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夏目勘太郎

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 ある初冬、少し肌寒いグラウンドで、私は自分の出番を待っていた。


 内側から膨らむ重たい圧迫を腹部に感じ、緊張している身体を軽く動かす。

 腹の中からタプタプと音がした。

 胃液だろうか、それとも朝に飲んだ紅茶だろうか。

 まだ胃には水分が残っていたらしい。

 私は念の為にトイレへと向かった。


 この日は、市内五つの中学校による「五校対抗ロードレース大会」だった。

 何の偶然か、私は我が中学の代表として、その大会に参加することになった。

 参加選手は、一・二学年の男女それぞれから千五百メートル走のタイム上位十名の、計四十名が選ばれる。

 自分のタイムが学年トップテンにランクインしているのは知っていた。

 しかしどうせいつものように後から誰かが抜いていくのだろう。

 私はそう考えていた。


 私はいつも中途半端だった。

 上には常に勝利者たちが輝いており、足下には羨望のまなざしを私の頭上へと向けている者達がいる。

 私はいつも、その真ん中の中途半端な場所が定位置となっていた。

 だから今回もきっと、最終的には十二位くらいの、実に中途半端なところで、目の前に引かれる境界線の絶対さを知るのだと思っていた。

 高校野球の県大会決勝で敗れるような、そんな絶対境界線だ。

 選ばれる勝利者たちと、惜しくも敗れる私との間には常に、薄っぺらだが確実に両者を隔てる白いテープが風の中にたゆたっていた。




 小学校のマラソン大会は、喘息で三年連続休んだ。

 そんな私が変わったのは、小学校五年生の時だ。

 幼馴染からの誘いで、マラソン大会のために一ヶ月前から特訓することになったのだ。

 その友達は前年、四年生のマラソン大会では二位という成績を残していた。

 僅かに及ばない悔しさは今の私なら良く分かるが、その時の私にはまだ分からず、二位なら充分じゃないかと心の中で思ったのを覚えている。

 しかし、彼が雪辱に燃えていたという事だけは、その時の私でも良く分かった。


 特訓は、私にはとても大変なことだった。

 なにせ、一周四百メートル弱はあろうかという団地の公園周りの道を二十周もするのだ。

 今考えると、病弱だった十歳の少年がやるにしては無茶な特訓をしていたように思う。

 そもそも四年生のマラソン大会には出られたとはいえ、八十余名中、二位と四四位の走り込みである。

 私が十五週目を走っている頃、彼はすでに公園のすべり台で休んでいて、あと何周などと声を送っていたような状況だった。


 だが、成長期という事もあり、そんな私も特訓で成長したのだろう。

 五年生のマラソン大会では七位という自身の変化に驚くばかりの好成績を収める事が出来た。

 共に特訓した幼馴染は、もちろん一位だ。

 しかし六位までが入賞なので賞状はもらえなかった。

 そのときの私はそれでも満足していたが、思えばこれが始まりだったように思う。


 その時から足が速くなった私は、運動会といえばリレーに参加して活躍したり、校内のマラソンでは学年でも上位に入るタイムを残したりと、周囲から足の速い人と認識されるようになっていた。

