今夜、あなたを奪いに行きます

はじめアキラ

今夜、あなたを奪いに行きます

『今夜、あなたの心を奪いに参ります。怪盗ルナティック』


 そんな予告状がセレナの枕元に置かれているのが発見されたのは今朝のことだった。

 怪盗ルナティック。現在、この国を賑わせている怪盗であり、お金持ちから盗んだ品々を貧しい人にばらまく義賊としても知られているのだった。

 ルナティックの姿を見た者は何人かいるが、いつも仮面に黒いローブという格好であるため素顔は誰にもわからない。声を聴いた者もいないため、一応“彼”ということにはなっているが、本当に男なのかも定かでないというのが実情だった。


「まさか、ルナティックの次の標的がお嬢様になるなんて……!」


 屋敷の執事、メイド達は慌てふためいた。というのも、昨夜からこのメレティウス伯爵家の家族のほとんどが遠い海外に仕事で出ている。残っているのは、まだ十三歳のセレナと、五歳の弟だけだった。セレナは二人の兄と年が離れており、彼等は既に両親の仕事を手伝っている。執事頭は電報を打ったようだが、今回の仕事場は遠い。今夜までに、自宅に戻ってくることは不可能だと言って良かった。なんせ、船で三日はかかる距離なのだから。


「なんてことでしょう!怪盗ルナティックといえば個人的には姿を見てみたい気もしますけど、いやでも、だからってお嬢様を攫うだなんて!」

「落ち着きなさい、カトリーヌ」


 やや本音が隠しきれてないメイド頭を宥めて、セレナは言った。怪盗ルナティック。庶民の憧れの的にして、貴族たちには非常に恐れられている存在。セレナとしても、どのような人物か気になるところではあった。使用人たちからすれば、万が一セレナが本当に拉致されるようなことになったらお叱りを受ける程度では済まないのだろうが。


――わたくしを攫う、ではなく。わたくしの心を奪う、と仰るのですね。


 言葉のあやかもしれないが。この言い回しの違いは、セレナをときめかせるのに充分だった。


――つまり。わたくしを惚れさせる自身があるとでも言うつもりなのかしら?なんて面白い泥棒さんなの!


 使用人たちと違い、セレナは少々わくわくしていた。果たして今夜、一体どのようにしてこのセキュリティ万全の館から自分を攫うつもりでいるのだろう?




 ***




「お嬢様ー?怖くないんですか。怪盗ルナティックのこと」

「んー?」


 今日は学校もない休日である。そして、メレティウス伯爵家は、古くから伝わる軍人の一族だった。今回両親と兄が連れ出された仕事というのも、実は軍に関わるものであったりする。女性であっても日々戦闘訓練を行うのは当たり前。セレナも当然のごとく、中等部を卒業すると同時に軍の入隊試験を受けることが決まっている。

 今日も今日とて、執事見習いのロランと一緒に射撃の訓練をしているところだった。――セレナが恐怖を感じていない理由の一つはそこにあったりする。伯爵家のお嬢様といえど、セレナはよそのお嬢様とは一線を画す存在だ。なんせ、自分の身は自分で守れる自信がある。仮に武器を取り上げられたところで、格闘術だけでも大人の男を圧倒できるという自負がセレナにはあったのだ。


「怖くなんかないわ。恐らく怪盗ルナティックは若い男性だという話でしょう?わたくし、大人にだって負けない自信がありましてよ。……あと、今はわたくししかいないんですから、敬語はなしにしてくださる?」

「……チャーチルさんたちに見つかったら、俺が叱られるんですけど」

「一度や二度叱られたくらいでなんですの?わたくしが命じているんだから関係ありません。ほれ、とっとと」

「……相変わらずわがままなお嬢様だな」


 執事見習いのロランは、代々この家に仕える一家の一人息子である。幼い頃は、身分の垣根を越えてよく遊んだものだ。それが、彼が十歳になるのと同時に執事見習いとなり、自然と壁ができるようになってしまったのだった。

 彼は労働者階級、セレナは貴族。この国では、身分は絶対。小さな子供の頃ならともかく、互いに十二歳と十三歳になった今距離感を保つのも大切なことなのかもしれないが。


「俺が叱られたら、お前から命令したってちゃんと言ってくれよな、まったく」


 周囲に他の召使いがいないことを確認して、ロランはため息交じりに言った。


「俺は心配してるんだよ。お前が、まるでルナティックに浚われるのを待ってるみたいに見えるから」

「あら、どうして?」

「……だってお前、この家好きじゃないだろ。貴族に産まれたことも……つか、階級社会のこの国のことも。ルナティックはそれを変えてくれる存在かもしれないって、期待してる」

「……買い被りすぎよ」


 まあ、そういう気持ちがないわけではない。ルナティックは、どれほど堅牢な警備の屋敷にも忍び込んで(そもそも宮殿の警備さえ掻い潜るのだから驚きだ)目当ての財宝を盗み、庶民にばらまくのである。カッコイイ、と思うと同時に期待してしまうのは間違いないことだ。彼ほどの実力があれば、いつかこの国の腐った仕組みそのものを変えてくれるかもしれないと思う人間は、庶民ほど多いことだろう。危機感を覚えているはずの貴族の中にさえ隠れファンがいるらしいというからよっぽどである。

