ぼくという悲劇/喜劇

夏目勘太郎

ぼくという悲劇/喜劇

 冬休みが明け少し落ち着いた一月の末。

 その日も雪が降っていた。


 学校の屋上の氷のように冷たい手すりにもたれ、タバコのような白い息を空に吐きながら、どこを見るというでもなくただ漠然と色を失った灰色の世界を、ぼくは眺めていた。

 しばらくそのまま呆けていると、誰かがはしゃぐような奇声に気付いてふと視線を落とす。

 積もった雪を掘り返し丸めて投げ合う影、頭くらいの大きさの雪玉を転がして雪だるまを作ろうとする影、誰にも踏み荒らされていないまだ綺麗な場所に足跡で何かを描こうとする影。

 寒空の中、花びらのように舞い落ちる雪が校庭を真っ白に染め上げ、そこに生まれたのは巨大なキャンバス。


 奇声を上げて走る影が、それを汚しているように見えて、酷く鬱陶しいと思った。

 同時に、降り積もった雪と戯れるみんなの姿に、まだ何も考えなくて良かった幼い日の自分を重ね見た。

 あの時は、みんな楽しそうだった。

 ぼくも楽しかったんだと思う。

 クラスメイトと喧嘩をしたりもしたし、女子にいたずらして先生にカミナリを落とされた事もあったけど、そこには今あるような暗い記憶は無かったから。


 でも、それは小学校低学年の頃の話。

 あれからもう六年が過ぎている。

 その六年は、ただ笑いや喜びが消えていく思い出でしかない。

 なぜなら、ぼくはイジメに遭っていたから。


 ときどき思う。

 どうしてこうなったんだろう、と。

 こうなったのは偶然だったのか、あるいは必然だったのかというのはもう忘れた。

 今更そんなことが分かっても意味が無い。

 もはや理由なんて何も分からないままに、イジメは徐々にエスカレートしていく。

 時を変え、場所を変え、人を変え……すでに六年の歳月を経ていた。


 もちろん今までなにも抵抗しなかったわけじゃない。

 何の対策も、誰かに相談もしなかったわけじゃない。

 でもダメなんだ。

 みんな弱者を庇うという振りだけで何もしやしない、何も出来やしない。

 それにようやく気付いたのが一年前のこと。


 曰く、「いいか、イジメなんてものはやられたらやり返せば良いんだ」

 曰く、「おどおどしているからダメなんだ。もっと堂々としろ」

 曰く、「相手に隙を見せるからいけないんだ。嫌なら嫌とちゃんと言え」

 曰く、「何かあったらなんでも相談しろ。ちゃんと言うんだぞ」

 曰く、「イジメるやつらは馬鹿なんだよ」

 曰く、「自殺なんか考えるやつは、その勇気があれば抵抗すれば良いんだ」


「いい加減にしてくれ!」


 かつて言われた吐き気のするような言葉を思い出し、気が付けば叫んでいた。

 みんな何も分かっちゃいない。

 自分と関わりの無い事だから、こんな無責任なことが言えるんだ。

 誰もまじめに考えちゃいない。


 イジメられたらやり返せ?

 じゃあ、アンタはヤクザに絡まれたら反撃できるのか?

 自分が出来もしないことを軽々しく人に押し付けるな。

 確かに喧嘩ならその理屈でも一応通るよ。

 でも、イジメってのは喧嘩じゃないんだ。

 それに相手だって自分達が負けないことを分かった上でやってるんだ。

 そのくらい考えてからものを言ってくれ。


 堂々としろ?

 いつどこで誰にイジメを受けるかも分からない状況の中で、どうやって堂々となんて出来るんだ?

 そもそもこっちの意志は関係ないんだよ。

 イジメるやつらの勝手な判断でされるのであって、こっちがどうしていようとお構いなしだ。

 ぼくがどう変わろうと、あいつらの性根が変わらない限りは結局同じなんだよ。

 片方だけ変えても同じなんだよ。

 普通に考えれば分かるだろ?


 相手に隙を見せるからいけない?

 嫌なら嫌と言え?

 そんな事はやられる前に言ってくれ。

 嫌と言って止まるものなら、この世にイジメなんて無いよ。

 アンタは自動定型文返答装置か。

 ツーと言われればカーとしか言えないのか。

 問題はそんな次元じゃないことぐらい気付け。


 相談しろ?

 こんな無責任で投げやりで使えない理想論か机上の空論しか吐けないアンタらに、一体何を相談しろと言うんだ。

 馬鹿も休み休み言ってくれ。

 もっと相談をしたくなるような事が言えるようになってから言ってくれ。

 頼りがいの無い人ばかりの中で、一体なにを頼れって言うんだ。


 イジメるやつは馬鹿?

