第19話 初めて見た顔~藤松奏世~
こんにちは!私は藤松奏世、中学3年生です。今日は駅前のデパートにある劇場で演劇祭をやっていて、それを兄と一緒に見に来ています。今は最初の劇が終わった後の15分ほどの休憩時間。兄はトイレに行っているそうなのですが、そろそろ戻らないと入場が締め切られてしまうので少し不安です。それにしても、今日は来てよかったなと今のところは思っています。兄さんと一緒に来たとは言いましたけど、実際には私が引っ張り出してきたって感じで。でも、割とつまらなそうって言うか、寂しそうにも見える顔をしてることが多い兄さんが、途中からは食い入るような感じで舞台を見つめてる。正直寝られでもしたらどうしようかと思いましたけど、楽しめてるようで何よりです。トイレ行くときも何か考えてそうでしたけど、いつもとは違う感じでした。私には分かります。
にしても遅いなあ、本当に締め切られちゃいますよ…あ、来た来た
「兄さーん、早く早く!」ちょっと大きな声出したら流石に慌ててますね。
「お、おいおい。声でかいぞ、誰が見てるか分からないのに…」
「兄さんが遅いからだよ。もし帰ってたらどうしようかと思ったよ」
「あーごめんな。ちょっと考え事してたのと、コーヒー飲んだらもっかいトイレ行きたくなっちゃって」
「見た感じ胃に合ってなさそうだし、むやみに飲むのやめたら?」
言い終わるより少し早く、2幕目が始まるブザーが鳴り、再び客席の照明が落とされました。一瞬見えた兄さんの視線には、迷いと羨望が映っていたと思います。
2つ目の劇は『無伴奏ソナタ』という作品。オースン・スコット・カードという方が書いたアメリカのSF小説が原作です。過去に今回演じる劇団キャラメルボックスによって2度上演さえ、最近は舞台化もされたみたいですね。
主人公のクリスチャン・ハロルドセンは生後半年で早くも音楽の才能を見込まれ、その時点で音楽の創り手として生きる運命が決まりました。2歳になり、音楽の天才と認められると、彼は楽器以外本当に何もない自然の中の家で暮らし始めます。この世界は人それぞれの才能をもとに決められた役割があり、それを一生かけて全うすることが幸せであるとされています。しかし、あくまで個人の「独創性」が優先され、他者の模倣や周囲との干渉はそれを汚しかねないという理由から法律で固く禁じられています。
まあ、ここまで読んだ人は多分この後の流れがなんとなく予想できると思います。正直私もそうでした。大人になったある日、彼はある作曲家のレコードを聴衆から貰い、法律を理解しながらも音楽への好奇心からレコードを聴いてしまいます。結果、両者の共通点の部分がクリスチャンの曲から失われ、彼は政府に再教育と一切の音楽活動の禁止を命じられます。これさえ守れば食事や仕事には困りませんが、やはり彼は音楽を捨てることができず、行く先々で周囲から求められては音楽の才能を発揮しそのたびに大切なものを奪われていきます。指を、しまいには声を…
先に私の感想を言うと、結構怖い作品だなと感じました。趣味や才能によって職業や生き方を固定され、その中で選ばれた人は他者との交流を一切許されず、それを犯せば最も愛したものを取り上げられ、二度と触れることはできない。食事や職業に困らない完ぺきな社会だと言っても、私はここで生きる自信はありません。しかも現在ではいろいろと急激に発展したせいでこういう世界がいつか現実になるかもしれないかなとも思うので。
劇の終盤、そんなことを考えながら横を向くと、兄さんが泣いていました。
顔を覆い、それでも涙をこらえ切れていませんでした。
再び音楽を奪われ、指を切り落とされた主人公の絶望に心の底から共感し、気づけば涙が止まらなかったそうです。主人公が作った歌が時を超えて子供たちに語り継がれていく場面では、感激のあまり大きな拍手をし、流れる歌を口ずさんでいました。泣き虫の兄さんですけど、こんなに感動して泣いているのは正直初めて見た気がします。外であんなに嬉しそうな顔をしてるのも結構久しぶりです。ラスト10分のクライマックスでは、正直舞台よりも隣で感情をあらわにする兄さんに心を奪われていた気がします。終わった後涙が出てきたのも、その純粋さに対するもらい泣きな気がします。
日も沈み始めた帰り道。兄さんは最後に聞いた歌を口ずさみながら満ち足りたような表情で足を進めていました。その表情を見て、連れてきてよかったと本当に思いました。卑屈な所もありますけど、兄さんは良くも悪くも感情がはっきりと行動に出るタイプ。好きになったものはとことん追い求めるし、そのまた逆もしかり。先入観が強いせいで色々と食わず嫌いが多かったりもします。そういう人がここまで感動してる姿を見ると、私もすごい嬉しいです。
「奏世」家が近くなり、兄さんが声を掛けてきました
「どうしたの?兄さん」
「俺、演劇部入ってみたい。あんな風に、自信もって人前に建てる人間になりたい」
今日いちばん嬉しかったのはその一言でした。ある意味兄さんにはぴったりな部活ですけど、彼には唯一足りないものがあります。それが、自信。イマイチ、というか全く自分に自信を持てていないせいで、今まで苦しそうに生きていました。今だって一瞬「出来るかな…」ていう顔になってました。
「兄さんなら絶対できるよ」ただの励ましではなく、本気で力強く言いました。
「ほんとか?」「うん、絶対できる」気が変わらないように、小指を差し出して最後の念押しをします。
「絶対逃げ出さないでね。兄さんの1番のファンとの約束」
「うん、約束する。俺、今度こそ変わるよ」
少し気弱に見えるけど、確かに決意が灯った兄さんの視線。
少なくとも私にとって、今日は忘れられない日になりそうです。
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