かれた魔法に適性があるという意味でもある。

 だが、俺にはジニアさんに渡された魔導書の一冊も読むことができなかった。

「才能がないな」

「はっきり言うな」

 弓の手入れをするジャスミンから少し離れた所で、自分の剣の手入れをする。ここに来るまでの数々の戦闘でだいぶ刃こぼれしてしまっていた。

「まあ、気を落とすな。別に魔導書が読めないからといってその魔法が使えないと決まったわけではない。読める者から伝授されて、魔法が使えるようになったなんて場合はよくある話だ」

「そういうものなのか」

「現に、私も読めない魔導書に書かれた魔法を師匠から教わったこともある」

「お前でも読めない魔導書なんてあるんだな」

「なに?」

「だって、お前、なんでもできるじゃん? ほら、あの魔獣との戦闘だってその弓を使って簡単に倒していたし」

「別に、あの程度の魔獣なら王国の騎士や魔法使いなら誰でも倒せる。それに、私はまだまだ未熟者だ。師匠のような魔法を使うのには、もっと鍛錬が必要だ」

「意外と、向上心が高いんだな」

「意外か?」

「ああ。ただの自分大好き自分肯定人間だと思っていたから」

「それは、間違ってはいないがな」

(否定しろ。てか、医師の見習いが、魔獣を一撃で倒せるほどの弓の技術を持つのか? 大国の民であればそれくらい普通なのか? えーい、俺には分からん)

「そういう貴様も意外と向上心はあるんだな」

「え?」

「こんな遠くまで死ぬかもしれないのに、一人で来て修行をして、自分のことだけじゃなく、うちの手伝いや近所の民の手伝いもする」

「あーそのことか。昔からそうなんだよ。別に、今が特別ってわけじゃない。なんか周りのことがほっとけない性格なんだ」

(って、無視かよ)

 いつまで経ってもジャスミンからの受け答えがないので、様子を窺う。儚げな瞳で自身の持つ弓を眺めていた。

「そういえば、お前どうして弓なんて扱えるんだ? しかも魔獣を一撃で倒せるほどの」

「昔、習ったことがあるんだ」

「へー、それって学校とかでか?」

「まあな」

「ふーん、って、昔ってお前いくつだよ」

「二十五だが?」

「俺よりも、五つ上かよ」

 見た目とやけに大人びた振る舞いから、上なのかなとは思っていたが、本当に上だったっとは。

「す、すみません。今まで舐めた口をきいて」

「気にするな。年齢なんてただの飾りだ。本当に重要なのは、自分自身が今まで何をしてきたか。それだけだ」

 なんというか。こいつは、一般的、民というよりかは王族のような大きな器を持っていて、その目線で物事を考えていると思った。

「魔王を倒すと言っていたな」

「お、おう」

「どうしてだ?」

「どうしてって……言われてもだな」

「半端な志で、そのようなことを口にする者はたくさんいる。だが、貴様は違う。自分の命を懸けている。なんのために?」

「子どもの頃、俺は田舎にある小さな村に住んでいたんだけど、そこである日突然、魔獣に襲われて。俺は、逃げたんだ。家族を放り出して。自分一人で。そんなどうしようもない俺をルコばあやあの村の人々は優しく、歓迎してくれた。だから、俺は守らなければならないと思った。この人たちが魔物や魔獣、魔人から恐れず生きられる世界を作って、皆を守るんだ。もしかしたら、自己満足かもしれない。過去の逃げ出した自分への罪滅ぼしかもしれない。けど、俺はやり遂げて見せる必ず」

 てっきり、また笑われると思った。けれど、ジャスミンは一切の笑みを見せることなく、真剣に俺の話を聞いていた。ルコばあがあの時、俺にそうしてくれたように。

「行くぞ」

「え? 行くってどこに?」

「医療魔法、使えるようになりたいんだろう?」

「……! お前が教えてくれるのか?」

「師匠は、言葉足らずなところがあるからな。その穴を私が埋めてやるだけだ」

「あ、ありがとう!」

「私は、師匠のように甘くはないぞ?」



 今までの人生で、誰かに魔法や剣術といった戦闘に関わるものを教わったことはない。だから、今回のジニアさんやジャスミンからの指導は俺にとっては新鮮なもので、楽しく感じた。のだが。

「なぜ、できない……」

 ジャスミンは分かりやすく、頭を抱えている。それもそのはずだ。このジャスミンたちの家に来てから三週間。俺は、せっかくジャスミンから医療魔法を教わっているのに、なに一つ、魔法を取得していないのだから。