 だから何だよ。それが分かったら何か解決するのか?

 そのイジメるやつが学年で指折りの成績だったらどうするんだよ。

 それを言ったやつが余計にむなしくなるだけだろ。

 そもそも馬鹿とか何とか幼稚園児の口喧嘩じゃないんだ。

 アンタの発想は五歳レベルか。


 自殺が勇気?

 もう笑える。

 馬鹿言うなよ。

 自殺なんて正気で出来るか。

 あれは一種の精神病だ。

 追い詰められた精神が生存本能すら侵食してエラーを起こすんだ。

 だから生と死の境界線を見失う。

 死の待つ方向に救いがあるように錯覚する、だからそこに至ろうと行動する。

 それが自殺なんだよ。

 自殺ってのは正気を失ってるからこそ出来るんだよ。

 それを勇気だって?

 あっはっは、アンタら正気ぶってるけど絶対に頭おかしいよ。


 そもそも理屈だけでものを語って良い事言った気になるなよ。

 アンタらは自分達が思う以上になにも分かっちゃいない。

 なにも分かろうとすらしていない。

 ただ耳障りの良いことを言ってれば良いくらいにしか考えてない。


 アンタ達は「やあ」と挨拶しただけで空き教室に監禁され、三十分に及ぶ殴る蹴るの暴行を受けたことがあるのか?

 朝学校に来て下駄箱を空けたら、上履きが切り刻まれて使い物にならなくなっていた時の落胆を知っているのか?

 教室を訪れたら机や椅子が刃物で切り刻まれていたことがあるか?

 その時のショックを想像できるか?

 帰るときに下駄箱を空けたら、靴の紐が全て切られていた時の悔しさが誰か分かるのか?

 数人に囲まれライターで火をつけられた時の、あの学生服を浸食して迫る炎の恐ろしさが理解できるのか?

 そういった嫌がらせに対して文句を言ったら逆手に持ったナイフで手を刺された事があるのか?

 暴行に対して反撃をしようとしたとき、相手にナイフを突きつけられた事があるのか?

 笑いながらナイフを突き刺してくるクラスメイトに冷静に反撃出来るやつがいたら来い。

 代わってやるから言ったことをやってみろ。


 イジメられたら相談しろと言うなら、最低限この程度の事は想定した上で話をしろ。

 あまりにも無神経で、何も考えていない馬鹿な意見を、さもそれが常識のように軽々しく言うなよ。

 本来、もっと現実的な方法を考えなければならないはずなのに、みんなどこから持ってきたのか借りものの意見ばかりで中身なんて何もない。

 事態は何も変わりゃしない。


 無責任な理想論や、机上の空論の押し付け、それとイジメの被害者を形だけ擁護する、意味のない庇い方もやめてくれ。

 擁護するなら現実的に効果がある事をちゃんとして欲しい。

 半端な擁護は、むしろイジメを悪化させる要因になることを知らないのか?

 イジメられる者を擁護する振りして、実はみんな被害を訴えるぼくを厄介者だと思っている。

 被害者の声が出なければ、基本的に「イジメは無い」と判断されるし、トラブルも「無い」から、説得されるのはいつも被害者だ。

 加害者を説得しても効果が無いし、それをするのも怖いからそうなるんだろうけどね。


 最悪なのが「お前が悪いからイジメられる」って意見。

 ハッキリ言いたい。

 一般的に考えた場合、イジメの加害者と被害者……冷静に見て、悪いのはどっち?

 これで被害者とかいうやつがいたら、ぼくがそいつをイジメてやるよ。

 それでもまだ被害者が悪いとほざけるか見物だ。

 ま、イジメのことを何も考えていない証拠だよね。


 友達……いや、クラスメイトにも、ぼくを擁護しようとする人はいる。

 だけど自分もイジメられたくないから、やり方がどこか弱々しいよね。

 もちろん気持ちは嬉しいよ。

 だけど何も出来ないのなら余計な事しないで。

 もしくはちゃんと具体的な解決策を引っさげてから来て。

 全員で徒党を組んでから来て。

 イジメが収まらなければ、結局こっちの受ける被害がいつもより多くなるだけだから。

 つらくなるだけだから。


 これなんて新手のイジメ?

