君が飛び降りるのならば

惺窩

君が飛び降りるのならば

死ぬ理由を誰かに聞かれたら私は多分こう答える。

生きる理由がないし、死んでも誰も悲しまないから。

ふと時計を見た。針は22:00を指している。

どうりて手すりが寒いわけだな。手すりに足をかけている足の裏が冷たくて壊死しそうになる。

足の底から伝わる冷たい感覚が、体全身を侵食していくのに、私の中の命の灯火は未だ消えない。

今から死ぬのに、なんでこんなにもこの心は薪でも入れられ焚べたようにメラメラと燃え盛っているのだろう、と私は夜空を見上げて不思議に思う。

…きっとあいつのせいだ。女なのに男っぽくて、いっつも空気なんて読まずに自分が話したいことだけを話しては爆笑するあいつ。

まぁ私があいつにアニメとか漫画を教えたせいなんだけど。いやぁ、初めて私がオススメした漫画を見た時のあいつの顔。本当傑作だったよなぁ。

もうぼっろぼろ泣いてて、「これ神作だよぉ〜」って。全部の文字に濁音入れたようなカッスカスの声で私に抱きついてさ。ほんと、面白い、私のただ1人の友人。

よく些細なことで喧嘩をした。

あいつは私が何度勉強教えても聞こうとしない。

あいつは「いや聞いてるよ!」って言うけど、絶対聞く態度じゃないでしょ。あれは。それに聞いてたら赤点なんて取らないしね。まぁでも私と同じ大学受かったからそれだけは尊敬するけど。

あいつは本当に馬鹿だ。

あいつのせいで何回先生に怒られたことか。私は自分で言うのもなんだけど真面目な方なのに、あいつが変なことばっかり起こすから一緒にいるだけの私も何にもしてないのに一緒に怒られる。ほんと、困ったもんだよ。

何回やめろって言っても煙草も吸うし、アホらしい。

私が小言を言えばいちいち突っかかってくるし、口喧嘩で馬鹿なあいつが私に勝てるわけないのに。

やっぱり馬鹿だな。

そういえば、逆にキレさせたこともあったっけ。

今週の漫画の展開を話そうと思って話したらあいつ、単行本派だからネタバレすんなってガチギレしてたな。しかもそれ結構しちゃってたし。あれは…完全に私が悪いな。いつか謝ろうと思ってたんだ。まぁ、もういいか。