 しかし私は、自分の足が速いと思えた事は無かった。

 徒競走、リレー、マラソン……どれを取っても一番でゴールした事が無い。

 テープを切った事が無い。


 走る私の眼には、常に誰かの背中が映っていて、それはいつも届かなかった。

 その差が一歩であったり、コンマ一秒であったりもした。

 どんなに追っても、僅かに足りない。

 私は運が無いのだろうか、これが病弱者だった自分の限界なのだろうか。

 そんな事を考えたりもした。


 もう少しで届くところにあるはずなのに、いつも指先が触れるだけ。

 希望だけ持たせておいて、結果は嘲笑うように落胆だけがいつも残る。

 目指すものが目の前にあるのに届かないという飢え。

 渇望。

 知りえない頂点という未知の高さ。

 一番という栄光。

 それはとても小さなことだが、ティーンエイジの私には、とても大事なことだったのだ。

 私は勝ちたかった。


 中学一年の初冬、在籍していた陸上部の顧問から、市内の中学校五校による「五校対抗ロードレース大会」の話を聞いた。

 一・二年生から千五百メートル走のタイムのトップテンを選出し、市内の他の四校と対戦するという内容だった。

 職員室前の掲示板に、各学年のラップタイム上位十名の名前が張り出されているのは知っていた。

 私の名前は、その一番下に載っている。

 第十位である。


 私はその対抗戦に出たかった。

 勝利者として学年の代表である十名の中に入りたかった。

 しかし終わってみれば、私の名前は、次点としてランク外に小さく載っただけだった。

 第十位の者と僅か三秒差の十四位。

 この時、これが自分の限界なのか、これが現実なのかと激しく落胆したのを覚えている。

 両手にすくい上げたはずの勝利は、思い起こせばいつも指の隙間からするりと零れ落ちていた。


 だから翌年、中学二年となったこの年もそうなるに違いないと私は信じて疑わなかった。

 あらかじめそう思っていなければ敗北の落胆に耐えられないことを、この時の私は本能的に悟っていたのだろう。

 良く言えば自己防衛本能、悪く言えば負け犬根性というやつだ。

 我が事ながら、先に保険をかけておかないと勝負に挑めない脆弱な精神の持ち主だったように思う。


 しかし私の運命の女神は、どうやらずいぶんと天邪鬼らしい。

 この年は私の予想を裏切る結果が示された。

 私の名前は最後まで残っていた。

 第七位だった。



 勝利者として学年代表に選ばれたはずが、やはり私はそこでも中途半端だった。

 まだそこに勝利は無いことを知った。

 対抗戦の代表選手として選ばれたメンバーは、大会前日まで特訓をする事になり、会場となるスポーツセンターで走り込みを繰り返した。

 全員で走ると力量差によってどうしても集団が形成される。

 前方五十メートル向こうには一部の強い男子達で形成されたトップグループが、後方五十メートル向こうには女子と残りの男子達で形成された後続グループがあった。

 その間を私は泣きたい気持ちを堪え、ひとり走っていた。


 スタート地点から、上る時には「心臓破り」と呼ばれている急な坂を下り、多目的グラウンドと少年野球場の外周を周って戻ってくるのが第一区と第四区、千七百メートル。

 野球場と多目的グラウンドの間を通って野球場の外周を通り、スタート地点に戻ってから第一区と同じコースを行くのが第二区と第五区、二千三百メートル。

 第一区を逆走し、最後に「心臓破り」の坂を上ってくるのが第三区と第六区、千七百メートル。


 対抗戦には団体戦と個人戦とがあり、前者は学年ごとに成績の良い者六名が選ばれ、襷を繋いで走る。

 後者は団体戦に選ばれなかった残りの四名が第三区を走る。

 簡単に言えば、団体戦こそが勝利者のポジションだった。

 しかし団体戦は六名、私の順位は七位。

 ここまできて、また敗北者にされるのは嫌だった。


 二年男子団体戦メンバーの五名は簡単に決まった。

 コースとの相性、体力、タイムなどを考慮してベストの五人が選ばれた。

 そして残された第四区の席を、私は争っていた。

