第7話


「こんなに人がいるのだな?」


 薄く色のついたサングラスをかけたアレクは、驚いたように辺りを見回していた。

 工場長が持ってきた──多分、奥さんが用意した──白の綿のシャツに着替えたアレクは、一見すると物見遊山に来た裕福な観光客にも見える。

 なんの変哲もない安価なシャツなのにそう見えるのは、本人から滲み出る品の良さの所為かも知れない。

 確かに目の前にはごった返すような人波が広がり、狭い路地に所せましと屋台や市場がたち、人いきれでむせ返るよう。

 屋台に灯された光が辺りを昼間のように照らし出していて、サングラスも邪魔にはならない。


「俺についてきて下さい。万が一はぐれたら、工場に先に戻って──」


 いい終わらないうちに、突然、手をぎゅっと握られた。見ればアレクの白く繊細な、でも年長者のそれがソルの小さな手を包み込んでいる。


「…ラハティ大尉?」


 驚いてその顔を見上げれば。


「こうしていれば、迷子にならないだろう?」


 いたずらっぽく笑っていた。そんな悪びれない態度にどうしていいか分からず、結局そのままにしてしまう。

 この歳で、人と手を繋いで歩くなどあり得ない。けれどアレクにされるならよしとしてしまう自分がいた。


「ああ、ソル。あれは? 上手いのか?」


 先に見えた屋台には、焼けた肉のいい匂いが漂って来ていた。


「あれは焼いた羊の肉を、タレに付けて串に刺して焼いた料理で──」


「いい匂いだ」


「食べてみますか?」


「ああ。それにその向かいにある食べ物も気になるな? 麺か?」


「あれは、米の麺を鳥の出汁で作ったスープに入れたもので、魚醤が入ってます。匂いが気にならなければ美味しいと思いますよ」


「ああ。それと──」


「はい?」


 アレクは思案げに視線を揺らしたあと。


「その敬語を止めようか。呼ぶのもアレクでいい」


「え…? でも──」


「私には弟がいたんだ。幼い頃、両親の離婚によって生き別れたが…。生きていれば君と同じ位の年頃だ。だから君が弟の様に思えてな。せめて私といる間は弟と思わせてくれないか?」


「弟…」


 その言葉に思わずアレクを見返すが。


「嫌か?」


 だから抱きしめて寝たり、キスをしたり。手も繋いだりするのか。


「いえ…。その、大丈夫、です…」


 心の奥で少し気落ちした自分がいた。それがなぜなのか、今のソルには分からない。

 答えたその頬を、アレクが指先で軽くついてきた。


「そら。敬語」


 そう言って柔らかい笑みをこぼす。

 アレクの自然な笑みに、つい気を取られる自分がいた。ソルは躊躇ったのち。


「アレク──。…で、いい?」


 ちらりと上目づかいになってアレクを見上げれば。


「ああ、それでいい」


 アレクは微笑むとご褒美とばかりに、ソルの額にさり気なくキスを落した。


 それから、混雑する屋台を端から見て回り、あちらこちらでつまみ食いし、見たことのない野菜や日用品、その他雑多なものが並ぶ店先を冷やかし。

 十分腹も好奇心も満たすことができた。

 因みに全てソルに先んじてアレクが会計を済ませてしまい、一度として財布の口を開く事はなかった。


「楽しいな…」


 喧騒から少し外れた場所にある、屋台の薄汚れた小さなテーブルに肘をついてアレクはそう口にした。

 屋台の光を受けて、サングラスを外した青い瞳が煌めいて見える。


「そう? こういう場所はダメかと思ってたけど…。良かった」


 ソルは口直しにと買ったミルクティーを口に含みながら答える。アレクはアイスティーを手にしていた。


「こういった屋台で食べる事は今までなかったからな。思った以上に楽しめた。それと君がいるからな?」


「俺?」


「ああ。そうだ。君と過ごすのは楽しい」


 口元に素の笑みが浮かぶ。その笑みにドキリとする。今日は何度、この笑みに心を揺さぶられただろう。


 アレクにしたら、普段と変わらない態度なのだろうけれど。


 その後、必要な食料を買い足した。

 根菜類や粉類、野菜も手に入れる。キノコ類も手に入った。あとは肉と魚。

 それぞれ買い付け、帰りには両手いっぱいになっていた。

 その半分をアレクも持つ。半分、といっても、重いもののほとんどはアレクが持っていたのだが。

 見た目以上に体力も筋力もある。だいたい、夜寝た時に回された腕も消して細いものではなかった。戦闘の操縦士として必要な鍛え方をしている。


 みな、軍人はそうなのだろうか?


 鍛え抜かれた軍人。

 けれど、アレクは物腰が優雅で隙がなく。イメージしていたものとは少し違っていた。


「どうした? ソル。何か問題でも?」


「え? あ、いや…。アレクは…その。なんか違うなって」


「何がだ?」


「俺の想像していた軍人とはイメージが…。もっと、がさつで荒っぽいイメージがあって。後はずっと冷たい…」


 時折見かける兵士らは正にそうだった。

 するとアレクはクスリと笑んで。


「どうだろうな? 君に私がどう映っているのか分からないが。それは私の一面にすぎない。君の思うような粗野な面もあるさ」


「そうなんですか?」


 するとアレクはちらとこちらを見下ろし。


「言葉。次、敬語を使ったら、君ごと腕に抱え上げるがいいか?」


「はっ?! や、止めてくださいっ! そんな──」


 言われた端から敬語になってしまい、あっと、口元を思わず抑えた。


「ふふ。君は…」


「頼むから、抱き上げるのは勘弁で…」


「今はやめておくさ」


「?」


 意味を掴みかね首を傾げるソルに、アレクは面白そうな顔をしながら、再び歩き出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る