 無論、どれほど彼が優秀でも、一人でできることはたかが知れているというもの。自分が彼の仲間になれたら、なんて願望がセレナにあるのは否定しない。


「そういう気持ちがないとは言わないけど、それ以上に興味があるの」


 ライフルを構えて、引き金を引く。十三歳のセレナの体格でも、少ない反動で放てるように調整された愛銃。パアン!と軽やかな音と共に、訓練場に設置された的の中央に命中する。


「ルナティックはわたくしを誘拐しますじゃなくて、わたくしの心を盗むと仰るのよ。凄い自信じゃない。わたくしに一目で惚れさせる自信があるということよね?どれほど素敵な方なのかしら」

「そういう意味なのかね」

「そういう意味でしょうよ。ロマンチックな泥棒さんだんわ。興味が湧いてしまうじゃない。無論、つまらない男に浚われるほど、わたくしは安くはないわけだけど」

「つまらない男に決まってる」


 ロランは忌々しいと言わんばかりに吐き捨てた。


「確かに、ルナティックがやっていることは一部の人々を助けてるんだろうさ。でも、この国を根本的に解決することに繋がってるわけじゃないだろう。……偽善だし、自己満足だ。ものすごい美形だろうが、人の家のセキュリティすり抜けてお前を誘拐できるだけのスキルがあろうが関係ない。……世界を変えるのは、一人がジタバタしたってできることなんかじゃないってのに」

「……そうかもしれませんわね」


 彼がそういう風に言うのには理由がある。ロランの母は、買い出しの最中に馬車に撥ねられて死んでいる。ロランがまだ五歳の頃のことだった。

 よりにもよって、母親を撥ねたのが侯爵家の馬車。伯爵家よりも階級が上だ。その結果、セレナたちメレティウス家も大きなことが言えず、馬車を操っていた御者が罰金に処されただけとなってしまった。侯爵家にはなんの御咎めもなし。それが、この国の司法の現実なのである。――侯爵家の奥方が、パーティに遅刻しそうになっていて凄まじい速度で馬車を走らせていなければ、起こらなかった事故だというのにだ。

 世界を変えたい。その気持ちは、なんだかんだ言っても貴族としてぬるい生活を送っているセレナより、彼の方が強いはずである。それでも堂々と抗うことができないのはセレナがいるからか、家族の立場を想ってか、あるいはそれ以上に現実を思い知っているからか。


「確かに、ルナティック一人の力では、変えられることなどちっぽけかもしれない。……でも、よその国では庶民の革命によって、国そのものの仕組みが変わったケースもあるのよ」


 セレナは再びライフルを構えて、的を狙う。


「どれほどちっぽけでも、人は足掻くことができるわ。……変えるために、小さな力だとわかっていても足掻く努力をする人を。変えようともしない人間に、笑う資格はなくってよ」

「…………」


 パンッ!と再び軽やかな音。弾はほんの少しずれて、的の隅の方に命中した。




 ***




 果たして、本当にルナティックは現れるのか。窓の外の月を見ながら、セレナは布団に入った。明日が満月ということもあって、空にはいつもより大きく、そして眩しい月が輝いている。


「お嬢様、本当によろしいのですか。部屋の中で警備をしなくても」

「結構ですわ。ドアの前も窓の前も、それから門の前も塀の前も、あらゆるところに警備兵を置いてくださってるのでしょう?この万全のセキュリティで、一体どうやってルナティックが侵入できるというのです?それとも、この部屋の中にはわたくしも知らない隠し通路があるとでも?」

「い、いえ。そのようなことはないはずですが」

「なら、気にすることなど何もないですわ。わたくし、今夜はとても眠いの。一人でぐっすり寝かせて頂戴」

「……はい」


 渋々メイド頭が引き下がり、部屋の外に出て行くのを、セレナは欠伸をしながら見送った。自分の悪い癖だ。昨晩は、好きな本が届いたのが嬉しくてついつい徹夜して読みふけってしまったのである。明日休みだからって浮かれすぎだろ、と珈琲を持ってくるように命じたロランにも呆れられたほどだ。実際、今日の午前中の訓練は結構的を外してしまっていた。両親が出払っていなければお叱りを受けていたかもしれない。本に夢中になって徹夜してしまうのは、セレナとしては珍しいことでもなんでもないのだった。


