第8話 疑惑と裏切りの影
雨の夜の回想
深夜、相沢駿(あいざわ しゅん)は布団の中で薄暗い天井を見つめていた。耳に残るのは、あの夜、旧校舎を逃げ出した際に叩きつけるように降っていた雨の音。
あの日からすでに数日が経過しているにもかかわらず、そのときの息苦しさや焦燥感が思い出され、胸がざわつく。いったい誰が、何の目的で「特別な絵の具」を隠し、あの怪しげな粉末まで所持していたのか。
フードの人影や、旧校舎で出会った複数の足音の正体を解き明かすため、そして何より入院中の大森 修(おおもり しゅう)が負った怪我の真相を知るために、駿たちは今、危険な一線を越えようとしていた。
(何のために、こんな危険を冒しているのか……)
ふと駿は自問するが、すぐに浮かぶのは神崎真理(かんざき まり)の笑顔だ。トラウマを抱えながらも真実を求め続ける彼女を、今度こそ支えたい。何もできなかった過去を悔やむのは、彼女だけではない。幼い頃から漠然と感じていた“正しいことを貫く勇気”を、駿はまだ試したことがなかったのだ。
文化祭準備と警戒の高嶺教頭
翌朝、私立秋嶺(しゅうれい)高校では、文化祭に向けた準備がますます本格化していた。校内を彩るポスターや生徒会主導の催し物の案内で一見賑やかに見えるものの、どこかぎこちない雰囲気も混在している。
「今年はトラブル続きだし、行事をちゃんとできるのか不安……」
廊下ですれ違った生徒たちの声が、そんなムードを映し出している。
ホームルームを終えたあと、高嶺(たかみね)教頭が校内放送で「文化祭準備の際、立ち入り禁止エリアは厳守せよ」と繰り返し通達。旧校舎をはじめ、使用予定のない倉庫や資料室への立ち入りがいっそう厳しく管理されていた。
「これは、あからさまに私たちを封じ込めようとしているようにも見えるね……」
真理がクラスの窓辺に立ち、放送を聞きながら小さく息を漏らす。駿も無言のまま頷く。ここまで警戒心をむき出しにするのは、やはり旧校舎に“触れられたくない秘密”がある証拠だろう。
椎名剣介(しいな けんすけ)の焦り
放課後、サッカー部の練習を終えた椎名剣介は、校舎裏で駿と落ち合った。タオルで汗を拭いながら、どこか普段よりも落ち着かない様子だ。
「なあ駿、もしこれ以上深入りしたら、おれたちどうなると思う?」
「……何が言いたいんだ?」
「おれは真理や彩香を巻き込んだまま、危ない目に遭わせるわけにはいかない。だけど、ここで止まったらきっとまた誰かが犠牲になる。悔しいけど、教頭もあっちの連中も本気で隠そうとしているんだろ?」
剣介の言葉に、駿は一瞬言葉を失う。スポーツマンらしく一直線な剣介も、この事件がもつ危険さを痛感しているのだ。旧校舎で見つけた“証拠”はあまりに衝撃的で、それを下手に動かせば生徒側が一方的に犯罪者扱いされるリスクすらある。
「……俺たちにできるのは、確実に証拠を固めて、信用できる大人に繋ぐこと。でも、その前に“X”の正体がわかれば、展開は変わるかもしれない」
駿がそう返すと、剣介は拳をギュッと握りしめる。背後には木陰がうごめくような気配があり、どこからともなく誰かに見られている気がしてならない。
桐生彩香(きりゅう あやか)の報告
同じ頃、文化祭の実行委員室では桐生彩香が一人、パソコンを使って資料整理をしていた。そこへ真理が訪れ、二人だけの小さな打ち合わせが始まる。
「彩香、どう? 教頭のあの感じからして、美術部の作品展示はどうなりそう?」
「いまのところ中止の話は出ていないけど、やたらと管理を厳しくしてる。必要以上に何度も顧問の先生に問い合わせがあったり、部費の帳簿を細かく確認したり……正直、尋常じゃないよ」
彩香は眉を寄せながら、先日行われた職員会議のメモらしきものを開く。そこには「美術部が使用する予定の画材リストを事前にすべて提出」「異物混入等のリスク管理の徹底」という、やたらと“異物”を警戒する文言が並んでいた。
「まるで、あの“特別な絵の具”や粉末がまだ校内にあることを前提に、情報を隠そうとしているみたい……。もしそれが誰かの手に渡ったら、大ごとになるものね」
真理は唇を噛む。文化祭が近づくにつれ、不穏な支配力を強める高嶺教頭の動きが見え隠れする。あの夜、旧校舎で手に入れた書類が“裏取引”を示唆していることは間違いないのに、それでもまだ確固たる証拠には欠けるのだ。
“X”からの挑発
そんな緊張感が漂う中、学年ごとの掲示板やSNS上で奇妙な書き込みが目立ち始める。匿名のユーザー名が「X」を名乗り、生徒に向けて「知られたくない秘密があるなら、さっさと金を出せ」などと脅迫めいた投稿をする。
さらに、既に脅迫被害に遭っていた一年生・赤坂 拓海(あかさか たくみ)は「“X”からまた連絡が来た。今度は大森先輩の話もちらつかされて、すごく怖い」と真理に相談を持ちかける。
「大森先輩は怪我で何も言えないはずなのに、どうして“X”が彼のことを蒸し返すんだ?」
赤坂の問いに、真理は胸が痛む。もしかすると、ここまで大森を襲った人物と“X”は繋がっており、いまだに事件の口封じを徹底しているのかもしれない。