夜空に向かって深く溜息をつく。

口から吐かれた白い煙は星の無い真っ暗な夜空に向かって少しだけ昇るとすぐに消えた。

「なんか、儚いなぁ。」

独り言を零したと同時に、玄関の扉の開く音がした。

「漫画返しに来たぜ〜。ってお前、何してんの?」

振り返らずに、私はその声であいつが来たのだと察した。飄々とした口調に、あいつの少し高い声が乗る。悪い言い方をすれば、ヘラヘラとした馬鹿みたいな口調だ。

その口調、前からずっと嫌いだった。私のことを馬鹿にしてるような気がして。

なんだか少し苛立ち、私はドスの効いた声であいつに言う。

「見ればわかるでしょ。死のうとしてんのよ」

「だから、何してんの?って聞いてるのよ。」

あいつは笑いながら私の立っている手すりまで来ると、手すりにもたれて肘をかけ煙草を取り出した。

いつもなら私の方が見下ろされる側なのに今だけは見下ろす側になっていて、いい気味だ。

「1本いるか?」とにやけ顔を私の方に上げて煙草の箱を出す

「要らないわよ。」

「そりゃそうかw」

いつもの、なんてことない会話。

私が煙草を毛嫌いするのに、あいつは私の家に来るなり煙草をふかす。私が小言を言うとあいつは決まって言うんだ。

「1本いるか?」って、「ストレス発散でなるぞ?」って、へらへらと笑いながら。

それに釣られて私も少し笑って、「要らないわよ。」

それが、いつもの私達の開口一番の会話だった。

今日、私は笑ってない。

あいつは煙草を大きく息を吸い込む。ふぅーっとあいつの小さく可愛い唇から、酷く汚い煙が宙に舞い、空高くまで伸びていった。

なんだか、その景色が妙に妬ましかった。

「あんたはいいよね。死にたいなんて思わなそうで」

不意に口走る。私は慌ててそこから口を噤んだ。

何も言わずに、あいつは煙草を吸っている。怒りとか、哀愁とか、そんなものを貼り付けた顔を一切見せず、ただ無心に煙草を吸っては吐き出した。

あいつが煙草を吸う度に、煙草の先端が、暗闇で綺麗な朱色に光っては灰と化した。

無言の時間が続いて、あいつの煙草が半分程度になった頃に、あいつはようやく口を開いた。

「私だって死にたいと思うことぐらいあるさ。でも天秤にかけた時生きる理由の方が死ぬ理由より傾いてるってだけ。死ぬ理由の方に傾いたら私だって死ぬよ。

あんたの死にたいって気持ち、なんて言うか知ってる?希死念慮っていうんだよ。死にたい理由もないのに死のうとしてる。」

私はそんなあいつに対して鼻で笑ってこう言った。

「私に知恵比べなら土俵が悪いよ。」

誰があんたに、勉強教えたと思ってんだ。そう言わんばかりの顔をあいつに向ける。

その顔を見ると、あいつは笑って

「確かにな。」

あいつは煙草を咥えなおして大きく吸い込み、私の立っている手すりに、煙草の先端を押し付けて火を消した。

そうして、元気な声で言う。

「じゃあ、死ぬか!」

あいつは、そう言って私と同じ手すりに立つ。

「…は?」

困惑から、声が漏れた。

「何してるの!?」

今まで出たことの無いほどの大声で私は叫んだ。

「だから、死ぬ理由の方に傾いたら死ぬって今言ったでしょ?」と飄々とした声であいつは私に向かって満足気な顔をする。

「いや、でも…」

「何?止めてもらえるとでも思った?」

「いや…」

「私らの絆甘く見んなよ!!!」

あいつはVサインをこっちに送るとにこにこした顔でそういった。そして、私の手を強く握った。

「なぁ、生まれ変わったら何になると思う?」とあいつは私に尋ねる。

一呼吸おいて、

「さぁね。でも多分ろくでもないものだよ。」

「確かに」

あいつはそう言って笑った。そして私達は目を閉じた。静寂が身を包む。

それから数秒して

「でもなんか忘れてる気がする…」あいつはそう言った

「え?」

「あぁ!今日漫画の発売日じゃん!!」

「ごめん死ぬの明日にしよ!!!」」

そう言ってあいつは私と手を繋いだままベランダに降りた。

私はあいつを睨んでこう言った。

「…明日は死ぬよ」

「わかった!!」そういってあいつが笑う。

ほんといっつもそうだ。私はあいつに振り回されてばっかりで。でも、それが少し心地よくて…。


来る日も来る日も私たちは死ねなかった

「あぁ!今日見たいテレビの放送日じゃん!!」

「明日は死ぬよ。」

「わかった!!」


「あぁ!今日好きな漫画がアニメになる日じゃん!!」

「明日は…」

「わかった!!」


「あぁ!明日好きなボカロPが新曲出す日じゃん!!」

「あし…」

「わかった!!」


何日も、何日もそうやって続いていく。

そして、今日。

「じゃあ、死のっか」

「そうだね。」

私たちはそういうといつものようにベランダに出る

