【短編小説】サンドイッチを食べながら
あだむ
本編
あと1人だ。
堀口茂雄はネクタイを緩め、ペットボトルのお茶をグイと飲んだ。
あと1人終えれば、家に帰れる。
とっとと済ませて飲みにでも行きましょうよ。隣に座る北村太一が言った。
堀口は片手を立てて頭を下げた。
すまん、また誘ってくれ。
堀口さん、最近付き合い悪くないっすか。
いや、コレがうるさくてさ。
ヒェー、鬼嫁ってやつっすか?だから
自分、結婚なんてしたくないんです。
ほら、すぐに次が来るぞ。
立てた小指を閉じ、堀口はため息をついた。長男の悠太郎の顔を思い浮かべる。部屋から出てこなくなって、2ヶ月が過ぎた。試験は全て未受験。卒論も出していないはずだ。怠惰な学生に対する大学の非情さを、堀口はよく知っていた。卒業できなくなりました。そう言って涙を流す学生を何人も見てきた。泣きつかれるたびに、堀口の心は冷めた。淡々と、しかるべき処置をする。そんなことが何度もあった。まさか、悠太郎がそうなるとは、夢にも思わなかった。
先ほど終えたのは、悠太郎と同い年の男だった。2浪して第5志望の大学に入った悠太郎と、1浪して早稲田大学に合格し、1年間の留学を通して強固な英語力を身につけてきた男が同い年なんて。堀口は、ため息を胃の中に押し込んだ。ジトジトした痛みが胃の粘膜に混ざり、ヨーグルトにかけた蜂蜜のように、ゆっくりと沈んでいく。
家に帰ったら、悠太郎の部屋をノックしなきゃ。堀口は物思いにふけった。もう何をしたって出てくる気配がないんだよなぁ。でも、昨日俺が買ってきたサンドイッチは全部食べてくれたんだ。普段、あいつは律子が作る料理に手をつけない。ご飯やら味噌汁やらがのったトレイを部屋の前に置いておく。しばらくして様子を見に行くと、食事の上にメモが置かれてるんだ。「ポテチ」とか「カップ麺」とか、見るだけで胃もたれしそうになるメモが。それを手に、律子はコンビニまで走る。ったく、甘やかしてきたからこうなるんだ。堀口は舌打ちをする。ん、どうしました?資料に目を通していた北村が眉をひそめる。いや……疲れたなぁって。はっはっは、少し息抜きした方がいいっすよ。北村は資料読みを再開した。北村、お前に悩みなんてあるのか。息子が引きこもりになった気持ち、わかるのか。堀口は北村の胸ぐらを掴んでやりたくなった。
だが、堀口は知っていた。先月、北村が婚約を破棄されたことを。北村が1LDKの部屋から引っ越しをして、1ヶ月が経っていた。お前も辛いだろうが、北村のことも気遣ってやってくれないか。あいつ、食事が喉を通らないらしい。堀口の同期で、去年まで北村の直属の上司だった高橋が、すがるように堀口に打ち明けたのを思い出した。今日、やっぱり飲みに行くべきか。財布の中身と律子の顔とを交互に思い浮かべた。いや、やっぱりダメだ。閉店時間に間に合わない。
堀口は、昨日立ち寄ったパン屋に思いを巡らせた。今日もサンドイッチを買っていこう。あそこは、陳列されたパンを見ているだけで楽しくなる。明日、パンを見に行かないか?サンドイッチ、好きなだけ買ってやるぞ。悠太郎、出てきてくれるだろうか。出てきてくれ。お願いだ。もう、家に帰るなり、律子の暗い顔を目にするのはごめんだ。堀口は、吐き出せぬ思いを誰かにぶちまけたくなった。次の学生に言ってやろうか。「今から私と、私の隣にいる彼の悩みを聞いてください。そして、その悩みに対し、適切な解決方法を考え、アドバイスしてください。それで私たちの心が軽くなれば、2次選考を通過とします」これ、かなりいいアイディアじゃないか?北村に伝えようとしたその時、ドアが開いた。人事部の若手が顔を見せた。
「次の学生、入れてもいいですか?」
「あ、お願いします」
北村が瞬発的に返事をした。堀口がネクタイを締め直す。
「始まりますね。ラスト」
「おう」
「圧迫しすぎないでくださいね」
「圧迫じゃないよ。真剣に質問してるんだ。彼らの将来がかかってるんだから」
コンコン。ノック音が聞こえた。北村が立ち上がる。
「失礼いたします」
リクルートスーツに身を包んだ学生が入ってくる。短く刈り上げた黒い髪。浅黒い肌。引き締まった身体。第一印象、良し。ただ、笑顔がないのが気になる。緊張しているのだろう。堀口は、彼のエントリーシートを読むふりをして目をそらした。
「どうぞ。荷物はそこの机に置いて、こちらにお座りください」
北村が笑顔で学生を誘導する。さっきまでのおちゃらけた雰囲気も、婚約者を逃した悲哀さも感じられなかった。「面接官」を立派に演じきっていた。
学生がお辞儀をして座る。堀口は、学生をじっと見つめていた。悠太郎のことは頭から離れないし、律子の泣き声も頭の中でキンキン響いた。でも、堀口も「面接官」になりきった。目の前の学生が、厳しい状況に打ち勝つ力があるかどうかを見極めるために。そして何より、彼の思いを聞き逃さないように。
悠太郎よ。もし、お前が心を閉ざしたきっかけが就職活動だったのなら、俺は言いたい。面接官だって人の子であり人の親。みんな悩みを抱えていて、それを前面に出さないようにしているんだ。鬼を演じているだけ。だから、恐れなくていいんだ。相手はロボットじゃなくて、人間なんだから。サンドイッチ片手に語りかける自分の姿を、堀口は思い浮かべた。よし。
「では、面接を始めます。えーっと、志望動機を読んだんだけどさ」
【短編小説】サンドイッチを食べながら あだむ @smithberg
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