第4話 乱暴な手

 実のところ2つほど期待していたのは事実である。

 自称サキュバスのお姉さんが諦めて僕の家から出ていってくれるか、一宿一飯の恩義を感じて家事をしてくれているか、というものだった。

「ただいま」

 僕の挨拶に数テンポ遅れて声がする。

「おかえり」


 希望の1つ目は消えたわけだ。

 でも、虚しく吸い込まれる帰宅の挨拶に返事があるというだけで少しだけ心が温かくなってしまう。

 たとえそれがサキュバスのものだったとしてもだ。

 僕は自分で想像するよりも都会の孤独に心を砕かれていたらしい。


 居室と廊下を隔てるドアを開けるとお姉さんが布団に腹ばいになったまま携帯用ゲーム機で遊んでいるのが見える。

「遅かったじゃん。もう、お腹すいちゃった。早くご飯にして」

 僕の肩からバックが滑り落ちた。

 さすがに温厚な僕もこれには腹を立てる。


「あのう。普通は居候が家主のご飯を用意するものだというのが一般的だと思いますけど」

「だって、他人の家の食材を勝手に使うのも気が引けるじゃない。ほら、朝食用に取っていたもので料理を作って喧嘩になるカップルもいるし」

 なるほど。

 まあ、一定の説得力はあると思った。

 ただし、僕のゲーム機で勝手に遊んでいなければの話である。


 よく見ると隠しておいた薄い本が布団の側に置いてあるのも発見してしまった。

「他人の本やゲームを勝手に使うのはどうなんですか?」

「え? 私は本は使ってないよ」

「だって、そこに置いてあるでしょ」

「まあ読みはしたよ。でも使し」


 意味が分かると僕の頬に血がのぼるのを感じる。

 お姉さんはやっとゲーム機から顔を上げた。

「まあ、私は他人の趣味嗜好には口は挟まないよ。それよりも晩御飯は?」

「僕は外で食べてきた」

「えー、私は朝食の後、何も食べてないんだけど」


 ぶつくさ言うが相手をしていられないのでシャワーを浴びに風呂に向かう。

 出てくるとお姉さんは拗ねていた。

「そりゃまあ、私も押しかけてきた立場ですよ。迷惑かけているという自覚もあるし。でも、おっぱいに顔をうずめた相手なんだから少しは食事を恵んでも……」

 いじいじいじ。


 僕は仕方がないのでお湯を沸かしてカップ麺の天ぷらうどんを作りちゃぶ台に置く。

「食べていいですよ」

「ほんと?」

 お姉さんはぱっと布団から出てくるとちゃぶ台の前に座った。

 かき揚げを箸で摘まんで口の中に入れる。

「うまあ」


 嬉しそうな顔は先ほどまでとはすっかり人相が変わっていた。

 食べ終わるといそいそと空き容器を持って廊下に出ていく。

 戻ってこないので何をしているのか見にいくと朝流しに入れっぱなしにしてあった食器を洗って乾燥用の棚に並べていた。

 今まで放置していたことに呆れるべきか、今更ながらといえども片づけをしたことを褒めるべきか悩ましい。


 なんか疲れがどっと出たので何も言わずに僕は布団に潜り込んだ。

 いつもと違ってほんのりと温かい。

 お姉さんが戻ってきていぶかし気な声を出した。

「ねえ、今後の話し合いは?」

「ごめん。もう起きていられない」

「そう……」


 お姉さんは居室の照明を消すと布団の中にするりと身を滑らせてくる。

 僕の体にぴたりと体をくっつけた。

「ねえ。本当に寝ちゃうの?」

 吐息が耳をくすぐる。

 悲しいかな。

 経験のない僕はこんなあからさまな状況でも身をすくませることしかできなかった。


 後ろから伸びてきた手が僕の下半身をまさぐる。

 パジャマの上からわしづかみされた。

「こんなになってる。私がしてあげようか?」

 返事ができないでいると、お姉さんは同意と判断したようでパジャマとその下の下着の中に手を入れてくる。


 僕のものをぎゅっと握ると乱暴に動かし始めた。

「痛い!」

 思わず叫んでしまう。

 海老のように身を丸め防御姿勢をとった。

「ごめん。そんなつもりはなかったんだけど」

 後ろから謝罪の声がする。


 ためらった末にお姉さんはため息を漏らして話しはじめた。

「私ね、学校での実技実習が全然だめでクラスメートから馬鹿にされて登校できなくなっちゃったんだよね。それから引きこもりでさ。やっぱりちっとも上手くなってなかったや」

 なんだか重い話が始まる。

 でも、僕は竿が取れそうなほどに引っ張られボールを拳で強打された痛みに悶絶していて返事をするところじゃなかった。


「えっちの下手くそなサキュバスなんて存在価値ないよね。はあ、もう死にたい」

 下手くそってレベルじゃねえぞ。

 そう思ったが、僕はなんとか呼吸をして建設的な提案をする。

「夜にそういう話をするとどんどん気が滅入っちゃうんで、とりあえず今日のところは寝ませんか」

「分かった」


 鼻をすすりながらお姉さんは素直に応じた。

 僕の胸に腕が回され僕の後頭部に何か柔らかいものが押し当てられる。

「ありがと」

 痛みに萎んでいたものに一気に血液が流入して僕は返事をすることろではない。

 咳ばらいをして声を出そうとしたところですうすうという寝息が聞こえる。

「あの、お姉さん?」


 返事がなかった。

 まさか、もう寝たの?

 僕は呆れると同時になんだかすべてがどうでもよくなった。

 そして、寝息につられるように眠りに落ちる。

 これが、僕とお姉さんの最初の夜の幕切れだった。

 

 ***


 作者の新巻でございます。

 自主企画用の短編は一旦ここで終わりになります。

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