 行き着くところまで行くと、本気でそう言いたくなる。

 無自覚の間接的なイジメ。

 特に善意からなのが厄介だよね。

 しかも本人は守ってると、正しい事をしていると思ってやってるから全然気付かない。

 ぼくも庇われてる手前、無下にすることも出来ない……そういう人には悪いけど、これって最悪なんだよ。


 結局は、なにをやっても被害を受けるのは変わらない。

 事態は何も好転しやしない。

 むしろ周囲の無力さと無能さを痛感して救われる可能性が無い事を証明するだけ。

 世間一般でいう「イジメを受けたときに必要な対処」をしてもこれだ。

 税金使って、国会でなんたらかんたら議論して経済対策を練る時間を削ってまでやって、それで出来たのがこれ?

 見た目美しく見えるけど、助けを求めて飛びついたら実は食虫植物だった……そんな罠にはめられた気分だよ。

 なにも解決しないじゃん。

 救われないことが分かるだけじゃん。


 ああ、そうだよ。

 そんな事を延々と考えたぼくは、発想が行き着くところまで行っちゃって、去年の今頃、この屋上に来たんだ。

 あの時は、周囲はぼくをイジメから守ろうとして、やつらにプレッシャーを与えたまでは良かったんだ。

 でも、やつらだって馬鹿じゃない。


 それならそれなりに、イジメはそれまで以上に陰湿に、証拠を残さず、ずるがしこくなった。

 さらに周囲から抑圧され続けたストレスからか、イジメは結果的にエスカレートした。

 周囲が中途半端に手を出し続けるからこっちの被害は増える一方で、しかも見つからないように上手く誤魔化す手段を彼らは身につけてしまったから性質が悪い。

 おかげで表面上では沈静化してしまい、見た目には被害が減っているように見えたから、周囲はそれで安心しちゃった。

 自分たちは良い事をしたんだという自己満足に浸っちゃって、あとは何もなかったようにいつもどおり。


 結局はイジメの根本を何も解決しないで、そのしわ寄せ分も増えてぼくに降りかかっただけ。

 抱える問題がかえって大きくなっただけ。

 それだからもう、なにもかも嫌になって自分というイキモノの存在意義が分からなくなった。

 なんでここにいるんだろう?

 なにを求めて生きているんだろう?

 そもそも自分に生きる価値なんかあるの?

 そう、確かこんな風に思って――。


 ぼくは飛び降りたんだ、この屋上から。

 あの時も、こんな風に花びらが舞うように白い雪が降っていたっけ。

 でも、ぼくという悲劇はここで終わらない。

 脳挫傷、頭蓋骨陥没骨折、左眼球破裂・義眼化、頚椎損傷、あと忘れたけどいろいろ複雑骨折、どこだったかの内臓もいくらか破裂、エトセトラエトセトラ。

 トドメに半身麻痺、片足切断・義足化ときたもんだ。

 これだけ重症を負ったのに生きてるなんて奇跡だって医者に言われたよ。

 ぼくにしてみれば悪夢に等しい奇跡だけどね。

 それから一年後。

 若かったせいか回復が早く、怪我のわりに短いリハビリ期間で退院することができた。


 再び学校を訪れたとき、もうイジメはなくなっていた。

 イジメていたやつらも、自分たちによってぼくが本気で自殺を図ったという事実とその証拠たる今の姿にビビッてもう手を出さなくなった。

 しかしやつらだけではなく他のみんなも、もうぼくに関わろうとはしない。

 みんなの表情には、ぼくに対する恐れがありありと見て取れた。

 同級生も、教師も、家族でさえも、みんなぼくの命という核兵器を恐れている。


 命という核兵器は使ってはならないもの。

 手段の中の可能性のひとつとしてだけの意味で存在するべきである、相手への圧力のための無差別大量破壊兵器。

 押してはいけない禁断のスイッチ。

 怖くて誰もが使わない破滅の爆弾。

 しかしぼくはそのスイッチを押してしまった。

 使ってしまった。

 その破壊力は確かに凄まじいもので、今まで周囲にあった環境は完全にぶっ壊れた。

 あとで先生にこんな事を言われた。


「おまえの命を賭けた行為は決して褒められるべきではないが、その行為は無駄ではなかった。

 多くのものを失っただろうがもう大丈夫だ。決して希望を捨てるなよ」


 ぼくの自殺にみんなビビッたのか、どうやら他にもあった一切のイジメが学校から消えたらしい。


 ふーん、そうなんだ。

 何の感慨も湧かなかった。

 だってもともと希望なんて無かったから。

 無いものは捨てられないよ先生。

 飛び降りたあのとき、すでに何の希望も持ってなかったんだ。

 だから飛び降りたんだ。


 その辺分かってる?