 相手はタイムで私を一秒上回る第六位の男。

 その一秒の差は紙一重でありながら、またも絶対的な境界を示すものだった。

 その男の背を手の届くような位置で見つめながら、私は第四区の選考に敗れた。



 対抗戦が始まり、ベストメンバーを揃えた我が校は、団体戦を一・二年男子、二年女子が優勝で飾り、一年女子が準優勝と文句なしの成績を収めた。

 特に二年男子の強さは圧倒的であり、第四区が私であったとしても、優勝という結果は揺るがなかっただろう。

 しかしまた紙一重の差で私は勝利の栄光を逃していた。

 やはり私の運命の女神は天邪鬼らしい。

 求めれば背を向け、諦めれば手の中にするりと舞い込んでくる。

 なんて残酷なのだろう。

 ここまできて、また私に敗北者としての苦汁を飲ませようというのか。


 喜びに沸き返る勝利者たちから背を向け、私はひとり黙々とストレッチをしていた。

 単純に悔しかったのだろうと思う。

 個人戦が始まり、我が校の一年女子が優勝する。

 一年男子は準優勝。

 そして二年女子は準優勝という結果を残し、いよいよ二年男子、つまり私の出番がやってきた。


 この年の我が校は優勝候補最有力校であり、ここまでとは考えなかっただろうが、わりと順当な結果だった。

 つまり順当な結果を予想し、個人戦を走る私にも、そんな期待がかけられる事になるのだ。

 なにせ他に走る仲間三人は、私の後ろ五十メートル向こうを走っていた後続グループの連中だ。

 当然、期待は私にかけられていただろうと思う。

 しかし全く自信など無かった。

 なにせ、自分でゴールテープを切った経験が一度たりとも無いのだ。

 そのジンクスは、自分に一生付いて回る宿命のようなものだと思っていた。

 だからこそ団体戦で走りたかったのだ。


 臓腑を握られているような緊張と、軽い息苦しさを感じながら、私はピストルの合図を待っていた。

 対抗戦の最後を飾るこのレースに込められた期待は大きい。

 なにせ我が校の成績は、どの学年のどのレースでも、必ず「優勝」と名の付く成績を勝ち取っている。

 ここでもそんな成績を取る事が出来れば、我が校の完全優勝と言えるだろう。

 しかし一度も勝利者となれなかった自分に、その期待は辛く、重かった。


 そんな私の暗澹とした気分を、不意に火薬音が斬り裂いた。

 はっと顔を上げると、左右から他校の選手が数名飛び出した。

 遅れてはならないと私も飛び出し、追いすがる。

 しかし速すぎた。

 今で言うウインドスプリントに相当する速さだった。

 最初からこんな速く走ってて良いのかと後を見れば、まだ百メートルほどしか走っていないのに後続は五十メートル近くも離れていた。


 いきなり失敗したと思った。

 序盤は力を抑えて、後半一気にスピードを上げるつもりだった。

 用意していた作戦は、出鼻から頓挫してしまった。

 共に駆け出した他校の選手達は、やはりダッシュでペースを乱したのか、二百メートルも走らない内に後ろへと流れ、落ちていく。

 私も徐々にスピードを落とし、いつものように目の前の背中を追ってペースを作り直そうとした。

 しかし目の前を走る選手もリズムを崩したのか、後ろへと流れていく。

 それを横目で見送り、再び前を向いた時、目の前の光景に私は恐怖した。

 前には誰もいなかったのだ。


 いつの間にか先頭を走っていた。

 その事実に、激しく狼狽した。

 なぜなら、かつて一度も先頭を走った事が無いのだ。

 走りなれない先頭で、私はペースの作り方を即興で考えた。

 まずは最初のダッシュでオーバー気味だったペースを抑えようと大きく呼吸の再調整を図る。

 しかし背後から迫る見えざる足音によって、その考えは、またもやる前から頓挫させられた。

 私は迫る足音に追い立てられるように、ペースを落とすことも出来ず、そのまま走り続けるしかなかった。


 中頃、応援に来ていた両親が見えたが、そちらに目を向ける余裕さえも無かった。

 まだ半分ほどしか走っていないのに、すでに息は上がり始めている。