あいつはまた手すりにもたれてピアニッシモのペティルを取りだした

「それ、今日で何箱目?」

「さぁ、3箱目ぐらいじゃない?」

「ぐらいって、そんな吸ってたら早死にするよ。」

「今から死ぬんだから変わらんでしょ?」と笑った。

「いる?」と箱を私の方に出す。

「…貰う。」

あいつは驚いてえぇ〜!!!とこれまで聞いたことがないぐらい大きな声で叫んだ

「…なによ」

「いや、え?まぁ、あげるけど…え?」

「私だって、吸ってみたかったの。」

私はそう言うと煙草を1本箱から取り出した。

あいつはそんな私を見て少し笑っていた。

「どうやって吸えば…」

困惑しているとあいつが言う

「それ、咥えて」

「顔こっちに突き出して」

んっ…とあいつの方に顔を突き出した。

そして数秒するとあいつの額と私の額がぶつかった。

えっ?と困惑して私の体が少し動く。

「じっとしてて。」とあいつは言った

次の瞬間、あいつの煙草と私の煙草の先端が触れ合って、私の煙草に火がついた。まるで命でも授かったように、私の咥えたそれは朱色の明かりを纏った。

火がつくとあいつは顔を引く。

「後は息吸い込んだら吸えるよ」

私はバクバクと早く鼓動を打つ心臓に急かされ、大きく息を吸い込んだ。体内に煙が入ってくると同時に咳き込む。

「一気に吸い込みすぎだな」とあいつが笑う。

つられて私も笑ってしまった。

次に少しだけ吸い込んだ。

煙が肺に入った。気道にひんやりとした感覚が走る。口から出すと微かに桃の香りとメンソール独特の清涼感が鼻を抜ける。

「煙草ってこんな味なんだ」

私は笑っていう

「クソまずいね。」

あいつは笑って、

「そんなもんだよ。でも、1回経験しといたら美味しく感じるもんさ。」

私の吐いた煙は星が少し光った夜空に向かい空高くへと伸びて消えた。

あいつは煙草が半分ぐらいになったところで話し出す

「私は、あんたに出会えて良かったと思ってるよ。

あんたのお陰で好きな漫画も、アニメも、音楽もできた。」

「急にどうしたの?」私は笑う。

「いやさ、今から死ぬってのに今まで別れの言葉なんて言ったこと無かったなって。」

「今から死ぬのを何回も繰り返してるの変なことだけど。」

「まぁそれはね。」あいつは笑う

「死んだら何になるか、ってこの前聞いたよね」

「あぁ、そんなこともあったっけ」

「本で占ったら私はタイヤで君は玉ねぎだったよ」

「何それw」

あいつはTwitterを見ていた。

「あのボカロP新曲出すんだ…」あいつは私に聞こえないようにかぼそっと呟く。

「なんで大事な時にTwitter見てるのさ」と私は笑う。

それから十数秒私たちは煙草を吸った。

あいつは煙草を吸い終わるといつもみたいに手すりの上に立った。

私も火を消して手すりの上に乗る。

「じゃあ、死ぬか」

「そうだね。」

私たちは手を繋ぎ、目を閉じる

「次に出会う世界でもこうして出会えたら嬉しいな」

「…そうだね。」

「…」

「…」

こうして何秒だっただろうか。

いつもならもうとっくに降りている。

「…」

「…」

あいつの手の握る力が強くなる。

目を少し開けてあいつの方を見ると短く艶やかな髪が風になびいていて、髪の下に隠れていた細く白い首は汗で少し光っていた。

あいつから吐かれた息が白く曇って空に少しだけ昇りすぐに消える。

その煙に当てられたかのように空を見た。空はいつか見たよりも星が綺麗に、夥しいほど千草色に輝いて見えた。

「…」

「…ねぇ、」

私は声を出す

「何?」

「今日、私の好きな漫画の更新日なんだ。」

「うん。」

「だから、死ぬの明日にしない?」

どこか感じた違和感。その正体はあいつは今日、死ぬ覚悟があったことだ。

してやられたな、と私は思う。

あいつはきっと私に選択を託したんだ。私が飛び降りないってわかってたから。私よりあいつの方が私のことをわかってるって理解されるために。私に、もう二度と死のうなんて考えを思わせないように。

皮肉な話だ。生きる意味がないから死のうとしてたのにいつの間にかこの些細な会話が私の生きる意味となっていた。いや、きっと元から私はあいつとの何も生み出さない、クソみたいにしょうもないこの会話が生きる原動力だったんだ。私の命の天秤は元々、生きる方向に傾いていた。

あいつは私の方を見てニコニコして叫ぶ

「わかった!!」

あいつはそれだけ言うとすぐに部屋に戻って行った。

1人残されたベランダで、私は煙草の吸殻を見つめる。吸殻から、微かに甘い匂いが漂ってくる。

「やっぱり臭いな。」

独り言を呟いて、私はあいつがいる部屋に戻った。

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