 それで生き残ってしまったことが、どれだけ悲しいか分からないでしょ。

 ぼくに希望なんて今更ないんだよ、先生。

 虚無に囲まれた混沌の中にいた頃、混沌に囲まれた虚無の中にいる今。

 ただ、受ける痛みの性質が違うだけ。


 何が変わったんだろう?

 何が無駄じゃなかったんだろう?

 何が大丈夫なんだろう?

 なんでここにいるんだろう?

 死んだはずなのに、なんでまだ生きてるんだろう?

 全然分からないよ。


「ああ、そうか……」


 ぼくは幾度となく自身に問いかけてきたことの答えに、今ようやくたどり着いた。


「そうなのか。つまり、けっきょくダメなんだよ」


 行き着いた答えを虚空に吐き出した。

 白い息が漏れて灰色の空に溶けていく。

 少し冷えてきて、自分を抱くように身を縮こませた。

 半身が、死んだ人間のように酷く冷たかった。


 しかし麻痺しているから感じない。

 どうせ死んでいるようなものなんだ。

 でも、なんでちゃんと死ねなかったんだろうね?

 ぼくには何の希望もない、目標も無い、それに今ではまともに動く身体も無いのにね。

 これはどう考えても生きてる意味が見出せないでしょ?

 他の人はどう思うか知らないけど、少なくともぼくは自分に生きる価値がもう完全に無くなったと考えるね。

 だいたい一度捨てた命だ。

 自ら穢した命はもう二度とその清らかさを取り戻すことは出来ない。

 もはや生ゴミと化した命は早く捨てた方がいい。


「うん、そうだ。それがいい」


 半身麻痺した身体を手すりに乗せて、松葉杖を支えにその上をまたぐように乗り越える。

 ようやく自身への問いかけに答えが出せたことで、今まで胸の中にあった霞のようなモヤモヤが消えた。

 ぼくは久々に嬉しいという感情を少し思い出し、自然と顔がほころんだ。


「こんな命は捨てるべきなんだ。もう汚れたから――仕方が無いんだ」


 至った結論を、ぼくは子供のようにうきうきしながら口にしていた。

 そう、仕方が無いんだよ。

 ネットでイジメの相談をしたときに、まるでそれが真理であるかのように言われた言葉。


「イジメなんてものは必ずあるもの。だからそれは仕方が無いことなんだ」


 ああ、そうか。

 仕方が無いんだ。

 それでイジメにあっても仕方が無い。

 周囲がそれを止められないのも仕方が無い。

 世間がそれを見放しても仕方が無い。

 被害者を擁護するパフォーマンスが結果イジメを悪化させていても仕方が無い。

 半端な正義が、間接的に被害を増やす実質的な悪であることも、やはり仕方が無い。


「じゃあ――」


 ぼくは一歩、足を前に出す。

 それによって人が死ぬのも仕方が無いよね。

 自殺に失敗した人が、もう一度自殺するのも当然、仕方が無いんだよね。


 仕方が無い。

 便利な言葉だよ。

 どんなことが起きても、そのひと言で、まるでそうあるのが自然の摂理であるみたいに感じるじゃないか。


 身体を傾けて義足となった反対の足を何とか前に出し、ぼくは屋上の縁に立った。

 遠くに見えるのはゴミのように舞い落ちる雪に埋もれた灰色の町並み、近くには幾人かが走り回る薄汚れた白いキャンバスが横たわる。

 真下には、誰にも踏み荒らされていない、煉瓦で囲った小さな花壇があった。

 ぼくは絶えて久しい、実にすがすがしい気持ちで、乾燥した冷たい空気を大きく吸い込み、かろうじて機能しているポンコツの五臓六腑に染み渡らせた。


「うん、そうだ。これは仕方の無いことなんだ。こうするのが良いんだ――」


 とても気分が良かった。

 上体をゆっくりと前に傾け、何も無い宙へと足を踏み出す。

 恐怖なんて全く無かった。

 いや、ここで恐怖を感じる要素が何ひとつ見つからなかった。

 むしろ今度は失敗しなければいいなと小さく笑って、身体を宙に投げ放った。

 全てから解き放たれる自由へのダイブは、今まで生きてきた中でサイコーの気分だった。


 ぼくという悲劇はここで終わる。

 ぼくという喜劇はここで完成する。


 こんなに嬉しい事は無い。




 その日、一年前と同じ場所に。

 花びらが舞うように、しんしんと雪が降り積もる中に。

 煉瓦の額縁に囲まれた、真っ白で小さな花壇のキャンバスに――大きな、ひときわ大きな紅色の雪花が咲いた。

 それは、悲しいほどに美しくなかった。



 -了-

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