2

 「我々人類の聴覚は、20Hzから20,000Hzまでが可聴域だとされている。これは皮肉な事に、哺乳類の中では最弱の数値だ。一方で、イルカやコウモリなどの可聴域は――」


 幾度かのリフォームを経て、蒸気機械を取り入れた内装が特徴的な、建物の一角。

 男性教員が指揮棒をもち、生物についての授業を開いていた。


 百年前は、大規模な高齢者施設として使われていたらしいこの建物は現在、「高等学校」として機能している。

 なぜ、そのような事になったのか?その答えは、この退屈で仕方がない授業が終わり、休み時間に入ってから告げられる。


 「はぁー。こんな薄汚い所に毎日通うなんて、やっぱ嫌だなぁ」

 「まぁまぁ。これでも、地元の中ではだいぶキレイな方だと聞きましたよ」


 と、クラスの学級委員を務めている板橋神楽カグラが、そういってメイトの女子を励ました。その友人は、それでも納得が行かない様子だった。

 固形化された完全食のバーをかじり、むしゃむしゃしながら、友人は答える。


 「それでもさー。せめて昔の教育システムみたいに、新型ウィルスが流行ったら学級閉鎖にして、家の中で勉強できるようにするとか? いっそ通信制に切り替えるとか? それくらいパパっとできたらいいのにー」

 「気持ちは分かります。でも、そんな改正案を受け入れてくれるほど、教員達も心身の余裕はありません。やっても無駄だと分かっているからですよ」

 「分かっているって、何を根拠にそんなことを…」


 友人が不機嫌に首を傾げながら、神楽を注視した。神楽は続けた。


 「そりゃあ、ここ百年の歴史を見れば分かります。令和になってからのウィルス蔓延と、従来の少子高齢化が問題視されていた中で、海外で戦争が勃発。その恐慌の煽りを受け、日本の資本主義は崩壊。今や不衛生な環境が災いしてか、ゾンビだらけの無法地帯と化したこの国では、政府もそれを打開できるほどの時間もお金もないそうで」

 「で? そのお金がないから、新たに学校を建てる事が出来なくて? 昔ながらの学校はほとんど老朽化で使えなくなって、当時の日本ではわりと頑丈かつバリアフリーに作られた高齢者施設が、こうして代わりに再利用されているってオチでしょ?」

 「…まぁ」


 神楽は、少し気まずそうに返答を述べた。

 つまり彼女たちがいるこの国はゾンビが猛威を振るっているため、もう自分たち若者の意見を尊重できるほどの余裕などないという事だ。友人は呆れたように背を向けた。


 「ほんと、あんたは真面目だよねー。そんな昔の人たちの都合なんて、こっちは知ったこっちゃないし、ほんと夢がないっていうか?」


 そういって友人はふと、バーをつまみながら窓の外を不貞腐れた表情で見入った。


 外の大通りでは、営業で外回りを行っているであろうシルクハットを被った男性の近くで、また別の男性が、側溝から這い上がろうと暴れ回っていた。

 その男性は、見るからに白目を剥いて、踊り狂う様に手足を振り回している。まるで、効精神性の違法ドラッグに嵌った中毒者のようだ。その男性はなお、神楽たちに音が聞こえていれば確実に奇声がうるさいといわんばかりの表情で、黒く汚れた側溝の中でバシャバシャと暴れていた。


 「うっわ、きったな。みんなして避けてるじゃーん」

 友人はその光景を、距離のある窓から見下ろしながら、若干引いている様子だった。それでも見続けているのは、怖いもの見たさというものか。神楽は肩を落とし相槌を打った。


 「従来は夜型だけだったのが、最近はああいう昼型のゾンビも現れる様になりましたね。変異種の感染でしょうか。ただ夜型とは違って、彼らは自分から襲ってこないですよね」

 「へんなの。しかしああいうのを見ると人間、薄情にもなっちゃうよ。自分の好きな人が、いつかああなってしまうと思うと、もう愛だの恋だの求めるのがバカらしいというか」


 友人はそういって、ようやくバーを食べ終えたその梱包フィルムをゴミ箱に捨てた。

 その表情は、いつしか、少し悲しげで…


 「その根本原因さえ分かれば、人々をそこまで薄情にさせた罰でも与えられるのでしょうけど、そう簡単にはうまくいきませんよね」


 と、神楽はあくまで共感のてい・・を示した。

 友人は自分の机と椅子がある方へと行き、その椅子にドカッと座った。

 「ふん。いくら一部界隈で高い評価を得ている音楽作業員であれ、所詮は民間。政府非公認のゾンビハンターでしょ? もし、この社会問題の黒幕とかが、こう… なんていうの?」

 「言いたい事は分かります。要は、その筋の者たち・・・・・・・ではないか、という事ですよね?」

 「そうそれ。そんなんだったらもう、あの組織は勝ち目なんてないよ? というか、メディアがいう様に本当に原因不明のものだったら、なんであれ・・は絶対に精製できないとか一度かかった人間はもう元には戻らないとか、そんな事が断言できるわけ――」


 神楽が、無言でシッと自身の人差し指を立て、友人を黙らせた。

 これにはさすがに不満げな表情だった友人も、これ以上いうのはまずいと察したのか、口を閉ざす。


 その時、学校中に予鈴のチャイムが鳴った。

 生徒達は各自自分の席に座り、次の授業に必要な教材を取り出す。神楽も自分の席へと向かい、友人も机に教科書などをポンポン置いた。そして席につき、最後にこう締め括った。


 「音楽作業員は勝ち負けなんて求めていませんよ。求めているのは、あくまで『平和的解決』。世の先輩方がそう言っていたんです」


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る