「拓海くん、今度はどんな要求されたの?」
「“最近、あの二人と一緒に動いてるようだが、首を突っ込むな”って。金だけじゃなくて、駿さんたちと関わるなって念を押された。……僕、やっぱり何かまずいことを知っちゃったのかな」
焦りと怯えが交錯する赤坂の様子を見て、真理の怒りはぐつぐつと煮え立つように高まる。こんな卑劣なやり方を放置しては、また大切な人が傷つくかもしれない。
高校生探偵チームの作戦会議
夜、駿・真理・剣介・彩香の四人は、それぞれ家に帰ったあとでオンライン通話をつないだ。グループ通話にはあまり慣れない駿も、今は必要に迫られて参加している。
「要点を整理しよう。まず、旧校舎で回収した怪しい契約書類と粉末の写真がある。これは、教頭や二宮先生が関与した裏取引の可能性を示唆している」
駿が画面越しにファイルの内容を読み上げる。剣介はサッカー部合宿で顔を出せない日が増えているため、情報共有は徹底しておきたいというわけだ。
「ただ、このまま学校に直訴しても、下手すれば証拠を握りつぶされるか、逆に偽造だと言い逃れされる可能性が高い。かといって警察に持ち込む勇気もまだない……」
彩香の声に苦渋が滲む。
「でも、一歩踏み込まないと何も変わらないと思うんだ」
真理はキーボードを叩きながら力強い口調で続ける。
「赤坂くんみたいに脅されている子がまだいるかもしれないし、大森くんは事件の被害者なのに、いまだに学校側から事実が隠されている。私たちが何とかしなきゃ」
剣介も画面の向こうから「そうだな。引き際を見失ったとかじゃない。進むしかない」と同意する。
「じゃあ、どうにかして“X”の正体を探るしかないね。ネット経由で脅迫してるなら、何かしらの手がかりが残ってるはず」
駿が提案すると、彩香がひらめいたように声を上げる。
「そういえば、情報処理部の先輩に詳しい人がいるよ。学校のネットワーク事情やセキュリティにも通じていて、ちょっと怪しい噂もあるけど……彼なら“X”の痕跡を辿れるかもしれない」
思わぬ方向からの協力者の名前が挙がり、四人の会話は少しだけ光を帯びる。もしかすると、これで“X”の背後にいる真犯人——あるいは教頭や二宮先生との繋がり——を証明できる道が開けるかもしれない。
二宮先生との対峙
翌日。駿が英語の補習を受けるため、放課後に教室へ残っていると、二宮(にのみや)先生がやって来た。いつもながら柔和な笑顔を浮かべ、「相沢くん、最近いろいろと忙しそうだね」と何気なく声をかける。
しかし駿には、その笑顔の裏に鋭い視線を感じ取った。「何を探っているんだ」とでも言いたげな、底知れぬ迫力——。
「ええ、まあ……文化祭も近いですし」
駿は表面上は当たり障りのない返事をする。すると二宮先生は黒板に視線を移しながら、小声でこう続けた。
「旧校舎に関わるデマが多いと聞くけど、相沢くんはそういう話を信じるタイプかな?」
「……先生はどう思います?」
「さあね。噂なんてどこから生まれるかわからない。高校生くらいなら、ちょっとした好奇心で騒ぎ立てることもあるだろう。でも……変に首を突っ込むと危ないよ」
その言葉には警告の響きが宿っている。駿は胸の奥が冷たくなるのを感じた。まるで、こちらが旧校舎で何を見たかを知っているかのようだ。そして——それを広めるな、と牽制しているようにも思える。
(やっぱり、この先生は……何を隠している?)
眉をひそめた駿を見て、二宮先生は再び笑顔をつくり、「補習はすぐ終わるからね」とだけ言い残して職員室へ向かった。残された教室で、駿は拳を握りしめる。“こちらの動きを把握されている可能性が高い”——そう直感せざるを得なかった。
訪問者、そして不意の終幕
その夜、駿が自宅で宿題をしていると、インターホンが鳴った。珍しく夜遅い時間であり、家族は不在。駿は警戒しながらモニターを覗くと、そこに映っていたのは赤坂 拓海だった。雨の名残で湿ったジャージ姿。どうしてこんな時間に?
慌てて玄関ドアを開けると、赤坂は目に涙を滲ませながら声を絞り出す。
「ごめんなさい……もう、どうしようもなくて。僕、誰かに尾行されてる気がして……」
そう言いかけた瞬間、道路の向こう側で車のライトが一瞬強烈に輝く。すぐに何者かがスピードを上げて去っていく気配がする。駿は唖然とし、赤坂を家の中へ引きずり込むようにして戸を閉めた。
「まさか、“X”がもう動き出したのか……?」
その可能性が現実味を帯びたとき、駿のスマートフォンに一通のメッセージが届いた。差出人は不明、宛先には彼と真理、それに剣介・彩香のグループチャットのアカウントが並んでいる。
「証拠を渡せ。さもなくばお前たちの秘密を公にする。逃げ場はない—— “X”」
刺すような恐怖が駿の全身を支配した。“X”は確実に、彼らの動きを知っている。そのうえ、こちらが“証拠”を握っていることまで把握済みだ。部屋の明かりがやたらと眩しく感じられ、赤坂の小刻みに震える背中が視界に入る。
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