「いや待て、まだ、三週間。魔法を取得する期間は人によって様々だが、こいつはど素人だ。焦っている私が悪いのか」

「そうだ! お前が悪い!」

 鋭い、ジャスミンの眼差しを俺は避ける。

「いや、魔法が取得できないのは仕方がないとしても、魔法の基礎がまったく身につかないのは問題があるぞ」

「基礎って言われても、よく分からないんだよ」

「いいか? 魔法は自身の生命エネルギーを通して作り出される。正しく鍛錬すれば、魔力量は向上し、年齢とともに衰えもする。つまり、魔力とは強さそのものだ」

「そうだって言うな。でも、お前もジニアさんも言っていたけど、俺は自分の魔力が無いに等しいんだろう?」

(そうだ。ユーカリの魔力の根源は自分の生命エネルギーではない。他の生命エネルギー。その範囲は自分の近場にいる生物であれば魔力を吸い取れる。だが、私や師匠のように自分と明らかに実力が離れた生物からは魔力を得ることができない。今、ユーカリが魔力を吸い取れるのはせいぜい、そこらの植物や魚や馬のような野生動物からだ。ま、まさか。そうか、その手があったな)

「ユーカリ。私が間違っていた。やり方を変えよう」

「お、おう。どうした急に」

「貴様が使った魔法『雷体』と言ったか? あれは貴様と戦った魔獣が使っていたものの模倣だと言っていたな」

「そうだけど」

「それが答えだ」

「ん?」

「つまり、貴様は他の魔力を自分の魔力根源とする特殊体質から、一般的な魔力操作を学ぶのではなく、その体質を利用した魔力の扱い方をすればいい」

「うーん、ジャスミンさん? ちょっと言っている意味が、分からないのですが」

「私の扱う魔法では、貴様の力量では模倣はできない。なら、薬草ならどうだ?」

「薬草?」

「そうだ。薬草に限らずこの世に生きるすべてのものには少なからずの魔力がある。薬草がなぜ薬草と言われるのか。それは、薬草が持つ生命エネルギー、つまり魔力が人間の病を治し、時には傷を癒すからだ。ならその薬草を魔力根源とし、薬草が持つ魔力を解析できれば貴様は実質、医療魔法を扱えることになる」

「お、おー。なるほど。その手があったか」

 ジャスミンの言う通りに、早速、薬草を魔力根源に魔法を扱う修行をした。

「で? そもそも、どうやってこの薬草から魔力を吸い取ればいいんだ?」

(し、しまった。この小僧。今まで無意識に他から魔力を吸い取っていたのか)

「それは、自分で考えろ」

「わ、分かった」

 謎のジャスミンの圧に俺は頷くことしかできなかった。

 ジャスミンと修行を始めてから、早くも半年が過ぎ、また凍てつくような寒さが肌を襲い始める季節がやってきた。

『癒し水』

 俺がこの半年で取得した医療魔法はこの一つのみ。それでも、ジニアさんは大したものだと褒めてくれた。

 指導してくれたジャスミンもまあまあだと一応、褒めてはくれた。

 水を魔力根源とするこの魔法は、水に含まれる魔力を利用した簡単な傷や病を治す魔法である。水に含まれる魔力をすべて利用できるわけではないが、今の俺が扱える魔法はこれくらいのレベルなものだ。それでも大きな一歩のように感じた。

「そういえば、二人とも、こんな噂は知っているかい?」

 いつものように三人で夕食を取っていると、ジニアさんが急に話題を持ち出した。

「噂?」

 俺とジャスミンは顔を見合わせ、疑問をジニアさんに向ける。

「今、国内で流行っている病の原因は、国付近に生息している魔獣だと」

 魔獣は、魔人の戦闘用の飼い犬として利用されることが多いが、魔王軍が南方地方に侵攻を開始してからは、野生化した魔獣が出現するようになっている。戦闘に負け、飼い主である魔人がいなくなったものが大半を占めるが。

「仕事ですか?」

 ジャスミンはため息交じりに言う。面倒くさそうだ。

「うん。君たち二人でやってもらいたい」

 ジニアさんは、医師として、患者を治すことはもちろんだが、病の要因を取り除くのも医師としての仕事の一つだと言って、このような戦闘がある仕事もやる。まあ、ほとんどはジニアさんではなくジャスミンが戦闘は請け負っているらしいが。

「嫌です」

「即答かよ」

「当たり前だ。こんな流行り病を出させるほどの影響力を持つ魔獣だ。少しでも足手まといは少ない方が良い」

「ほーう。ジャスミン様ともあろう者が、俺一人の足手まといを抱えると自分の死に直結すると?」

「……分かった。いいだろう。その安い挑発に乗ってやる。だが私は貴様を助けないからな」

「ああ」

「ちょっとは、ユーカリもジャスミンのことが分かってきたようだね」

「まあな」

「仲良くしてやってね。ジャスミンはいい子だから」

 それも知っている。なんてことは口にはできなかったけれど、言わずともジニアさんには伝わったのか、優しく微笑んだ。

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