 だが、背後からの足音は影のようにぴったりと付いてくる。

 振り向く余裕さえ無く、私は逃げるように走り続けた。

 棒のようになった足は、血管に鉛でも流れているかのような鈍い重さを感じていた。


 レースも終盤にさしかかり、抜かれるならここしかないだろうと予想していた緩い下り坂で、私はとうとうトップを譲ることになった。

 だらだらと続く下り坂は、疲労も極限に達して踏ん張れなくなった足には酷く辛い。

 だが遠ざかろうとする背中にだけは離されないよう、私は必死で追いすがった。

 ここでついていかなくては、心が挫けて足が止まりそうだった。


 しかし私は自身の敗北を悟っていた。

 その先にあるものは「心臓破り」の異名を取る急な上り坂。

 とても抜き返すほどのスピードなど出せない上、オーバーペースで走り続けていた私に、そんな体力は残されていなかった。

 よしんば抜き返したとしても、ゴールまで相手を抑えるだけの力は無い。

 どう考えても勝算が見えない中、私達は心臓破りの坂へと入る。


 案の定、前の背中から離されないようにするだけで精一杯だった。

 坂の両脇で、すでにレースを終えている選手達が、手を振り、語気を荒げて声援を送っていた。

 視界の端にクラスメイトの女子が、私に必死に声援を送っているのが見える。

 私を負かして団体戦へ出場した友人も、名前も知らない下級生達も、口を大きくあけて声援を送っている。

 しかし私は、なんと声援を送られたのかを全く覚えていない。

 いや、何かを聞こうとする余裕すらなかったという方が正しいだろうか。

 限界をとうに超えていた私に聞こえていたのは、喘息にかかったような奇怪な自身の呼吸と、前を塞ぐ背中の足音。

 ただそれだけだった。


 残り二十メートル。

 心臓破りの坂を越え、まだ上りではあったものの、傾斜はずいぶんと緩くなった。

 ここしか逆転のチャンスはないと酸素の足りない頭でも理解できた。

 体力など無かった。

 しかし人間やってみるものだ。

 どこにそんな力があったのか、私はダッシュのようなラストスパートを仕掛け、一歩、相手より先にゴールした。


 最初に思ったのは、胸に絡みつくテープが酸素不足の肺を締め付けるようで、酷く鬱陶しく感じたことだった。

 次に思ったのは、どこか休める場所を探すこと。

 何か飲むものが無いか、喉が引っ付いてうまく呼吸が出来ない、他人のものではないかと錯覚してしまうほどに足が動かない、道路で大の字に寝ていいのだろうか、周りで誰かが何かを言っているが邪魔だ、まずは休ませてくれ、酸素不足で呼吸が追いつかない、重力が十倍にでもなったように体が重い、急に汗が噴いてきて煩わしい、受け取った水筒に入っていたのは熱いお茶、誰だこんなもん渡すのは、やったじゃん優勝だ、え、なんだって、ちょっと待ってくれまだ頭が回らない、よくやった、おめでとう、なんだか分からないけどわかった、とにかくわかったから呼吸に集中させてくれ。

 

 おぼつかない足取りでようやく到達した金網にだらしなく背を預けながら、私はゴールだった場所を改めて見つめていた。

 初めてテープを切っただとか、優勝という頂点に到達できたとか、大逆転で気分爽快とか、嬉しいとか、そんな感情は不思議なくらい湧いてこなかった。

 ただ、朦朧とする頭で認識する現実味の無い結果と、勝利という実感はどこにあるのかを探す自分がいるだけ。


 自分は勝利者となりえたのか、私には分からない。

 残されたのは、優勝という自身の殻を破った証。

 だが、勝者という実感を得られることはなかった。

 しかし私は結果からひとつ、私の真実を得た。

 それは、最初は力を抑えてとか後で一気に抜き去るとか、そんな小手先のものではなく、一分の余裕も無く、最初から最後まで全力を出し続けたからこそ、勝利へと手が届いた事。


 全力。

 私はその意味をこの時に知ったのだと、今も感じている。




 -了-

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