――本当に来るかしら、怪盗ルナティックは。


 窓の外を見て、今夜は本を開くこともなく布団にもぐる。


――今夜のわたくしは、良い子でお休みしますから。……攫えるのでしたらどうぞ、お好きなように。




 ***




「で、結局ルナティックは来なかった、と」

「そうそう。やっぱり、うちの屋敷の警備に怖気づいたんじゃないかって」

「うーん、王宮に侵入できるほどの実力を持った怪盗が、そう簡単に退くものかなあ」

「というか、そもそも予告状が偽物だったんじゃないの?今までお金とか宝石ばっかり盗んでいた人が、いきなりお嬢様を誘拐するだなんて」

「それもそうか。うっかり今夜来るって可能性はある?」

「勘弁してよ、あの警備を二晩連続なんてごめんだわ」

「お前達、何をサボってるんだ!もう夜だぞ、さっさと掃除を終わらせろ!」

「す、すみませんチャーチル様!」


 ばたばたばたばた。好き勝手にお喋りしていたメイド達が廊下を走っていくのを、ロランは呆れた眼で見つめた。やはり、メイド達にとってルナティックは憧れの的らしい。仮面で顔も見えないのに、勝手に天下絶世の美青年ということにされてしまっているルナティックもなんというか気の毒な話である。これでいつか捕まって仮面が割れる時が来たら、多くのファンをがっかりさせることになったりしないだろうか。

 大抵、こういう話で本当に中身が美形であったことなどほとんどない。まあ逆に、ものすごい不細工というのもレアケースかもしれないが。


――なんか、今夜は眠れる気がしないな。本でも読もうかな。


 自分の今日の仕事は終わっている。さっさと部屋に戻ろうと、自室のノブを回した。この屋敷は広い。ロランは人数の都合もあり、特別に一人部屋を与えられているのだった。

 そして、ドアを少し開けたところで違和感に気づくのである。――中から、風が吹きこんでくるのだ。


「え」


 慌てて入室したところで、ロランは目を見開いた。部屋の窓が、全開になっている。そして――その窓に枠に腰掛けている――戦闘訓練の時に着るジャケットにパンツ姿のセレナが。


「意気地なし」


 セレナはロランを真っ直ぐ見つめて、はっきりと言ったのだった。


「予告状。送ったのは貴方でしょう、ロラン」

「!?な、何言ってんだ、俺はルナティックじゃ……」

「貴方が本物の怪盗ルナティックかどうかは知らないわ。でも、少なくともあの予告状を置いたのは貴方以外にはありえない。……だって一昨日の夜、わたくしはずっと本を読んで徹夜していたのよ?不審者が部屋に入ってきて気づかないはずがないわ。ベッドに入る前に枕を確認しているから、予告状が入れられたのはわたくしが起きている夜中しかあり得ない。……そんなチャンスがあったのは、夜、珈琲を持って私の部屋を訪れた貴方しかなくてよ」


 それに、と彼女は眼を細める。


「お父様とお母様、お兄様たちが海外に行っていて、丁度屋敷が手薄になるタイミングを知っていたっていうのもね。……貴方は本当は、昨晩わたくしを“怪盗ルナティック”として攫うつもりだった。そうでしょう?でも、土壇場で踏みとどまってしまった。……意気地なしね。わたくしの心がどうであるかなんて、とっくに知っていたはずなのに」


 ロランは言葉を失う。確かに、状況的に見て自分が予告状を出したとバレる可能性を想定しなかったわけではない。しかし、セレナはルナティックの名前にのぼせ上っている様子だったし、他の使用人たちもパニック状態。その犯人が身内にいるなんてそうそう気づくこともないとタカをくくっていたのに。

 ああ、わかっている。情けないと言われても仕方ないのは。

 ご両親がいない今くらいしかチャンスがない。セレナを、軍人というレールに乗せるばかりの堅苦しい家から救い、自分自身をも救うチャンスは今夜しかないと思って予告状を出した。でも、いざとなったらその瞬間尻込みをしてしまったのだ。自分達が共にいなくなったら、どれほど他の使用人たちに迷惑がかかるかを実感してしまったがゆえに。でも。


「わたくしは、己を強くしてくれたこの家には感謝しているけれど。……貴族の一人として庶民を平然と踏みにじり、あげくこの国のための戦争の道具になる未来なんてまっぴらごめんですのよ。何度も何度もそんな話をしてきて、貴方はわたくしの本心などわかっていたことでしょうに」

「せ、セレナ。でも俺は……」

「ええ、貴方は優しいから、人の迷惑を考えて立ち止まってしまったんでしょうね。本当に意気地なしだわ。……それも貴方の魅力だから、これ以上とやかく言わないけれど」


 でもわたくしは違うのよ、とセレナは言った。


「わたくしは、貴方と違って“良い子の使用人見習い”じゃない。“我儘な伯爵家のお嬢様”なんですの。自分が欲しいものは、何が何でも手に入れなければ気が済まない。……だから、決めたわ。貴方が攫わないなら、わたくしが貴方を攫いに行くだけのことだと」

「え」

「今夜は、わたくしが怪盗ルナティックですのよ」


 セレナは窓枠から降りると。スタスタとロランの傍に歩み寄ってきて、この手を力強く掴んだのだった。




「今宵、わたくしがロラン、貴方を攫いますわ。世界を変えるため、自由を得るため。拒否権などなくってよ」




 ああ、とロランは泣きそうになりながら――やがて黙って、その場に跪き、少女の手の甲にキスを落としたのだった。

 愛しいこの人は、自分が思っていたよりもずっと勇敢だった。臆病な自分の背中を、こうして強引に押してくれるほどに。


「……喜んで、マイステディ」


 盗まれた心は、果たして誰のものであったのか。

 それを知るのは、全てを見ていた満月のみ。

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